本多勝一のレビュー一覧
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やはり点の論理的な打ち方を説明した部分が内容として特徴である。
語順についてはp86の要約を参照。❶❷が最重要
❶節を先に、句をあとに。
❷長い修飾語ほど先に、短いほどあとに。
❸大状況・重要内容ほど先に。(←これはよくわからん)
❹親和度(なじみ)の強弱による配置転換
また漢字と仮名については、決まりはなく前後で多く続かないように切り替えれば足りる。
点についてはp130の要約を参照。
❶長い修飾語が2つ以上あるとき、その境界にテンをうつ。(重文の境界も同じ原則による)
❷原則的語順が逆順の場合にテンをうつ。
③筆者の考えを示す自由なテン。
8章 無神経な文章は、個人的に同意できるところが多い。「慣用句」を使いすぎないようにしたい
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・修飾語被修飾語の距離は近く
・修飾の順序は節を先に、句をあとに。句の連続は誤解を招く
・修飾は長いものを先に、短いものを後に
・大状況から小状況へ、重大なものからそうでないものへ
・親和度の高い単語は近くにあると混乱するので配置を遠ざけるなど工夫する
・句読点のテンの意味は、思想の最小単位を示すこと
・語順が逆順の場合にもテンをうつ
・長い修飾語が二つ以上ある時、その境界にてんをうつ
・重文の境目、述語が先に来る倒置文、驚嘆、挿入句の前後
日本語もプログラミング言語も語であり、根源的な性質が同じものであることがよくわかる本。
そして改めて日本語の難解さあるいは用法を誤ることで齟齬が生まれやすい繊細さがわかる。
文章もソースも簡潔で正確なものが望ましい。そうでなければバグが氾濫し、リファクタリングの大変な代物ができあがってしまう。 -
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ネタバレ15世紀頃のアイヌの少女の物語の後半です。
ハルコロの成長・恋愛譚が中心ではありますが、後半はスピンオフしたエピソードの分量が割と多めでした。
見どころはコタンコロカムイを送るイヨマンテの荘厳な描写でしょうか。特にコタンの集会場で村人が一同に会し、幾夜もの間、名人の語る壮大なユーカラに静かに耳を傾ける場面は圧巻であり、この時代のアイヌの人びとが持っていた純粋さや、彼らが「カムイ」と呼ぶ人ならざる人を超えた存在への畏怖の念を、さて、21世紀の我々はどこかに置き去りがちではなかろうか? と思わせられるものがありました。
個人的には産婆さんの生い立ちエピソードも、決して現代視点でオカルトと片づけてはいけない崇高さが感じられてお気に入りです。
最終章で数十年の時が流れ、ハルコロの物語は子々孫々、連綿と続いていく長いアイヌの歴史の中のほんの一瞬の小さな出来事であったことを思い知らされます。1巻巻末の原作者の解説によれば、原作が続編を企図してこのようなラストとされたようです。このラストは余韻を残す一方で、Wikipediaでしかこの後の歴史を知らない読者としては消化不良に陥っていますが、今から続編は……さすがに無理ですかねえ。
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15世紀頃のアイヌの少女の成長譚を軸に当時のアイヌの生活を活き活きと描いた物語の前半部。
多分、この物語、昔に朝日新聞の連載で部分的に読んでいて、ハルコロ、ウナヤンケといった登場人物の名に見覚えがあります。
アイヌは狩猟・採集を中心に生活を営んでいたと思いがちでしたが、粟などの穀物栽培の描写やそれを素材にした愛らしい神謡の紹介などもあり、興味深かったです。
ウナヤンケの生い立ちは原作にはなく漫画オリジナルの模様。ただ恋愛がらみの展開はその辺りのエピソードがあってこそ、なぜハルコロと彼が惹かれあったのかなどについて説得力が増していると思いました。 -
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冒険研究所書店の選書の一冊。
南極点到達をかけ、国を背負って究極のレースに挑んだ二人の探検家。
アムンセンとスコット
片方は全員生還を果たし世界の英雄となり、もう片方は全員遭難死する。
アムンセンは当初北極をめざしていたが、アメリカのピアリーが北極点に到達すると知ると、急遽目標を南極点に変え、スコットを驚かせる。
アムンセンは子供のころから極点到達の冒険家になることを目標にしており、生活のすべてを極点到達に費やしていた。
スコットは英国の英雄として数々の実績を積んでおり、職業探検家として国を背負って南極点に挑む。
本書は両隊の行程を並行して記述しており、章立てはドキュメンタリーを見ているかのように進む。
目標を達成するためにすべてを考え、実行するアムンセンのリーダーシップと信念は素晴らしい。
しかし、私の探検家ナンバーワンはアーネスト・シャクルトンという気持ちに変わりはない。 -
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『ハルコロ(1)』の続き。
アイヌの少女ハルコロと、美しいいとこウマカシテ、隣のコタン(村)のペケンノウ"ク"("ク"はアイヌ語仮名の小書き文字)、ペケンノウ"ク"の家で召使として働くウナヤンケ。4人の恋のもつれた糸はなかなか解きほぐせない。そんな中、ウナヤンケの父が性悪のキムンカムイ(クマ)に殺される。ペケンノウ"ク"の父もその場にいたらしいのだが・・・。
父の仇を討とうと山に入るウナヤンケ。果たしてクマを倒せるか。
クマ騒動が一段落したころ、ハルコロのコタンではイヨマンテの祭りがおこなわれる。イヨマンテというとよく知られるのは「クマ祭り」だが、実は対象はクマには限らない。イヨマンテは「それ(カムイ)を行かせる」の意で、動物の姿をしたカムイ(神)を「殺し」、神の国へ返すことを意味する。
本作では、クマよりもさらに上位のカムイとされるシマフクロウ(「コタンコロカムイ」)のイヨマンテが描かれる。
イヨマンテは「神を送る」重要な儀式だが、要は、幼いうちに捉えた動物をしばらく大切に飼い、それを殺すことである。たとえ、殺した動物が神の国に戻るのだと信じていても、実際に飼育していた者には悲しい別れの出来事でもある。シマフクロウを大事に育てていた女の子もエピソードも差しはさまれる。
イヨマンテは、コタンの繁栄を祈る大切な祭り。何日も祝宴が開かれ、名人たちがサコロベやマッユーカラを語る。これらは口承文学の一種で、英雄や動物たちの物語を節にのせて語るもの。名人はいくつもの物語を覚え、長いものでは数昼夜にも渡って語りが続くものもあったという。アイヌは文字を持たないが、文学は文字だけではない。豊饒な語りの世界が存在していたのだ。
イヨマンテでは、物語の途中で語るのをやめ、続きが聞きたいと思ったカムイがまたコタンを訪れてくれるように願ったという。
盛大な祭りはまた、恋が発展するチャンスでもある。多くの若者たちが相手に想いを告げる。ハルコロやウマカシテの恋も大きな山場を迎える。
後半は、めでたく母となったハルコロの出産、そして新天地を求めて旅立ったその息子の物語となる。
物語の幕切れは、不穏で、和人との大きな戦の直前で終わる。コシャマインの戦い(1457年)である。
原著者の本多勝一は、既刊の『アイヌ民族』(朝日文庫)を第一部とし、三部作として構想していたようだ。第二部はコシャマインの戦いから明治まで、第三部は明治以降、現代までである。第二部・第三部はこれまでには出版されていないようである。第一部が出てからかなり経っており、原著者が高齢であることを考えると、続編が出る可能性はあまり高くはなさそうだ。
本作は本多の原作に沿いつつも、石坂のオリジナルの部分も2,3割はあり、というところのようだ。登場人物たちの話す言葉にさりげなくアイヌ語が差しはさまれ、生き生きとした親しみやすいストーリー展開である。肩ひじ張らずに読め、アイヌ文化の理解が深まる。巻末の解説も作品背景をより深く知る手助けとなる。 -
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本多勝一『アイヌ民族』(朝日文庫)を原作とし、萱野茂が監修についたコミック。全2巻。
1992年に潮出版社から刊行されていたが、長らく絶版となっていたもの。2021年に岩波現代文庫として復刻された。
アイヌの風俗を織り込みながら、大人に向かう少女の心情が少女漫画的に丁寧に描かれていく。
舞台は600年ほど前の北海道。
和人がやってくる前のアイヌの世界である。
ハルコロは主人公の少女の名。「いつも食べる物がある」という意味である。
アイヌの子は小さいうちは名を付けられない。ハルコロと呼ばれる前は、少女はオペレ(おちび)と呼ばれていた。
名前の他にも、大人の女と認められるには「通過儀礼」がある。アイヌの大人の女性は口や手に入れ墨を施すことになっている。ある日、コタン(アイヌの村)に入れ墨名人のおばさんがやってくる。少女たちは痛みに耐えながら、入れ墨を入れる。
そうしたアイヌの風俗は物珍しいが、一方で古今東西変わらぬのが恋。娘になったハルコロも、小さいころから知るウナヤンケに秘めた想いを抱いている。いとこで美人のウマカシテは隣のコタンのペケンノウ"ク"("ク"はアイヌ語仮名の小書き文字を示す)に夢中。実はウナヤンケは、父親と共にペケンノウ"ク"の家の召使として働いていて、何やら事情がある模様。ウナヤンケに想いを伝えたいハルコロだが、意外にもペケンノウ"ク"がハルコロに想いを寄せている。それを知ったウマカシテは、当てつけのようにウナヤンケに近づいていく・・・。さぁ、どうなる、四角関係!?
そんなハルコロたちの暮らしと織り交ぜて、アイヌの神話や昔話が語られる。
人間(アイヌ)たちに興味を持ち、試練を乗り越えてコタンにやってきて、さまざまなことを教えてくれたオキクルミカムイのこと。アイヌの暮らしを豊かにしようとコタンを訪れてはアイヌに撃たれ、肉や皮を与えてくれるキムンカムイ(「山の神様」=クマ)のこと。刈り取りを忘れられて「エノイラナー ウノイラナー(おれを忘れたよー)」と泣く小さな粟の実の神様のこと。
動物の姿をしたカムイたちが「死ぬ」と、その魂は耳と耳の間に座り、アイヌたちのもてなしの饗宴を楽しむ。アイヌたちはそうして、カムイの魂を丁重に神の国へと返すのだ(この「耳と耳の間に魂が座る」という表現はなかなおもしろい。意識が脳に宿ることをアイヌたちは知っていたのか)。
自然の恵みはカムイたちの訪れ。必要な分だけ受け取り、感謝の捧げものを忘れない。大地と共に生きるアイヌの暮らしが浮き上がる。