【感想・ネタバレ】<新版>日本語の作文技術のレビュー

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Posted by ブクログ 2024年04月24日

2018年ころ何とか読んだ。私には読むのに根気のいる内容で、だいぶ時間を掛けて、頭に入ったのは主語の位置は術後と近付ける方がよいということだった。他にも多くのことが書かれているが、頭に入りきらない。でもこの一つが私には大きなことで、しかもとても実証的なので、しっかり身についた。
それから6年後、改行...続きを読むについてわからなくて、もう一度この本を開いた。これ以上直感的に説いてくれる本はないのではないか。手に取るたびに目からウロコ、勉強になる。勉強不足の私が述べても説得力はないだろうが、本当に深い本だと思う。

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購入済み

再読組です

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2024年03月31日

高校の時眺めた記憶があるが、何一つ身についていなかった。
改めて読むと、これは技術の話。
読みにくい文章を例示して、いかに読みやすくするかが例示されている。
大変分かりやすい。いい買い物した。
お好みで。

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2024年03月15日

②長い修飾語は前に、短い修飾語は後に。
 もちろん、それぞれのケースによって他のさまざまな要因が絡んでくる。しかしこの原則は、物理的な単なる「長さ」だけの問題であるにもかかわらず、文のわかりやすさ・自然さを決めるための最も重要な基礎をなすものといえよう[注1]。新聞社に就職して最初校閲部にいたころ、...続きを読む記事をわかりやすくするためゲラ刷りで順序を入れ替えているうちにこのことに気付いたけれども、すでにこれは原則とされていることを私が最初に教えられたのは、やはり北海道でのかけだし記者のころ読んだ岩淵悦太郎氏編著による『悪文』という本だった。奥田靖雄著『正しい日本文の書き方』からの引用としてかんたんに紹介されているが、私には現場への応用実践としてたいへん有益だった。この第三章はこうした背景を発展させたものといってもよい。
 そこで先の「ライトを消して……」の例をもう一度検討してみる。長い修飾語の順だと、
ライトを消して
止まらずに
速く (走る)
 となって、これが最も自然で、誤解をうけることの少ない語順である。「止まらずに」を先にすると、原則にははずれるから変調子になる。
 かくて、語順には第二の法則があることが理解できた。これらの原則は決して、よくある「主語と述語は近くあるべし」といった文章論と同じものではない。たとえば「修飾する側とされる側の距離を近くせよ」という表現であれば、前章で明らかにされたように、正しい関係を論じたことになろう。問題の本質は、いわうる「主語・述語」かんけいではないのだ。たとえば、次のような例で考えてみる。
A 明日はたぶん大雨になるのではないかと私は思った。
B 私は明日はたぶん大雨になるのではないかと思った。
 右の二つでは、Aの方がイライラしなくて読める。なるほどこの場合は、いわゆる「主語・述語」がAの方が近いからわかりやすいともいえよう。では、次の例はどうか。
A 明日は雨だとこの地方の自然に長くなじんできたわたしは直感した。
B この地方の自然に長くなじんできた私は明日は雨だと直感した。
 この二例では明らかにBの方がわかりやすい。しかしいわゆる主述関係からすれば、Aの方がわかりやすくなければならぬはずである。これは実は当然であって、「主述関係」などというものは、日本語の作文を考えるとき、百害あって一利もないのである。これらの実例を支配する原則は、さきの「長い修飾語を前に」に相当する。
明日はたぶん大雨になるのではないかと
私は (思った)
 つまり、どちらも「思った」という述語にかかる二つの修飾語のうち、「私は」は物理的に短いから後にする方が良いに過ぎない。同様に、
この地方の自然に長くなじんできた私は
明日は雨だと (直感した)
 の場合も、「……私は」が単に長いから前にする方がよいのである。
 さて、「初夏の雨が……」の文例を検討中に保留しておいた件があった。それは次のような比較である。
 A もえる若葉に歌!?潤いを初夏の雨が与えた。
 B 豊かな潤いをもえる若葉に初夏の雨が与えた。

 a もえる若葉に豊かな潤いをを雨が与えた。
 b 豊かな潤いをもえる若葉に雨が与えた。
 さきにaとbとでは、aの方が優ることがわかったが、それはAとBとでも同様であった。この原因は何であろうか。別の例で考えてみよう。
 太郎さんが
薬指に
ナイフで (けがをした)。
 これは「けがをした」という述語に、たいして長短のない三つの修飾語がかかっている。明らかに自然な語順は
 太郎さんがナイフで薬指にけがをした。
太郎さんが薬指にナイフでけがをした。
の二つであって、反対の悪い例は次の四つだろう。
 ナイフで薬指に太郎さんがけがをした。
 薬指にナイフで太郎さんがけがをした。
 ナイフで太郎さんが薬指にけがをした。
 薬指に太郎さんがナイフでけがをした。
こんな例はどうだろうか。
 日本列島の上空に
 花子の放った風船が
 小さな点となって (消えていった)
明らかにまずい順序は、「小さな点となって」を先にする場合だ。
 小さな点となって日本列島の上空に花子の放った風船が消えていった。
しかし、これとても「小さな点となって」を長くし、他を短くして「長い修飾語は前に」の原則に当てはめてみると、
 上空に
 花子の風船が
 針の先のような小さな点となって (消えていった)。
となり、「針の先のような小さな点となって 」を冒頭においてもよくなる。したがってあくまで長短に大差ないもの同士としてこれまでの例から考えてみると、まず、
 Aが
 Bを
 Cに (紹介した)
このABC三者は、重要性やら状況やらが平等であり、対等である。ところが、
 初夏の雨が
 もえる若葉に
 豊かな潤いを (与えた)
となると、長短問題や格助詞の点からは三者平等だが、内容の意味するところが平等ではない。たとえば、「初夏の雨」が全体の中で占める意味は最も重く、大きな状況をとらえている。しかし。「豊かな潤い」は、「初夏の雨」という状況のなかでの小さな状況であり、「もえる若葉」のさまざまなありようの中の、ひとつのあらわれ方にすぎない。そこで――
③大状況から小状況へ、重大なものから重大でないものへ
という第三の原則があることに気付く。だからこの場合の最良の語順は、
 初夏の雨がもえる若葉に豊かな潤いを与えた。
であり、最悪の語順は、
 豊かな潤いをもえる若葉に初夏の雨が与えた。
 となろう。もう一つの例でも、「けがをした」という大黒柱にかかる三つの言葉の中で、大状況あるいは重要なのは「太郎さん」であって、決してナイフではない。また「小さな点となって」も「日本列島の上空に」より小状況であり、重要ではないことはもちろんであろう。

 たとえば翻訳の直訳調がわかりにくい理由を考えてみよう。「甲ガ乙ニ丙ヲ紹介シタ」という文は、言語がイギリス語である場合、「甲ガ紹介シタ、乙ニ丙ヲ」という語順になっている。これだけが、イギリス語の唯一の語順だ。そこで未熟な翻訳者は、単に述語をあとに移すだけの操作をして「甲ガ乙ニ丙ヲ紹介シタ」と訳す。もちろん文法的にこれが間違っているのではない。だが、第三章「修飾の順序」を思い出してみよう。
 Aが
 私の親友のCに
 私が振るえるほど大嫌いなBを (紹介した)
これをイギリス語のシンタックスのとおりにならべてゆくと次のようになる。
 Aが私の親友のCにふるえるほど嫌いなBを紹介した。
これがすなわち「翻訳調」なのだ。イギリス語のシンタックスを日本語にそっくり移している。いったいどうして、格の順序が別の原則からなっている日本語に、イギリス語の「主語」感覚の語順をそのまま移さねばならぬのか。翻訳とは、二つの言語の間の深層構造の相互関係でなければならない。第二章で「翻訳とは、シンタックスを変えることなのだ」と言ったのは、このような意味である。表層構造はそのまま日本語の表層構造に変えてみたところで、いわゆる文法的には(表層構造上は)正しくても、本当の日本語に訳してみたことにはならない。


「抜けるように白い肌」「顔をそむけた」「嬉しい悲鳴」「大腸菌がウヨウヨ」「冬がかけ足でやってくる」「ポンと百万円」……
 雪景色といえば「銀世界」。春といえば「ポカポカ」で「水ぬるむ」。かっこいい足はみんな「小鹿のよう」で、涙は必ず「ポロポロ」流す。「穴のあくほど見つめる」という表現を一つのルポで何度もくりかえしているある本の例などもこの類であろう。
 こうしたヘドの出そうな言葉は、どうも新聞記者に多いようだ。文章にマヒした鈍感記者が安易に書きなぐるからであろう。一般の人の読むものといえば新聞が最も身近なので、一般の文章にもそれが影響してくる。入江徳郎氏の『マスコミ文章入門』は紋切型の例として「――とホクホク顔」「――とエビス顔」「複雑な表情」「ガックリと肩を落とした」等々を論じた後、次のように述べている。
 紋切型とは、だれかが使いだし、それが広まった、公約数的な、便利な用語。ただし、表現が古くさく、手あかで汚れている言葉だ。これを要所要所で使用すれば、表現に悩むことも苦しむこともなく、思考と時間の節約が可能になる。それ故に、安易に使われやすい。
 しかし、紋切型を使った文章は、マンネリズムの見本みたいになる。自分の実感に寄らず、あり合せの、レディーメイドの表現を借りるのだから、できた文章が新鮮な魅力をもつわけがなかろう。
 紋切型を平気で使う神経になってしまうと、そのことによる事実の誤りにも気づかなくなる。たとえば「……とAさんは唇を嚙んだ」と書くとき、Aさんは本当にクチビルを「歯でギュッとやっていただろうか。私の取材経験では、真にくやしさをこらえ、あるいは怒りに燃えている人の表情は、決してそんなものではない。なるほど実際にクチビルを噛む人も稀にはあるだろう。しかしたいていは、黙って、しずかに、自分の感情をあらわしようもなく耐えている。耐え方の具体的あらわれは、それこそ千差万別だろう。となれば、Aさんの場合はどうなのかを、そのまま事実として描くほかはないのだ。「吐き出すように言った」とか「顔をそむけた」「ガックリ肩を落とした」なども、この意味で事実として怪しい決まり文句だろう。
<中略>
 野間宏氏編による『小説の書き方』という本がある。野間氏を含めて小林勝・伊藤整・椎名麟三・瀬沼茂樹など一〇氏がそれぞれの考えを述べたものだ。もちろん小説の創作のために書かれたのだが、読んでみると文章一般に通ずるたいへん参考になることが多い。表題を「記事の書き方」とか「文章の書き方」としてもよいくらいである。この中で伊藤整氏は次のようなことを書いている。
   菫の花を見ると「可憐だ」と私たちは感ずる。それはそういう感じ方の通念があるからである。しかしほんとうは私は、菫の黒ずんだような紫色の花を見たとき、何か不吉な不安な気持ちを抱くのである。しかし、その一瞬後には、常識に負けて、その花を可憐なのだ、と思い込んでしまう。文章に書くときに、可憐だと書きたい衝動を感ずる。たいていの人は、この通念化の衝動に負けてしまって、菫というとすぐ「可憐な」という形容詞をつけてしまう。このときの一瞬間の印象を正確につかまえることが、文章の表現の勝負の決定するところだ、と私は思っている。その一瞬間に私を動かした小さな紫色の花の不吉な感じを、通念に踏みつけられる前に救い上げて自分のものにしなければならないのである。
 右の中の「たいていの人は、この通念化の衝動に負けてしま」うとあるのが特に重要な指摘だ。「負けてしま」う結果、その奥にひそむ本質的なことを見逃してしまう。だから紋切型にたよるということは、ことの本質を見逃す重大な弱点にもつながる。

中学生のころ私はラジオで落語ばかりをきいていて、よく「また落語!」と父にどなられていたけれど、いくら叱られてもあれは実に魅力的な世界だった。ずっとのちに都会に出て実演を見たとき驚いたのは、落語家たちの間の実力の差だ。ラジオでももちろんそれは感じたけれど、実演で何人もが次々と共演すると、もうそれはまさに月とスッポン、雲と泥にみえる。私の見た中では、やはり桂文楽がとびぬけてうまかった。全く同じ出し物を演じながら、何がこのように大きな差をつけるのだろうか。もちろん一言でいえば添それは演技力にちがいないが、具体的にはどういうことなのか。
 落語の場合、それは「おかしい」場面、つまり聴き手が笑う場面であればあるほど、落語家は真剣に、まじめ顔で演ずるということだ。観客が笑いころげるような舞台では、落語家は表情のどんな微細な部分においても、絶対に笑ってはならない。眼じりひとつ、口元ひとつの動きにも「笑い」に通じるものがあってはならない。逆に全表情をクソまじめに、それも「まじめ」を感じさせないほど自然なまじめさで、つまり「まじめにまじめを」演じなければならない。この一点を比較するだけでも、落語家の実力の差ははっきりわかる。名人は毛ほどの笑いも見せないのに反し、二流の落語家は表情のどこかに笑いが残っている。チャプリンはおかしな動作をクソまじめにやるからこそおかしい。落語家自身の演技に笑いがはいる度合いと反比例して観客は笑わなくなっていく。
 全く同じことが文章にもいえるのだ。おもしろいと読者が思うのは、描かれている内容自体がおもしろいときであって、描く人がいかにおもしろく思っているかを知っておもしろがるのではない。美しい風景を描いて、読者もまた美しいと思うためには、筆者がいくら「美しい」と感嘆しても何もならない。美しい風景自体は決して「美しい」とは叫んでいないのだ。その風景を筆者が美しいと感じた素材そのものを、読者もまた追体験できるように再現するのでなければならない。野間宏氏は、このあたりのことを次のように説明している。
文章というものは、このように自分の言葉をもって対象にせまり、対象をとらえるのであるが、それが出来あがったときには、むしろ文章の方は消え、対象の方がそこにはっきりと浮かび上がってくるというようにならなければいけないのである。対象の特徴そのものが、その特徴のふくんでいる力によって人に迫ってくるようになれば、そのとき、その文章はすぐれた文章といえるのである。(『文章入門』)

東京・新宿の「朝日カルチャーセンター」という市民講座で、一種の文章講座を担当する機会がありました。一九七四年の秋、一周一回二時間ずつの二か月間。聴講生たちの職業は学校教師やジャーナリスト・商店主・主婦・学生など、また年齢的にも二〇歳前後から六〇歳くらいまで非常に広範囲のかたがたでした。全部で八回だけの講座だし、日本語を描く職業のいわば現場にいるものの一人として、文章には一応の関心も持っているのだからと、かんたんに考えて私は始めたものです。想えば、講義に類することは私にとってこれが生まれて初めてでした。
ところが第一回の講義が半分もすすまぬうちに、これは大変なことを始めてしまったと思いました。初めての講義ですから、不慣れで、不細工で、不手際なことは言うまでもありません。それは覚悟していたことです。大変だと思ったのは、第一に聴講生たちの熱心さに圧倒されたからであり、第二に、その熱意に応ずるだけの密度の高い講義を八回も続けることができるだろうかという不安を感じたからでした。講義の途中からほとんど冷や汗の出る思いでしたが、まさか投げ出すわけにもゆきません。耳の不自由な聴講生も一人いて、奉仕者がそばで手話の通訳をしている姿を見ると一層あせってしまいます。
こうして第一回の講義は、なんとかゴマ化すようにして終わりました。実は広義の準備など、前日に一時間くらいさいてメモをとっておけばいい、日ごろ文章について抱いている雑感を話せばいいくらいに考えていたのです。ところが実際にやってみたら、メモにしておいてことは予定より半分以下の短い時間で話してしまった。これではあと三回くらいでもう話すことがなくなってしまうではありませんか。
そこで第二回からはメモをやめて、二時間の内容をすべて完全なかたちで原稿に書くことにしました。実行してみると、私自身これはたいへんな勉強になります。たとえば作文上のある原則を講義するにしても、メモだけであればその原則を示すだけで終わるところですが、こうして原稿のかたちに完成しようとすると、その原則がなぜ有効かという背景の分析にまでたちいらざるをえないからです。だから「大変だ」とは思ったものの、べつに後悔はしませんでした。むしろ感謝した。そのかわり準備には「一時間くらい」どころか一回分に二日も三日もかかりました。新聞記者としての現場の仕事がその影響を受けて、いくらか手ぬき工事になったかもしれません。

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日本語の文章の勉強

chu
2024年02月20日

普段日本語を何気なく書いていますが、人から伝わりにくい、わかりにくいとご指摘受けることがあり、この本を紹介され読みました。文章の構成、「、」の位置、「は」と「が」の違いなど例文にて分析されていました。
とてもわかりやすく考えさせられました。これから文章の書き方を変えて伝わりやすい文章を書きます。あり...続きを読むがとうございました。

#タメになる #スカッとする

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Posted by ブクログ 2022年08月13日

私達が日頃感じている悪文を悪文たらしめる原因を大量の例文を用いて言語化し、読みやすい文章になるための原則という形でまとめている。実践するのはなかなか難しそうだが…

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Posted by ブクログ 2022年07月14日

タイトルにあるように作文能力もれっきとした技術なのである。
高校の時の世界史の先生がお薦めしていた一冊。
何も印象に残っていなかったが、今読み返してみたらハマる箇所もあった。
書く技術を学ぶことで、読むこともより豊かになる。言葉に対するアンテナをもっと鋭くしていきたい。

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Posted by ブクログ 2022年02月11日

大変勉強になりました。仕事で文章を書く人、特に、読んでいて頭に入ってこなかったり、何を言ってるのか判らない洋書の翻訳をしている翻訳家の方にはぜひとももれなく読んでほしいなと心から思った。でも、仕事で少しでも文章を書く人って、お客さんにメールを書く人、SNSに投稿する人、ホームページを作る人と、ネット...続きを読む社会の中の人はだいたい含まれるような気がしてきた。
後半になってから、「文法のことになど私はふれたくなかった。」という前置きをした上で文法の話に突入していくのだが、むしろそこから面白くなってゆく。この本の文章自体が教材でもあり、内容は本当に面白いので、かなりおすすめします。

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Posted by ブクログ 2021年09月23日

わかりやすい文章を書くのに必要なのはセンスではなく日本語を正しく使う技術である.本書では文章における言葉の修飾の順序や句読点の打ち方,助詞の使い分けなど一見当たり前と思われている技術をそれぞれ解説している.文章を書くことを生業にする人だけでなく,日本語を使う日本人全員に有用な本であることは間違いない...続きを読む

(名文はわかりやすいことに加えセンスが問われる.本書第9章の”リズム”がその例だろう)

個人的にグッときたところ:
「文章自体が笑ってはいけない」
落語家は客を笑わせるシーンで真剣に演じる.決して自分からは笑わない.怒りや悲しみを誘うシーンでも同様.
「紋切型の表現を使わない」:
マンネリズム.菫の例え話=本質から逃げるー>ファンタジーになる.安っぽくなる.

"私は、菫の黒ずんだような紫色の花を見たとき、何か不吉な不安な気持ちを抱くのである。しかしその一瞬後には、私は常識に負けて、その花を可憐なのだ、と思い込んでしまう。文章書くときに、可憐だと書きたい衝動を感じる。大抵の人は、この通年化の衝動に負けてしまって、菫と言うとすぐ「可憐な」という形容詞をつけてしまう"



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・ ・:これは「ナカテン」というらしい(はじめてしった)
・():独白やつぶやきには()を使う.(なるほど)
・「」:直接話法には
・修飾と被修飾は離さない。

「横線の引かれた厚手の白い紙」
「白い横線の引かれた厚手の紙」
節(横線を引かれた→動作を含む)が句(白い、厚手の)より先に来ると"横線"に修飾ー被修飾が発生

★節を先、句があと

AがBをcに紹介した
aが→主格
Bを→対格
Cに→方向格
この三つは対等な関係。どれも「紹介した」にかかる→どの順番でも成立する
→読みやすさはそれぞれの資格の言葉の長さと語順で決まる。
★長い修飾語を先に、短い修飾語を後に
(主語と述語の距離が近ければよいのではない)

★格や語長が同じものは文全体に与える影響の大きいものから並べる
◯初夏の雨がもえる若葉に豊かな潤いを与えた
△燃える若葉に豊かな潤いを初夏の雨が与えた
→初夏の雨が全体に与える影響大→先に並べる

★さらに言葉同士の親和度をみて適宜並び替え
→緑の若葉、燃える夕日→ 親密的
 ”燃える”と”緑の”も親密→適切には離す
→バカな若葉、三角の夕日→ 非親密的
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・大状況を先に
・長い方を先に

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・「、」テン
★長い修飾語が2つ以上ある時に,その境界にテンを打つ
★原則的語順が逆順の場合にテンを打つ

・テンは思想の最小単位を示す.
・先の入れ替えをあえて見出したいときにテンを打つ
・理由なきテンはうたない.(多ければ良いというものではない)
天気の良い週末に買ったばかりの車で父はドライブに行こうとした

父は,天気の良い週末に買ったばかりの車でドライブに行こうとした

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★漢字とカナは文章が視覚的に読みやすくなるように使い分ける.
いまご飯を食べる.今ご飯を食べる
今勉強する.いま勉強する


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三上章 主語廃止論
→西洋文法の枠組みで日本語文法の解釈話や試みたことによる無理
→これは文法以外にも当てはまる。建築、音楽等等
→ある文化をそれのは異なった文化を物差しにすること。
(法定通貨とビットコイン、価値とは何かのコペルニクス的転回に近しいものを感じる。)

「熱いコーヒーが飲みたい」→主語はないが主題はある
日本語には主語はないが主格はある。
★主格=他の格と平等
★助詞の「ハ」は多義
 →複数の解釈が生まれる
 →たくさん使わない方が良い。

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並列
英語 : a, b, c … "and" d
日本語: a "と" b, c, …. d
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★段落=思想のまとまり

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★紋切型:
誰かが使いだし、それが広まった、公約数的な、便利なよー。ただし、表現が古臭く、手垢で汚れている言葉。
領収書で使用すれば表現に悩むことも苦しむこともなく思考と時間の節約が可能になるそれゆえに愛に使われやすい。しかし紋切り型を使った文章はマンネリズムの見本みたいになる。

伊藤整
"菫の花を見ると、「可憐だ」と私たちは感じる。それはそういう感じ方の通年があるからである。しかし本当は私は、菫の黒ずんだような紫色の花を見たとき、何か不吉な不安な気持ちを抱くのである。しかしその一瞬後には、私は常識に負けて、その花を可憐なのだ、と思い込んでしまう。文章書くときに、可憐だと書きたい衝動を感じる。大抵の人は、この通年化の衝動に負けてしまって、菫と言うとすぐ「可憐な」という形容詞をつけてしまう"

文末の繰り返しは鼻につく
だった。 です。 と思われる。 など

★文章自体が笑っていてはいけない。
"落語の場合〜聞き手が笑う場面であればあるほど、落語家は真剣に、まじめ顔で演ずると言うことだ。観客が笑いころげるような舞台では、落語家は、表情のどんな微細な部分においても、絶対に笑ってはならない。目じり一つ、口元一つの動きにも「笑」に通じるものがあってはならない。"
"チャップリンはおかしな動作をクソ真面目にやるからこそおかしい。"
"全く同じことが文章についても言えるのだ。面白いと読者が思うのは、描かれている内容自体が面白い時であって、書く人はいかに面白く思っているかを知って面白がるのではない。"
"読者を怒らせたい時、泣かせたい時、感動させたい時も「笑い」と同様である。筆者自身の辺が起こってはならず、泣いてはならず、感動してはならない。"

ルポタージュなのに過去形→机の上で書いてますよ感。臨場感が失われる.→現在系で書こう

第9章 リズム→ 感覚的なもの?

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Posted by ブクログ 2021年08月21日

読みやすい日本語作文の唯一のマニュアル本
抽象的な心構えや、部分的な作法ではなく、まとまりのある具体的なマニュアル本は今もこの本しかない。
例文こそ古く、著者が元朝日新聞の記者というだけあって、左寄りの話もたまに出てきて、香ばしくもあるが、現在でも問題なく通用する内容で、唯一無二の価値がある。

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Posted by ブクログ 2021年05月13日

伝わる日本語をロジカルに書きたければさっと通読をおすすめする。私は国語的な文法などはよくわからないが、この本を読んだおかげで作文をするときの簡単な指針は持てるようになった。

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Posted by ブクログ 2020年04月29日

「日本語」を普段使っている分、いろいろと疎かにしがちである、ということが身につまされてわかる本。

この本の価値は、著者の実践を背景に「なぜこうなるのか」を網羅的に分析し、きちんと理論をもって説明していくところにある。ここまで細かく分析した書籍はほかには見当たらず、初版が1982年であるにも関わらず...続きを読む、未だに売れ続けているのも頷ける。

ものを説明する文章を書く人間なら「日本語スタイルガイド」とともに、常に机の上においておきたい一冊である。

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Posted by ブクログ 2024年03月31日

やはり点の論理的な打ち方を説明した部分が内容として特徴である。
語順についてはp86の要約を参照。❶❷が最重要
❶節を先に、句をあとに。
❷長い修飾語ほど先に、短いほどあとに。
❸大状況・重要内容ほど先に。(←これはよくわからん)
❹親和度(なじみ)の強弱による配置転換

また漢字と仮名については、...続きを読む決まりはなく前後で多く続かないように切り替えれば足りる。

点についてはp130の要約を参照。
❶長い修飾語が2つ以上あるとき、その境界にテンをうつ。(重文の境界も同じ原則による)
❷原則的語順が逆順の場合にテンをうつ。
③筆者の考えを示す自由なテン。

8章 無神経な文章は、個人的に同意できるところが多い。「慣用句」を使いすぎないようにしたい

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Posted by ブクログ 2024年03月10日

仕事で文章作成する時に悩むことが多いので大変参考になった

正直全ての主張に対して同意が出来るわけではないが、考えるキッカケになってくれたので有難い
助詞を使って並列関係を表す時は英語と同じように「A,B,CやD」が正しいと思っていたが違ったのか

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Posted by ブクログ 2024年02月26日

・修飾語被修飾語の距離は近く
・修飾の順序は節を先に、句をあとに。句の連続は誤解を招く
・修飾は長いものを先に、短いものを後に
・大状況から小状況へ、重大なものからそうでないものへ
・親和度の高い単語は近くにあると混乱するので配置を遠ざけるなど工夫する
・句読点のテンの意味は、思想の最小単位を示すこ...続きを読む
・語順が逆順の場合にもテンをうつ
・長い修飾語が二つ以上ある時、その境界にてんをうつ
・重文の境目、述語が先に来る倒置文、驚嘆、挿入句の前後

日本語もプログラミング言語も語であり、根源的な性質が同じものであることがよくわかる本。
そして改めて日本語の難解さあるいは用法を誤ることで齟齬が生まれやすい繊細さがわかる。
文章もソースも簡潔で正確なものが望ましい。そうでなければバグが氾濫し、リファクタリングの大変な代物ができあがってしまう。

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Posted by ブクログ 2023年10月09日

無意識でやっていた書き方に根拠を与え、知らなかった書き方には理由を教えてくれる名著
日本語が存在する限り、この本は読まれ続けると思う

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Posted by ブクログ 2023年05月14日

書き手にとっての良い文章と読み手にとっての良い文章は異なる。当たり前のことなのだけど、その理由を解きほぐしてくれるこの本はとても参考になる。職業上、文章を書くことが多いのでまた見直したい。

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Posted by ブクログ 2023年02月28日

少し前に書かれているので、サンプルなど読みづらいところはあるが句読点や、助詞など文章を書く上の基本的なお作法が解説されている。 他人に伝えるための文章を書くのであれば、基本をさらういみても、読んだ方が参考になると思う。

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Posted by ブクログ 2023年02月14日

読み進める度に、自分のSNSで投稿した文面を思い出して恥ずかしい気分になる。

文章の後に(笑)と、表記するのを本田さんはどう感じているんだろうか。
そんなことを思いながら読みました。

とても面白かったです。

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Posted by ブクログ 2022年12月04日

句読点の打ち方、助詞の使い方が参考になった。
無神経な文章の章は、著者の批判が過ぎるところも感じたが、自己満ではなく読み手を読む気にさせる気構えは大切だと思った。

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Posted by ブクログ 2022年07月03日

句読点の打ち方が非常に勉強になった。
この章だけでも読む価値がある。
特にテン「、」の打ち方は明確なルールが無いので、個人差があるところだと思うが、テンの打ち方の考え方に大きな影響を受けた。

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Posted by ブクログ 2022年04月15日

著者が感じている植民地的意識はさておき、わかりやすい文章を書く技術はこの本を読めば確実に身につくと思う。「節を先にし、句をあとにする。」「長い修飾語は前に、短い修飾語は後に。」など、何となく感じていたことを改めて説明されて、視界が開けた感じがした。ただ、8章以降は技術というより個人的な趣味の側面が強...続きを読むい気がする。

とにかく、定期的に文章を書く人は読んで損なし。

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Posted by ブクログ 2021年12月05日

うーん。なるほどと思えるところと、えー!そこまでしなくともというところが混在。でも、一度は読んでおきたい。

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Posted by ブクログ 2021年08月12日

私の日本語は、どうも日本語らしいレベルで日本語のルールに沿っていない。まずテニオハがうまく使えなかった。ブログを書いていた時に、知らない間に「句読点」を打たずに「スペース」を文の区切りに使っていた。その方が句読点を打つかどうか悩まないでいい。
普通の文章をかけないかなぁと困っていたら、この本を勧めら...続きを読むれた。私はなんとなく本多勝一が好きではなく読んでない。好きではない理由が見当たらないが、波長が合わない。でもいつまでも、日本語らしくない日本語を書いていては様にならない。
とりあえず読んでみた。本多勝一は日本の教育で「作文の技術」について系統的に教育していないという指摘はなるほどと思った。そういえば、句読点をどうつけるかということは学ばなかった。
本多勝一は「目的はただひとつ、読む側にとってわかりやすい文章を書くこと、これだけである」
2つ目の句読点が、なんとも言えず渋い。私はつけないなぁ。
確かに「名文」や「うまい文章」は書く必要はない。わかりやすい文章を書きたい。
日本語が非論理的文章だということに対する本多勝一の反証はおもしろい。「西欧の論理で日本語を計測するという大過を犯した」と本多勝一はいう。英語的文脈で考えることで、日本語の文章を構成しようとしたというのはなるほどである。
修飾の順序は、大きいものから小さいものへ、重大なものから重大でないものへというのは、たくさん例があってわかった。それにしても、大江健三郎の文章は悪文だ。
句読点の打ち方は、大変参考になった。私はテンをうちすぎだった。「テンというものの基本的な意味は、思想の最小単位を示すものだと定義する」 うーん。なるほど。これを実践の中でどう生かしていくかだね。結局声を出して読んでみれば、わかるということだ。黙読ではわからない。
かならず理由のあるところ、それだけにうたれているのだ。
日本語には「主語」は存在せず、「主格」にすぎないという説もおもしろい。
この本では第3章、第4章が特にシャープでいい。第8章の「無神経な文章」が、本多勝一のこだわりかな。第9章の「文章のリズム」というのもなるほど。でも説明がくどく、ウザイ文章も多い。
漢字とカナの関係は、日本語とは視覚を大切にした文を書くことに適しているということだ。送りがなも美的感覚の中にある。いやはや、本多勝一はいいこと言っている。食わず嫌いはよくないなぁ。
確かに、この本は文章を書く人の必読本だ。さて、この文章の中のテンはうまく使えているだろうか。知らぬまについたクセは、治すのが難しいなぁ。

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Posted by ブクログ 2021年08月01日

読む側にとってわかりやすい作文技術を示した本です。
第2〜第4章の内容は特に印象に残っています。
わかりにくい文章になる理由については、入れ子構造になっているから、と端的に書かれています。この入れ子構造を少なくするために各章を正しく理解することが大事だと感じました。

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Posted by ブクログ 2021年05月09日

先日、論文の添削をして頂いた元上司に「一回読んどけ」と言われ買った本。
文章を書く際にしばしば生じる「この日本語気持ち悪いな」という違和感が、本書中の文章執筆における大原則と実例の紹介を通して言語化された。
修飾語の順や句読点の打ち方、助詞の使い方などの、感覚的には分かってるいるが具体的には分かっ...続きを読むていない領域のルールが示されている。各個とその背景を覚えるのは厳しいが、文章を書く上で辞書的に読み返していけば、いずれは身につきそうだという印象があった。
終盤の章である「無神経な文章」で紹介されている実例が、かなり耳に痛い。書く側は伝えることに努め、文章自体を面白がってはいけない、確かに。「(文の)わかりやすさと長短とは本質的に関係がない。長文は実力差が現れやすいために、短いほうが無難というだけ」という文章にもダメージを受けた。
引用で「文章というものは、自分の言葉を持って対象にせまり、捉えるものであるが、それが出来上がったときには文章の方は消え、対象の方が浮かび上がってくるようにならなければならない」という話があったけど、文章を書く上では常に意識したい点だと感じた。
いい本だったし、しばし読み返したい。

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2021年04月27日

■ひとことで言うと?
 書く「技術」が文章のわかりやすさを左右する

■キーポイント
 ・作文は「技術」
  →わかりやすい文章の書き方は修得できる
 ・言語は社会の論理
  →あらゆる言語は利用されている社会において「論理的」である
   →西洋文法の導入で日本語の論理性は崩壊した?
 ・作文技術...続きを読む
  →修飾:修飾順に注意する(修飾関係が明確になるようにする)
  →句読点:不要なテンは打たない(テンは思想の最小単位)
  →助詞:明確な意図を持って要否を決める(一文字の有無で文意が変わりうる)
  →段落:不要な改行をしてはならない(段落は思想表現=思想提示の単位)

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Posted by ブクログ 2022年12月15日

内容としては参考になる部分もあるが、現代から見ると著者の主張が少し偏っているように感じられ、読み進めるのが辛かった。

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Posted by ブクログ 2022年07月30日

日本語の文章を分かりにくくしている要因を分析しながら、作文の原則を書いていった1冊。
名作ということで読んでみたが、著者の主観が混じっていたり文章の構成が分かりにくかったりと微妙な感じだった。
伝えようとしているエッセンスは間違ってないとは思うが、あとから読み返したり復習させる気が全くない。

読点...続きを読むの打ち方、修飾の順番などは面白いとは思った。

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Posted by ブクログ 2022年03月02日

ポイントまとめ

・修飾語の離れすぎはNG
・節(一個以上の述語を含む復文)を先に、句(述語を含まない文節)を後に(横線の引かれた / 白い / 厚手の / 紙)
・長い修飾語は前に、短い修飾語は後に
・大状況から小状況へ、重要なものから重要でないものへ
・""(ヒゲカッコ)は「...続きを読む本当はそうではない」や「いわゆる」の意味で使われる(ex."進歩的"なジャーナリスト)
・長い修飾語が2つ以上ある時、その境界にテン(読点)を打つ(ex.本当の裁判所で裁判を一度も受けたこともないのに、/ 十五年もあるいは三十年以上もの長い期間に渡って / 投獄されているという〜)
・重要でないテン(読点)は打たない
・語順が逆順(長い順ではない)の場合にテン(読点)を打つ
・一つの文章の中では助詞の「ハ」は最大2つまでとするのがより良い
・段落は一つの思想のまとまり、単位である

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Posted by ブクログ 2020年09月28日

1982年に出版された同名の古著の再編集版。
個人的にこういった「日本語の書き方」的な本は初めて読んだが、今まで意識していなかった日本語の特性(修飾関係、読点や「は」の使い方)を改めて確認・学習することができた。後半に書かれた「手垢のついた表現はやめるべき」等の文章表現に関するパートも、興味深く読ん...続きを読むだ。
学ぶことは多かった一方、腑に落ちない所も少しばかりあった。例えば、読点の章では「分かりにくい」とされた読点多めの文の方が分かりやすく感じた。また、この本の内容はハイレベルであるが故、どこまで自分の文章に反映できるか、やや自信がない部分もある。
以上から、星3つとした。

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Posted by ブクログ 2020年05月28日

著者のクセが強く、読んでいて若干のストレスを感じる。
作文技術については、句読点の打ち方や修飾語の順番が大変参考になった。しかし、今こうして書いている文章も自信を持って正しいとは言い難く、すぐに実践は難しいと感じた。

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Posted by ブクログ 2020年04月23日

言われていることはなるほどなと思うことが多かったが、感覚や慣れでなんとかなる部分が多く、あまり大きなTakeawayはなかった。

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