久松達央のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
【※本稿はPodcast番組「地方経営者読白」の内容をもとに、AIによって生成した感想文です】
久松達夫氏の『農家はもっと減っていい』を拝読。実家が農家であり、現在は流通の分野から地域に関わる経営者として、これほど胸を抉られる本はありませんでした。
特に「ニッチ戦略はなんとなく隙間を狙うことではない」という言葉や、周辺ビジネスが農業を安易な演出として使い尽くしているという指摘は、過去の自分へ痛烈なカウンターとして突き刺さります。自らのあり方を売りにしつつも、生産という本流にフルベットしてこなかった後ろめたさを改めて痛感させられました。
しかし、規模拡大を追わず「惨めな範囲」でファンと生きる著者の「負けない戦略」は、ビジネスの駆動装置に巻き込まれがちな現代において非常に力強く響きます。自分の心のしこりと向き合い、次の一歩を踏み出すエネルギーをくれる分厚い一冊です。
この本を巡る熱い独白の全編は、ぜひPodcastでお聴きください。番組URLはプロフィールに掲載しています。 -
Posted by ブクログ
言われたら当たり前のことなんだけど、農業もビジネスなんだよなぁ。
農家の高齢化、日本の食を守ろう、みたいな話はよく聞くけれど、そう単純でもないみたい。
あらためて、自分が「農業」について知らなかったんだと思った。特に、有機栽培の話は面白かった。
印象的だったのは以下(文章がストレートで小気味が良い)
・田舎暮らし、農業というステーキに反グローバリズム、脱成長、脱テクノロジーなど、時代の甘美なトッピングをまぶせば、「このままじゃいけない症候群」の優しい青年たちはたちまちかぶりつきます。昔からよくある、都会人の現実逃避の構造です。
自給自足にあこがれる人は数多くいますが、農業こそ他者の力を借りなければ成り立たない職業です。
・有機農法でないと、おいしい野菜は育たないという人は、マックブックでないといい小説は書けないと言っているようなもの。有機農法はあくまで手段の一つ。
・「農薬の危険性」で消費者の不安をあおって、商品としての優位性を保つという安易な販売方法に乗っかってしまった生産者と流通の存在。結果として有機農法全体のオワコン化が進む。
・高齢者が年金をもらいながら「生きがい」で作って安価で販売する。
農地を手放さないから、大規模農場ができない。
以下メモ
・農業の聖域化、農業は弱者で支援対象
・ステレオタイプな農業の危機論
農家の7割が65歳以上
8割が売上500万以下
売上1,000万以上の農家
数は全体の1割強だが、産出額は全体の8割弱
労働集約型(人手に依存ん)から、資本集約型(設備など)に
・先祖代々の土地
農地の8割は江戸時代以降のもの
5割は明治以降のもの
・歴史的な経緯や全体状況を見ずに、ただ農地を守ろうと無責任に言うことはやめていただくよう切に願います。
・野菜の需要の6割は加工・業務用。
そのままの形で消費されるのではなく、加工部門で価値を発揮する。
・目利きというのは、たくさんの魚の中から最高の一匹を選び取ることではない。品質や量など、取引に必要な要素を見極め、最高の品質の魚はいくらで誰にどのくらいの量を売れば喜ばれるのかという「振り分け」ができること。
・農業で独立するために必要なモノは「インフラ」
必要なスキルは「座組力」
自分のプロジェクトをタスクに要素分解し、その遂行に必要な人や組織とつながる力。
自分という人間の適材適所も見極める。自分の強味はどういう座組で発揮できるのか、そのためにどういう他者と組むのか。
・35歳という区切り
そこを過ぎると、これまでやってきたことの延長線上でしか人は生きられない。新しいものを受け入れるときに、過去の自分を参照して、どこかに分類するという思考法が固まるのが、35歳。人生経験がある分、未経験のことに対応はできる。それは同時に、子どものように世界をあるがままに受け入れる力を失う。
・有機農業=化学肥料・農薬・遺伝子組換え技術を原則使用せず、堆肥などによる土づくりを通じて環境負荷を減らす農業手法
・オーガニックという言葉も広義的で、有機農法とイコールではない。
・できるだけ身体にいいものを食べたい、環境負荷の少ないものを購入したいというニーズに「有機農法」が答えているかは微妙。
・WHO憲章における「健康」
健康とは、病気でないとか弱っていないということではなく、肉体的にも精神的にもそして社会的にもすべてが満たされている状態のこと」
健康に不安を抱えている人たちが多い社会では、新しい「異常」を仕掛けてビジネスをしたい人たちにとっては実にたやすいマーケット。
・健康を求める社会なのに、健康かどうかの判断がつかなくなる。
異常の無限的消去
ぶらさげられた健康ネタを延々と追い続けるハムスターの回し車
・自営業者が不安定なのは世界共通。精神的に負荷がかかること自体からは逃れられません。不安を上手に乗り切るのに最も有効な手段は「乗り切る」こと。辛いことを乗り切って、また楽しいことがやってきた経験を積み重ねると、すこしずつ同じ悩みをやり過ごせるようになってきます。
考えすぎずにやり過ごすズルさを身につける。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ著者ご自身がおっしゃっている、「口から先に生まれた」が故か、ものすごくわかりやすい。農業界には、このように誰にでもわかりやすい言葉で説明できる人が少ないとのこと。帝人という繊維メーカーを経験した筆者だからこその、生産管理、営業、販売…と分けた「農業経営」をされている
・今の農業は、職人に偏り過ぎている(農業者同士で集まっても栽培のことばかり)。農協は何もしてくれない、とそもそも販売は他者をあてにしている。
・東日本大震災後、お客さんが離れていった絶望の中で自分が好きなのは「作業」だときづいた
・作業の合理化を徹底。「女性に機械は操作できない」は本当か?むしろ、体力の弱い女性を機械作業に回し、体力のある男性に体力仕事を担当させるなど、小さなところから合理化を。
・農家は、制度によって資産が守られ過ぎている(土地税制ー農家であれば宅地課税も優遇)。また、代々農家であれば、設備や土地もある。農業で「ビジネス」をする人が少ないのは、むしろガツガツしなくても食べていけるからではないか。
・「弱い農家像」により得をする人たち(公共事業ー土木関係者)がいることを覚えておいてほしい
・(東日本大震災後の)風評被害は、社会全体のコストを上げてしまう。仕方のないことではあるが。(ふぐについては、毒があると知っていても食べる人がいて、亡くなる人もいる。それでも美味しいから食べられている・・・。
職業観・人生観も交えつつ。 -
Posted by ブクログ
『日本一 話の上手い農家』とわるびれず、
言い切れることが、すがすがしい。
自分に対して 客観的に 見ることができるのが
ここまでの本を 作り上げることになったのだろう。
論理は 簡単明快。
『栽培時期、品種、鮮度』の3つの条件がそろえば
美味しいものとなる。
有機栽培は 目的でなく 手段である。
いいね。ばっさり,論理的で。
読んでいて,なぜか 塀のうえを 歩いているような
危うさが あるが、一つ一つを つきつめて
考えていることに 意味があると思う。
有機だから 安全。安全と安心は違う。
有機は 安全で売れる とは,2周おくれ。
有機農業には 選別基準がある とおおらかに見る。
入れ込まないから、できる。
コンビニのおでんのダイコンが 煮崩れしない。
セブンイレブンでは5500万個うれて、1200万本。
コンビニでは,2000万本のダイコンを使用する。
安売りの土俵に乗らない。
ひっかかりは 多いほうがいい。
手持ちの武器で闘う。
水質と水の流れ というのが、
この本の中で 一番共感できた。
本当の価値は モノ 以外のもの。
会話が弾む 野菜。がつくれたら。
エロうま野菜。をめざす。
ユニバーサルデザインの7つの法則。
どんなヒトでも 公平に つかえること。
使ううえで 自由度が高いこと。
使い方が 簡単で すぐにわかること。
必要な情報がすぐにわかること。
うっかりミスが キケンにつながらないこと。
身体への負担がかかりづらいこと。
接近や利用するための十分な大きさと空間を確保すること。
農業にいるのは センスとガッツ。
センスがないから やらねばならないこと。
農業は、ビジネスであり いくらでも攻め方があるのだ。 -
Posted by ブクログ
農業はこの先どうなっていくのか。
農業従事者や関係者、農業を志す者でなければ気にすることではないのかも知れない。
多くの対話を経て、農業のモジュール化や農業に求めらるのは三定、農業の二極化など、たくさん興味深い内容の記載があった。
これから農業をするなら?と考えた時、私が選ぶべき選択肢は「弱者の戦略」に舵を切るしかないなと思った(p234)。
安定的に供給される野菜も必要ではあるが、農業が生み出す幸福はそれだけではないと私は思う。
「つくる喜び」や「売る喜び」など、生命維持機能以外の喜びをつくりだす「弱者の戦略」も必要だと思う。
コミュニティカフェのようなものをつくり、一緒につくる、一緒に売るなどをして、多くの幸福を生み出すのも選択肢なのかな?(幻想的だが…笑) -
Posted by ブクログ
知らないことばかりですごく面白かった。
ただ、対談形式が読みにくい。
考えたこともなかったけど、産業化が進んでないのって農業ぐらいなのかもしれない。零細個人事業が中心となってきたから守られてきた日本の農作物の多様さが今ピンチを迎えつつあるらしい。
なかなか説得力のあるシナリオだったけど、少し寂しく思っちゃうな。
企業型農業でありながら、多品種少量生産を維持する道もありそう。モジュール化するんじゃなくて、全工程を担うとか?
ちょっと考えてみよう。
あと、アナログな技術が、有事のバックアップとして機能することに期待しているように書かれているけど、どうだろう。
産業化に淘汰されて、バックアップとして機能するだけのアナログの技術が継承できるのか。バックアップとしての機能を求めるのはなんか酷なような気もするが。
もう一つ。アナログな技術が、東南アジアやアフリカの農業で活きる可能性があるっていうのは面白い。確かに、産業化がますます進んでも、これらの国において梯子の一段目に足をかけるにはアナログな技術がものをいうと思う。
ただ、日本の農業がもつ幅を生かす道も同時に提示しているけど、それって可能なのかな?ちょっとわかんないけど、個人事業主は個人としては幅を持っているの?もしそうじゃないなら、どこか統合知として集積する場所が必要だけど、それはすでにある?ないなら作ってどう活かす?
ここもちょっと考えてみよう。
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Posted by ブクログ
対談本。
近年は、you tubeなどで、様々な対談をタイムリーに見ることが気軽にできるようになってきた。
そうしたなか、書籍による対談形式の価値とはなんなんだろうか、と考えながら読み進めた。
著者が、様々な情報を集め考え抜いた内容を、自らの考えとして世に出す。
そういう際には、文字で精緻に言語化するのが適当だろう。
しかし、対談であれば、むしろ動画メディアの方が、話し方や表情などの情報が豊かとも言えるようにも思う。
あとがきを読むと、このタイミングにおいては、この形で纏めることに必然性があった、ということが、、なんとなく理解できると言えばできる。
しかし、久松さんのファンとしては、この本の内容をインプットとした、彼の骨太な考えを読みたい。そう思いました。
しかし、この本の結びには,以下の文章が綴られており、そこはやはり期待に違わぬものを感じた。
次回作に期待。
「「地域のため」といった大きな主語に逃げるのではなく「私」という主語から始まる「自由と独立」への一歩です。「作為の契機」を取り戻すとは、経営の主導権を自分たちの手に取り戻すことに他なりません。
自分の顧客は誰か。自分の技(ワザ)はどこにあるのか。「私」から始まるその切実な問いこそが、この激動の航路を切り開く唯一の羅針盤です。
モジュール化の巨大な潮流は、抗いがたいカで個々の農家を呑み込もうとしています。しかし、その激流に身を任せ、ただ漂流するのか。それとも、自ら進むべき航路を見定め、その手でしつかりと舵を握り締めるのか。したたかに、そして熱く、自分だけの港を目指して舵を切ることが求められています。」p257