香西秀信のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
[ 内容 ]
論理ではなく、詭弁を身につけてみないか?詭弁と聞くと、子供だましの芸当と聞こえるが、口先だけ達者になることではない。
詭弁には、思考そのものを鍛える力がある。
人が詭弁を使う時、その人特有の癖があらわれる。
その癖を見抜くことで、思考のパターンが理解でき、おのずと論議も強くなる。
論理的思考に満足しない人のための一冊。
[ 目次 ]
序章 馬鹿だから詭弁に騙されるのではない
第1章 詭弁なしではいられない
第2章 曖昧さには罠がいっぱい―多義あるいは曖昧の詭弁
第3章 弱い敵を作り出す―藁人形攻撃
第4章 論より人が気に喰わない―人に訴える議論
第5章 一を教えて十を誤らせる―性急な一般化
あとがきにかえて―語学の達人に学べるか?
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
Posted by ブクログ
詭弁の見破り方……ではなく、詭弁の扱い方を教える本。
冒頭から、
・議論に世の中を変える力などない
・論理的思考力など、弱者の当てにならない護身術だ
・ルール違反だ、詭弁だという非難は、弱者の悲鳴に過ぎない
といった刺激的な言葉が並ぶ。
そして、詭弁を使えるなら使ったほうが良い、と説く。
そもそも現実において、「公正な議論」を期待するほうが間違っている。
何かしらの議論をするなら、大なり小なり、立場の違いは存在する。
そして言葉を発する時には、必ずそこに表現者の意図が含まれる。
つまり完璧に論理的で公正な議論など、最初から有りはしないのだ。
ならば詭弁を使う……その言葉のイメージが悪ければ、「話し方を工夫」して、何が悪いのだろうか。
また世の中には、「反論のための反論」をしたがる意地の悪い人も存在する。
そういう人たちに対しては、馬鹿正直に答える必要はない、と著者は言う。
論理的であり続けようとすると、正直者が馬鹿を見てしまう、と。
これはその通りだと思う。
特にインターネットが普及した現代では、ただ相手を混乱せるための悪意ある問いかけが無数に存在している。
それらに対して「相手をしなくていい」という切り捨ては、コミュニケーションの上でとても良いヒントになるだろう。
「詭弁を使うべき」という主張は、心情的にはなかなか納得出来るものではない。
もし全員がその方針で議論をし始めたら、おそらく社会はめちゃくちゃになるだろう。
(実力者よりも弁舌に長ける人が称賛を浴びるのは、衰退の兆候である)
だが同時に、これは実社会のリアルだとも思う。
特に今の時代、騙されないためにも、詭弁を詭弁と見抜くスキルは必須だ。
自分は最初この本は、新しい価値観を持つ、若い世代の方が書いているのかと思っていた。
だが著者は昭和初期生まれの方らしく、大変驚かされた。
おそらくこの手の話は、人間の本質として、ずっと変わらないものなのだろう。 -
Posted by ブクログ
相手の言ったことに対して、「どこか違う。」と違和感を抱きながらも、うまく返す言葉が思いつかずに苦い思いをする。自分の伝えたいことをうまく言語化できないモヤモヤが晴れない方は、議論の型を身に付けることが打開策につながると聞き、本書を手に取った。
人を納得させる議論というものには5つの型があるという。本書はその型を様々な書籍や論文から引用しノウハウを伝えてくれる。ただ、ふりがながなければ読み進めることが難しい箇所がいくつか登場することと、引用される文章がやや難解である部分があり、一度で全てを理解することは難しいと思われる。
しかし、論を組み立てるトレーニング量を積むうえでは好適といえると感じる。本書に入門書としての役割を求めることは中々に酷と思うが、実践書として有用だと考える。 -
Posted by ブクログ
淳良さを欠いた著者が、無菌室で純粋培養された非形式論理学の弱点を徹底攻撃する。
論理学の素養がある人は、例示された詭弁が著者によって市民権を与えられるのをどう捉えるのだろうか。それでもより広い視点ではその論法がやはり詭弁であるとして打ち棄てるのか。そのあたりの感覚があればもっと面白く読めそう。
面白かった点を何点か。
事実と主張の区別は難しい。いかなる客観的な陳述も、それが陳述の対象として選択されている時点で、価値判断であることから逃れることはできない。あるものが「ない」という陳述は果たして常に事実でありうるか。
人に訴える議論が犯す、論点のすり替えという虚偽は日常によく見られる。論理学はアレルギー反応を起こしてそれを糾弾するが、すべての議論で論点を移行させてはいけない道理はない。発話の内容ではなく、発話者がその内容を発話する資格があるのか、そっちを先に決着させたっていい(そういう議論も当然ある) 。
「この章題を見て、中身がないので気を衒った題をつけ、せめて読者の関心を惹こうとしていると勘繰る人がいるかもしれないが、実はそのとおりである」 -
Posted by ブクログ
・「議論においては、責めるよりも守る方がはるかに難しい」(p.174)
・「議論においては、何かを主張した側に、それを論証する責任がまず課せられる(=立証責任)」(p.174)
・「議論において絶対にやってはならないミスは、相手方に立証責任があるときに、勘違いしてこちらがそれを引き受けてしまうことだ……それは議論の最も強力な武器を放棄し、無防備なまま相手方の攻撃さらされることを意味する」(p.174-5)
この「立証責任」というのが、本書全体を通底するテーマである。
ある議論を支配するためには、立証責任を負う相手方の説明に対し、こちらが好きなだけ反論するという方法を取ることが最も有効である。そして、こちら側が立証責任を負わされそうになった場合には、論点を移行して、巧みにそれを相手方に転換させることが必要となる。
こうして、著者は、相手方からの「定義要求」や「お前も同じ」型の議論、「不当予断の問い」に対する対処法を指南する。
議論を吹っ掛けられた際に、その主導権を相手方に奪われないための護身術として、本書は役に立つ。