香西秀信のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
今論理学を勉強している。だからこそそれに反するような本を読んでみようと(とはい 言ってもたまたまネットで見つけただけなのだが)読んでみたのが本書。
◼️議論に世の中を変える力などありはしない。もし本当に何かを変えたいのなら、議論などせずに、裏の根回しで数工作でもした方がよほど確実であろう。実際に、本物のリアリストは、皆そうしている。世の中は、結局は数の多い方が勝つのである。 論理的思考力や議論の能力など、所詮は弱者の当てにならない護身術である。
なるほど、ここまで言い切られると爽快だし、事実、その通りだと思う。論理はあくまで純粋に言葉の意味するところだけを問題にする。だが人間社会において、純粋に言葉の意味だけを捉えることなどどれくらいあるのだろうか?山田ズーニーがその著書の中で「自分の意見を主張したいのなら、まず自分の信用力を上げるべき」というような趣旨のことを書いていたが、まさにこの本の内容に当てはまるだろう。
世の中には詭弁が溢れている。というか、詭弁なしではやっていけないのだ。よく考えたら純粋な論理によって人とやり取りをすることなど実際はほぼないと言っていいのかもしれない。この本はその当たり前のことに改めて気付くためのものである。
もちろん、特に文章を書くときなんかには論理の理路整然とした構成方法は役に立つのだろう。だが、論理というものの欠陥、つまり感情を持った人間が構成する現実社会では完璧なものではないというその限界を知っておくことも、論理を使いこなす上でまた重要だと思えるのである。 -
Posted by ブクログ
詭弁から学ぶというスタンスが新鮮だった。
詭弁かそうでないかは、判断のレベル次第で判定が変わってくる、非常に微妙な問題を含むことも、心しておかなければ、と思う。
それから、よくディベートの本などでも、「人と議論は別」などと書かれているが、本書では人と意見は完全には分離できないとあるのも、面白いところ。
詭弁には部分的な真実が含まれているだけに、詭弁と判別しづらいとのこと。
しかし…相手の議論をうまくかわせない人にとって、うかつに人の議論を聞こうとすると、取り込まれてしまう危険があるということでもある。
他者の議論に対し、生産的で批判的に向き合うということがいかに難しいことか。
それから、本書で「虚偽論」という学問分野があることを知った。
もう少し知りたいとも思う。
なるほど、この本は「だれでも言い負かせる」ための本ではなく、自分が詭弁を用いないようにという自戒を促すための本、ということなのだな。 -
Posted by ブクログ
人間には考えるにあたっての「癖」のようなものがあり、どうしてもある種の非論理的な思考法を採用しちゃう。
でもそれがどんな「癖」かを知識として持っていれば、いくぶん「まし」にはなるんじゃないか。
そんな考えのもと、豊富な実例をもって「癖」を紹介するとともに、平易ながら本質的な考察が添えられた本。
本書にどこまで「効用」があるかはわからないけれど、面白く読めることは間違いない。
本書のこの前提は、もう少し広げて考えることもできるんじゃないかな。
たとえば、「自分だけの失敗学」を確立する。そこまで行かなくても、「自分の失敗データベース」を構築して、ときに整理する。
そこからもし「自分の失敗の癖」を見出すことができたのであれば、今よりもずいぶんと「まし」な行動ができるんじゃないか、と僕は思うのだ。
そしてもし実際にそれ(データベース構築)を実行した場合、失敗すればするほどデータが増えてデータベースが強化されるわけで、だから失敗することを望んでしまうという倒錯した心境に至るかもしれない、と想像したりもする。
それはそれで「失敗にも折れない強い心」を手に入れたということで、歓迎すべき事態なのだろうか。あ、なんか話がどんどん違う方向に行っちゃってるので、この話題はこのへんで。
最後に。本筋とは違うのだけれど、僕たちが議論に勝ちたがるのは不死を望んでいるからだというロジックは、なんだか否定できない魅力に溢れていて、さすがは修辞学者(なのかな?)と思わせる。 -
Posted by ブクログ
詭弁とは何か。それは論理的にはおかしい、間違った論法である。ところが、我々はその詭弁を意識的にも無意識的にも使うし、また同様に意識的も無意識的にも騙されている。
詭弁の形としては、因果と相関の混同、必要条件と十分条件の誤判定、言葉の多義性からくる拡張と限定の使い分けがある。詭弁を弄する人はこれらをいろいろに使用するので、詭弁に免疫のない人は簡単に騙される。著者によれば、詭弁を知れば知るほど詭弁を使うことには慎重になるという。詭弁は囲碁や将棋におけるハメ手のようなもので、相手に正しく応手されるとこちらが窮してしまうことになる。
したがって、相手の論理力がある程度上か、未知数の人間に対しては詭弁を弄するのは危険だという。ただ、実際には詭弁を認識し、それに反撃を加えることの出来る人はごく少数である。おそらく日本人の場合には10000人に1人も存在しないのではないかと想像する。
日本人が特に詭弁に弱いのは、議論や対話経験がほとんど無いからである。一つのテーマを論理的に論じる経験がないために、思考を構築する言語リテラシー力が決定的に不足している。友人や知人とのほんわかとした当たり障りの会話しかしていないための言語力の顎がゆるゆるになっている。筋肉と同じで、言語力もそれに負荷を加えて使用しなければ見る間に衰えていく。
欧米のように他民族が集まって、周りの人間を全面的に信用できない状態では(それ自体は不幸な環境ではあるが)騙されないために、言語の意味を厳密に捉え、論理的に解釈する傾向が強いので詭弁に対する耐性はかなり強い。それが拡大して、外交力にもなり、日本が外交戦争でほぼ全敗している状況を生んでいる。
こういう詭弁に対する備えという点からも、教育で討論・作文技術の授業をもっと増やすべきなのである。 -
Posted by ブクログ
いわゆる「正論」というものが極めて限定された条件においてのみ有効であるということからスタートして、実際の人間関係などを踏まえた上での「詭弁」の有効性・重要さについて書いてある本。いわゆる「詭弁」というとちょっと強烈な感じがするが、ここでは実践的なレトリックのお話であると捉えておけば良いと理解した。
正論、あるいは論理的に辻褄が合っていることが説得力に直結するわけではないという場面はけっこう多いと思います。なんつうか、子どもや動物と戯れるとよく分かる感覚というか。実際、議論のうまい人(あるいは主張を通すのがうまい人)というのは論理的な筋の通し方と同様に、著者の言うところの詭弁の技法にも長けていたりします。公平さを謳いながら次の瞬間にはジェンダーをタテに主張しだす人とかは典型でしょうか。でも確かに説得力はあるのだから面白いものです。
筆者も書いていますが、人の発言がその人を離れたところには無いというところに尽きます。同じ内容の発言でも言う人によって説得力は恐らく変わるであろうと。こういう視点は読んでいてとても参考になって良かった。
いわゆるロジカルな考え方に関心のある人はこういうのも読んでみると政治力含みの総合力がついたりするのではないでしょうか。もっとも、そこまで大袈裟な話はこの書中ではなされていないので注意が必要ですが。考え方に関する本なんですよね、あくまで。 -
Posted by ブクログ
[ 内容 ]
著者は、論理的思考の研究と教育に、多少は関わってきた人間である。
その著者が、なぜ論理的思考にこんな憎まれ口ばかりきくのかといえば、それが、論者間の人間関係を考慮の埒外において成立しているように見えるからである。
あるいは(結局は同じことなのであるが)、対等の人間関係というものを前提として成り立っているように思えるからである。
だが、われわれが議論するほとんどの場において、われわれと相手と人間関係は対等ではない。
われわれは大抵の場合、偏った力関係の中で議論する。
そうした議論においては、真空状態で純粋培養された論理的思考力は十分には機能しない。
[ 目次 ]
序章 論理的思考批判
第1章 言葉で何かを表現することは詭弁である
第2章 正しい根拠が多すぎてはいけない
第3章 詭弁とは、自分に反対する意見のこと
第4章 人と論とは別ではない
第5章 問いは、どんなに偏っていてもかまわない
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]