【感想・ネタバレ】論より詭弁~反論理的思考のすすめ~のレビュー

あらすじ

なぜ、論理的思考が議論の場で使えないか。その理由は、それが対等の人間関係を前提に成立しているからである――対等の人間関係などない実社会で使える詭弁術の数々!

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アリストテレスの考え方が秀逸
詭弁と言わず、表現の工夫
正にその通り
修辞学者リチャード・ウィーバーの言
言葉に独自のスタイルを待っている人間は内容でなくスタイルで強く印象付けられる

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2019年09月20日

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やっぱり猛烈におもしろい。皆この先生のものを1冊は読むべきだよな。6割ぐらい本気だろうし。巡回指導に来てくれたら授業料払って弟子入りしてもいいなあ。

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2021年01月05日

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面白かった。詭弁を題材として、論理的思考をレトリックの立場から批判的に検討しようとしている本。詭弁の正当性を論理的に説明していて、思わずなるほどと納得していまう。引用している例え話も面白い。今までにない新しい視点、考え方を身に付けられる。知的快感を味わいたい人向け。

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2009年10月04日

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『論より詭弁 反論理的思考のすすめ 』。タイトルが既に挑発的であり、論争的である。しかし内容は、選ばれし者たちの都市国家の広場ではないこの現世において、論理をそらし、外し、俗論に逃げ込む者たちとの「間の取り方」「呼吸法」が解説されている。
 著者は、偽悪的な装いを好むようであるが、不快ではない。
 本書は、思考の錆落としに適している。

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2009年10月04日

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議論の中で、最も大切に思える要素である“論理”が現実社会においてはいかに無力であるかを教えてくれる一冊。

これを使って有利に立とうと思わない人でも、こういう攻め方がある、こう“言わされてしまう”トラップがある。ということを知っているだけで心を強く保てるはずだ。

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2025年05月06日

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淳良さを欠いた著者が、無菌室で純粋培養された非形式論理学の弱点を徹底攻撃する。

論理学の素養がある人は、例示された詭弁が著者によって市民権を与えられるのをどう捉えるのだろうか。それでもより広い視点ではその論法がやはり詭弁であるとして打ち棄てるのか。そのあたりの感覚があればもっと面白く読めそう。

面白かった点を何点か。

事実と主張の区別は難しい。いかなる客観的な陳述も、それが陳述の対象として選択されている時点で、価値判断であることから逃れることはできない。あるものが「ない」という陳述は果たして常に事実でありうるか。

人に訴える議論が犯す、論点のすり替えという虚偽は日常によく見られる。論理学はアレルギー反応を起こしてそれを糾弾するが、すべての議論で論点を移行させてはいけない道理はない。発話の内容ではなく、発話者がその内容を発話する資格があるのか、そっちを先に決着させたっていい(そういう議論も当然ある) 。

「この章題を見て、中身がないので気を衒った題をつけ、せめて読者の関心を惹こうとしていると勘繰る人がいるかもしれないが、実はそのとおりである」

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2024年01月21日

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昨今のメディア(特にインターネット)では「論理的であること」がブームであると感じる。論破力を売りにしている配信者や、科学的に正しいライフハックを喋る配信者などだ。そんな時代だからこそ「論理的であること」を再考する必要がある。確かに科学や学問は論理的に進めていくものだ。しかしそれは日常のコミュニケーションや特定の議論の場で用いると揚げ足どりに終始してしまったり全体が見えなくなってしまったりということが起きる。このような事に気付かせてくれる一冊。

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2021年09月05日

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詭弁を知ることで、相手の詭弁に気付くことが可能になるし、それに対処することができる。そういう意味で一読の価値あり。

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2021年04月25日

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・「議論においては、責めるよりも守る方がはるかに難しい」(p.174)
・「議論においては、何かを主張した側に、それを論証する責任がまず課せられる(=立証責任)」(p.174)
∴「議論において絶対にやってはならないミスは、相手方に立証責任があるときに、勘違いしてこちらがそれを引き受けてしまうことだ……それは議論の最も強力な武器を放棄し、無防備なまま相手方の攻撃さらされることを意味する」(p.174-5)

この「立証責任」というのが、本書全体を通底するテーマである。

ある議論を支配するためには、立証責任を負う相手方の説明に対し、こちらが好きなだけ反論するという方法を取ることが最も有効である。そして、こちら側が立証責任を負わされそうになった場合には、論点を移行して、巧みにそれを相手方に転換させることが必要となる。

こうして、著者は、相手方からの「定義要求」や「お前も同じ」型の議論、「不当予断の問い」に対する対処法を指南する。

議論を吹っ掛けられた際に、その主導権を相手方に奪われないための護身術として、本書は役に立つ。

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2019年09月23日

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ネタバレ

言っていることは間違ってはいないわよ、
断じて間違っていません。
話を言いくるめるには知恵と屁理屈が
大変大事となります。

それを詭弁という場合もありますが
ハッキリ言えば合法手段なんですよね。
だけれども相手にそういう人が向かってきた場合は
対策を練ってしまいましょう。

ただここで使う詭弁は使い過ぎると
どこぞの民のように自滅の結果を招きます。
お気を付けあそばし。

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2018年11月30日

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今論理学を勉強している。だからこそそれに反するような本を読んでみようと(とはい 言ってもたまたまネットで見つけただけなのだが)読んでみたのが本書。

◼️議論に世の中を変える力などありはしない。もし本当に何かを変えたいのなら、議論などせずに、裏の根回しで数工作でもした方がよほど確実であろう。実際に、本物のリアリストは、皆そうしている。世の中は、結局は数の多い方が勝つのである。 論理的思考力や議論の能力など、所詮は弱者の当てにならない護身術である。

なるほど、ここまで言い切られると爽快だし、事実、その通りだと思う。論理はあくまで純粋に言葉の意味するところだけを問題にする。だが人間社会において、純粋に言葉の意味だけを捉えることなどどれくらいあるのだろうか?山田ズーニーがその著書の中で「自分の意見を主張したいのなら、まず自分の信用力を上げるべき」というような趣旨のことを書いていたが、まさにこの本の内容に当てはまるだろう。

世の中には詭弁が溢れている。というか、詭弁なしではやっていけないのだ。よく考えたら純粋な論理によって人とやり取りをすることなど実際はほぼないと言っていいのかもしれない。この本はその当たり前のことに改めて気付くためのものである。

もちろん、特に文章を書くときなんかには論理の理路整然とした構成方法は役に立つのだろう。だが、論理というものの欠陥、つまり感情を持った人間が構成する現実社会では完璧なものではないというその限界を知っておくことも、論理を使いこなす上でまた重要だと思えるのである。

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2015年12月30日

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K西先生!
ディベートをやっていたら、論理的思考が万能ではないこと、論理的に考えるべき時、そうでない時も判断できるはず。ただ、帯にあるような、相手の非論理性を非難する輩が目立つってことなんでしょうね。これはディベートをかじらせてしまった弊害でしょうか。

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2014年07月01日

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香西さんの本は面白い。
「詭弁」と書いているが、詭弁と言われているものは実は詭弁ではないと言う。ま、詭弁の何が悪いかと言うところもある。
弱者の護身術、と言うワンフレーズは、ちょっと、本筋ではないが心に残る。

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2013年07月24日

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目から鱗がてんこ盛りに落ちていきました。おもしろかった。
日頃から「いかにも正論じみて聞こえるのになんだかもやもやと納得できない」と感じる言葉のやりとりも、こう考えることでなるほど、と納得させられます。

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2013年03月20日

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いわゆる「正論」というものが極めて限定された条件においてのみ有効であるということからスタートして、実際の人間関係などを踏まえた上での「詭弁」の有効性・重要さについて書いてある本。いわゆる「詭弁」というとちょっと強烈な感じがするが、ここでは実践的なレトリックのお話であると捉えておけば良いと理解した。

正論、あるいは論理的に辻褄が合っていることが説得力に直結するわけではないという場面はけっこう多いと思います。なんつうか、子どもや動物と戯れるとよく分かる感覚というか。実際、議論のうまい人(あるいは主張を通すのがうまい人)というのは論理的な筋の通し方と同様に、著者の言うところの詭弁の技法にも長けていたりします。公平さを謳いながら次の瞬間にはジェンダーをタテに主張しだす人とかは典型でしょうか。でも確かに説得力はあるのだから面白いものです。
筆者も書いていますが、人の発言がその人を離れたところには無いというところに尽きます。同じ内容の発言でも言う人によって説得力は恐らく変わるであろうと。こういう視点は読んでいてとても参考になって良かった。

いわゆるロジカルな考え方に関心のある人はこういうのも読んでみると政治力含みの総合力がついたりするのではないでしょうか。もっとも、そこまで大袈裟な話はこの書中ではなされていないので注意が必要ですが。考え方に関する本なんですよね、あくまで。

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2011年07月27日

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[ 内容 ]
著者は、論理的思考の研究と教育に、多少は関わってきた人間である。
その著者が、なぜ論理的思考にこんな憎まれ口ばかりきくのかといえば、それが、論者間の人間関係を考慮の埒外において成立しているように見えるからである。
あるいは(結局は同じことなのであるが)、対等の人間関係というものを前提として成り立っているように思えるからである。
だが、われわれが議論するほとんどの場において、われわれと相手と人間関係は対等ではない。
われわれは大抵の場合、偏った力関係の中で議論する。
そうした議論においては、真空状態で純粋培養された論理的思考力は十分には機能しない。

[ 目次 ]
序章 論理的思考批判
第1章 言葉で何かを表現することは詭弁である
第2章 正しい根拠が多すぎてはいけない
第3章 詭弁とは、自分に反対する意見のこと
第4章 人と論とは別ではない
第5章 問いは、どんなに偏っていてもかまわない

[ POP ]


[ おすすめ度 ]

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[ 関連図書 ]


[ 参考となる書評 ]

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2011年04月09日

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世の中では一般によしとされていない詭弁を進んで使いましょうという本。
どういう場合の論法を詭弁と呼ぶのかの紹介が主で、方法論は二の次という感じだったが面白く読めた。本当にものは言いようでどうとでもなる。相手に都合よく丸め込まれないためにレトリックを勉強してみようという気になった。

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2010年09月18日

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「意見」と「事実」、「人」と「論」を切り離して考えることは難しい。言葉で何かを表現する以上、その発話者の恣意的な言葉の選択と「名づけ」が混入している。自分に反対する意見や立場に対しては「詭弁」と扱い、自分に賛成の意見や立場に対しては「ひねりのきいた意見」となりやすい。など。「論理的」と自称する人などに対して、真っ向から反論する本。おもしろいが、少し嫌味くさい。

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2009年11月22日

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反論理じゃなく、修辞法の本。正しいことを正しく書いてそれですむなら、今頃世界は天国のようになっていて、格差どころか差別だってなくなってるんじゃないか。でも実際にそうでないのは、正しいことを正しく書くのじゃすまないからだ。議論はそもそも対等に行われるものじゃない、不均衡のある中で行われる、というあたりが、自分のしてることについて不足な点を改めて考える機会になった。

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2009年10月04日

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普段、無意識に行なっている反論理的思考を言語化したような本だった。例えば「ゴミをポイ捨てした奴が他の人へポイ捨ての注意をしても...」は反論理的で詭弁だが間違いではない。
個人的には各章の終盤に「もしこう言われたらこう反論すれば良い」が役に立ち、面白いと感じた。

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2025年03月13日

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議論の場で論理的な説明と、巧みなレトリック、はたまた詭弁のせめぎ合いを、俯瞰的な視点で見る様な一冊。

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2024年11月02日

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定義を聞かれたときは、明確に答えず「あなたが普段使っているものと同じです」など、実際に使える用法も多いものの、ほとんどは煙に巻かれたような感じのまま読み終わってしまった。

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2022年11月04日

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論理と議論とは違う.著者はこの手の著書で有名な香西秀信.
論理だけでは議論に勝てないのだが,論理を無視した議論も,また困ったものである.もう少し深い考察が欲しいところである.

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2021年03月12日

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人は誰しも詭弁を使うが,他人の詭弁には厳しいということ.
世の隠された一面を示している.ただ,それだけでもある.

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2016年10月11日

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ほとんどの場合、人間関係には力の不均衡が存在する。つまり、我々は偏った力関係の中で議論をする。
そんな中で「正しく」論理的な議論では相手を説得できない。

「詭弁」とは、論理的ではない論証のことを指すが、人間関係が不均衡である場合で相手を説得するためには必要な事。→これが、修辞学。

つまり、結果を得る為の現実的な議論方法、ということか。面白い。

「詭弁」とは、言葉に事実ではなく語り手の意図が(度を超す程度に)入る事、と作者は定義づけているように読める。



内容/主張は面白いが、文章の構成はあまり好きではない。例示と主張が入り交じっていて、整理されておらず、少し読みにくい。私の好みなだけかも?

でも、レトリックに興味が出てきたので、この著者の方の別の本も読んでみます。

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2013年12月15日

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本書は、対等な人間関係を前提とする論理的思考よりも、偏った力関係で議論されることを前提としたレトリックに価値を置き、論理的思考側から詭弁と名指された論法をレトリックの側から弁護を試みる、というものです。
ですので、相手の詭弁を論破するためというよりも、自身が詭弁を用いるシチュエーションで役立つ本と言えます。詭弁というと悪い印象を持ちますが、要は自分の意見に反対する意見は全て詭弁であり、言葉で他人を支配しようとする相手方に対して、反論理的思考で議論しようというものです。
論理的思考で相手を説得出来ない場面で是非とも使いたいです。ただ、やっぱりボリュームが少ないのが残念です。

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2012年11月23日

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面白く読めたが本書における詭弁とは結局どういうものをいうのか。詭弁と言われているものは実際は詭弁ではないとあったり、論理的な思考のものが実は詭弁なのだ、とあったり。頭がこんがらがった。1つ1つ個別には理解できたと思うが。

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2011年06月10日

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ちょっとひねくれな感じが、そういう見方もあるなーと
感じさせてくれました。
入門書レベルですが。

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2009年10月04日

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レトリックの専門家である著者が、論理的思考だけでなく、詭弁と言われるものが社会で通用すると書かれている。

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2009年10月04日

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