太田省一のレビュー一覧
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・THE MANZAIの一緒に作る笑い。笑い屋ではなくサークルの大学生を入れた。
・ガキ使での浜田のツッコミは、理解されない松本のボケを最大限に引き出す、ボケをより自由にする原動力だ。
・ごっつええ感じの番組方針。「パロディをしないこと」「即興ではない、練り込んだコントを中心に作ること」
・ダウンタウン
→笑いは高尚なもの
明石家さんま
→トークバラエティの確立
たけし
→偉さとの葛藤
タモリ
→趣味の探求と時代が追いつく
・アメトークに見られるオタク文化の成熟。芸人は一般人の代表でもある。
・テレビのあるあるは共感性とともに批評性をはらんでいる。「小心者克服講座」
SNSはそうでもない「土佐兄弟」
・相互性の笑いとは、社会的地位・立場や個人的属性、趣味・嗜好などの違いがあることを大前提に他者との利害調整をしながら、そのプロセスを笑いとして表現するもの。
ぺこぱとかの「ノリツッコまない」わらいとか、ぼる塾とか。
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笑いの歴史を綴った本は多数あります。
しかしこの本は「お笑いビッグ3」である
タモリ、ビートたけし、明石家さんま以降
の笑いに焦点を当てています。
間違いなく彼ら3人はお笑いの世界を変え
ました。しかし普通の人からすると、今で
もお笑い界を引っ張っているのは明石家さ
んまだけではないのでは?と思ってしまい
ます。
ある一面ではその通りなのですが、別の面
では「今」の笑いも、彼ら無くしては成立
しない部分もあるのです。
なるほど、歴史を知ると現在が見えてくる
という好例です。
読書が苦手な人も、こういう本から入って
くると、やがて読書という行為がバラエテ
ィー番組を観るように楽しくなってくるき
っかけを与えてくれる一冊です。 -
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テレビとお笑いの歴史と社会の関係を考察する社会学的な言説。お笑いビッグ3の立ち上がりがら、今の傷つけない笑いやユーチューバーへの変遷について。80年代初頭の漫才ブームから、社会の同質性をベースとして立ち上がってきたお笑いビッグ3と、笑いが社会のメインストリームになった笑う社会。それが、徐々に変遷しつつ、ダウンタウンなどの登場、M1などで変わるお笑いの構造とビッグ3の立ち位置の変遷。そして、同質的な社会が崩壊し格差が生じ、価値観が多様化する社会で相互性の笑いへと変遷した現在のお笑い第7世代。
昨今のお笑いやらご意見版やら、著名人の炎上騒ぎに見られる感性の硬直化が問題な中、社会とお笑いの関係と時代性を感じ感性をアップデートできる、良書。 -
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■日本の笑いは漫才やコントに限らず基本的にどれも「ボケ」と「ツッコミ」で成り立っており,この「ボケとツッコミの関係」を詳細に観察した時,笑いが起こるのはツッコミをきっかけにしていることに気付く。
・スタンダップ・コメディが日本人に全く受けないのも「ボケ」だけでなく「ツッコミ」がないから
・南原清隆は「日本人の笑い」の基盤には狂言のような古典芸能にも現代のお笑いにも共通する「対の文化」があると結論付ける
■萩本欽一は「オールスター家族対抗歌合戦」に出場した素人の「笑いの瞬発力」にはかなわないと痛感した。
・テレビにおける「芸の変質」
・素人が生み出すアクシデントに負けてしまうことを萩本は見抜く
・芸人の「計算された失敗」の更に先を行くもの
・萩本は出だしの頃のジミー大西を見て,初めて「天然」という表現を現在の意味で用いた
・テレビにおける笑いの可能性を突き詰めていく中で「素人という新たな主役」を発見
■阿部謹也は世間をこう定義する。「世間とは個人個人を結ぶ関係の環であり,会則や定款はないが,個人個人を強固な絆で結びつけている。しかし,個人が自分から進んで世間をつくる訳ではない。何となく自分の位置がそこにあるものとして生きている。」(「世間」とは何か)
・日本的世間には集団への同調を促す力が強く働く
・個々人の意志を第一に尊重する西洋社会に対し日本の世間ではまず周囲に合わせることが重視
・「言わずとも察する」ことが当たり前とされるようになる。「以心伝心」。
■内閣府が2008年度に実施した「第8回世界青年意識調査」では日本の青年が日本人についてもつイメージのトップは「勤勉」で,次いで「礼儀正しい」。
・この調査は1972年から5,6年ごとに継続して行われているが「勤勉」がトップである結果はずっと変わっていないが,その割合は変化
・98年調査までは6~7割が「勤勉」
・03年度は46.1%,08年度には49.3%と半数を割る結果
・90年代から00年代の間に「日本人=まじめ」観に陰りが見えた
・マンザイブームから「お笑いビッグ3」の時代へと続く流れの中ですべてを笑いに変えていく「おもしろ」志向が勢力を拡大し始めた
・ここへきて再び「おもしろ」から「まじめ」へと時代の空気が変わりつつある -
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スター誕生!からハロプロ(ASAYAN)、おニャン子クラブ、そして最近のBritain's Got Talentや中国超級女声(Super Girl)などの素人オーディションからドキュメンタリーとしてのオーディションに移りつつある系譜をひたすら辿った文化分析。森昌子以降の客観的なプロダクション選抜過程を見せた(ふりをした)スター誕生!から、おニャン子クラブ、ASAYAN、NiZIUが語られる。出来レースで「推し」を楽しむおニャン子クラブは、アイドルをカスタマイズ可能な思い入れできる部品として扱ったアイドルグループであった。ASAYAN(浅草ヤング洋品店)は選抜プロセスに客観性はなくとも経過が楽しく、ドキュメンタリーとして楽しむオーディションであった。観客参加型オーディションを志向したNiZIUは現在のオーディションの主流となっているように見える。
一方でアイドルではなくバンドを選ぶ「イカすバンド天国(イカ天)」はBEGINやたまを生んだが、なんと1989-1990しか続かなかったというのは意外であった。1990年は、ザ・ベストテンや夜のヒットスタジオといったメディア主導の音楽プロモーション番組が終わった年であり、テレビ番組が、メディア間の軋轢により魅力を失い音楽プロモーションの主要ツールとしての役割を終えた時期と重なる。
推し活はコロナ以降日本のエンターテイメント消費形態として広く認知されてきたが、その端緒は1971年のスター誕生!に遡るというのも興味深い観察であった。 -
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ネタバレピンマイクを導入したのは、萩本欽一。へえ~
動き回る場合、ハンドマイクは不便。なるほど。
戦後、貧富の差や家柄に関係なく、勉強できれば自分の望む会社に入って出世もできるという希望が持てるようになった。教育熱心な母がいたというのは、欽ちゃんもビートたけしさんも同じ。
「不運なときほど将来の幸運をためている」というのが欽ちゃんの「運の法則」。うまくいかないときは「将来の運をためている」と思えばいいとのこと。結婚時もそうであるが、欽ちゃんには窮地に陥るたびに損得抜きで援助してくれる人がタイミングよく現れている。これこそ、欽ちゃんが「運」と呼ぶもの。
「聞いたらおしまい」・・・
回答者は質問者の意図をすべて明確にしないと答えられないから、聞き直したいことがあるであろう。しかし、とりあえず何かを答えるのがコメディアン向きなのだそうである。ツッコミの余地が生まれるから。木村拓哉さんは曖昧な欽ちゃんの質問に答えることがきたので、欽ちゃんは「この子は将来絶対スターになる」と見抜いていたとか。すごい。
欽ちゃんは「お年寄りはもうちょっといじめていいと思う」と発言している。欽ちゃんが、いざその年齢になってみて、必要以上に大切にされると逆に心身の衰えが加速しかねないと気づいたとか。
欽ちゃんは「すみません」「ごめんなさい」という謝罪は嫌い。それは「付き合いを打ち切りにする」言葉。肝心なのは、コミュケーションを途切れさせないことで、ポジティブな言葉が必要。
欽ちゃんの人生哲学「人生は勝つか逃げるか」。負けるのは危険なもの。
遠回りは革新的なものを生み出す秘訣で、そこに運もついてくる。タイパと言われている世の中であるが。
自分は欽ちゃんのテレビ番組で大笑いさせてもらった世代。表舞台ばかり視ていたせいか、そんなに遠回りされているようなコメディアンには思えないが、それだけ濃密な時間を過ごされているのだろう。現在も。 -
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<目次>
第1章 コメディアンになる~気弱な少年の選択
第2章 枠からはみ出す~?コント55号が大成功した理由
第3章 「欽ちゃん」の革命~「視聴率100%男」という生き方
第4章 プロデューサーの眼~タレント、アイドル、野球チーム
第5章 焼け跡世代、平成、令和を生きる~73歳大学生からユーチューバーへ
終章 萩本欽一の時代~遠回りの美学
<内容>
萩本欽一、「欽ちゃん」をしっかりと分析した本。もちろん良い面ばかりなのかもしれない。でもドンピシャの世代なので、面白く読ませてもらった。思い出した。テレビで笑った番組。そしてその裏も知る。 -
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<目次>
はじめに
第1章 「密室芸人」タモリが蛭の司会に抜擢された理由
第2章 「テレフォンショッキング」という発明
第3章 「国民のおもちゃ」を演じたタモリ~「仕切らない司会者」と「無」への志向
第4章 視聴者を巻き込んだテレビ的空間~芸人と素人の共存と混沌
第5章 聖地・新宿アルタ~「流浪の人」タモリが新宿で芸人になった理由
第6章 『いいとも!』と「フジテレビの時代」~80年代テレビの熱狂と冷静のあいだ
第7章 『いいとも!』と「お笑いビッグ3」~タモリ、たけし、サンマの関係性
第8章 『いいとも!』の個性的なレギュラー
第9章 SMAPが『いいとも!』にもたらしたもの
第10章 「グランドフィナーレ」を振り返る
終章 『いいとも!』は、なぜ私たちの心に残るのか?~?戦後日本社会とテレビの未来
<内容>
分析は浅いが網羅的。懐かしく読ませてもらった。『いいとも!』一時代を作った番組であり、タモリをスターダムにのし上げた化け物番組だったのだ。 -
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土曜日の夜、フジテレビで「さんまのお笑い向上委員会」を放送している。「向上長」の明石家さんまが、向上委員会メンバーとともに、ゲスト出演するお笑い芸人のお笑いレベル向上を目指す趣旨の番組だ。
TBSでは「情報7days ニュースキャスター」を放送していた。冒頭にビートたけしが高校野球について話していた。「燃え尽きることを美とする日本の風潮」を問題視していた。
通常なら土曜日の午後7時半からNHK総合で「ブラタモリ」を放送している。タモリが全国各地を地形や地理に注目しながら巡る。ここにはグルメ情報はない。たまにタモリが他の人ならNHKでいいそうにないことを言う。
タモリ、たけし、さんまのいわゆる「お笑いBIG3」を中心とした現代至るまでのお笑いについて論じているのが今回の本だ。
タモリとたけしは、お笑い芸人というよりも趣味にフォーカスしていたり、映画や時事論評の方にシフトしている。
さんまは今でもお笑い芸人として活躍している。「向上委員会」や「さんま御殿」などで、お笑い芸人のみならず様々なジャンルの有名人、さらには一般人にも笑いを求める。笑いを求める厳しさから「お笑い怪獣」と呼ばれている。
3人が日本のお笑いの世界に与えた影響は大きい。「第7世代」と言われるお笑い芸人が登場している。これから日本のお笑いがどうなっていくのか気になる。 -
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よく言われる言葉ですが、「アイドル冬の
時代」という期間は確かにあります。
ちょうど時代が昭和から平成へ移ってから
の10年間くらいでしょうか、1990年から
2000年ですね。
しかしこの本では「そんなことはない。そ
の時代にも皆が夢中になったアイドルは存
在した」と主張します。
この本では「アイドルの定義」をかなり多
様にとらえています。しれが故にアイドル
冬に時代につながるのですが、本書を読め
ば納得させられます。
「アイドル」の考え方が変わるきっかけに
なる一冊です。
「そんなきっかけはいらないよ」と思う方
でも純粋に面白いですから読んでください。 -
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「SMAPと平成ニッポン 不安の時代のエンターテインメント」
今年で平成が終わる。そこで平成最大のアイドルであったSMAP(個人的にはそう考える)を振り返る。
そもそも何故SMAPは解散したのか本当の理由は定かではない。マネージャーと副社長の衝突し、結果マネージャーが退社することになり、それにSMAPが巻き込まれたというのが大筋の流れである。これがどこまで正しいのか不明(私はそもそもメディアが流す情報はほぼ信じない)で、真実が明かされることは無いかもしれない。
解散報道が流れた時、(もし大筋の流れが正しいならば)、副社長もマネージャーも何してんだよ!と率直に思いました。SMAP×SMAP最終回も切なく感じ、中居正広のラジオの最後の呼びかけなんて「あぁ、言えないこととかあるんだろうな」とか考えてしまった。昔から見ていたアイドルがいなくなるというのは、こんなに切なくなるものかと。もうSMAPの歌をSMAPが歌うことは無く、メディアも事務所に忖度してるのかスルーし、今でも哀しいものだ。
本書はそんなSMAPを平成の時代と共に振り返っている。多くの苦難の歴史やメンバー一人一人の分析検証、時代背景とSMAPの関係性などを社会学者として語っている。エンタメ系の本は作者の熱があらぬ方向にいきオタ本と化しているものや特に目新しい情報がないぺらぺら本も多い中、本書はちゃんとしてる印象。ところどころ印象深い表現を使っている辺りオツ。
SMAPの存在はそうした長年応援を続ける熱心なファンとの固い絆だけで語り尽くせるものでは無い。もう一方でそこまで熱心とは言えないまでもテレビなどで彼らに接してきた多くの一般の人々もまたファンであり、そんな人々にとってもSMAPはそこにいるのがごく当たり前のような存在になっていたと言うことがある。
この部分は、そうだよねと腹落ちしました。ファンはきっとSMAPを再結成して欲しいとかメンバー一人一人が納得してくれたら良いとかいろんな感情が交錯しているのだろうな。個人的には、またSMAPがSMAPの歌を歌っているのを見たい。いつかライブに行くのが夢だったので。
後、目指せ!香取慎吾の服屋さん(今はファンで一杯みたいなので待ち)。