太田省一のレビュー一覧
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[ 内容 ]
テレビにみられる「ボケ」と「ツッコミ」と「フリ」をキーワードにさまざまな笑いの形態を詳細に考察し、主観と客観を巧みに交差させながら笑いに対する介入と放置を繰り返す送り手と受け手の意識構造を浮き彫りにして、「なんでもあり」の感覚を共有することで成立している、笑いを媒介にしたコミュニケーションの社会性を分析する。
[ 目次 ]
序章 「観客」と「視聴者」
第1章 マンザイ的「笑い」の誕生―マンザイブームをめぐって
第2章 「仲間」空間と「笑い」
第3章 「笑い」が「感動」に変わるとき
第4章 現代日本社会と「笑い」
終章 「笑う社会」の行方
[ POP ]
[ おすすめ度 ] -
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紅白の誕生から2011年くらいまでをざっくり追っている。紅白論というよりは歌謡界論という感じも。紅白を謳うならもっと紅白に特化してトリビアをいろいろ紹介してもらいたかった。
とはいえ、紅白がけっこう短い周期でどんどん変わってきたことがわかったのは面白かった。高視聴率が至上命題ではあるけれど、一方でもうここ30年弱くらいはそんなの望み薄なわけで、迷走ぶりが痛々しい。著者はそうした試みをけっこう肯定的にとらえていて、「日本というコミュニティが再生する上でも必要な、受け継がれるべき記憶は、こうした場から立ち現れてくるのではないだろうか。だが、それを一つの形へと無理にまとめ上げる必要なない。むしろ、複 -
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SMAPについて語ると収拾がつかなくなりそうなので…高校生の頃英語の日記を書くという宿題で、「自分はSMAPが好きなんだが、ずっと彼らをテレビで見ているせいか、彼らがただの芸能人であることはわかっているけどなんだか付き合いの長い知り合いのような感じがする」といったもはや日記ですらないくだらないことを書いたら、ネイティヴスピーカーの先生から「テレビの力って恐ろしいものですね。ジョージオーウェルの1984という本をぜひ読んでみなさい」という遥かな高みからのお返事をいただいた苦い思い出を告白するにとどめることとします(ちなみに未読)。
や、しかし。本書を読んだら、その「知り合いかと思えてきちゃう感 -
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<目次>
序章 芸人万能社会ニッポンのいま
~プロローグ 芥川賞作家・又吉直樹のその後
第1章 「アメトーーク」化する社会
~私たちの代表としての「〇〇芸人」
第2章 芸人万能社会の誕生
~1960年代~90年代初頭
第3章 芸人万能社会の展開
~1990年代初頭~現代
第4章 戦後日本の「世間」と「内輪ウケ社会」
第5章 「コミュ力」至上主義ニッポンと笑いのプロとしての芸人
<内容>
前半の「お笑い」の分析はわかりやすかった。筆者の言いたいのは、第4章、5章だが、まあ割と当たり前の分析。芸人の「空気読み」の力(これができないとまず芸は上手くてもテレビに残れない -
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SMAPのリーダーでもあり、スーパーアイドルでもある中居正広の芸能活動を通じて現在のジャニーズ、アイドルとは何かを社会学の見地から書いた一冊。
読んでいて、MC、俳優、アイドル、歌手、プロデューサーと多彩な才能を第一線で発揮する中居くんの凄さと共にそこには緻密に計算されたものやそこに至るバックボーンも本書で知ることが出来ました。
また、SMAPの名称の由来がジャニー氏のジャニーズ結成の根源になっていることやダンスしか指導しない方針であることなど知らない話も多くあり、ジャニーズ誕生の話にも触れられており、勉強になりました。
何気なくTVをつければ中居くんの姿はよく目にしますが、アイドル像が変 -
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ウケる
受け手が虚構の世界への全面的没入を留保するようになったとき、落語的笑いは根本から成立しにくくなる
天然ボケ 他者からの指摘があってはじめて笑いの対象になる。受けての積極的な関与が笑いを成立させる 落語→マンザイ
解体芸(吉本隆明) 芸のテレビ化においては、解体そのものが積極的な価値をもち、そこでは型の習得と洗練を目的とするような伝統芸は、逆に訴えるものを失ってしまう。しくじったときの振る舞い方もまた、解体の中に組み込まれてひろがっていく
コント55号 同じ所作の繰り返しを強要 ツッコミ(欽ちゃん)がボケ(狂気)になる 素人としての二郎さん
テレビというメディアが根底にもつ日常