元木泰雄のレビュー一覧

  • 源頼朝 武家政治の創始者

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    本書は、話題となった『河内源氏−頼朝を生んだ武士本流』(中公新書、2011年)の続刊。『河内源氏』も読んだが、当時書いた感想には「よくわからなかった」と書いてあった。「よくわからなかった」本の続刊を読む起動力となったのは、もちろん2022年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の影響が大きいが、同様に(あるいはそれ以上に)先日読んだ野口実氏の『源氏の血脈−武家の棟梁への道』が大変面白かったことがある。野口氏の『源氏の血脈』では為義、義朝、頼朝、そして義経が取り上げられていたが、本書はもちろん頼朝にフォーカスされたもの。以下、その構成(章タイトルのみ)。

    はじめに
    Ⅰ 頼朝の登場−河内源氏の盛衰
    Ⅱ 

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    2022年06月29日
  • 源頼朝 武家政治の創始者

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    ネタバレ

    奥州藤原氏の存在が大きくなった
    歴史って丁寧に調べた本を読むと、事件の連続等
    ではなく、時代の当事者が目の前の状況に応じて、
    周囲を睨みながら行動するのが理なんだと再認識
    藤原基成が平泉に流されながらも秀衡と協力して
    後白河法皇た清盛、そして治承4年以降の乱への
    舵取りする中での義経利用・・・歴史って面白い

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    2020年05月25日
  • 平清盛と後白河院

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    腑に落ちた。後白河院は胡散臭かった、コイツは場当たり的な対応でシバシバ悪手を打つクセに頼朝の評が独り歩きする。1155タナボタ即位。1156保元の乱で標的に。信西の権勢に二条親政派と院政派が呉越同舟した1159平治の乱、何故か清盛独り勝ち・・・信西・信頼等偏愛した寵臣が亡くなり二条派の嫌がらせに後白河はほゞ二条派の清盛に助けを乞い、経宗・惟方(信西を殺した首謀者)を清盛は排除し、信西の息子たちを復権させる。1161二条天皇憲仁親王立太子疑惑で後白河は近臣全て失い院政停止。1165天皇崩御で後白河復権、六条天皇即位。1166摂政薨去し後白河は摂政領を遺児(盛子後見=清盛後見)へ渡す裁量をして清盛

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    2019年12月17日
  • 平清盛と後白河院

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    ネタバレ

    メモ

    鳥羽院と崇徳院の仲はそこまで悪くなかったという説。重仁は必ずしも後継者から除外されていない。二条天皇とともに、美福門院の養子。

    近衛天皇の死後、重仁と守仁が後継者候補だが雅仁が中継ぎで即位。
    今様に染まり帝王教育を受けていないので未熟
    平氏も正室の子頼盛が清盛の存在を脅かした。

    待賢門院と閑院流(三条・西園寺・徳大寺氏)
    池禅尼は重仁の乳母
    後白河院と信西、藤原信頼(清盛は両方と縁戚)
    二条親政派の藤原経宗(忠実いとこ)、惟方の討伐
    信頼、源氏壊滅で平氏が軍事警察権を独占
    平治の乱後、急激に昇進するが、まだ権力を持てず上皇、天皇両属
    法住寺殿と蓮華王院
    関白藤原基実と清盛の連携、六

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    2012年03月25日
  • 河内源氏 頼朝を生んだ武士本流

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    1 河内源氏の成立
    2 東国と奥羽の兵乱
    3 八幡太郎の光と影
    4 河内現時の没落
    5 父子相克-保元の乱の悲劇
    6 河内源氏の壊滅-平治の乱の敗北
    むすび 頼朝の挙兵

    痛快な通史である。

    10世紀なかばの承平・天慶の乱からはじまり、治承・寿永の争乱の幕開けとなる頼朝挙兵に終わる河内源氏の栄枯盛衰の物語が本書である。

    中世の武士ほど、中等教育までの教科書と歴史学研究の乖離がはなはだしいものは少ないのではないか。武士とは貴族である、と本書は至るところで主張する。それすらも乖離のごく一例である。詳細はぜひ手にとって読んでいただきたい。

    本書を読めば、評者をはじめとする素人が、いかに通説的理

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    2011年12月27日
  • 河内源氏 頼朝を生んだ武士本流

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    源氏のみならず、武士の発生から鎌倉幕府成立直前までの武家の変遷を、まったく新しい視点から洗い直した一冊。大河「平清盛」放映前にこれを読めたことは幸運と言うほかなし。「源氏の血は荒っぽい」などと情緒的な見方は一切排除した推論方法はほかの時代にも応用出来そう。

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    2011年12月16日
  • 河内源氏 頼朝を生んだ武士本流

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    頼朝まで、河内源氏のあらましは波瀾万丈で読む分には興味深いが、当事者には溜まらない。貴族対武士という構図が成り立たず、貴族の後ろ盾と共に武士が成長していく様子がよく分かった。

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    2025年08月14日
  • 源頼朝 武家政治の創始者

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    頼朝の冷静さ、時には冷酷に見える所業も伺えるが、彼自身の困難な生き様を読むにつけ、時流を読み的確に判断する有能な為政者として、創始者として仰ぎ見られる存在と強く感心した。

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    2025年08月12日
  • 平清盛の闘い 幻の中世国家

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    角川ソフィア文庫 元木泰雄 「 平清盛 の闘い 」

    清盛が目指した幻の国家像〜貴族政権を解体し、王権に従属させる公武一体国家〜の試みを論じた本


    清盛の人生は、スピード出世して王権の中枢に位置し、クーデターを起こして 王権を掌握するも、すぐに病死して 平家もろとも滅亡。盛者必衰そのもの


    平治の乱(1159)から治承三年の政変(1179)までの清盛の盛者ぶりは、圧巻

    *平治の乱で 一人勝ちした清盛が、競合する軍事貴族や摂関政治を消滅させ、後白河院主導の政権を樹立

    *後白河院との協調により、王権と政情を安定させ、清盛に外戚の座、日宋貿易の成果をもたらす

    *建門寺院の僧侶を自在に動員

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    2023年11月21日
  • 源頼朝 武家政治の創始者

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    頼朝。

    頼朝の人生ってやりたくない。

    大学時代、この人を少し勉強して、よくノイローゼにならなかったなぁって思う。

    惜しむことは2代、3代に繋がらなかったこと。

    後継者の育成は難しい。

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    2023年05月27日
  • 保元・平治の乱 平清盛 勝利への道

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    関与した様々な勢力・人物の動向を整理し、乱の展開と歴史的な位置付けを明らかにしようとする内容。専制権力としての院政が解体され、多様な対立軸の中から平氏政権へと繋がっていく過程が興味深かった。

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    2023年03月28日
  • 河内源氏 頼朝を生んだ武士本流

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    河内源氏の祖頼信から、鎌倉幕府を開く頼朝の父である義朝までの河内源氏に関する通史。従来の研究では、平氏政権を打倒した源頼朝と東国武士との結びつきから遡行して源頼義・源義家との東国武士の絆が強調する「武家棟梁論」が支持されてきたが、その「武家棟梁論」に対する批判について多く書かれている。

    「武家棟梁論」とは、広汎な東国武士を組織した河内源氏の武将は、多くの地方武士を組織する武家棟梁となり、その発展によって鎌倉幕府が樹立されるストーリーだが、前九年合戦では東国武士の参戦はわずかに過ぎず、安倍氏に惨敗する程度の武力しかなかったこと、出羽からの清原武則の支援でようやく勝利できたことなど、東国武士の組

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    2022年03月01日
  • 河内源氏 頼朝を生んだ武士本流

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    ネタバレ

    坂東という田舎に、源氏の貴種が来ただけで
    ははーっと従うイメージで、ふわっとしてた
    実際は、何代もの開発領主が領地でモメなが
    ら中央の政局に振り回された結果、以仁王の
    令旨の出た時点で、蜂起せざるを得ない武士
    団がそこかしこに生まれていた(´・ω・`)

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    2021年10月05日
  • 保元・平治の乱 平清盛 勝利への道

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    保元・平治の乱を武士中心ではなく王家、貴族なども含めて描かれていた。
    特に平治の乱は通説である源平の対立としてではなく貴族の主導権争いとして興味深く読めました。

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    2020年09月03日
  • 河内源氏 頼朝を生んだ武士本流

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    骨肉の争いをしながら、繁栄と没落を繰り返した河内源氏について描かれている。
    頼朝助命の理由など色々なところで今まで自分が知っていたこととは違う解釈も多く面白かった。

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    2020年05月27日
  • 河内源氏 頼朝を生んだ武士本流

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    武家の棟梁?

    王権と自力救済の間で揺れ動きながら、栄光と没落、凄惨な骨肉の争いを経験した、実に劇的な一族河内源氏。

    源頼信が平忠常の乱、源頼義が前九年の役、義家が後三年の役を平定。→東国武士を結集し、「武家の棟梁」と称される地位を確立。→院や貴族に脅威を与えた河内源氏は、院と結んだ平氏による源氏勢力削減政策により不遇を極め、保元の乱と平治の乱を経て没落。→先祖が築いた基盤をもとに頼朝が鎌倉幕府を開いた。
    こういった歴史の教科書に載ってるような通説に対する検討をされています。

    ・貴族と武士は同じ支配者層であり、貴族と武士が対立関係にあったのではない。
    ・頼朝の隆盛の基盤は源平争乱の結果で得た領

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    2020年05月02日
  • 源頼朝 武家政治の創始者

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    言わずとしれた鎌倉幕府創設者の評伝。英雄視される義経と対置される事もあって、あまり良い印象を持っていなかったけれども、読み終わって評価を改めさせられた。朝廷政治との関わりなども含め、色々と興味深い内容でした。

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    2019年10月24日
  • 河内源氏 頼朝を生んだ武士本流

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    河内源氏の歴史を頼朝の挙兵まで概観する一冊。院や摂関家との歴代の関わりなど、平安後期における武士の在り方などが窺い知れて興味深かった。保元の乱や平治の乱の理解を深めるにも丁度良い内容でした。

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    2019年10月19日
  • 源頼朝 武家政治の創始者

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    歴史小説から、歴史書へ。

    伊東潤さんの『修羅の都』(頼朝と政子の話)から頼朝の生き様に興味がわき、歴史書へ。

    新書、面白い。簡潔で分かりやすく、濃い。

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    2019年06月29日
  • 源頼朝 武家政治の創始者

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    頼朝の本は初めて読みました。義経との関係性についてはわかったような理解しきれないような・・・何度か読み直してしっかり理解したいと思います。
    後継者問題や朝廷との関係など、後に家康はよく勉強していたのだと感じました。

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    2019年02月16日