服部龍二のレビュー一覧
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安倍元総理の政治家としての歩みを振り返る。安倍氏の政治家としての原点は祖父岸信介氏への畏敬にある。総理になる前からの強気の政治姿勢を改めて認識した。総理になってからの地球儀を俯瞰するような外交は誰もが評価するところだが、意外に個別の国との課題はどれも上手く行っていない。ロシア、中国、韓国、北朝鮮。必要以上に強気になったり、逆に変に妥協してしまったり、結果として失敗している。内政では官邸主導の強行姿勢が官僚の忖度を生み、モリカケサクラとスキャンダルを生んだ。安倍氏の長期政権は功罪あると思うが、保守派の政治家は評価する人が多い。この本では、アベノミクスの是非についてはあまり触れていないのが残念。
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日本における国際政治学の泰斗・高坂正堯の本格的評伝。高坂の主要著作、歴代首相のブレーンとしての活動を中心に生涯を辿り、戦後日本の知的潮流、政治とアカデミズムとの関係を明らかにしている。
高坂の主要著作を体系的に総覧しており、高坂の思想・学問の全体像や変遷を理解するのに適している。『国際政治』で説かれる「各国家は力の体系であり、利益の体系であり、そして価値の体系である」との指摘をはじめ、高坂の考えは、現代においても古びておらず、示唆に富んでいると感じた。
高坂は、理想主義やマルクス主義の全盛期に「現実主義」の立場から論壇に参画し、その後冷戦終結を契機として論壇の主流となる「現実主義」の先駆者となった。その一方、常に立場の異なる理想主義者等との対話を重視していたということを知り、現在の論壇には欠けている姿勢であると感銘を受けた。
また、高坂が、佐藤栄作政権のブレーンをがっつり務めていたというのは、本書を読んで初めて知り、興味深かった。
一方、高坂の国際情勢予測は外れることも多かったというのは、意外であった。高坂ほどの見識を有していても、いろいろな要素が複雑に絡み合う国際情勢を予測するというのは、なかなか難しいということなのだろう。
随所に、著者が京都大学法学部において実際に高坂と接したエピソードや、著者の近すぎず離れすぎずの距離感からの高坂への批評が盛り込まれているのも、面白かった。 -
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1972年の日中国交正常化交渉についての新書。日本側のメインプレイヤーだった田中角栄と大平正芳に加えて、橋本恕アジア局中国課長、栗山尚一条約局条約課長といった当時の外務省官僚たちのオーラルヒストリーを通じて語られている。懐かしの「プロジェクトX」のような内容で、いささかジャーナリスティック的な叙述であるが、抜群に面白かった。
日中国交正常化前夜
1971年7月15日の「ニクソン・ショック」により、アメリカは対中政策を大きく転換させた。日本への通告はニクソンの会見のわずか20分前であり、完全に蚊帳の外に置かれることになった。当時のアメリカ大使だった牛島信彦の回顧によると、当時の繊維貿易摩擦による日米間のこじれが、日本が蚊帳の外に置かれる背後にあったのではないかと推測している(P.35)
1972年7月7日に田中角栄内閣が成立する。角栄は始めから日中国交正常化に熱心であったと今では思われているが、田中が日中国交正常化に意欲を示したのは、総裁選勝利のために三木武夫を自陣に引き込む必要があり、実利的な側面が大きかったとしている。この時、中曽根康弘は日中国交正常化の断行を田中に呑ませることで総裁選立候補を辞退している。(P.46) 筆者によれば、
「もともと田中は、日中国交正常化を天下取りの一環に位置づけており、いざ首相になると二の足を踏んだのである。有り体にいえば、田中はぶれていた。」(P.61)
との事である。田中以上に日中国交正常化に執着していたのは盟友であった大平正芳(当時外相)であった。クリスチャンであった大平は中国に対して贖罪意識があったようだ。
1972年7月27日に竹入義勝(公明党委員長)と周恩来が会談。会談内容を書いた「竹入メモ」を叩き台として、日中共同声明案が作られた。橋本恕中国課長が共同声明案の骨子をメモに書き出し、条約局の高島益郎局長と栗山尚一課長が案文を作成した。ここで注目しておきたいのが、外務省内のチャイナ・スクールが日中国交正常化交渉から完全に排除されている点である。橋本の上司である吉田健三アジア局長は政策決定から外されており、それ以外にもチャイナ・スクールの小川平四郎外務省局長や岡田晃香港総領事も排除されている。日米関係より日中関係を重視するチャイナ・スクール北京派を排除して、日中国交正常化はサンフランシスコ体制内で処理されたということである。日中国交正常化において、外務省内の橋本恕、栗山尚一といった課長クラスが中心的な役割を果たした。(P.76-P.82)
日中国交正常化交渉
日中国交正常化協議会の会合において自民党内タカ派の突き上げがあったり、党内の長老だった椎名悦三郎を特派大使とした議員団の訪台を経て、1972年9月25日からいよいよ日中国交正常化交渉が始まる。この辺の記述は多くの当事者の証言が引用されており、スリリングだった。角栄が行った「ご迷惑」スピーチは周恩来を激怒させたことで有名だが、橋本の回想によると、角栄のスピーチ内容は橋本がすべて書いたものであり、スピーチ内容の翻訳はあらかじめ翻訳されて中国に渡され会場に配布されていた。周恩来はスピーチ内容を知っており、周が激怒したのはある種のブラフであったとしている。(P.150)
日中国交正常化交渉において、もっとも問題になったのは、日本の対中損害賠償問題よりは台湾問題であった。台湾の取扱に関しては、日中共同声明の第三項において、「中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本政府は、この中華人民共和国の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する」という双方妥協的な内容で合意している。日本側としては、台湾は中国の領土の「不可分の一部」であると認めているが、中国の武力統一は認めておらず、飽くまで話し合いによる解決を志向しているというものである。また尖閣諸島問題に関しては棚上げがなされた。これは当時、中国側がソ連の脅威を意識しており、周も日本とは早めに妥協したい本音があったとしている。(P.168)
終章では、日中正常化交渉の総括が成されている。中国の復交三原則は、①中華人民共和国は中国唯一の合法政府である。②台湾は中華人民共和国の領土の不可分な一部である。③「日蒋条約」(日華平和条約)は不法であり、破棄されなければならない。といったものであった。栗山の回想によると、日本からすると中国の第二、第三原則を承認したわけではないし、周もその点を理解していた。また大平の国会答弁を見ると、武力による統一までは容認していないことが、「基本的には」の含意だったと結論付けている。(P.194) (P.206)
筆者は、台湾問題や尖閣諸島問題といった課題も残されたが、田中角栄・大平正芳コンビが内閣を作っていた1972年が日中国交正常化交渉の絶妙なタイミングであり、この時でないと日中国交正常化は成し遂げられなかったと結論づけているが、同意見である。本書は矢吹晋による激烈な批判があるが、日中国交正常化交渉を知るにはマストな本だろう。オススメです。
評点 8点 / 10点 -
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現実主義者・高坂正堯の若き頃からの秀才ぶり、父・正顕からの伝統をひく京都学派としての顔。そして東大のこれまた若き秀才・坂本義和との対話が面白い。理想主義者・坂本の高坂評は「空襲を経験していないため、戦争の苦労を知らない高坂」とのこと。高坂の坂本や丸山眞男への丁寧な態度は頭が下がるところ。そして晩年62歳で癌のため死去した際の弟・節三や母との別れのシーンが感動的だった。そして多くの弟子たちに愛された様子も。私には若き日の佐藤栄作首相のブレーンとしての活躍が御用学者に見えたものの、この人は主張すべきことをしっかり主張していた信念の人だった。文明史家としてのこの人の情熱を感じ、伝説的な巨人であった素顔を知ることができたように思う。高坂が森本哲郎「ある通商国家の興亡」の解説に書いたという言葉が印象的とのことであり、最後に引用したい。「解釈にはセンスと勇気とを必要とする。その勇気がないのか、それとも事実の発掘が研究者を疲れさせるのか、あるいは専門化が進行したことがセンスを失わせるのか、面白くもなく教訓を汲み出すこともできない歴史書が多すぎる」高坂自らの著書に対する自信の言葉だ!
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「大統領的首相」を標榜して昭和の最後に約5年間首相を務めた中曽根康弘の評伝。中曽根へのインタビューや中曽根の著書・日記をベースとしつつも、同時代の他の政治家による中曽根に対する評価を記した史料等も用いながら、中曽根を現代日本政治史の中に位置付け、その半生をできる限り客観的に描いている。
中曽根の半生をたどることは、まさに戦後の日本政治史をたどることであると感じた。パフォーマンス重視や風見鶏という批判は、一面では当たっていると感じたが、傍流の小派閥の長として、首相にまでのぼりつめようと思ったら、ある程度は仕方のないことだったのだろうとは思う。
中曽根が政治家として優れている点として、野党時代や不遇の時代に勉強をに努めたり、外遊を重ねるなど、その後に表舞台に立つときに備えていたということが挙げられると感じた。
また、憲法改正にこだわるなどタカ派のイメージが強かったが、中国をはじめとするアジア諸国への配慮に心をくだくなど、いわゆるタカ派のイメージそのままではない一面も知ることができた。
新書ということで分量的に仕方のない部分はあると思うが、一つ一つのエピソード(三公社民営化、靖国公式参拝問題など)の掘り下げが少し足りないかなと感じた。また、まだ存命の人物という点で難しいのは重々承知だが、最後にもう少し著者なりの中曽根に対する全体的な評価を示してくれれば、なおよかったと思う。 -
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城山三郎の『落日燃ゆ』により「悲劇の宰相」として知られる広田弘毅について、歴史学的手法により、その実像を客観的に描いている。
広田は決して好戦的な外交官・政治家ではなかったが、軍部に抵抗する姿勢が弱く、部下の掌握もできず、ポピュリズムにも流されがちであったことがわかる。本書で描かれる広田からは外交官・政治家として「こうしたい」という強い意思が感じられなかった。東京裁判での死刑は重すぎたかもしれないが、戦争拡大において、やはり広田の責任は免れえないと思う。
本書で指摘されているが、外交に携わる者は、国家が重要な岐路に立つときほど、うつろうやすい世論やポピュリズムとは距離を保たなければならないと感じた。 -
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1980年代の歴史教科書問題以降の歴史認識問題について、日本外交の視点から政策過程を分析している。「読者のために材料を整理して提供したい」という著者の言葉のとおり、中曽根内閣の靖国神社公式参拝問題や、従軍慰安婦問題、村山談話の発表など、歴史問題のトピックスについて、著者の私見は基本的に排され、その経緯が淡々と描かれている。歴史認識問題を考えるうえでの基礎文献であるといえる。
特に、村山談話の作成過程は非常に興味深かった。村山談話は官邸主導によるものとされてきたが、外務省も少なからず役割を果たしており、村山談話は対外政策として長期的な視野に立って作成されたものだったという。その後、歴代内閣に踏襲され、「日本政治の共通言語」になってきたことを考えると、著者の指摘するように、村山談話は、「和解政策として完成度の高い談話」であったといえると思う。この村山談話と比較したときに、戦後70周年の安倍談話は果たしてどうだろうかと思う。
新書という分量の問題もあろうが、歴史認識問題の経緯について、本書だけではよくわからないことも少なからずあった。特に、近年、領土問題も絡んで、日中、日韓関係の緊張が80年代~90年代に比して高まっているのはなぜかということは今一つつかめなかった。本書は基本的に日本外交の観点から見た歴史認識問題なので、中国側、韓国側、それぞれの国内情勢も踏まえた観点から歴史認識問題を見ることも必要だろう。