あらすじ
一九七二年九月、戦後三〇年近く対立していた中国と国交が結ばれた。この国交正常化交渉は、その後も続く歴史認識、戦争賠償、台湾問題、尖閣諸島など日中関係の論点が凝縮されていた。また冷戦下、アメリカとの関係維持に腐心しながら試みられたものだった。本書は、外交記録、インタビューなどからこの過程を掘り起こし、政治のリーダーシップに着目し、政治家、官僚たちの動きを精緻に追う。現代史を探る意欲作。
...続きを読む感情タグBEST3
Posted by ブクログ
最近、田中角栄のことが気になってBOOKOFFオンラインで関連書籍をまとめ買い。その中の1冊。
日中国交正常化の年は1972年。奇しくも私が生まれた年だ。高校生の時に世界史で習った時にはなんとも思わなかったが、今は「そうなんだな」と思う。自分がこういう本にも興味を持つようになったことが感慨深い。
中国と国交を持つということは台湾(中華民国)と断行することを意味する。戦争の賠償を放棄した台湾の蒋介石への恩義への裏切りになる中、中国での田中角栄と周恩来の駆け引き。下手な小説を読むよりずっと面白い。エピソードから田中角栄の人物像も少し知れた。
高校3年生の時、どうしても世界史を学びたい先生がいて文転した。今学ばなければいつか後悔する、そう思った。紆余曲折あったが、今先生に習ったことが活きている。それで食っているわけでも、世の中に影響を与えているわけでもないけれどいいのだ。ただ世の中に対する理解が少し深まっただけで。
Posted by ブクログ
田中、大平が優れたリーダーシップを発揮できる状況にあったこと、周恩来、蒋経国といった乱世を生き抜いた傑出した指導者が交渉相手だったこと、様々な条件が重なり、日中国交正常化という大事業が成し遂げられた。
Posted by ブクログ
豪放な田中角栄と緻密な大平正芳という全くタイプの異なる二人の政治家が主導して成し遂げた日中国交回復。しかしリーダーの田中は「外交のことは分らん、大平君、君にまかせる。しかし責任は全部俺がかぶる」と腹をくくる(p216)。そして政と官との関係では、上が下を信頼し、下も上を信頼して、一点の目的のために仕事をする(p217)という体制があった。ソ連の脅威という時代背景はあったにせよ、中国は対日賠償請求権を放棄し、田中は(「ご迷惑発言」による混乱はあったものの)率直に戦争責任を認め、大平も中国に対する深い贖罪意識を持っていた。また田中が尖閣に言及すると、周恩来は「今、これを話すのはよくない」とその場での議論を避けたという(p168)。日本の政治や政治主導のあり方、日中の関係において、現在では考えられないような状況が50年前にはあったということ。貴重な現代史だと思う。2011年刊行。
Posted by ブクログ
近隣国との摩擦について、今に至った経緯を改めて顧みる為の一冊。ややもすれば即物的に判断しがちであるが、過去の(特に中国、台湾、韓国、及びアメリカとの間の)外交においての”agree to disagree”という知恵が、ここに至る日本の外交的地位を支えてきたことは厳然たる事実であり、それを否定するのであれば、それに置換しうる枠組みを実現できる政治・外交・軍事的な裏付けを以ってして否定すべきで、それ無しに感情的に反対するのは、徒らに国益を損ねることになることに、留意すべきだと、改めて感じた。昨今、外交について安易な言質が持て囃されるが、その代償を支払うのは、政治家でも外交官でも言論人でもなく、自衛官や海上保安官、警察官、そして一般の人々なのだ。
Posted by ブクログ
田中首相と大平外相のすばらしさがわかる。
日中国交正常化交渉において、チャイナスクールは排除されていた。アメリカとの関係を重視した上での日中国交正常化だった。
田中総理は訪中してからは大卒に交渉を任せて暇で漢詩を作っていた。
周恩来は佐藤内閣から田中内閣に変わったことで、佐藤内閣のことはあなたたちのせいではないというスタンスに。
Posted by ブクログ
目標に向かって大きな絵を描き仕事は下に任せ自らは責任を取るリーダー(田中角栄)がいて、性格の違う補佐役(大平正芳)がそれを支え、専門家集団が細部を埋めていく。その見事な連携ぶりが物語のように語られている。政治主導ってこういうことを言うんじゃないかなと考えさせられた。
Posted by ブクログ
一読ではなく、何度でも読み返すべき良書だ。いままさに激しく対立する日中関係の原点を学べると同時に、田中角栄首相、大平正芳外相の政治力を通じて、政治主導とは何か、政治家とは何かについて、史実から語りかけてくる。政治不信、日中対立が激しい今こそ、ぜひとも読むべき一冊である。
Posted by ブクログ
非常に面白かった。日中国交正常化にいかにして田中と大平が対応したのかがわかる。そして、それを実現するのは両者のリーダーシップに強くよることが明らかにされている。読後感は非常にすっきりとしたもpのであったが、現在の政治家が非常に小さく見えた。
Posted by ブクログ
大変濃い内容。これらの過去を知らずに今のそれぞれの国との関係を語ることはできないと思う。このような本を題材に学校の授業をすればいいと思うのだが。
Posted by ブクログ
日中の国交正常化について田中角栄首相、大平正芳外相(いずれも当時)ら政治家と官僚のドキュメンタリー。
国交回復の前提と台湾との断交、国内の反対、そして1978年の日中共同声明にいたるまでの過程を資料と当事者(主に官僚)のインタビューから再現している。途中問題が起こり、日中、日華が一触即発になっても田中と大平は官僚をうまく使いこなし、官僚も実務と工作に明け暮れたことが肉声でよくわかった。一方で中国側の声も書かれているので、日中双方の認識がわかる。
他の方のレビューの通り、日中の国交回復に反対した台湾を除き、アメリカやソ連など近隣諸国の見解を知りたかった。現在も日中の問題は山積しているが、真の「政治主導」とはこういうことかと感じた。
Posted by ブクログ
1972年の日中国交正常化交渉についての新書。日本側のメインプレイヤーだった田中角栄と大平正芳に加えて、橋本恕アジア局中国課長、栗山尚一条約局条約課長といった当時の外務省官僚たちのオーラルヒストリーを通じて語られている。懐かしの「プロジェクトX」のような内容で、いささかジャーナリスティック的な叙述であるが、抜群に面白かった。
日中国交正常化前夜
1971年7月15日の「ニクソン・ショック」により、アメリカは対中政策を大きく転換させた。日本への通告はニクソンの会見のわずか20分前であり、完全に蚊帳の外に置かれることになった。当時のアメリカ大使だった牛島信彦の回顧によると、当時の繊維貿易摩擦による日米間のこじれが、日本が蚊帳の外に置かれる背後にあったのではないかと推測している(P.35)
1972年7月7日に田中角栄内閣が成立する。角栄は始めから日中国交正常化に熱心であったと今では思われているが、田中が日中国交正常化に意欲を示したのは、総裁選勝利のために三木武夫を自陣に引き込む必要があり、実利的な側面が大きかったとしている。この時、中曽根康弘は日中国交正常化の断行を田中に呑ませることで総裁選立候補を辞退している。(P.46) 筆者によれば、
「もともと田中は、日中国交正常化を天下取りの一環に位置づけており、いざ首相になると二の足を踏んだのである。有り体にいえば、田中はぶれていた。」(P.61)
との事である。田中以上に日中国交正常化に執着していたのは盟友であった大平正芳(当時外相)であった。クリスチャンであった大平は中国に対して贖罪意識があったようだ。
1972年7月27日に竹入義勝(公明党委員長)と周恩来が会談。会談内容を書いた「竹入メモ」を叩き台として、日中共同声明案が作られた。橋本恕中国課長が共同声明案の骨子をメモに書き出し、条約局の高島益郎局長と栗山尚一課長が案文を作成した。ここで注目しておきたいのが、外務省内のチャイナ・スクールが日中国交正常化交渉から完全に排除されている点である。橋本の上司である吉田健三アジア局長は政策決定から外されており、それ以外にもチャイナ・スクールの小川平四郎外務省局長や岡田晃香港総領事も排除されている。日米関係より日中関係を重視するチャイナ・スクール北京派を排除して、日中国交正常化はサンフランシスコ体制内で処理されたということである。日中国交正常化において、外務省内の橋本恕、栗山尚一といった課長クラスが中心的な役割を果たした。(P.76-P.82)
日中国交正常化交渉
日中国交正常化協議会の会合において自民党内タカ派の突き上げがあったり、党内の長老だった椎名悦三郎を特派大使とした議員団の訪台を経て、1972年9月25日からいよいよ日中国交正常化交渉が始まる。この辺の記述は多くの当事者の証言が引用されており、スリリングだった。角栄が行った「ご迷惑」スピーチは周恩来を激怒させたことで有名だが、橋本の回想によると、角栄のスピーチ内容は橋本がすべて書いたものであり、スピーチ内容の翻訳はあらかじめ翻訳されて中国に渡され会場に配布されていた。周恩来はスピーチ内容を知っており、周が激怒したのはある種のブラフであったとしている。(P.150)
日中国交正常化交渉において、もっとも問題になったのは、日本の対中損害賠償問題よりは台湾問題であった。台湾の取扱に関しては、日中共同声明の第三項において、「中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本政府は、この中華人民共和国の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する」という双方妥協的な内容で合意している。日本側としては、台湾は中国の領土の「不可分の一部」であると認めているが、中国の武力統一は認めておらず、飽くまで話し合いによる解決を志向しているというものである。また尖閣諸島問題に関しては棚上げがなされた。これは当時、中国側がソ連の脅威を意識しており、周も日本とは早めに妥協したい本音があったとしている。(P.168)
終章では、日中正常化交渉の総括が成されている。中国の復交三原則は、①中華人民共和国は中国唯一の合法政府である。②台湾は中華人民共和国の領土の不可分な一部である。③「日蒋条約」(日華平和条約)は不法であり、破棄されなければならない。といったものであった。栗山の回想によると、日本からすると中国の第二、第三原則を承認したわけではないし、周もその点を理解していた。また大平の国会答弁を見ると、武力による統一までは容認していないことが、「基本的には」の含意だったと結論付けている。(P.194) (P.206)
筆者は、台湾問題や尖閣諸島問題といった課題も残されたが、田中角栄・大平正芳コンビが内閣を作っていた1972年が日中国交正常化交渉の絶妙なタイミングであり、この時でないと日中国交正常化は成し遂げられなかったと結論づけているが、同意見である。本書は矢吹晋による激烈な批判があるが、日中国交正常化交渉を知るにはマストな本だろう。オススメです。
評点 8点 / 10点
Posted by ブクログ
交渉に先立つハワイでの会談。そこにロッキードの萌芽があったことを、この後のこの国の政治史の痛みとして痛感する。
それから、台湾へ特使として向かった椎名悦三郎の破天荒な振る舞い。この政治家については、椎名裁定のことしか印象になかったが、ここでも歴史をかき回していたのかと、微笑む。
Posted by ブクログ
田中、大平両氏を見直すことになろうとは思ってもみなかった。現在このような政治家が日本にいるのであろうか。
また、中華人民共和国にしろ、中華民国にしろ、当時の指導者にはとても立派な人物が存在していたのだ。
中華思想に寛容という言葉があるのであれば、きっとこのときの両国の指導者が取った態度なのであろう。
Posted by ブクログ
新書は読みづらくてあまり好きじゃないけど、この本はわりと読みやすかった。
歴史の瞬間に立ち合った人は本当にすごい。
後世には首相と外相の名前しか残ってないかもしれないけど、官僚の力あっての外交だったことがわかる。
正直田中角栄とか、はっ って(鼻で笑いたくなる)感じだけど、それでもリーダーとしての素質は群を抜いていたのも伝わりました。
Posted by ブクログ
日中国交正常化は1972年、私の生まれる3年前。そのころの政治家は強いリーダーシップを発揮していたのだということが分かる一冊。田中角栄を例に挙げるまでもなく、政治家には功罪が伴うのだろうが、少なくとも存在感は今の人と比べて格段に違う。
Posted by ブクログ
日台断交から日中国交正常化へ向かう情景をスリリングに描いた外交史.外務省公開文書や国会議事録などの一次史料を駆使した力作。学者の著作だが、会話が多用され、新書好き読者にやさしい。
Posted by ブクログ
田中角栄、大平正芳と、あのころの日本は存在感のある政治家がいたんだなと、痛感。あのころのはなたれ小僧に将来の夢は、と問えば、野球選手とともに総理大臣っていう声があったような気がする。政治に政治家にまだ希望のあった時代なのかもしれない。
Posted by ブクログ
日中国交正常化を膨大な史料を基に、新書ながらドキュメンタリー風に描いた労作。
田中角栄首相、大平正芳外相の「大角コンビ」を中心にして、官僚と協力しながら国交正常化の道を拓いたことがよくわかる。
決断し責任を取って実行する田中、準備の周到さと思慮深い思考の大平。筆者はふたりをそれぞれ「決断実行型リーダーシップ」「熟慮調整型リーダーシップ」とし、優れた指導力を評価している。また知識を持ち下支えをした官僚たちの大切さも忘れない。「田中と大平の指導がなければ、いつ中国と国交正常化できたかわからない。二つのリーダーシップが共振して官僚たちを使いこなしたとき、ようやく国交は樹立されたのである」(p.217)。
個人的には、日中国交正常化というのが日中の間の問題というより、日本にとっては台湾また国内の問題として、一方中国にとってはソ連との問題として強く現れていたというのが興味深かった。つまり前者は1952年日華平和条約との整合性ー中国と国交を開くことがそのまま台湾との国交を断絶することになるー台湾への配慮の問題として。後者はソ連への脅威の対抗の問題として。
また外交というものが、声の大きな者が勝つというものでなく、お互いの面子をいかに立て、納得したかたちで収めるというものであることが確認できよかった。
現代日中の交流のスタート点である国交正常化なので、基礎教養として読んでおいてよい一冊だと思う。
Posted by ブクログ
【54冊目】前々からちゃんと知りたいと思っていた日中国交正常化。その過程を追った本。歴史の今日的な意味・教訓を得ることに主眼を置いた構成となっており、かなり勉強になる。中国に関するニュースの見方が変わった。
メモ:日中米における台湾問題の重要性//ご迷惑スピーチ//自民党内の親中派と親台派の対立。何かを成そうとするとき、敵は外にだけいるわけではない。//田中首相と大平外相の役割分担。特に、田中の大平への任せっぷり。//日米関係を主軸とする日本外交←アメリカの影
本当に勉強になる良書!新書だから、「深く知りたい」「もっと知りたい」という欲求には応えられないという短所はあるけれど。
だけど、大体の正常化の過程はつかめると思う。正常化の今日的な意義を読者に提示しようとする筆者の一貫した視点は、本書の読みやすさにかなり貢献しているように思う。
Posted by ブクログ
大変勉強になった。学者の著作としては,すこし劇画調なきもするが,であるが故に読みやすかった。
外務省の中で誰がどのような役割を担ったのかについて,また,国際的な交渉での交渉当事者の胆力と事前の準備の必要性についてが伺える作品。
Posted by ブクログ
読み進めるのに、少し時間がかかった。
戦後の日本、世界の情勢を知らなかったので、細かな交渉駆け引きなどは、正確に理解出来てないと思う。
当時の政治指導に長けた人物の描写はわかりやすく面白かった。
こんな政治家が、今いないのが残念。
Posted by ブクログ
1972年の日中国交正常化交渉の実証的研究。巷説に相違して、外務省のいわゆる「チャイナ・スクール」(北京派)は交渉過程から排除されていたこと、日本側は日米安保体制との整合性に腐心し、中国側は「歴史問題」よりも台湾問題を重視していたことなどを強調している。この時期だとさすがに使える一次史料が少なく、回想やインタビューなどの二次史料中心なので、史料状況の改善により今後本書の内容は更新されていくだろうと思われる。
Posted by ブクログ
中国に関する書籍、2冊目。知れば知る程、勉強のしがいがある国、分野だ。この本を通して、どのように国と国との関係が構築されていくか、政治的な面から分かる本、また官僚や政治家の動きについても分かってきた。
そろそろ日本近代、現代史読もうかな
Posted by ブクログ
あおい書店で購入する。正直、期待はずれでした。別に、悪い本ではありません。僕の期待値が高すぎただけです。興味を持ったのは日本側の問題です。中国畑の人物は外されていたことです。主導権を持ったのはアメリカとの関係が深い人物ばかりです。偶然ではありません。政治家が意図したものです。これは意外でした。
Posted by ブクログ
オーラル・ヒストリーをふんだんに使って、田中角栄と大平正芳のリーダーシップに焦点をあて、日中国交正常化の過程を描いている。多方面への気配り・配慮の重要性、政治においては「言葉遊び」も大切であることなどを再認識。