服部龍二のレビュー一覧
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歴史認識問題の初期から現在までの流れを、外交関係に焦点を当ててまとめている。飽くまでも外交交渉がメインであり、国内の政治過程はオマケ程度。分かりやすい筆致で書かれているため、読みやすい。
歴史認識問題が顕在化してしまう要因としては、技術革新、経済発展などが考えられるが、現在は領土ナショナリズムが歴史認識問題と結び付けられてしまう最悪な状況である。領土的野心を中国が持っているため、それなりの対応をしなければならないから、タチが悪い。
歴史認識認識問題を打開するには、理性を持って双方ともに自制するのが必要であるが、そんなんできるの?というのが専らの感想。 -
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日韓関係、日中関係がもうずいぶん長い間こじれてしまっていますが、なぜこのようになってしまったのかについて、イデオロギー抜きで客観的に記述してくれているものはないのかと思っていたところ、新聞書評で今年1月に出版されたこの本が取り上げられていたので、早速読んでみることにしました。
歴史教科書問題、靖国神社公式参拝問題、従軍慰安婦問題、村山談話の経緯や日本の対応と韓国・中国の反応、近年の状況、これからの見通しと、必要な情報がコンパクトながらわかりやすくまとまっており、非常に勉強になりました。
これを読むと改めて、日本人の立場としては、これまでもかなり何度も「総理による公式な謝罪」は言っているし、歴史教科書の記述ではずいぶん譲っているし、従軍慰安婦への保障も法的に可能な範囲でできることはやってきているように思われるのですが、それがなかなか理解されていないのだなという印象を受けます。それらの対応を「自虐史観」として否定する言論が国内に現に有力にあって、それらも同時に伝わってしまっているためなのでしょう。
この本の結論にもありましたが、「相互理解」を双方の国民のコンセンサスとするのはとても一筋縄では行かず、まだまだ末永い辛抱強い努力が必要なようです。 -
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1945年の日本の敗戦は270万人とも310万人とも言われる膨大な日本人の死者をもたらした「失敗の歴史」であると思う。1930年代以降の日本の歴史の中のどこから過ちを犯したのかとの疑問を常々思っていたが、その答えを知る上で本書は高く評価出来ると思えた。
「広田弘毅」は、東京裁判で文民指導者として唯一絞首刑となった「悲劇の宰相」としてよく知られているが、歴史的人物としては2線級と言っては失礼だろうが現在一般的に、詳細に知られているとはいえないと思う。
しかし、本書で語られる「広田弘毅」の足跡は、激動の日本における主要人物として、重要な歴史の分岐を采配できる位置と立場にあったことがよくわかる。
そして、その采配が誤っていたからこそ、日本が1945年の敗戦という「帝国の瓦解」に追い込まれたといえるのだろう。確かに「広田弘毅」は日本の歴史的責任者の重要なひとりなのである。
本書による政治家としての「広田弘毅」の「日中提携政策」や「大陸政策」の取り組みや、その「破綻」の詳細な経過を読むと「決断力の不足」「優柔不断」「迎合」という言葉が思い浮かぶ。
本書はその理由にまで踏み込み、「合理的思考のエリート外交官と玄洋社のメンバーという国士の二つの顔」と考察しているが、この価値観の共存が国家の瀬戸際の決断に際しブレを生んだ可能性は高い。やはり政治家というのは「愚直」と言われるぐらいに断固として決断しなければならない時期があるのだろう。
「広田弘毅」は、その1933年(昭和7年)の外相就任後においては「軍部と妥協」した結果「大陸政策」に失敗し、1936年(昭和11年)の二・二六事件後の首相就任後においての「粛軍」にも目に見える成果等を得ることは全くできず、「陸軍」への「妥協」「迎合」に終始した印象が深い。
とりわけ、広田弘毅が1936年(昭和11年)に陸軍からの圧力で受け入れた「軍部大臣現役武官制」はその後も軍部が気に入らない総理を引きずりおろす道具とされたが、本書によると「広田弘毅」は「現役武官制を認める交換条件として広田は、首相が陸相を選任できるように改めたいと提案し、寺内から内諾を得たようである・・・だが、その交換条件は結局うやむやになった」とある。
要は「陸軍」に「食い逃げ」されたのだろう。「詰めの甘さが広田らしい」とあるが、影響の大きさを考えると、政治家としてあるまじき失態である。
その後の日米戦争時においても「重臣」として様々な影響力を保持していたにもかかわらず、積極的に活動した形跡は見当たらない。
これでは本書で「不作為の罪」と指摘されても当然である。「広田弘毅」は日本が陸軍に引きずられて破綻に追い込まれる過程でブレーキをかけられる地位と立場にあったにもかかわらず傍観したのだ。
東京裁判で「広田弘毅」が「陸軍」への「積極的な追従者」と断罪されたことには、アメリカをはじめとした戦勝国が裁く資格はあるのかとの思いは持つが、やはり本書の詳細な経過を読むと「広田弘毅」は「1930年代以降の日本の失敗」の重要な責任者のひとりと言えるのではないかと思えた。
「広田弘毅」自身も自らの責任を自覚していたのだろう。東京裁判にあたって「一切の弁解をしないつもりでいる」「自分には責任はあります」と語り、証人として登壇を拒否するなど日本的美徳の姿勢を見せたが、歴史に責任のある政治指導者としてどうであったか。むしろ積極的に話すことによって、「過ち」を歴史に刻むべきではなかったのかとの思いをもった。
2012年の現在、「尖閣列島」をめぐる日中関係の悪化がマスコミを賑わしているが、日中関係においては、いまだ1930年代から続く「大陸政策」は過去のものとはなっていないのである。そういう意味で本書は、過去の歴史から現在まで続く「歴史認識」を深めることができる良書として高く評価できると思う。少なくとも今までに読んだ多くのこの時期の本よりも本書は時代の雰囲気が見えた思いがした。 -
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日中国交正常化を膨大な史料を基に、新書ながらドキュメンタリー風に描いた労作。
田中角栄首相、大平正芳外相の「大角コンビ」を中心にして、官僚と協力しながら国交正常化の道を拓いたことがよくわかる。
決断し責任を取って実行する田中、準備の周到さと思慮深い思考の大平。筆者はふたりをそれぞれ「決断実行型リーダーシップ」「熟慮調整型リーダーシップ」とし、優れた指導力を評価している。また知識を持ち下支えをした官僚たちの大切さも忘れない。「田中と大平の指導がなければ、いつ中国と国交正常化できたかわからない。二つのリーダーシップが共振して官僚たちを使いこなしたとき、ようやく国交は樹立されたのである」(p.217)。
個人的には、日中国交正常化というのが日中の間の問題というより、日本にとっては台湾また国内の問題として、一方中国にとってはソ連との問題として強く現れていたというのが興味深かった。つまり前者は1952年日華平和条約との整合性ー中国と国交を開くことがそのまま台湾との国交を断絶することになるー台湾への配慮の問題として。後者はソ連への脅威の対抗の問題として。
また外交というものが、声の大きな者が勝つというものでなく、お互いの面子をいかに立て、納得したかたちで収めるというものであることが確認できよかった。
現代日中の交流のスタート点である国交正常化なので、基礎教養として読んでおいてよい一冊だと思う。 -
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ネタバレ【54冊目】前々からちゃんと知りたいと思っていた日中国交正常化。その過程を追った本。歴史の今日的な意味・教訓を得ることに主眼を置いた構成となっており、かなり勉強になる。中国に関するニュースの見方が変わった。
メモ:日中米における台湾問題の重要性//ご迷惑スピーチ//自民党内の親中派と親台派の対立。何かを成そうとするとき、敵は外にだけいるわけではない。//田中首相と大平外相の役割分担。特に、田中の大平への任せっぷり。//日米関係を主軸とする日本外交←アメリカの影
本当に勉強になる良書!新書だから、「深く知りたい」「もっと知りたい」という欲求には応えられないという短所はあるけれど。
だけど、大体の正常化の過程はつかめると思う。正常化の今日的な意義を読者に提示しようとする筆者の一貫した視点は、本書の読みやすさにかなり貢献しているように思う。 -
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中央大学総合政策学部准教授・服部龍二による1930年代に首相・外相を務めた広田弘毅
の批判的評伝。
【構成】
序 章 二つの顔
第1章 青年期-福岡から霞ヶ関へ
第2章 中国と欧米の間-北京・ワシントン・モスクワ
第3章 外相就任と協和外交-対中国政策の理念と迷走
第4章 首相の10ヶ月半-陸軍との葛藤
第5章 「国民政府を対手とせず」-日中戦争初期の外相
第6章 帝国日本の瓦解-一重臣として
第7章 東京裁判-積極的な追随者の烙印
終 章 訣別
皆が皆ではないだろうが、本書を手に取るような人の多くは城山三郎の『落日燃ゆ』を読んだことがある人ではないだろうか?そして、小説の主人公である「悲劇の宰相」広田の毅然とした態度と悲劇的な結末に同情を寄せる人が少なからずいるだろう。無論私自身も、そのような読者の一人であるわけだが、そうではあっても初めて読んだ高校生の時から、「それならばなぜ広田の時期に防共協定が結ばれ、軍部大臣現役武官制が復活したのか?」というような疑問が頭から離れなかった。
本書の著者服部も、城山の小説を読み「悲劇の宰相」広田のイメージを抱いたことのある一人であった。しかしその副題からわかるように、この評伝は小説のイメージを、史料に基づく実証研究によって、大きく覆す内容である。
史料から浮かびあがる広田像は、国士的思想家であり、政党政治に対しても懐疑的な立場を持つ外交官であった。そして、外交スタイルにおいても外務省内のポジションにおいても、1920年代に主流派を形成した親英米協調外交の幣原派とは一線を画す立場であった。
広田の本領は対中国、対ソ連外交であり、強硬路線ではなく両国と宥和的関係を築くことが日本の大陸経営に益となると考えていた。そのため岡田・斎藤内閣の外相を務める中で、蒋介石国民党との関係改善に邁進した。
しかし、結果的には広田の宥和路線は陸軍の大陸政策と相容れず、かえって反発を招き外務省の立場を貫くことを難しくした。そして、広田の元来のアジア主義的な思想は、容右翼的、容軍国主義的な立場と親和性を持ち、結果として2.26以後の「粛軍」と「外交一元化」という外交官出身の首相に求められた責務を果たすことができなかった。
本書では、1936年以後の広田には特に手厳しい。広田が陸軍に対する毅然とした態度をとらず、無為無策・無気力にして軍部の意向に唯々諾々と従う閣僚としての怠慢を指摘する。そして、最終的にはそのような確固たる政治的行動のなさが戦後の軍事裁判における死刑判決へとつながっていくわけである。
本書は、単なる感情論ではなく資料的な実証によって、宰相・外相の広田の採点をしようというものであり一定の信頼性を担保する研究であるだろう。しかしながら、本書の史料の扱い方にはややバランスを欠く部分があると感じられる。それは、広田の周りの人間の証言録や外務省公開の公文書などについては、数多く引用されているが、広田自身の言動や文章、手紙等がほとんど提示されていないという点である。石射猪太郎や原田熊雄の日記などはともかく明らかに戦後になって出版された著作から、何の留保もなく引用することは事実そのものを抽出する実証からは少し離れてしまっているのではないだろうか。
また、著者は序章にて1930年代の外交の中に広田を位置づけるとしているが、本書を読む限り、これは「外交」ではなく単なる国内政治であり、部内政治である。
結局のところ、本書を読んでも、なぜ広田という外交官出身の首相が軍部に宥和的な態度をとり続けたのかということは「無気力であったから」という理由しか見あたらない。このような疑問を解消するためには、ミクロには軍部と広田(あるいは外務省内部の親軍的派閥)との関係を探り、マクロには中国、ソ連、アメリカ、イギリスとの外交交渉を複眼的な視点で見つめることで見えてくるものではないだろうか?そうしなければ、どこからどこまでが広田の失策なのかが全くわからないままであろう。
新書とはいえ、少し筆を急ぎすぎた感がする。 -
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ネタバレ[ 内容 ]
日露戦争後、職業外交官の道を歩み始め、欧米局長・駐ソ大使など要職を歴任した広田弘毅。
満州事変以降、混迷を深める一九三〇年代の日本で、外相・首相として、欧米との協調、中国との「提携」を模索する。
しかし、二・二六事件以降、高圧的な陸軍と妥協を重ね、また国民に広がる対中国強硬論に流され、泥沼の戦争への道を開いた。
東京裁判で唯一文官として死刑に処せられ、同情論が多い政治家・広田の実像に迫る。
[ 目次 ]
序章 二つの顔
第1章 青年期―福岡から霞ヶ関へ
第2章 中国と欧米の間―北京・ワシントン・モスクワ
第3章 外相就任と協和外交―対中国政策の理想と迷走
第4章 首相の一〇ヵ月半―陸軍との葛藤
第5章 「国民政府を対手とせず」―日中戦争初期の外相
第6章 帝国日本の瓦解―一重臣として
第7章 東京裁判―「積極的な追随者」の烙印
終章 訣別
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