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高校生の心中事件。二人が死んだ場所の名をとって、それは恋累心中と呼ばれた。週刊深層編集部の都留は、フリージャーナリストの太刀洗と合流して取材を開始するが、徐々に事件の有り様に違和感を覚え始める。太刀洗はなにを考えているのか? 滑稽な悲劇、あるいはグロテスクな妄執――己の身に痛みを引き受けながら、それらを直視するジャーナリスト、太刀洗万智の活動記録。日本推理作家協会賞受賞後第一作「名を刻む死」、土砂崩れの現場から救出された老夫婦との会話を通して太刀洗のジャーナリストとしての姿勢を描く「綱渡りの成功例」など粒揃いの6編。第155回直木賞候補作。/解説=宇田川拓也
※本作品は 2018年3月22日まで販売しておりました単行本電子版『真実の10メートル手前』の文庫電子版となります。 本編内容は単行本電子版と同じとなります。
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Posted by ブクログ
本書の単行本版は既に読み終えていて、文庫版だけの新作が入っているわけでもなく、米澤穂信さんのあとがきも単行本版のままということで、それでは何故再読したのかというと『さよなら妖精』を読み終えたからであり、つくづく私は「太刀洗万智」という、架空のキャラクターに魅せられてしまったのだなということを思い知るが、これはどうしても今年中に私がやりたかったことである。
そして、当たり前なことかもしれないが、『さよなら妖精』を読んだ後に読んだ方が、太刀洗の人間性がより鮮明に映し出されるのがありありと分かることで、あの出来事の後、太刀洗はどんな心境で生きてきて現在に至っているのかということを推測しながらも、今の彼女がこのような立ち位置でいてくれることに対して安堵や喜びを覚えたのが、私にとっては何よりの励みとなり、それは私が小説を読む一番の理由でもある、『辛い現実を生きる力が湧いてくる』ことにも繋がっていることから、太刀洗の物語を新たに紡いでくれた米澤さんには感謝の言葉しかない。
改めて本書の内容を簡単に書くと、フリーの記者である太刀洗が様々な事件に遭遇しては、その特性を活かした独自の視点で事件の新たな素顔を掘り返していく、リアル志向の社会派ミステリで、そこにはミステリ自体の謎解きの楽しさをしっかりと入れながらも、記者が他人の人生を都合の良いようにアレンジしたり、他人の不幸を面白可笑しく書いている人ばかりでは無いということを実感させてくれて、まさにそれこそが太刀洗が太刀洗たる所以なのだと思う。
それから、文庫版ならではの良さとして、宇田川拓也さんの解説は本書の素晴らしさを的確に分かりやすく、愛情込めて書いていらっしゃるので、そこは単行本版を読んだ方にも是非おすすめしたい。
それでは本書に収録された6つの短編から、太刀洗万智という、その人物像に改めて迫りたいと思う。
「真実の10メートル手前」
本書では唯一の太刀洗視点でありながら、時間軸としては『さよなら妖精』から最も近く、記者を続ける上での覚悟を突きつけられた『王とサーカス』の前の、どこか初々しさを伴った新聞記者をしていた頃の太刀洗には、まだ迷いも感じられた分、却って高校生の頃の冷たい印象が彼女の全てでは無かったことを、より証明しているようにも思われた根拠を、太刀洗と新人カメラマン「藤沢」との会話を掲載する形で示したいと思う。
「太刀洗さんが素直に人を褒めるなんて珍しいですね」
「そんなことはないと思うけど」
「ああ。説明してくれる気があったんですか」
「そう言ったと思ったけど」
「でも、太刀洗さんは説明抜きにどんどん仕事を飛躍させる人ですから、今回もそれかと思いましたよ」
「そんなこと言われてるの」
「いやまあ、悪い噂じゃないから、いいじゃないですか」
「必要最小限の情報共有は怠っていないはずなのに」
「最小限って自覚はあったんだ。最大限に共有しましょうよ」
また、彼女主観の文章であることから、藤沢には直接言わずとも、その時の彼女の心の中の思いを読み手は知ることができ、それによって、実はとても繊細な気遣いの人であることに気付く。
『口元が緩むのを自覚した。新人相手だと思って、余計な気をまわしてしまったようだ』
『恥じ入らせるほど、冷たい目を向けたつもりはなかったのに。むしろ、それほど多忙だった日の翌日に出張してもらっていることが、申し訳なかった』
そして、この表題作と『王とサーカス』から先の時間軸では(本書の残りの5編)、太刀洗視点は無くなるものの、それが私には、もう彼女主観でなくても彼女のことは信用できるだろうということを、米澤さん自身が伝えたかったのではないかと解釈している。
・・・が、正確には表題作が、「綱渡りの成功例」以外の短編よりも後に発表されていることから、記者として堂々と自分の道を歩んでいる(ように見える)彼女には、こういう時期もあったのだということを書きたかったのだと思う。
「正義漢」
初読の時は太刀洗を怖い人だと感じたものの、改めて読むと、その写真を見る様子からは客観的に記者としての自分を見つめ直しているだけで、そこには自らも一人の欲を持った人間なのかもしれず、完璧な記者だとは決して思わないことから、彼女の仕事に対する生真面目さが窺えながら、この作品が2007年当時「ユリイカ」で企画された、米澤さんの特集の為に急遽書かれたことを知ることで、おそらく当時リアルタイムで読まれた方は、こんな形で『さよなら妖精』のその後に巡り会えるなんてと、きっと喜んだことであろう、ある意味サプライズプレゼント的側面を持った作品。
「恋累心中」
ここでは、週刊深層の記者「都留」の視点で見た太刀洗の個性が描かれており、そこでの『癖はあるが切れる』『一言足りない相棒』という言葉が的を射ていながらも、私にはコーディネーターとしてのお膳立てに見られた、彼女の都留への配慮の行き届いた様に、まるでこれだけのことをしないと満足のいく記事は得られないといった、その涼しげな気合いめいたものを感じられたことが、まさに『王とサーカス』で得た教訓を見事に活かしているように思われて、そこが最も印象深かった。
「名を刻む死」
今度は中学3年生「檜原京介」の視点による太刀洗で、その彼の印象である『記者の目は切れ長で鋭い。引き締まった表情は冷たくさえある』というのは、まさに過去の私が抱いていた彼女への印象そのものであったが、その一方で『丁寧ながらも凜とした声だった』といった印象も抱いた彼が終盤に受けた、彼女の熱い檄には、何故一介の記者に過ぎない彼女がそこまでして彼に伝えようとしているのか、その真意はきっと彼が大人になったら痛感するのだろうと思わずにはいられなくて、それは世の中、綺麗事だけでは生きていけないということを、太刀洗が身を以て学んだことの証明でもあった。
「ナイフを失われた思い出の中に」
私にとって一番のハイライトとなった、この作品は宇田川さんの解説にもあるように、その完成度が他の5編よりも頭一つ抜きん出た印象であり、それは『さよなら妖精』に対する米澤さんの思いの強さとも感じられた、ミステリとしても尋常でない完成度を誇る中、ここではアイザック・アシモフの『黒後家蜘蛛の会』の有名な言葉を引用することで、改めて太刀洗に記者としての覚悟を問いただしていることが、まさに『さよなら妖精』以後の太刀洗の思いへと繋がっており、そこには『真実はいずれ自然と明らかになる』ことは、あまりにもロマンティックだと述べることから、決して理想的な夢だけを追いかけたいのではなく至極現実的な視点で挑みたい思いが垣間見え、それが『わたしたちは、人々が見たいと思っているものを見せるために存在する』という太刀洗の言葉に強く表れていた。
ただ、その後に続く『そのために事実を調整し、注意深く加工する』を知ると、まるでショータイムのようではないかと思われた方もいらっしゃるかもしれないが、ここでは、事実そのものの中にこそ、様々に複雑で矛盾だらけの人間らしさが詰まっていることを伝えたかったのであって、事実そのものを鵜呑みにすることは、時にその人本来の人間性を捻じ曲げてしまう危険性があることを、太刀洗はよく理解しているということなのだと思う。
そして、ここでの彼の視点には、ある意味彼女の視点も同居しているような構成であることが、何よりも『さよなら妖精』と密接に繋がった感動を引き起こし、それは彼女が太刀洗の事をどう思っていたのかを知ることで目頭が熱くなった私がいたことで、太刀洗のしていることは単なるショータイムなんかではない、事実の中に泣く泣く込めざるを得なかった人の心を察して、寄り添い、思い遣ることだったのだということを知り、それは太刀洗の『何か言いかけては、言葉を呑み込んでいる』といった、質問に対する答えは返らなかったけれども、それだけ真剣に考えていることだからこそ一生の仕事にしているのだろうと推測できたことが、まさに彼女自身の人間性であり、生き様であり、そして覚悟なのであろう。
「綱渡りの成功例」
ここでは太刀洗の大学時代の後輩である、消防団員の「大庭」の視点で語られており、やはり他の短編でも見られたように、他の人とは違う部分を見ていた太刀洗の優しさや気遣いが印象的で、それは『答える側にしこりが残る質問はしたくない』にも表れていたが、私がより印象に残ったのはその後に続く言葉『できるだけは』であり、彼女の凄いところは、「必ずそうします」と安易に断定するのではなく、人間なので時にはそうできないこともあるということを、非難されるのを覚悟で堂々と告げることにあり、他にも『運がいい』や『わからない』という言葉も平気で使う事には、本来言葉が命の記者にとって致命傷ともなりかねないのだが、それでも太刀洗がそこに拘るのは、彼女が記者以前に一人の不完全な人間であることを強く自覚しているからであって、そこにこそ言葉上手な軽い輩よりも本気で他人の事を気遣う、彼女の人間性が如実に表れているのだと私は思い、そこには彼女自身が大きく変わった部分だけではなく、『さよなら妖精』の頃から変わらない部分も共に存在することによって、この先、どれだけ辛く悲しい思いを彼女が味わおうとも、きっと表向きは普段とあまり変わらない凛々しい表情をしながら、その内面では不器用で優しい気遣いの人で在り続けるのだろうと感じることで、それが私にはこれからも辛い人生を生きることへの大きな励みに取って代わる力となる、それこそが、まさに架空のキャラクターがもたらしてくれた、小説の持つ力でもあるのだろう。
「太刀洗さんは、変わらないですね」
すると彼女は、これは記憶にない柔らかな声で言った。
「困ったことにね」
『王とサーカス』のあとに読んだ。この小説は、ジャーナリズムについてではなく、他人の悪意や、自分自身の罪の意識によって潰されてしまった人々を、推理小説のフォーマットを用いて、どのように描き出すか、に重点が置かれている気がした。それは『黒牢城』まで続く米澤先生の一つの小説哲学なのだと思う。現実ではもっとひどいことが起こっているのかもしれない。現実には太刀洗万智は存在せず、被害者はただ潰されて、誰にも意識されることなく消えていくのかもしれない。それでも、というかだからこそ、この小説は輝きを放っているんだと思う。
Posted by ブクログ
「王とサーカス」からの太刀洗女子逆読み。
各短編時系列の詳しくは土瓶さんの本棚でどうぞよろしく。
短編集ですし、ストーリーは読んで楽しんでいただければと思うのですが、
米澤さんは作品のタイトルをつけるのがお上手だなと、あらためて感じました。
「真実の10メートル手前」という作品から始まり、この本のタイトルにもなっているんですが、
この短編集のいずれにも当てはまる言葉かなと思いました。
ジャーナリストは真実の10メートル手前まで迫る。
けれど、このシリーズはミステリーの完全な解決を目指しているわけではない。
2作目の「正義感」は、一瞬にして視点が反転し、
3作目の「恋累心中」は、連城三紀彦の「戻り川心中」を彷彿とさせる情念のミステリー。
4作目の「名を刻む死」は死と報道を、
6作目の「綱渡りの成功例」は知と報道を描く。
5作目では、前作の少女の兄が再登場。
私の中で米澤さんブームがくるかもしれません。
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