Posted by ブクログ
2020年02月19日
「腐ったミカンの方程式」、今から40年も前に当時のお茶の間の話題を席巻したとされる学園ドラマの金字塔「金八先生」。人間はミカンじゃないと叫んだ金八、でも校内暴力は、いじめはなくならなかった。学校は学校であって温室ではない、中で育てられるのは温室ミカンなんかじゃない。でも現実は本当にそうなんだろうか。...続きを読む
『駐車場にとめられた車の窓が割られる、ボンネットがへこまされる』『制服の腕のところが破れ、腰も手足も痛い。ずきずきする顔に触れてみると、唇の横が切れて血が出ていた。』これは紛れもない犯罪行為です。街中でこんなことが行われれば逮捕され、留置場に送られ、処罰を受けます。こんな当たり前のことが、見て見ぬふりをされ、何もなかったかのように過ぎていく。こんなことが許される世界、中学校。出版当時、中学校の国語の先生だった瀬尾さん。そんな瀬尾さんが描いた学校現場。外からは見ることのできない温室の中の風景のある意味のリアルさ。
『中学校は崩壊と再生を繰り返しているはずなのに、教師の動きは鈍い。大事にならないと、動きださない。日本の平和ボケは、学校の場でも存分に発揮されている。』いきなりの鋭い視点にハッとします。確かにこの国は何事も人が死ぬまでは見て見ぬフリをするのが基本姿勢。忙しくて手が回らない、これもよく聞きますが、結局大ごとになってさらに忙しくなる悪循環を繰り返すだけとも言えます。
『いじめは会議室で起きてるんじゃない。教室で起こってるんだって感じ。ぐだぐだ言ってる暇あるんだったら、とりあえず教室行けよって思う。』これは、瀬尾さん自身も感じられていたのかもという一節です。大人はみんな会議が大好きです。
そんな状況を自分たちでなんとかして変えようとする みちると優子。『本当の学校生活を取り戻したい』でも強い思いだけで解決できるほど生易しいものではありません。そして歴史は繰り返されます。
今の学校対応は『教室でまともに戦うみちるには、誰も手を差し伸べないけれど、逃げさえすればどこまでも面倒見てもらえる。』潰されてしまった子たちを救うシステムは出来つつあるのだと思います。でも本当にそこなんだろうか、潰されるまでは見て見ぬフリをするシステムでいいのかどうか。
色々考えても、書いてはみてもそもそも現在進行形で苦しんでいる人たちの現実は何も変わりません、変えられません。一晩あれこれと思いを巡らせましたが、残念ながら私には考えをまとめることはできませんでした。
そう、そんな簡単なことじゃない。そんな生易しいものでは当然ない。私にはこの先何ができるのか、何だったら変えられるのか。自分のただ流れる日常の中に、ふと考える時間をくれた作品でした。