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〈貫太郎のモデルは、私の父向田敏雄である。よくどなり、よく殴り、5年前に亡くなった。お線香代りに、ちょっぴり「立派な男」に仕立て直してお目にかけた……〉。口下手で怒りっぽいくせに涙もろい、日本の愛すべき“お父さん”とその家族をユーモアとペーソスで捉え、きめ細かな筆致で下町の人情を刻み、東京・谷中に暮す庶民の真情溢れる生活を描いた幻の処女長編小説。
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Posted by ブクログ
コロナ以降の現代とはかなり倫理観が違う寺内貫太郎一家。子どもや女房に手をあげてしまうのは確かに良くない、だけどみんなから慕われる貫太郎。嫁姑のかたちや、男女の教育、丁稚奉公など、全然違う。だけどこれはこれで佳き時代だったんだろうな、人間の実直なあたたかみが感じられるお話だった。 冠婚葬祭は、お葬式...続きを読むとお祭りが重なったらお葬式からやる。とか、ちょっとためになった。 そして、きんの、分からないことがあるから長生きするもんだ、ってのも頷ける。 そういう風に思いながら長生きしたいな。
何度目かの再読。 令和になって読んでみると、世の中いろんな価値観が変わってきているが、なんだろ、やっぱりじわっと温かいものが込み上げてくる。 そして久世さんの解説もまたいい。凄くいい。 山藤さんの文庫のカバーもいい。 よって評価の星の数変わらず。
大好きな向田邦子作品の中でも大好きな作品。 登場人物全員がクセがあるも憎めず。。 泣けて笑えて、唯一無二だけど昭和のどこにでも転がっていそうな貫太郎一家。もっともっと、この家族に会いたかったなぁ。
ゴールデンウィークに入る前、髙島屋の月刊誌で、この本についての太田光のエッセイを読んだ。昭和50年に刊行され、ドラマ化もされたこの小説。今から40年以上も前に書かれたのに、未来を予見していたかのように現在の社会の様子を描き出している、と太田は言っていた。 具体的には、「祭りばやし」という章で、...続きを読む町の人々が祭りに浮き足立っている様子を、お手伝いさんのミヨ子が冷ややかな気持ちで眺めるシーン。ミヨ子は母親を一年前に亡くしており、祭り当日が命日だったので、一緒に楽しめる気分ではなかった。でもみんなの雰囲気に水を差してはいけないとずっと我慢してきた。それでも態度には出てしまい、それが原因で一家と喧嘩になってしまう。自分の態度を責められ、ついに我慢できなくなったミヨ子は、母の命日であったことを告白し、同時に、みんなが祭りに浮き足立って、先に解決すべき問題の数々から目を逸していると怒りをぶつける。 「みんなから寄付を集めて、そのお金で飲んだり食べたり騒いだりーーーバカバカしいと思わないんですか。道だって凸凹だし、街灯だってついてなくて暗いとこだってあるのに、町内会の人が酔っ払うのにお金使って」 「朝からドンドンピーピーお囃子流してーーー病気の人だって心配ごとある人だっているのにーーー非常識だと思います!」 「幸せな人だけが楽しんでるんです!私、お祭りなんて大嫌いです!」 40年も前に書かれたこのセリフが、今、オリンピックをどうにか開催しようと躍起になっている一部の日本人を表しているかのようだ、と太田は言っていた。時代を超えて真実を描き出す力がすごいなぁ、と私も思った。 大変なこと、未解決の問題があるから、楽しいことをするのは良くない、という自粛の精神は好きではないけれど(3.11の翌日だった結婚式を延期せざるを得なくなり、結局一年半「自粛」した十年前を思い出している)、大事なのはバランスなんだろうなぁと思う。楽しいことを挟んで、明日からまた頑張ろうと思えるのであれば、建設的で有意義なのだけれど、「楽しいこと」そのものが目的になってしまうと、未解決の問題はそのまま置いてけぼりになってしまう。オリンピックはどう考えても、後者に見える。問題(コロナの感染者が減らないこと、それに伴って医療従事者の負担が増えたり、飲食業についている人々の収入が不安になったりしていることなど)はいったん置いておいて、の「いったん」が長くなりすぎるし、オリンピックの開催期間中も人々の暮らしは続いているわけで、その保証はどうするのだとか。「とりあえずオリンピックで楽しんで、テンション上げて、終わったらまたコロナ対策とかいろいろ頑張ろうぜ!」というレベルのイベントではないと思う。 こうやって書いていると、私はオリンピックに反対なのだな、と感じる。これまで明確にどちらのポジションも取ってこなかったけれど、書いていてしっくりきているというきとは、そういうことなのだろう。 私が反対しようがしまいが、世の中は変わらないし、オリンピックはきっと開催される(あるいは私の意見とは全く関係ないところで中止が決定される)。でもきっとそうであっても、自分の立ち位置みたいなものを持っておくことは必要なように思える。口論するつもりもなければ、違う意見の人を論破しようとするつもりもない。ただひとつの芯のようなものとして、自分の立ち位置を決めることにする。そしてその芯のようなものは、柔軟であったほうがいいと思う。事実に基づく柔軟さを持ちたいと思う。その場の感情や、社会から読むことを求められる「空気」に惑わされない、事実に基づいた柔軟さを身に付けたいと思う。
軽妙で洒脱な言葉が気持ちよく身体に響き 読みながら 泣いたり笑ったり照れたり・・・ 僅かにテレビで見た記憶があり ジュリ~~~って 思わず吹き出していた 最近では自主規制なのか使ってはいけない言葉も 堂々と並んでいて それもまた物語の風景が心に飛び込んでくる大事な要素だった
当然、フィクションだとわかってはいます。あくまで理想のひとつに過ぎないのもわかっています。けれど家族間での悲しい事件が少しも珍しくなくなってしまった今では、ちょっと物騒だけど毎日のように喧嘩を繰り返しても愛情と信頼で結ばれている寺内貫太郎一家のような家庭の風景が、昔はどこにでも広がっていて、今もどこ...続きを読むかにあると信じたいのです。貫太郎が不器用にも程があると言いたいくらいに不器用なのですが、それが可笑しくて、愛おしくて、格好良くて、泣かせてくれます。時に本気でぶつかりあいながらも、支えあう家族の姿は素敵です。
20120607 リアルにテレビで見ている時より感じるものがあった。活字の良いところだと思う。今のドラマにはこの泥臭さが必要かも。
頑固なオヤジ。優しくも強い母。 今は無きあたたかな家族の物語。 ホッとしたり、怒ったり、 時には涙も流したり。 胸の奥の方がキュッとなる作品です。
日本の家父長制度の典型的な家族像がある。父は無口で、手が早く、でも情に厚い。母はそんな父を支えながら、子供や周辺に明るく振る舞う。 笑いと涙が自然にこみ上げる向田邦子ならではの代表作。
口下手で怒りっぽく、涙もろい。 そんな古き良き日本のお父さん・寺内貫太郎と、家族の日常を描いた物語です。 時代を超えても物語が面白く新鮮に感じられるのは、登場人物の一人一人に魅力があるからだと思います。 例えば、思いやりに溢れて時にはきちんと叱ってくれるお父さんは、読者に「こんなお父さんがいるとい...続きを読むいなあ」という憧れの気持ちを持たせます。 同時に「うちのお父さんとも似たところがあるなあ」という共通点や親しみやすさを抱かせます。 憧れと共通点を兼ね備えてこそ、人間味があり、魅力的な登場人物が出来上がるのです。 向田邦子は、作中の人物にそのような魅力を持たせることがとても上手だと思います。
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