あらすじ
〈貫太郎のモデルは、私の父向田敏雄である。よくどなり、よく殴り、5年前に亡くなった。お線香代りに、ちょっぴり「立派な男」に仕立て直してお目にかけた……〉。口下手で怒りっぽいくせに涙もろい、日本の愛すべき“お父さん”とその家族をユーモアとペーソスで捉え、きめ細かな筆致で下町の人情を刻み、東京・谷中に暮す庶民の真情溢れる生活を描いた幻の処女長編小説。
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コロナ以降の現代とはかなり倫理観が違う寺内貫太郎一家。子どもや女房に手をあげてしまうのは確かに良くない、だけどみんなから慕われる貫太郎。嫁姑のかたちや、男女の教育、丁稚奉公など、全然違う。だけどこれはこれで佳き時代だったんだろうな、人間の実直なあたたかみが感じられるお話だった。
冠婚葬祭は、お葬式とお祭りが重なったらお葬式からやる。とか、ちょっとためになった。
そして、きんの、分からないことがあるから長生きするもんだ、ってのも頷ける。
そういう風に思いながら長生きしたいな。
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何度目かの再読。
令和になって読んでみると、世の中いろんな価値観が変わってきているが、なんだろ、やっぱりじわっと温かいものが込み上げてくる。
そして久世さんの解説もまたいい。凄くいい。
山藤さんの文庫のカバーもいい。
よって評価の星の数変わらず。
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大好きな向田邦子作品の中でも大好きな作品。
登場人物全員がクセがあるも憎めず。。
泣けて笑えて、唯一無二だけど昭和のどこにでも転がっていそうな貫太郎一家。もっともっと、この家族に会いたかったなぁ。
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ゴールデンウィークに入る前、髙島屋の月刊誌で、この本についての太田光のエッセイを読んだ。昭和50年に刊行され、ドラマ化もされたこの小説。今から40年以上も前に書かれたのに、未来を予見していたかのように現在の社会の様子を描き出している、と太田は言っていた。
具体的には、「祭りばやし」という章で、町の人々が祭りに浮き足立っている様子を、お手伝いさんのミヨ子が冷ややかな気持ちで眺めるシーン。ミヨ子は母親を一年前に亡くしており、祭り当日が命日だったので、一緒に楽しめる気分ではなかった。でもみんなの雰囲気に水を差してはいけないとずっと我慢してきた。それでも態度には出てしまい、それが原因で一家と喧嘩になってしまう。自分の態度を責められ、ついに我慢できなくなったミヨ子は、母の命日であったことを告白し、同時に、みんなが祭りに浮き足立って、先に解決すべき問題の数々から目を逸していると怒りをぶつける。
「みんなから寄付を集めて、そのお金で飲んだり食べたり騒いだりーーーバカバカしいと思わないんですか。道だって凸凹だし、街灯だってついてなくて暗いとこだってあるのに、町内会の人が酔っ払うのにお金使って」
「朝からドンドンピーピーお囃子流してーーー病気の人だって心配ごとある人だっているのにーーー非常識だと思います!」
「幸せな人だけが楽しんでるんです!私、お祭りなんて大嫌いです!」
40年も前に書かれたこのセリフが、今、オリンピックをどうにか開催しようと躍起になっている一部の日本人を表しているかのようだ、と太田は言っていた。時代を超えて真実を描き出す力がすごいなぁ、と私も思った。
大変なこと、未解決の問題があるから、楽しいことをするのは良くない、という自粛の精神は好きではないけれど(3.11の翌日だった結婚式を延期せざるを得なくなり、結局一年半「自粛」した十年前を思い出している)、大事なのはバランスなんだろうなぁと思う。楽しいことを挟んで、明日からまた頑張ろうと思えるのであれば、建設的で有意義なのだけれど、「楽しいこと」そのものが目的になってしまうと、未解決の問題はそのまま置いてけぼりになってしまう。オリンピックはどう考えても、後者に見える。問題(コロナの感染者が減らないこと、それに伴って医療従事者の負担が増えたり、飲食業についている人々の収入が不安になったりしていることなど)はいったん置いておいて、の「いったん」が長くなりすぎるし、オリンピックの開催期間中も人々の暮らしは続いているわけで、その保証はどうするのだとか。「とりあえずオリンピックで楽しんで、テンション上げて、終わったらまたコロナ対策とかいろいろ頑張ろうぜ!」というレベルのイベントではないと思う。
こうやって書いていると、私はオリンピックに反対なのだな、と感じる。これまで明確にどちらのポジションも取ってこなかったけれど、書いていてしっくりきているというきとは、そういうことなのだろう。
私が反対しようがしまいが、世の中は変わらないし、オリンピックはきっと開催される(あるいは私の意見とは全く関係ないところで中止が決定される)。でもきっとそうであっても、自分の立ち位置みたいなものを持っておくことは必要なように思える。口論するつもりもなければ、違う意見の人を論破しようとするつもりもない。ただひとつの芯のようなものとして、自分の立ち位置を決めることにする。そしてその芯のようなものは、柔軟であったほうがいいと思う。事実に基づく柔軟さを持ちたいと思う。その場の感情や、社会から読むことを求められる「空気」に惑わされない、事実に基づいた柔軟さを身に付けたいと思う。
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軽妙で洒脱な言葉が気持ちよく身体に響き 読みながら 泣いたり笑ったり照れたり・・・
僅かにテレビで見た記憶があり ジュリ~~~って 思わず吹き出していた
最近では自主規制なのか使ってはいけない言葉も 堂々と並んでいて それもまた物語の風景が心に飛び込んでくる大事な要素だった
Posted by ブクログ
当然、フィクションだとわかってはいます。あくまで理想のひとつに過ぎないのもわかっています。けれど家族間での悲しい事件が少しも珍しくなくなってしまった今では、ちょっと物騒だけど毎日のように喧嘩を繰り返しても愛情と信頼で結ばれている寺内貫太郎一家のような家庭の風景が、昔はどこにでも広がっていて、今もどこかにあると信じたいのです。貫太郎が不器用にも程があると言いたいくらいに不器用なのですが、それが可笑しくて、愛おしくて、格好良くて、泣かせてくれます。時に本気でぶつかりあいながらも、支えあう家族の姿は素敵です。
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頑固なオヤジ。優しくも強い母。
今は無きあたたかな家族の物語。
ホッとしたり、怒ったり、
時には涙も流したり。
胸の奥の方がキュッとなる作品です。
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日本の家父長制度の典型的な家族像がある。父は無口で、手が早く、でも情に厚い。母はそんな父を支えながら、子供や周辺に明るく振る舞う。
笑いと涙が自然にこみ上げる向田邦子ならではの代表作。
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口下手で怒りっぽく、涙もろい。
そんな古き良き日本のお父さん・寺内貫太郎と、家族の日常を描いた物語です。
時代を超えても物語が面白く新鮮に感じられるのは、登場人物の一人一人に魅力があるからだと思います。
例えば、思いやりに溢れて時にはきちんと叱ってくれるお父さんは、読者に「こんなお父さんがいるといいなあ」という憧れの気持ちを持たせます。
同時に「うちのお父さんとも似たところがあるなあ」という共通点や親しみやすさを抱かせます。
憧れと共通点を兼ね備えてこそ、人間味があり、魅力的な登場人物が出来上がるのです。
向田邦子は、作中の人物にそのような魅力を持たせることがとても上手だと思います。
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喧嘩早くて涙もろい、石屋の親方貫太郎を柱に、くせのある家族のてんやわんやを人情味豊かに描くホームドラマ。貫太郎一家の日常が展開されていくんだけれど、その日常がとにかく騒々しい。口より先に手が出るタチの父、貫太郎は、ことある毎に家族を張り倒す。妻、息子娘はもちろん、お手伝いの少女や他人の子供ですらちぎっては投げの奮闘振り。殴られた方も食って掛かるので、家族の団欒、夕食の席は決まって乱闘騒ぎである。しかし父の鉄拳は、家族への隅まで行き届いた心遣いから出るもの。「貫太郎は好きな人間しか殴らない」とは彼の母の言葉。家族ひとりひとりが抱える悩みを、不器用ながらも体当たりで向かっていく貫太郎の温かさ、大きさに魅入られてしまった。一話完結の短編が十数編、話の数だけ泣けたね。古きよき日本の家族、だなんていいたかないけれど、今では見られない家族の形なんだろうね。
Posted by ブクログ
あなたは、こんな男を夫としたいでしょうか?
『カッとなると、口より先に手が飛んで、相手は二メートル先にけし飛んでいる』。
家族の内側というものは、外からはなかなか伺いしれないものがあると思います。”おしどり夫婦”と周囲から思われていたのがいきなり離婚してしまった、このような夫婦も決して珍しくはないと思います。もちろんその逆パターンもあるでしょう。けんかばかりしていると思われた夫婦が実は人も羨む仲の良い夫婦だった、このようなこともあると思います。
また、夫婦の関係性と言うと、昨今DVが社会的に問題となっています。激しい暴力によって妻を支配する夫。そんな状況から逃げるためのシェルターの存在にも光が当たりつつあります。『口より先に手が飛』ぶというような夫はまさしくDVの疑いありの要注意人物となりうる存在だと思います。しかし、この世の中、必ずしも一概にDV男と断じられない場合もあるようです。
さてここに、『一男一女の父。口下手。ワンマン。怒りっぽいくせに涙もろい』という『三角おむすびに西郷隆盛の目鼻をつけたような』面持ちの男性の一家に光を当てる物語があります。1974年にテレビドラマとして驚異的な視聴率を誇ったこの作品。その名前ぐらいはおおよそ誰でも知っているこの作品。そしてそれは、『義理人情』を何よりも重んじる『石屋』の主人である寺内貫太郎の一家を描くドタバタ劇です。
『おい!おーい』と『大声でどな』るのは『東京谷中にある「寺内石材店」通称「石貫」の主人』の寺内貫太郎。『今年五十の働き盛り』、『身長百八十センチ、体重百一キロの巨体』という貫太郎は『朝が早』く、『冬なら六時』には『もう起き出してい』ます。『神棚に向って柏手を打つ』という段で『なに愚図愚図してんだ!』と言う中に『すみません』と『女房の里子』が小走りでやってきました。『貫太郎のどなり声は日常のことであり』『気にしていない』里子は、『成田山のお守りを腹巻の中に押し込』み、『見事に突き出た夫の腹を、軽くポンポンと叩』いてあげます。『ワンマンではあるが、要所要所は女房の里子が押さえている』という夫婦の関係性。そして、『貫太郎は仕事場へ入って行』きました。そんな中に『長女の静江が起きて』くると、『お父さん…怒ってる?』と『さりげなく聞』きます。『まあ、普通かな』と里子が答えると『静江は、ほっとした顔で、弟の周平を起しに二階へ上って行』きます。『昼過ぎに静江の恋人が挨拶に来る。貫太郎の気性と、相手の条件から考えて、無事で済む筈がない』と思う里子は『どうか今日一日中、事なく終りますように』と『祈りたい気持』になります。『お父さん、おとなしく逢うかな』と心配する周平に『うちへ連れて来ちゃうんですもの。仕方ないでしょ』と返す里子。そんな中、『もう一人の家族 ー いや、この寺内家で一番個性的な存在の祖母のきんは、隠居所の縁側で拭き掃除の最中』でした。『おばあちゃんがそんなことしなくたって』、『二、三日でお手伝いの女の子がくるんですからさ』と里子が言うも『ほっといて頂戴』と返す きん。
場面は変わり、『寺内家の朝食が始ま』りました。『大茶碗をしっかと抱えこみ、物凄い勢いで、メシをかきこみ、ズズズとおみおつけを啜る』貫太郎の信条は『しっかりメシを食わないようなやつは人間として信用出来ん』です。そんな貫太郎は、『娘の目を見ないで、黙って茶碗を下に置』くと、『洋服出しといてくれ。昼飯食ったら出掛ける』と出てゆこうとします。そこに『お父さん、お昼からは、静江の…』と『立ちふさが』る里子は、『昨夜は逢うって言ったじゃありませんか』と訴えます。『そんな者に逢う必要はない!』、『お前が勝手に逢ったらいいだろ』と言うと『体ごと止めようとした里子は、みごとにぶっとばされ』ます。『何てことするんだよ』と周平が飛び出しますが、『これも、ポンと一突きで縁側の下に転がり落ち』ます。そんなところに『荷物を持った若い女の子が』『びっくりして立ってい』ます。『新潟からお手伝いとしてやってきた相馬ミヨ子』でした。そんなミヨ子の登場で『朝の乱闘さわぎは』『お預けの形とな』ります。
場面は変わり、『面白くなかった』というのは 祖母のきん。『孫の静江の恋人のはなしで自分ひとりがつんぼ桟敷に置かれていたなんて』と思う きんは『年はいくつなの』と訊きます。『年は三十二。高浜石材工業の営業をしている男』と説明する里子は『相手は初婚じゃないのよ』と続けます。そして、『茶の間の柱時計が、間の抜けた音で一時を告げた』時、『ごめん下さい』と『低い男の声』がします。『弾かれたように飛び出した』静江に『いきなり小さな男の子が飛びついてき』ます。『お姉ちゃん』、『マモル君』という光景に『咽喉がゴクリと鳴』る里子。『オレは子供がいるなんてひとことも聞いてないぞ』と怒鳴る貫太郎に、『あたしだって初耳ですよ』と言う他ない里子。そんな衝撃的な光景の先に「寺内貫太郎一家」のドタバタ劇が描かれていきます。
“口下手で怒りっぽいくせに涙もろい、日本の愛すべき’お父さん’とその家族をユーモアとペーソスで捉え、きめ細かな筆致で下町の人情を刻み、東京・谷中に暮す庶民の真情溢れる生活を描いた幻の処女長編小説”と内容紹介にうたわれるこの作品。1974年1月から10月にかけてTBS系列の水曜劇場枠でテレビドラマとして放送されたこの作品は、今の時代となっては驚く他ない平均視聴率31.3%を記録しています。そして、翌年には続編も放送されていることから当時大きな人気を誇った作品であることには間違いありません。このレビューを読んでくださっている方の中にもリアルタイムで、もしくは再放送などでご覧になられた方も多々いらっしゃると思います。そんな作品の脚本を担当されたのが向田邦子さんであり、この作品はテレビドラマを元にノベライズした小説になります。
では、そんな作品に登場する寺内家の面々をご紹介しましょう。テレビドラマで担当された役者さんのお名前も記します。
・寺内貫太郎(小林亜星さん): 「寺内石材店」通称「石貫」の主人。今年五十の働き盛り。身長百八十センチ、体重百一キロの巨体。
→ 口下手。ワンマン。怒りっぽいくせに涙もろい。カッとなると、口より先に手が飛んで、相手は二メートル先にけし飛んでいる
・寺内里子(加藤治子さん): 貫太郎の妻で四歳年下。小柄で目方は貫太郎の半分もない。引っつめ髪に地味な和服で一日中、クルクルと働いている。
→ 『うちのお父さんは日本一よ』と手放しでノロける可愛い女房
・寺内静江(梶芽衣子さん): 長女で二十三歳。母親ゆずりの美しい顔立ちとスラリとした美しい脚の持主である。幼い頃、父貫太郎の仕事場で遊んでいて、石で怪我をした後遺症で歩くとき、左足を少し引く。
→ 妻と離別して四歳の男の子がいるという三十二歳の上条に恋をしている
・寺内周平(西城秀樹さん): 貫太郎の長男。大学一浪で予備校に通っている。身も心も伸び伸びと育って、身長百八十一センチ。
→ 『今度落ちらた石屋だぞ!』と貫太郎から言われながら浪人中
・寺内きん(樹木希林さん): 明治三十七年新潟生れ。姑を見送り、十五年前には夫にも死別、七十歳の現在、心身共に極めて壮健、生き生きと人生を楽しんでいる。
→ 趣味はいやがらせといたずら。歌手の沢田研二の大ファン
テレビドラマをご覧になられたことのある方は役者さんの名前を見ることで一気に記憶が蘇ってくるのではないでしょうか?私はこのテレビドラマを見たことはありません…と書こうと思ったのですが、祖母のきんが『沢田研二の大ファン』で、樹木希林さんが演じられていたこと、そして貫太郎が小林亜星さんで、西城秀樹さんが演じていた周平と取っ組み合いをしている光景がどことなく蘇ってきました。1974年、1975年の放送後も1998年や2000年にも単発でドラマ化され、さらにはCMとしてもテレビを彩っていたことがあるようですので、何かしらどこかで私も目にしたことがあるのかもしれません。そんな作品は父親の貫太郎の『カッとなると、口より先に手が飛んで、相手は二メートル先にけし飛んでいる』という気性の激しさが見せる家族のドタバタ劇が何よりもの見どころだと思います。次に貫太郎の手が出る場面を抜き出して見ましょう。『全くの正論に、貫太郎は反論の余地がない』という先に見せる貫太郎のドタバタ劇です。
『うるさい!』と『いきなり里子を張り倒』す貫太郎
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『チキショウ!』と『むしゃぶりついていった周平は、したたかにぶっとばされて、茶箪笥にぶつか』ると、『茶箪笥のガラス戸が派手な音と共に割れて飛』びます
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『貫太郎、馬鹿な真似はおよし!』と、『きんもさすがに食ってかか』ります
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『年寄は引っ込こんでろ!』と『小突かれて、ミヨ子の上に重ね餅になった』きん
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『どいつもこいつも、寄ってたかって、人に刃向いやがって』と言う貫太郎
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『だって』と『起き上がった里子が、夫をにらみ据え』ます
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『だってもヘチマもない。オレに文句があるなら出て行け!さあ、出て行け!』と怒鳴る貫太郎
作品中にはこのような形で貫太郎が妻の里子や長男の周平に手を上げる場面が名物シーンのように幾度も登場します。冷静に見るとこれは今の世ではDVの一幕とも言えなくもありません。今の世には少なくとも新作としてこのテレビドラマはありえないのかもしれません。しかし、ポイントはこの貫太郎が持つ本来の性格が滲み出てくるところなのだと思います。
『貫太郎の持つ情の濃さ、やさしさを、まわりの人間はよく判っている』、『目方も人の倍なら、思いやりも人の二倍は持っているのである』
これこそがこの場面をDVと一線を画すものにしています。そして、この作品が多くの方に愛されてきた理由がここにあるのだとも思います。
そんなこの作品は「寺内貫太郎一家」の家族の日常を描いていく物語です。夫婦に子供二人、そした祖母が一人という五人家族が一つ屋根の下に暮らす様は1970年代の日本のごくごく平均的な家族像を描いたものとも言えると思います。それは、その時代にこの作品を見る視聴者の心に違和感なくすっと入っていくものであり、それを見る視聴者が自らの家族をそこに落とし込んでいく、そのような舞台でもあるのだと思います。物語は、そこに三つの大きな前提が存在します。
①長女の静江が四歳の男の子の父親でもある三十二歳の男性に恋をしている
②長女の静江は幼き日々に家業の石屋に起因する後遺症によって、歩くとき左足を少し引いている
③長男の周平は『今度落ちらた石屋だぞ!』と言われながら浪人の日々を送っている
三つの事がらは物語早々に明らかになります。”①”と”③”の事がらにおいては、貫太郎の怒りの鉄拳が度々放たれます。そういう意味ではこの二つがドタバタ劇を彩っていくための仕掛けと言えなくもありません。その一方で、”②”の事がらは、ドタバタした物語に影を落とすものです。
『足のことがあるから、お父さん、あの子だけは、自分で気に入ったとこへお嫁にやりたい。そう思ってたと思うんですよ』
その一方で静江が連れてきた上条に素直に接することのできない貫太郎。この作品はテレビドラマのノベライズということもあってかずいぶんと会話に彩られた作品でもあると思います。またその表現も一般的な小説とは異なり登場人物の心持ちは文章表現にではなく、交わされる会話の中から読者が想像によって登場人物たちの心情を読み解いていくといった描かれ方がなされていると思います。それは、言葉で敵わないとなった時にすぐに手が出る貫太郎の一面を上手く捉えているとも言えます。そういう意味ではノベライズに相応しい作品であるのかもしれません。物語は、「寺内貫太郎一家」の五人に巻き起こすドタバタ劇な日常がある意味で淡々と描かれていきます。そこには、目の前に浮かび上がってくるかのようにリアルに肉付けされた登場人物たちがそれぞれに放つ強烈な個性が読者を惹きつけていきます。そして、あっという間に読み終えてしまう作品の結末には1970年代を彩った傑作テレビドラマの魅力溢れる姿を垣間見る物語が描かれていました。
『一男一女の父。口下手。ワンマン。怒りっぽいくせに涙もろい。カッとなると、口より先に手が飛んで、相手は二メートル先にけし飛んでいる』。
『口下手』の結果論で、身近な人間に『暴力の洗礼』を浴びせるのを日常とする貫太郎。この作品には、そんな貫太郎の一家の日常が淡々と描かれていました。今や歴史に埋もれつつある昭和の家族の姿を見ることのできるこの作品。そんな家族の強い繋がりをそこかしこに見るこの作品。
家族の激しいぶつかり合いの先に垣間見えるそれぞれの思いの切なさにきゅんとさせられもする、懐かしい雰囲気漂う作品でした。
Posted by ブクログ
「向田邦子」の処女長篇小説『寺内貫太郎一家』を読みました。
「小林竜雄」が「向田邦子」の奇跡を辿った作品『向田邦子ワールドの進化 ― 没後20年を迎え、今初めて明かされるドラマと小説の謎』を読んで、久しぶりに「向田邦子」作品を読みたくなったんですよね。
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「貫太郎」のモデルは、私の父「向田敏雄」である。
よくどなり、よく殴り、5年前に亡くなった。
お線香代りに、ちょっぴり「立派な男」に仕立て直してお目にかけた……。
口下手で怒りっぽいくせに涙もろい、日本の愛すべき“お父さん"とその家族をユーモアとペーソスで捉え、きめ細かな筆致で下町の人情を刻み、東京・谷中に暮す庶民の真情溢れる生活を描いた幻の処女長編小説。
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『寺内貫太郎一家』は1974年にTBS系列の水曜劇場枠で放送された人気テレビドラマ(平均視聴率31.3%を記録)だったので、子どもの頃に何気なく見ていたことを断片的に記憶しています。
本書は、そのノベライズ版で「向田邦子」の処女長篇小説として発表された作品で、以下の12篇で構成されています。
■1=身上調査
■2=石頭
■3=びっこの犬
■4=EGG(エッグ)
■5=ネズミの一日
■6=蛍の光
■7=ビー玉
■8=親知らず
■9=いたずら
■10=祭りばやし
■11=梅雨の客
■12=初恋
昨年読んだ『せい子・宙太郎』と同じく、笑いあり、涙ありの、心温まる下町人情ドラマで、特に『EGG(エッグ)』と『祭りばやし』は、読んでいて思わずウルッ… となっちゃいましたね。
『EGG(エッグ)』は、「石貫」の職人「タメさん」が風邪をひき「寺内」家で看病してもらうことになり、ひとつ屋根の下で暮らすことで、家族の温かさを再認識する物語、、、
熱が下がったのに、まだ熱があるように見せかけて長居しようとしたり、
「周平」の我侭が許せず親子喧嘩に飛入りしたり、
そして、アパートに戻ってから、同居しているベテラン職人「岩さん」に居心地はどうだったかと問われ「いや、うるせいのなんの。ああ箸の上げ下ろしに文句いわれちゃとてもいられねえな。ハハ。みんなよく我慢してるよ」と強がりを言ったり、
その気持ち、よくわかるなぁ… と思いました。
『祭りばやし』は、お手伝いの「ミヨ子」が夏祭りの手伝いを頼まれるが、その日は母親の命日だったので素直に手伝うことができない、、、
事情を知っている読者は、拗ねた「ミヨ子」の態度に共感できるのですが、登場人物たちは「ミヨ子」の我侭な行動と思い込み、「ミヨ子」を責める… その理由がわかったあとの「貫太郎」の行動は素早かったですね。
巧く感情移入できるような構成になっていますねぇ… 良い作品でした。
登場人物の一人ひとりが個性的でキチンと性格付けされており、とても魅力的に描かれていますね… 読んでいると気付かないうちに感情移入してしまっていました。
心の機微が巧く描かれている物語… 大好きですねぇ。
タイトルの付け方も秀逸… 見習いたいものです。
「向田邦子」は、こんな良い作品を、もっともっとたくさん書いて欲しかったですねぇ。
以下、テレビドラマの主な出演者です。
「寺内貫太郎:小林亜星」
主人公。
50歳。
寺内家の主人・頑固親父。
「寺内里子:加藤治子」
貫太郎の妻。
48歳。
和服姿でいつもてきぱき働いている。
「寺内周平:西城秀樹」
寺内家の長男。
19歳。
浪人中で父と激しく喧嘩する。
原作では西城秀樹に似ていると書かれている。
「寺内きん:悠木千帆(樹木希林)」
貫太郎の実母。
70歳。
沢田研二の大ファン。
「相馬ミヨコ、相馬美代子:浅田美代子」
寺内家のお手伝い。
17歳。
新潟からやってきた。
高校3年の5月に母を亡くして親戚に引き取られたが、その親戚の家の金銭事情を察して高校を中退している。
「倉島岩次郎(岩さん):伴淳三郎」
「石貫」の職人で、職人暦50年のベテラン。
山形出身で大阪に息子夫婦がいる。
若い頃、きんに想いを寄せて求婚したこともあった。
「榊原為光(タメさん):左とん平」
「石貫」の職人。
29歳。
貫太郎に啖呵を切っては、毎回必ず痛い目に遭う。
独身でアパートに一人暮らしをしており、家族の温かさに憧れたこともあった。
「ウス:三浦寛二」
「石貫」の職人で、花くまの知り合い。
第18話より登場。
「花くま:由利徹」
「石貫」の向かいにある花屋「花くま」の主人。
独身。
「寺内静江:梶芽衣子」
寺内家の長女。
24歳。
4歳の頃の事故で左足が不自由。
「上条裕也:藤竜也」
静江の恋人。
子持ちでバツイチ。
「上条マモル:芦沢竜介」
上条の連れ子。
フィンガー5のメンバー・玉元妙子のファン。
「秋本幸子:吉行和子」
上条と別れた元妻。
上条とは嫁姑問題のもつれから離婚、姑の希望から、マモルとは引き離された。
その後姑が他界したこともあり、上条やマモルには未練を抱いている。
しゃぶしゃぶ屋で働いている。
ひと月に一度、マモルと会えることになっているが、我が子恋しさから上条の留守に約束を破ってさつき荘を訪れ、静江を困惑させたこともあった。
「寺内貫次郎:谷啓」
貫太郎の腹違いの弟。
豆腐屋を営んでいる。
第26話で豆腐屋が火事となり登場。
「ふみ子:浅茅しのぶ」
貫次郎の妻。
第26話より登場。
「京子:市地洋子」
貫次郎の長女。
第26話より登場。
「和夫:白石浩司」
貫次郎の長男。
第26話より登場。
「お涼:篠ヒロコ」
居酒屋「霧雨」のおかみ。
「倉田:横尾忠則」
居酒屋「霧雨」の常連客。
岩さん、タメなどからは「だんまり兄さん」と呼ばれている。
「諏訪チエコ:加茂さくら」
居酒屋「霧雨」の常連客。
「毛利:毛利久」
居酒屋「霧雨」の常連客。
洋服屋を営む。
「マユミ:いけだももこ」
周平の恋人。
「きみ子:藤園貴巳子」
居酒屋「霧雨」の従業員。
「雄さん:伊藤高」
「金子みさ:野村昭子」
さつき荘(上条の住むアパート)の管理人。
上条と静江の仲を応援してはいるが、付き合いの長さから幸子との付き合いのほうに重点を置いている。
甘いもの好きで、ポケットには常に菓子が入っている。
もう一度、観てみたいなぁ…
Posted by ブクログ
再読。昭和49年に放送されたテレビドラマの小説。ドラマを見ていた記憶があるのだが、本当だろうか。あらためて読み返してみると子供が見て面白がるドラマではないと思うのだが。貫太郎の優しさが理解できたとは思えないのだが。でも読みながら不思議と役者の顔や舞台セットがきちんと浮かんでくるのだ。久世光彦さんのあとがきは泣かせてくれます。
Posted by ブクログ
個性的な家族を中心に話が進んでいく。一部を学校のテスト問題で出されて、内容が気になっていた。男気ある人間って今の時代減ってきたんだなとしみじみ感じてしまった。
Posted by ブクログ
東京の下町の人たちはこんな風だ、と示したような話。口より手が早い親父。でも気持ちは素直であったかい。周りもいい人ばかりだ。皆が影響しあって高めていってる。テレビドラマでの小林亜星と西城秀樹のつかみ合いをふっと思い出した。13.10.14
Posted by ブクログ
テレビドラマの後発で出た本。らしいけどドラマ自体は見てない。
典型的な昭和の人情ちゃぶ台ストーリーだけど、登場人物みんながいい人で魅力的でおもしろくって泣ける。
お姉ちゃんの結婚のくだりが何回読んでも涙が出る。
人情ものでほっこりしたい時に読む本。
Posted by ブクログ
東京・下町(谷中)で三代続く石屋「寺内石材店(石貫)」の主人・寺内貫太郎を中心とし、家族や近隣の人との触れ合いを描いたホームドラマ。家族に手をあげ、何か気に入らないことがあるとすぐちゃぶ台をひっくりかえすような、頑固で短気で喧嘩っぱやいが、どことなく憎めずむしろ共感してしまう昔ながらの下町の親父。
石工のイワさんと奥さんの里子がいい感じ。美人の姉静江とノッポの弟周平の仲のよさも微笑ましい。男の子が家の女の人を大切にしているといいなあと思う。
Posted by ブクログ
小林亜星主演でテレビドラマになった寺内貫太郎一家。原作なのかノベライズなのかは判然としない。おそらく原作かなと思っている。
昭和の価値観満載で、歴史的価値すら持ち始めているのではないかと思われる。
解説にドラマ企画時の裏話が載っているのが貴重。向田邦子は最初は貫太郎を亜星が演じることには反対だったとか。
Posted by ブクログ
小説というよりは、ト書きが地の文になった台本みたいな感じ。
台詞がテンポ良く行き交い、地の文にもほとんど接続詞がつかず、じっくり味わって読むというよりも文章に引っ張られて読んだ感じ。
ドラマを見ていたわけではない私でも、なんとなく人物の動きが目に浮かぶのは、やはり脚本家としての力なのだろう。
しかし、寺内貫太郎一家って、昭和のいつ頃が舞台なのだろう?
私は昭和40年代くらいかと思っていたのだけど、そうすると、日常的に着物を着ている女性の多さや、お手伝いさんのいる生活っていうのがちょっとピンとこない。
私が知らなかっただけで、普通だったのかしら?
私が子どもの頃、友達のお母さんたちは洋服だったよなあ。私の母も。
両親と祖母、23歳の娘と20歳の息子。
料理は母が、買い物は姉娘が行っている家庭で、お手伝いさんは何をやるんだろう?
中途半端に近い時代なので、逆に変なところがいろいろ気になってしまったのは残念。
でも、時代とは関係なく、寺内貫太郎はいい男だ。
家族を殴るのはよくないけど、不器用で生真面目で人の心の機微に長けていて、何より奥さんに惚れていて。
お手伝いのミヨちゃんが思いのほかトラブルメーカーで、貫太郎に腹を立ててハンストをしたり、気を使って親の命日を内緒にしたばっかりに、堪えきれなくて家を飛び出す羽目になったり。
家族が互いに互いを思いやる姿が、温かくていいのだね。
ミヨちゃんも家族なのよ。
娘の恋人の連れ子も、面と向かっては認めないけど、心の奥では家族になっちゃってるのね。
いい男だなぁ。
Posted by ブクログ
昭和に放送されたドラマの原作。その読みやすさとセリフ回し主体の構成は「原作?ノベライズでないの?」と思うくらい情景が浮かぶ。最初の登場人物紹介はまるでオープニングテーマが頭に浮かぶようだ。
下町人情物語だがこの平成の世の中では、またいい感じに熟成されて内容を堪能することができる。高度経済成長で移り変わる価値観の中で翻弄される一家。職人気質で頑固な寺内貫太郎だが、娘、息子が新しい価値観を家庭に持ち込み騒動を起こす、というプロットは現代でも描かれる親と子のコミュニケーションの物語だ。
しかし、今の時代から見てこの時代の家庭のなんと盤石で温かいことか。昭和ではトラブルと問題だらけのような家庭でも今の世の中から見れば温かさに満ちあふれている。現代にこのような光景は残っているのだろうか。