Posted by ブクログ
2022年03月26日
愛というのはその対象を選ばす、何に対しても惜しみなく注がれるものだと思っている。飼っている猫や育てている植物、勿論本にだって。
でも恋は違う。
一般的には、両親や兄弟、子どもに対して抱く感情ではない。そして大抵は一対一のものであり、自分と同じ気持ちでいることを相手に求めてしまうし、始まりがあり終わり...続きを読むがあるものなんじゃないかと思う。
『恋文』に出てくる郷子と将一は夫婦であり、優という小学生の子供がいる。将一は郷子より一つ歳下で教員をしているが、ある時突然「昔の恋人が不治の病にかかり残り少ない命なので、せめて残された時間を共に過ごしてあげたい」と家を出て行ってしまう。
恋人の名は江津子といい、漢字は違うもののわたしと同じ名前だ。郷子は将一の居場所を突き止め、話をする。そして彼が江津子の最期を看取ることを認めてしまうのだ。そして更に将一の従姉妹と偽り、定期的に江津子を訪ね、話し相手になってやる。
郷子のこの行動を、勤め先の編集長は健気だけど見栄っ張りだと言った。わたしもそう思う。でももしわたしが彼女の立場なら、おそらく同じことをしただろう。周りの目を気にして、自分自身に同情しないよう、傷に塩を擦り込んで早くその痛みが気にならなくなるように。
離れて暮らすようになり、郷子は初めて将一を夫としてではなく一人の男性として意識するようになった。もともと最初から、夫婦愛と家族愛で成り立っていた関係だった将一に恋をしたのだ。でもその恋仇の江津子は、彼女にとって唯一心を許してなんでも話し合える親友のようになっていた。ただひとつ、この苦しい恋心を以外は。
さて、この複雑な三角関係はどのような結末を迎えるのか。そしてそれがまた一対一に戻ったとき、二人はどんな決断をするのか。
郷子が最後に流した「それまで忘れていた涙」の忘れていたものはなんだったのか。彼女の心情に思いを馳せれば、この物語の余韻も更に深くなり、美しくて儚い数々の情景と共に、しみじみと心に染み入るものになる。
それ以外の作品ももちろん『恋文』に負けず劣らず素晴らしいものだった。特に女のいじらしくも哀しい想いの描き方は秀逸だ。作中に引用される詩のひとつひとつも心に強く残った。