無料マンガ・ラノベなど、豊富なラインナップで200万冊以上配信中!
芸術(アート)という名のタイムカプセルが、いま開かれる――。京都国立博物館研究員の望月彩のもとに、レイモンド・ウォンと名乗るマカオ博物館の学芸員が現れた。彼に導かれ、マカオを訪れた彩が目にしたものは、「風神雷神」が描かれた西洋絵画と、天正遣欧少年使節の一員・原マルティノの署名が残る古文書、そしてそこに記された「俵…屋…宗…達」の四文字だった――。天才絵師・宗達の名画〈風神雷神図屏風〉を軸に描く冒険譚。「縦横無尽な想像力に操られたマハさんの筆致にすっかり魂を持っていかれた。カラヴァッジョと宗達を繋げてしまう発想には脱帽です」漫画家・文筆家・画家 ヤマザキマリさん推薦!
※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。
※期間限定無料版、予約作品はカートに入りません
Posted by ブクログ
原田マハの文章は、情景も心情も目や心に浮かんでくるから大好き!
本作上巻では、どこまでも真っ直ぐで自分の信じるものを疑わない、そんな宗達を主軸にストーリーが進んでいく。
宗達の姿は周りを明るく照らす太陽のようで、自然と人が集まってくる。でも、その真っ直ぐさは時に雷のように人々を驚かせ、時に風のように周囲を巻き込みながら、新しい景色を生み出していく、、、。
宗達だけじゃなくてマルティノたちも同じように、自分の信じるものを胸に生きているように感じた。その揺るがない芯があるからこそ人はこんなにも強く、美しくいられるのかもしれない、、、私もそんな風になりたいな。
信じるものは人それぞれ違う、けど!それでもそれを大切に抱き続ける姿には、不思議と心を動かされる!
信じるものがある人は強いというのは普遍で、いつの世も輝く星みたいにキラキラしてるのかな。宗達みたいに。
下巻では、宗達が巻き起こしたこの風がどこへ吹いていくのか、とても楽しみ!早く読みたい!明日からすぐに!
Posted by ブクログ
風神雷神を描いた俵屋宗達の物語である。風神雷神は、京都博物館で見た。また、建仁寺でも見た。
その雰囲気とバランス、二神の画面からはみ出た躍動感が素敵だ。色彩も鮮やかで、特に白の雷神と緑の風神の対比がいい。その作品を描いたのが、俵屋宗達である。
俵屋宗達、1570年〜1640年とされている。生まれた年も、死んだ年のもよくわかっていない。そして、素性も不明である。残された真筆の画は少ない。その時代は、織田信長1543年〜1582年本能寺で自害の時代だった。織田信長に寵愛されたのが狩野永徳、1543年〜1590年で47歳で死す。
それにしても、この物語の虚構性の着目が素晴らしい。天正遣欧少年使節が、出発したのが1582年。その年に織田信長は亡くなっている。その天正遣欧少年使節団に、俵屋宗達が法皇に狩野永徳が描いた『洛中洛外図屏風』を献上させるというフィクション。1584年にポルトガル、リスボンに到着。1585年3月にローマ教皇、グレゴリウス13世に謁見する。実に3年の月日を要する。
物語は、京都国立博物館研究員望月綾が、江戸初期の謎の絵師 俵屋宗達『風神雷神図屏風』について、講座で説明するところから始まる。
そこに、マカオ博物館の学芸員、レイモンドウォンが望月彩を尋ねて、マカオに来てほしいと要請する。望月彩は、早速マカオに飛び、そこで絵と文書を初めてみる。マカオは、天正遣欧使節の原マルティーノが死去した場所で、その文書には原マルティーノの文字があった。
俵屋宗達が、不明のことが多いので、そこに妄想を働かせて、俵屋宗達の物語を作り上げる手腕は、さすが原田マハである。
京都の扇屋の俵屋の息子、伊三郎は、扇の絵を描くのに優れており、その扇の絵が目につけられ、織田信長に召されて、絵を描くように言われる。そのとき12歳であった。織田信長は、見たこともないものを描けという注文をしたら、伊三郎は 杉戸に象の絵を描いた。これは、伊三郎が近くにある南蛮寺で見かけたものだった。伊三郎は、見たこともないことを描くということで、実物の象は見たこともなかったが、描ききった。信長は、それを褒めて、宗達という名前をつけた。俵屋宗達の始まりである。
そして、宗達の父親は、絵師にするために狩野永徳におとづれ、宗達を弟子入りさせてほしいと懇願するが、認められなかった。しかし、突然永徳から家に来るように言われ、手伝いとして、3ヶ月間絵の手伝いで、使うと決まった。それは、織田信長が、永徳を使って、『洛中洛外図』を作るように命じたからだ。永徳の『洛中洛外図』は、織田信長に命じられて一度書いたのだが、その逸話が興味深い。
それを上回る『洛中洛外図』を描くように織田信長に言われる。
宗達は、初めての屏風の大作で、永徳の仕事ぶりを膝下と見て、覚え、飛躍的に成長するのだった。また永徳は宗達の才能を認め、織田信長に、狩野永徳の容姿にしたいと申し出るが、信長は認めなかった。信長は、宗達を別の使い方をしたかったのだ。
それが、天正遣欧使節(原マルティーノ、伊東マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリアン)と一緒に俵屋宗達を行かせることだった。そして、宗達は、法皇に『洛中洛外図屏風』を献上させ、ローマの状況の図を描かせて、ローマの実情を知りたいということだった。
そして、天正遣欧使節団は、ポルトガル、そしてローマに向かうところで、上巻は終わる。
織田信長の大胆な構想力と好奇心の凄さ、そして、その下での狩野永徳に対する保護や支援は並大抵のものではなかった。安土城には狩野永徳の絵でうめつくされていいた。
俵屋宗達の風神雷神の図の構想が、日本の絵の構想とは、明らかに違う。宗達がローマまで行った経験があると考えた方が妄想が広がる。ミケランジェロ、レオナルドダヴィンチの絵の影響を受けたということだ。
※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。