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ポールドラローシュ大好き
確かに美術のモチーフでも日本で骸骨のモチーフはまず見ないけど、西洋美術で骸骨のモチーフは見まくるな。
中野 京子
(なかの きょうこ、生年不詳)は、日本の作家[1]、ドイツ文学者[2]、西洋文化史家、翻訳家[3]。北海道生まれ[4]。1979年、早稲田大学大学院修士課程修了[5][6]。オペラ、美術などについて多くのエッセイを執筆する。2007年に発表された『怖い絵』を端緒とする『怖い絵』シリーズが大ヒットとなる。新聞や雑誌に連載をもつほか、テレビの美術番組にも出演する[7][8]。早稲田大学講師[9][10]。『怖い絵』シリーズの刊行10周年を記念して2017年に開催された「怖い絵」展では、特別監修を務めた[11][12][13]。2021年9月に開催された「怖いクラシックコンサート」(東京文化会館)での解説[14]、2022年3月公演の舞台「怖い絵」の監修[15][16]、同年7月上映の「星と怖い神話 怖い絵×プラネタリウム」の監修・解説を担当した[17][18]。
「洪水伝説の多くは神罰に関連づけられている。治水のままならなかった時代の洪水は、そうとでも思わなければ対処できないほどの惨劇だったに違いない。現代でさえそうだ。 3・ 11を経験した我々日本人にはよくわかる。神の怒りというのは、結局は人間に制御不能な大自然の猛威の意なのだ。自然は突然、牙をむく。その時犠牲になった人々が悪いわけではない。 しかしそれでもこうは言える。ノアのように不測の事態に備えておくことで身を守れたかもしれない。また一度死んでも、再び立ち上がる力が蘇ってくるかもしれない。ミケランジェロが描いた助けあう人々の姿、ミレイが描いた一筋の希望。これらの絵は、被災者の胸にも響くものなのだろうか……。少しはそうであってほしい。」
—『災厄の絵画史 疫病、天災、戦争 (日経プレミアシリーズ)』中野京子著
「なぜ人骨であふれているのか ヨーロッパには骸骨寺やカタコンベ(地下埋葬所)があり、観光名所にもなっている。そこは人骨がひしめき(場所によっては数万体)、髑髏や骨を組み合わせて作ったシャンデリア、楽器、紋章などが飾られている。文化の違う者にはそうとうな驚きで、死者への冒涜と思えるほどだが、欧米人にとっては火葬のほうがよほど残酷と映るらしい。キリスト教的考え方だと遺体は死後の復活に必要なので、あくまで土葬でなければならない。 それにしても西洋絵画は──髑髏を抱く聖人や、骸骨姿の死神など──どうしてこんなに人骨であふれているのだろう? いや、その前に、なぜヨーロッパでは、実際にこれほど大量の人骨が残っているのだろう? 土壌なのだ。土壌が違う。 日本の土は(砂地を除いて)概ね火山性で酸性度が高いため骨を溶かす。一方、ヨーロッパの土の多くはアルカリ性か中性のため、いつまでも骨は形を崩さずに残る。つまりふだんから骨を目にする機会が多かった。とりわけパンデミックが発生して遺体を埋める余裕がなくなった場合がそうだ。 骸骨寺の誕生も、ペストの産物という。あまりにたくさんの死者が出て個々の墓が不足し、おまけに誰の骨かもわからなくなれば、一カ所にまとめるしかない(だからといって装飾品にする感覚は、理解不能だが……)。」
—『災厄の絵画史 疫病、天災、戦争 (日経プレミアシリーズ)』中野京子著
「日本の土は(砂地を除いて)概ね火山性で酸性度が高いため骨を溶かす。一方、ヨーロッパの土の多くはアルカリ性か中性のため、いつまでも骨は形を崩さずに残る。つまりふだんから骨を目にする機会が多かった。とりわけパンデミックが発生して遺体を埋める余裕がなくなった場合がそうだ。」
—『災厄の絵画史 疫病、天災、戦争 (日経プレミアシリーズ)』中野京子著
「笑いと恐怖は相性がいいのだ。ホラー映画はそれを熟知しており、小さな恐怖が即座に笑いで否定された後、本物の、身も凍る恐怖が押し寄せてくるパターンはおなじみだろう。」
—『災厄の絵画史 疫病、天災、戦争 (日経プレミアシリーズ)』中野京子著
「さらにはなんとフランスが──カトリック国でありながら国益優先(ブルボン家としてはハプスブルク家を弱体化させたい)とばかり──プロテスタント側についたのだから驚きだ。 主戦場となったドイツは町も村も無残に荒廃し、終戦後の人口は半減ないし三分の一減(中世のペスト禍なみ)、経済は停滞し、後進性は定着し、プロイセンにフリードリヒ大王が登場するまで、無数の弱小国の寄せ集まりのまま大国の草刈り場状態になった。」
—『災厄の絵画史 疫病、天災、戦争 (日経プレミアシリーズ)』中野京子著
「最晩年のレンブラント作品の中のサドル鼻の男 十七世紀黄金時代のオランダに生まれた天才画家レンブラント・ファン・レイン( 1606 ~ 1669)も、最晩年に梅毒の男(『ヘラルド・ド・ラレッセの肖像』)を描いている。だがデューラー作品と違い、レンブラントが描いたのは実在の同時代人。この時には相手が梅毒とは気づかなかった可能性がある。」
—『災厄の絵画史 疫病、天災、戦争 (日経プレミアシリーズ)』中野京子著
「フランドル出身の不世出の画家ピーテル・パウル・ルーベンス( 1577 ~ 1640)が、「王の画家にして、画家の王」と謳われたのはよく知られている。各国の王侯貴族からの注文がひっきりなしだったこと、また当時のヨーロッパ画壇に紛れもない「王」として君臨したことが異名の由来だ。 アントウェルペンに大工房を構え、宗教画、歴史画、神話画、肖像画などありとあらゆるジャンルで傑作を生み、生前から現代に至るまで人気は衰えることがない。貴族ではなかったが貴族風の物腰、温和で誠実な人柄、気品ある容姿、当時の教養語たるラテン語をはじめとして七カ国語に精通、良き夫であり良き父、優れた経営能力、そして圧倒的画才。 さらに一時期ルーベンスは、外交特使としても活躍した。彼の国際的人気を頼みにしたスペイン・ハプスブルク朝のフェリペ四世(この頃フランドルはスペイン領)の依頼で、敵国イングランドとの交渉に力を尽くしたのだ。これによりルーベンスは、フェリペ四世とイングランド王チャールズ一世それぞれからナイト爵を授かっている。 そして一連の和平交渉の記念としてチャールズ一世に贈呈されたのが、次ページの『平和と戦争』( =『マルスから平和を護るミネルヴァ』)だ。」
—『災厄の絵画史 疫病、天災、戦争 (日経プレミアシリーズ)』中野京子著
「 ルーベンス没後二世紀を経て制作されたのが、ロシアでもっとも著名な戦争画家であり、日本とも少なからぬ因縁(後述)のあるヴァシーリー・ヴァシリエヴィチ・ヴェレシチャーギン( 1842 ~ 1904)の『戦争礼賛』(扉絵)だ。 ロマノフ王朝下の帝政ロシアに生まれたヴェレシチャーギンは、ペテルブルク海軍士官学校を出て軍人となるが、絵画への思い止みがたく、帝国芸術院に再入学。次いでパリに留学し、ロシアへもどった後も世界各地を旅して異国の風俗画をものしつつ、従軍画家としても活動した。彼が常々主張していたのは、戦争を描くのなら双眼鏡で覗くだけではだめだ、兵士と同じように飢えや病気や負傷も経験せねばならない、ということだった(その言葉どおり、露土戦争では重傷を負っている)。 またこんなエピソードも残されている。戦時特派員の目撃談だが、バルカン半島の激戦地で弾が飛び交い、撃たれて倒れる兵士がおおぜいいる中、ヴェレシチャーギンは戦場全体を見渡せる場所で小さな折りたたみ椅子に座ってスケッチを続けていたという。海軍学校での訓練や実戦体験があったにせよ、彼には真の肝の太さが備わっていたのだろう。 戦場をテーマにした数多の作品のうち、「トルキスタン戦争」シリーズが世界的に知られているのは、ロンドンの展覧会に出品されて各国の評論家の目に触れたことにもよる。シリーズ中の一点が『戦争礼賛』で、ヴェレシチャーギンの代表作でもある。当時も斬新さで評判を呼んだが、百五十年を経てなお古びていない。現代の画家が描いたアフガン戦争のアレゴリー、と言われてもなんら違和感がないのではないか。時空を超えた普遍性をもつゆえだ。」
—『災厄の絵画史 疫病、天災、戦争 (日経プレミアシリーズ)』中野京子著
「 ルーベンス没後二世紀を経て制作されたのが、ロシアでもっとも著名な戦争画家であり、日本とも少なからぬ因縁(後述)のあるヴァシーリー・ヴァシリエヴィチ・ヴェレシチャーギン( 1842 ~ 1904)の『戦争礼賛』(扉絵)だ。 ロマノフ王朝下の帝政ロシアに生まれたヴェレシチャーギンは、ペテルブルク海軍士官学校を出て軍人となるが、絵画への思い止みがたく、帝国芸術院に再入学。次いでパリに留学し、ロシアへもどった後も世界各地を旅して異国の風俗画をものしつつ、従軍画家としても活動した。彼が常々主張していたのは、戦争を描くのなら双眼鏡で覗くだけではだめだ、兵士と同じように飢えや病気や負傷も経験せねばならない、ということだった(その言葉どおり、露土戦争では重傷を負っている)。 またこんなエピソードも残されている。戦時特派員の目撃談だが、バルカン半島の激戦地で弾が飛び交い、撃たれて倒れる兵士がおおぜいいる中、ヴェレシチャーギンは戦場全体を見渡せる場所で小さな折りたたみ椅子に座ってスケッチを続けていたという。海軍学校での訓練や実戦体験があったにせよ、彼には真の肝の太さが備わっていたのだろう。 戦場をテーマにした数多の作品のうち、「トルキスタン戦争」シリーズが世界的に知られているのは、ロンドンの展覧会に出品されて各国の評論家の目に触れたことにもよる。シリーズ中の一点が『戦争礼賛』で、ヴェレシチャーギンの代表作でもある。当時も斬新さで評判を呼んだが、百五十年を経てなお古びていない。現代の画家が描いたアフガン戦争のアレゴリー、と言われてもなんら違和感がないのではないか。時空を超えた普遍性をもつゆえだ。」
—『災厄の絵画史 疫病、天災、戦争 (日経プレミアシリーズ)』中野京子著
「 ルーベンス没後二世紀を経て制作されたのが、ロシアでもっとも著名な戦争画家であり、日本とも少なからぬ因縁(後述)のあるヴァシーリー・ヴァシリエヴィチ・ヴェレシチャーギン( 1842 ~ 1904)の『戦争礼賛』(扉絵)だ。 ロマノフ王朝下の帝政ロシアに生まれたヴェレシチャーギンは、ペテルブルク海軍士官学校を出て軍人となるが、絵画への思い止みがたく、帝国芸術院に再入学。次いでパリに留学し、ロシアへもどった後も世界各地を旅して異国の風俗画をものしつつ、従軍画家としても活動した。彼が常々主張していたのは、戦争を描くのなら双眼鏡で覗くだけではだめだ、兵士と同じように飢えや病気や負傷も経験せねばならない、ということだった(その言葉どおり、露土戦争では重傷を負っている)。 またこんなエピソードも残されている。戦時特派員の目撃談だが、バルカン半島の激戦地で弾が飛び交い、撃たれて倒れる兵士がおおぜいいる中、ヴェレシチャーギンは戦場全体を見渡せる場所で小さな折りたたみ椅子に座ってスケッチを続けていたという。海軍学校での訓練や実戦体験があったにせよ、彼には真の肝の太さが備わっていたのだろう。 戦場をテーマにした数多の作品のうち、「トルキスタン戦争」シリーズが世界的に知られているのは、ロンドンの展覧会に出品されて各国の評論家の目に触れたことにもよる。シリーズ中の一点が『戦争礼賛』で、ヴェレシチャーギンの代表作でもある。当時も斬新さで評判を呼んだが、百五十年を経てなお古びていない。現代の画家が描いたアフガン戦争のアレゴリー、と言われてもなんら違和感がないのではないか。時空を超えた普遍性をもつゆえだ。」
—『災厄の絵画史 疫病、天災、戦争 (日経プレミアシリーズ)』中野京子著
「ただし天然痘は免疫性も高かった。つまり一度罹れば二度と罹患しない。そこに気づいたインドでは、なんと紀元前一〇〇〇年ころには予防のための人痘法が行われた。患者の膿を乾燥させて弱毒化した後、健康な人間の皮膚に接種して軽い発症を促すのだ。ただしこの人痘法は死亡率が二パーセントと高いのが難点で、十八世紀初頭には欧米でも知られてはいたものの、なかなか普及しなかった。 そんな中、一七六八年にロシアの女帝エカテリーナ二世が自分と皇太子に接種したのはさすがの早さだ。その二年後、デンマーク宮廷で天然痘が流行した時、侍医ストルーエンゼの勧めで二歳の王太子(後のフレデリク六世)が接種した。宮廷中が大反対し、神学者でもある顧問官などは「神の意志への反逆だ」と糾弾したため、ストルーエンゼはまさに命がけの進言だった(これに関しては拙著『残酷な王と悲しみの王妃 2』[集英社文庫]参照)。」
—『災厄の絵画史 疫病、天災、戦争 (日経プレミアシリーズ)』中野京子著
「何にせよ、天然痘は一九八〇年に根絶宣言。現在はワクチン接種も無い。これほどみごとな疫病退治に貢献したジェンナーが、なぜノーベル医学生理学賞を取っていないのかって? 答えは簡単。まだアルフレッド・ノーベルは生まれていなかった。」
—『災厄の絵画史 疫病、天災、戦争 (日経プレミアシリーズ)』中野京子著
「さて、この遠征におけるナポレオンの功績は、古代エジプト研究を飛躍的に高めたことだ。彼は愛読していたゲーテの『若きヴェルテルの悩み』を持参するとともに、学者の一団をもエジプトへ引き連れていった。ロゼッタ・ストーンもそこで発見された。そしてその貴重な遺物をフランスへ持ち帰ることに何の躊躇もなかった。 それは勝者の権利なのだ。後にイタリアやスペインで名画の数々を、ドイツではブランデンブルク門の「勝利の女神像」をも奪うことになる(ルーヴル美術館や大英博物館が「泥棒美術館」と呼ばれるのは故無しとしない)。 エジプトの翌年はシリア。勝利はしたものの、この地ではペストが流行し、犠牲は大きかった。ナポレオンの従軍画家アントワーヌ =ジャン・グロ( 1771 ~ 1835)による『ヤッファのペスト患者を見舞うナポレオン』の完成は、シリア遠征から五年後だ。」
—『災厄の絵画史 疫病、天災、戦争 (日経プレミアシリーズ)』中野京子著
「そして結核は、凡人よりむしろ美しい繊細な女性や才能ある若き芸術家を狙い撃ちすると信じられた。確かに多くの芸術家の命を奪ったのは間違いない。列挙してみよう。( )内は死去した時の年齢。 詩人・作家:キーツ( 25)、正岡子規( 34)、カフカ( 40)、チェーホフ( 44)、シラー( 45)、オーウェル( 46) 画家:ビアズリー( 25)、青木繁( 28)、ジェリコー( 32)、モディリアーニ( 35)、ヴァトー( 36) 音楽家:瀧廉太郎( 23)、ベッリーニ( 33)、ヴェーバー( 39)、ショパン( 39) etc. ロマン主義に浸る当時の頑健な芸術家が、胸を病む芸術家に向けた視線の例を二つあげておきたい。ドイツを追われたユダヤ人の詩人ハイネは、パリ社交界でもてはやされていたイタリア人作曲家ベッリーニと出会い、彼が人気を得るため結核を装っていると邪推し、君はもうじき死ぬぞ、と何度も意地悪くからかって喜んでいた(ほんとうに末期にきていたベッリーニはまもなく死去)。一方、若き日のヴァーグナーはヴェーバーの『魔弾の射手』に熱狂し、結核による彼のスリムな姿を高貴さと結び付けて憧れた。」
—『災厄の絵画史 疫病、天災、戦争 (日経プレミアシリーズ)』中野京子著
Posted by ブクログ
世にも奇妙な人の歴史…やはり語り部として中野京子先生は最強。
想像を絶する人類の歴史や美術などの解説を聞いていると、コロナ禍なんてハナクソじゃねーかって気がしてくる。
やはり私たちはいい時代を生きていますね。
中野京子さんはどのような方法で知識を仕入れているのだろう。
どのように振る舞えばあんなふうに生きられるだろう。
あの人ほど真実に近いところで、あのように優雅に…みたいなことを考えます。
貪欲すぎる知的好奇心、底なしのキャパシティ!
カッコいい。
私はともかく中野京子先生の本を読んでみることで、なんらかの道標を見つけようとしてる、そんな感じなんだ。
これからも応援しております。
Posted by ブクログ
ミケランジェロ・ブオナローティ「システィーナ礼拝堂天井画」
見上げていると首が痛くなる天井に描かれた聖書の逸話。「アダムの創造」が有名だが、ノアの箱舟の物語もある。遠方に方舟、前方には、舟に乗りたくて争う人々。人間の悪意に嫌気がさして大洪水を決めた神だが、洪水が起ころうと何があろうと、悪心を消すことは無理なのでは。
ニコライ・アルボ『オーディンのワイルドハント』
中央付近で槍と弓を持っている女性は、ワーグナーのオペラで有名なワルキューレ。中央にいるのは、ハンマーを持っていることから、マイティ・ソーことオーディンの息子、ソールだ。
ジャック=ルイ・ダヴィッド『テルモピュライのレオニダス』
中野さんの著書で頻繁に取り上げられる絵画。映画『300』で知られる、寡兵でペルシャの大軍に向かった王レオニダス。覚悟を決めたかのように、正面を見つめる彼の周囲には、死を前に感情が高ぶったボーイズカップルが。
ジョン・マーティン『ソドムとゴモラ』T
退廃の町、ソドムで、善き人だったため逃がしてもらえたロトだが、妻がふと後ろを振り返ると、そのまま塩の柱に。死海西岸の岩塩の山には、「ロトの妻」と名付けられたそれらしい塩の柱も立っている。
ギュスターヴ・モロー『ソドムの天使』
同じ題材を扱っていても、こちらは宙に浮かぶ天使がメイン。右手に剣を持っている。
ポール・ドラローシュ『レディ・ジェーン・グレイの処刑』
ヘンリー八世の妹の孫だったジェーンは、王位継承順位が低いにもかかわらず、実父や舅の画策により、女王の座に据えられた。だが間髪いれずヘンリー八世の娘メアリもまた女王宣言。戦いは後者の勝利に終わり、「九日間の女王」ことジェーンは16歳で処刑。ごたごたしていた時代のイギリスを象徴する女性。
史実については歴史的背景も説明してあるので、わかりやすい。
Posted by ブクログ
絵画で見る災厄のお話。
洪水や飢饉などの自然災害はもちろん、ペストやコレラ、梅毒などのパンデミック、戦争などの人災まで。
ナポレオンの進撃もここでは「災厄」として取り上げられていたことには驚いた。
戦争も災厄、まして侵略される側にしてみれば、どこかの英雄も災いか。
ましてナポレオンは自国民へ与えたダメージもでかいし(シベリア遠征で何人お亡くなりになったか)
「怖い絵」展に絡めた話題もちょくちょく。
興味深かったのは、日本人が思う天使像と宗教世界における天使像のそのギャップ。
「怖い絵」展でも話題になったとか。
天使は天の御使いであって、人類を救ってくれる存在とは限らない。
今回、それをまざまざと思い知らされるエピソードはインパクトあり。
怖や怖や。
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