フランソワーズ・サガンの作品一覧
「フランソワーズ・サガン」の「悲しみよ こんにちは(新潮文庫)」「ブラームスはお好き(新潮文庫)」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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小説・文芸
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Posted by ブクログ
「ものうさと甘さがつきまとって離れないこの見知らぬ感情に、悲しみという重々しいりっぱな名前をつけようか、私は迷う」こんな一文から始まる話。
鮮やかな語彙で彩られる細やかな感情たち。美しいと思う。
狡猾な策士なのに、若々しくて至らなさのある主人公。最後のほうのアンヌへの手紙を書く場面は、青春、失敗という単語をイメージした。痛々しく、印象深い。好きなシーンだった。
読み返すと、案外車に関する描写が多い気がする。気のせいかな。
「車の中ほど人に対して友情を感じる場所はないのだ。/もしかしたら同じ死に身を委せているのだった」「車の中は/眠るために具合よくできている」なんだか車って、家みたいな場所だなぁ。そう思わせる意図が作者にあったかは分からないが。
あとがきにも作者の車の話が。さすがに関係ない気がするが!
何というか……甘いような苦いような。幻想的だが生々しい言葉で書かれている。そんな感じ。うーん。この美しい巧みな文章がどれほどよかったか、私は上手く説明できない。とにかく私はサガンの、鮮やかで瑞々しい文章に魅了された。
サガンの別の作品も読んでみたい。サガンの言葉をもっと見たい。
Posted by ブクログ
どんな感情であっても、きちんとあいさつしよう! (笑)
すこし前に、三島由紀夫さん『午後の曳航』の感想で、「解説」にフランソワーズ・サガンさん『悲しみよこんにちは』について書いてあったと教えていただきました。
『午後の曳航』の解説を確認、久間十義さんでした。
みると久間さんが二十代に初めて読んだときの感想が「古典悲劇的」と感じられたそうで、「・・・、意地悪く言えばサガンの『悲しみよこんにちは』の男女を取り違えた変形バージョンであり、・・・」(p216)、と書かれています。特に比較はされていないようでした。
それでは、わたしが片寄った考えで比べましょう。
主人公を比べます。『午後の曳航』は中学一年生13歳男子「登(のぼる)」、『悲しみよこんにちは』は17歳の女性「セシル」、男女は逆ですね。
同じかな、似ているなと思うものをあげます。
ひとつは、大人の「正しさ」や「考え」を押しつけられることへの反発でしょうか。
二つ目、「計画」かな。セシルの計画はコメディ、ちびまるこちゃん的ですけど。
三つめは、両作品とも家族の物語になっているところです。
『悲しみよこんにちは』は、セシルと父親、そして、父親をとりまく女性たちで「家族」だと思いました。
わたしには、アンヌ隊員も含め、みな「ダメダメ」な気がします。まとめて「ダメダメ一家」です。
次に、『午後の曳航』です。登と母親と航海士で家族です。こっちも、主人公の登からみると「ダメダメ一家」です。
同じ「ダメダメ一家」なのですが、主人公の立ち位置が逆なんです。
『午後の曳航』の登は「ダメダメはダメダメ少年団」の一員です。登やほかの団員は「ダメダメ」を許しません。
一方、『悲しみよこんにちは』のセシルは「ダメダメ上等!」のダメダメ姉さんです。
ということで、似てはいるんだけどちょっと違うように思いました。当たり前ですね。(笑)
出版年数とかも書いておきます。サガンさんのほうが古いんです。
・フランソワーズ・サガン 18歳 『悲しみよこんにちは』1954年
・三島由紀夫 38歳 『午後の曳航』1963年
『悲しみよこんにちは』で、強く印象にのこったのは、「文章のカッコよさ」ですね。マネしたくなる気持ちが高まります。でも、田舎のジジイには永遠にムリかなー。
とにかく、カッコよい文章でダメダメ上等!が書かれているように思いました。
これは「ダメダメ宣言」と言ってよいのではないでしょうか。自分はダメダメで生きていくと力強く語っています。
古い秩序からみればダメダメな自分だけど、そこから自由になって、どんなに傷が残ろうが、ダメダメで生きていくぞ、そんな18歳の宣言だと思いました。
わたしもダメダメなひとなので、とっても共感します。
たぶん、サガンさんの18歳の宣言は、彼女の人生をたどることで、答え合わせできるんじゃないかなと思いました。