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「三木那由他」の「言葉の道具箱」「女の子のための西洋哲学入門」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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小説・文芸
Posted by ブクログ
読んでいてハンターハンター24巻でイカルゴがキルアを助けた後のシーンを思い出しました。
今まであの会話がずっと引っかかっていたのですが、この本を読んでようやく腑に落ちました。
キルアは助けてくれたイカルゴに対して、今後はお礼なんて言わない。お前も俺が助けたときにありがとうなんて言うな。友達がサポートし合うのは特別なことじゃないから。と言っています。
これは、『ありがとうと伝えること』と『友達がサポートし合う関係』について、お互いの中での約束事(定義)をしていると言えるのではないかと思いました。
キルアにとっての『ありがとう』は、普通はしてくれないことなのに、してくれて助かった。という意味として捉えられると考えました。
またキルアにとって、友達とはお互いサポートし合うことが当然の関係と思っている。
よってキルアにとって『ありがとう』を言うことは、お互いサポートし合うことが当たり前の関係ではない。と表明しているようなもの。つまり友達ではないと言っているに等しいので、それは『ダサい』ぞということなのだと解釈しました。
この本のおかげで長年の疑問が解決した気がします。
Posted by ブクログ
コミュニケーションは話し手と聞き手との間に約束事を形成するものであり、マニピュレーションは聞き手を話し手の意図通りに操作することであり、両者は区別される必要がある。この両者の様々なズレやバリエーションについて漫画や小説などのフィクション作品における会話を題材に解説していく。素晴らしくわかりやすかった。この本を読むことで実際の会話におけるコミュニケーションやマニピュレーションについてもアンテナを貼ることができるようになるし、小説や漫画の読解力を上げることもできるように思います。
それにしても『鋼の錬金術師』はおしゃれなマニピュレーションの宝庫だな。取り上げられてたところ以外にもたくさん思い浮かんだ。
前半でおしゃれなマニピュレーションの良さを解説しつつ、後半では同じ効果を悪意を持って使用する場面について、こちらはフィクションではなく現実の場面で指摘されており怖さも感じたがなおさら理解することの重要さを痛感した。
Posted by ブクログ
現代分析哲学・言語哲学が専門の方によるエッセイ集。トランスジェンダー当事者によるエッセイ集としても読めるし、その側面が際立つ「『私』のいない言葉」(pp94-102)は、私自身もトランスジェンダーであることもあり、いろいろな幼少期の嫌で悲しい記憶が蘇ってきながら当時抱いていたどろどろした感情の渦に巻き込まれそうになったのだが、しかし、著者は、あくまでも学者なのである。ある方の著書を読み、その本を楽しみながらも、しかし、著者自身が子どもの頃から抱き続けている謎はまだ解けない、と、上記の文章は閉じられ、私も、負の感情に落ち込み続ける危険にはいたらず、むしろ、これまでとこれからを見つめ直すいいきっかけになった。
Posted by ブクログ
「グノーシセアウトン」(汝自身を知れ)
古代ギリシャ語のこの言葉から始まる、「思考する人生」への賛歌のような哲学入門書。
現代の「女性」哲学者20人による執筆であることはもちろん、翻訳者も全て「女性」哲学者、その数13人!
白人男性主体の西洋哲学にあって、白人のみならずアジア系アフリカ系であったりする女性哲学者達が、20の項目それぞれについて、確固たる哲学の知識とともに、もともと「男の子用」だった世界に「男の子用」ではない場所を作るために、全ての人に開かれるべき門を作ってくれている。タイトルには女の子とあるが、もちろん全ての人に、だ。
ただやはり、女性として、白人以外として、抑圧された経験があるからこその、エンパワメントされる内容ではあり。
ある時代のある場所に於いては、白人の奴隷であって、男性の為に尽くす存在であって、中絶などもってのほか、学問など必要無く、黙って言うことを聞くものであった側、自分の本心をひた隠す側だった者達。
考えることを放棄しなければ生きられない、そもそもそれをおかしいと思うこともない、そんな時代にあっても、考え、実行した人は居た。ボーヴォワールをはじめ、フリーダ・カーロ、ハンナ・アーレント、マーガレット・アトウッド、ジュディス・バトラー、、、この本で初めて知ったアンナ・モランディという解剖学者、「闇の左手」のアーシュラ・K・ルグウィン、ラディカル・フェミニズム運動の成果として「コンシャスネス・レイジング」を興したシュラミス・ファイアストーン、、みんなそれぞれの仕方で、思考し、表現した。
様々な実在する/した女性と、物語や映画のなかの女性を例に挙げながら、アイデンティティ、自己知、論理学、科学、人種、ジェンダー、怒りなどについて、回り道を敢えて選ぶようなやり方、つまり哲学していくことが、どんどんと内部に潜っていく感覚の思考実験のようであり、とても深く苦しく心地良かった。
例えば「言語」の章。実際には全ての人に当てはまるにも関わらず、ステレオタイプ的に女性に用いられることが多い言葉について。
「がさつabrasive」「感情的emotional」「小うるさいstrident」などなど、それら記述と評価を混ぜこぜにする言葉のことを「厚い語」と呼ぶ。これを会話に使用することで、反論する為の労力が二倍にも三倍にもなりまた、正確に反論することが難しいそうだ。「そんな意味で言ったんじゃないよ」で済まされてしまう。
「技術」の章ではフランケンシュタインを例にとり、技術と倫理哲学について深く考察している。chatGPTや画像生成、生活が便利になり人によっては楽しめるこのような技術の無邪気な害について、アルゴリズムによる相対的な結論を客観的とみなしてしまうような倫理観の欠如について、考えるべき点があまりに多いなと感じた。
「吟味のある人生を生きたい。」
今はこのように言葉にして表すことができるが、若い女であった頃、どうしたいかわからないが、ただ楽しいだけで良いというのは違う、という感覚が常にあって、そうすると「生意気」「否定的」「和を乱す」などネガティブなイメージがついて回り、好き好んでそう思われたいわけではもちろんないのでイヤな気持ちになることもあった。
歳を重ねて、フェミニズムに出会い(自分の考え方に名前がついたような気持ち)、ハイデガーの「存在と時間」で決定的に哲学の世界に落ちて、深く潜るように思考を巡らせることが自分が「生きている」感覚なのだとわかった。
本のなかに何度となく出てくる「批判的に思考する」ことは、決してマイナスではないのだと改めて勇気を貰えた気がした。
ボーヴォワール、読まねば。読みたい本がたくさん増えた!