山田風太郎は「捕まって刑務所に入る悪人を最下等、証拠を残さず悠々と社会生活を営む悪人をその上に、さらに他人を教唆して自分の手を汚さぬ悪人を最上級」と分類している。(解説より)
こちらの短編集でも、自分は一切手を下さず、言われた本人も覚えていないくらいのさり気なく、しかし効果的な言葉を聞かせて殺人を導く犯人が出てくる。さらに医学部出身のため、それぞれの短篇では不思議な病気もでてくる。
『眼中の悪魔』
「自分は手を下さない殺人」の一つで、暗い気持ちで「裁かれなければいけない」と思った相手を自分は一切手を出さずに殺していく物語。しかし「殺人者」の心は更に沈むばかり。
大学生の橘は珠江という娘と恋に陥った。しかし珠江は家庭の経済的問題を解決してくれる年上の片倉氏と結婚する。「橘さん、あなたをいつまでも愛しています」という言葉を残して。
橘は片倉氏との交流から、片倉家を訪問し、片倉家の事情も知ることになる。珠江には、義兄でロクデナシの定吉がいた。定吉は片倉氏に金をせびりに来ている。
それも踏まえて結婚した片倉氏は余裕を見せていたが、ある頃から橘に不安を打ち明けるようになる。「珠江が、見えているようで見えていない、いや、見えないふりをしているのではないか。そして珠江は定吉と情を通じているのではないか?」
医者の卵の橘には、珠江の態度にはある医学の問題があることが分かった。しかし橘はそのことを片倉氏にも、片倉夫人になった珠江にも告げない。そのことにより「死」がもたらされた。
『虚像淫楽』
聖ミカエルに毒物を飲んだ女が運び込まれた。彼女は以前この病院で看護師だった弓子で、自分で以前の勤め先だったこの病院を指定したのだった。付き添うのは弓子の夫の弟である酒井卯助(うすけ)。うすけ少年は、美しい兄嫁の弓子に恋慕を持って見つめている。そして翌日うすけ少年から「兄(弓子の夫)も毒を飲んで死んだ」と知らせてくる。弓子の以前の上司で内科の千明医師は、酒井氏、弓子、うすけ少年との間にある感情のもつれを感じる。
サディズム、マゾヒズム、相手の歓心を買うための行動、美と醜さ、思春期の心の惑い、幻惑とそれが覚める時。人間心理が絡まりあう。
最後はちょっとは前向きに。
『逗子家の悪霊』
山形県の旧家逗子家は、顔の傷を隠す仮面をかぶる当主の荘四郎氏、後妻の馨子夫人、先妻の息子で精神病理者の弘吉、荘四郎と馨子の娘の芳絵。ある日馨子の死体が見つかった。近くを片目を潰された犬がうろつき、「逗子家の悪霊だ」と歌い踊る弘吉がいた。逗子家には「片目の犬」に関する因縁話が会ったのだ。弘吉の容疑は晴れ、第二容疑者は遊びに来ていた東京医科大学(山田風太郎の母校だ!)の伊集院篤医学士。だが彼の容疑も晴れた。
それは、担当の轟警部補に真犯人からの手紙が届いたからだった。東京医科大学の葉梨(はなし)博士は、弘吉と芳絵を伴って伊集院の部屋を訪れる。
その後、それぞれが語る事件の真相は、二転三転、四転五転くらいまでしていきます。なんというか『藪の中』をはっきり犯人示したお話みたいな感じ。事実は同じなんだけど、それぞれが自分の立場から話すとまさに二転三転四転…。読みながら「ええ?今誰の容疑が晴れて誰が犯人なんだっけ?」と思いながら読んでいった。山田風太郎本人の評価は高くないようだけど、あっちこっち振り回されるし、人間の心のぐちゃぐちゃ〜が絡み合って面白かった。
『蝋人(ろうにん)』
矢柄(やがら)は、高校生の頃に恋した相手が旨を患い儚く死んでしまってからは現実の女との関係を結べない。欲望はあるのだが、相手の人間としての手応えに嫌気が差すのだ。
ある日、神宮の森の巨大な木の洞に隠れ住む男女を見つける。二人は地方の村から出てきた兄妹で、傴僂の安二郎と、骨が柔らかくなる奇病に掛かった弥々(みみ)だった。安二郎は妹の病気を直してもらうためにもう歩けなくなっている妹を背負ってきたのだが、東京で荷物を盗まれ、どうしようもなくなり木の洞に妹を隠してなんとか日銭を稼いでいるという。
ヤガラは食べ物を運んでやっているうちに、ミミに欲情し、力付くでモノにする。都会の真ん中にこのような奇病の兄妹が隠れ住み、妹は水母娘。ヤガラの背徳心が大いにかきたてられたのだ。やがてミミは妊娠し、それを知った安二郎は結婚してやってほしいと頼むが、ヤガラは冷たくあしらう。
そんなヤガラの死体が見つかるのだが、その死体の様相は…。
『黒衣の聖母』
学徒出陣から帰ってきた蜂須賀だが、言い交わしてた女性のマチ子は空襲でどうやら死んでしまったらしいことを知る。いつまでも待っていると言って、身体も許したマチ子が死に、とても生きては帰れないと思った自分が帰ってくるとは。
ある日彼は「鏡子」と名乗る売春婦に誘われる。鏡子は美貌を持ち性質も明るい医学生で、言い交わしたが帰ってこなかった相手との間に子供がいて、学費と子供をを立てるために体を売っているという。だが彼女は自分の住まいで服を脱ぐ時、そして情事の最中には暗闇にした。聖母のような鏡子は暗闇では売春婦となり、「もう来ないで。…いえ、すぐにまた来て!」などの表裏ある言葉を投げかける。ある晩情事の終わりに突然電気がついた。そこにいたのは、蜂須賀の知る鏡子ではなく…。
『恋罪』
山田風太郎に、学生時代の同級生から事件相談みたいな手紙が届いているという形式。
新納(にいろ)は学生疎開で見知った黎子(れいこ)に淡い恋心を抱いていた。戦争が終わり再会したレイ子は、伊皿子(いさらご)という飲んだくれ画家の妻になっていた。伊皿子は毎晩のようにレイ子には逢引相手がいるんだとか言って彼女を縛って嬲っているらしい。新納はなんとかしたいと思う。だがある日伊皿子が殺され、容疑者としてレイ子が警察に捕まった。
山田風太郎くん、推理小説家の君の力を貸してくれ給え。
この後事件はコロコロ転がり、さらに思いがけない手紙が届き…
新納の山田風太郎に対する評価が、山田風太郎の自己評価?
『死者の呼び声』
苦学生の旗江は、実業家で苦学生育英会にも投資している会社の社長の事務員に選ばれた。何ヶ月かして、旗江は社長から求婚される。一週間後に返事を欲しいと言われた旗江の家に手紙が届いた。
それは「お嬢様、わたくしは貴女を知りません。けれど、貴女がお美しく賢いお嬢様でいらっしゃることは存じています。どうかわたくしの願いをきいていただけないでしょうか。」という文で始まる不思議な「探偵小説」だった。そこでは、ある新婚夫婦の披露宴で暴露された、新婦の前妻への罪が語られ…。
なかなか凝っている。旗江に届けられた「探偵小説」の真相は?なぜ、誰が、旗江に届けた?そして旗江と社長とこの「探偵小説」の関係は?ここでまた「自分では手を下さず殺人を犯す」犯人が出てきます。やっぱり山田風太郎うまいなあ。
『さようなら』
共産主義の若者と、その恋人が警察に捕まり拷問された。女は生きて釈放されたが、男は死んだ。女は、男の弟に復讐を吹き込む。
だが関係者を二人殺し、警察からの命がけの逃亡、そして戦争を経て、女は気が触れてしまった。やっと探し当てたかつての恋人の弟は、彼女の記憶を取り戻すために大掛かりな仕掛けを…。
これも凄いなあ。かつて弟と女を追い詰め、今は「十年前のあのときと違う場所なのに同じ町にいる」と気がつく二人の警察官の戸惑いには読者も一緒に「今自分はどこにいるんだろう」と惑う。
『黄色い下宿人』
シャーロック・ホームズに捧げるっていうかパスティッシュ。ロンドンである男が行方不明になる。ホームズが解決してすっきり!かと思ったら、黄色い肌の日本からの顔色の悪く落ち着きのない留学生が「たいへん不躾ですが、私にはあなたのその推理にちょっと異論があるのです」という。
歴史上のあの人とこの人が出会っていたら?という小説のパターンの一つなんだけど、「彼」ってシャーロック・ホームズ(が実在したら)と同じ時代だったのか!かなり大変だった「彼」だけど、ロンドンでこのくらい評価されていたらいいよなあ。