皇居南東部に建設された5つの「御府」をめぐる近代史。著者は日経新聞で皇室・近現代史を担当した編集委員(刊行当時)。
日本軍が数々の鹵獲兵器を所有していたことは知っていたが、それが皇居内にあったとは知らなかった。著者によれば、御府には振天府(日清戦争)、懐遠府(北清事変)、建安府(日露戦争)、惇明
...続きを読む府(第一次大戦、シベリア出兵)、顕忠府(済南・満洲・上海事変、日中戦争)の5つがあり、靖国神社と対になる形で天皇が前面に出るかたちで戦死者の顕彰を行っていた。各戦争による戦利品と戦死者の名簿も収蔵されており、中には渤海国に関する石碑もあった。修身の教科書等でその存在は紹介されていたが、皇居内の施設だったため、実際に見学できたのは軍関係者をはじめとする一部の人々でしかなかった(戦死者の遺族も昭和期に入るまで見学は認められなかった)。
帝国日本はいわゆる戦争博物館・戦争記念館を作らなかったが、この「御府」が代替を担っていたことになる。そうなると問題は戦後の収蔵品のゆくえである。著者も現時点でわかっていないという。やはりGHQ資料をつぶさに見ていくしか知る術はないのだろうか。