小名木善行の作品一覧
「小名木善行」の「金融経済の裏側」「後世へ語り継ぎたい 美しく猛き昭和の軍人たち」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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Posted by ブクログ
国家事業として編纂された古事記が単なるおとぎ話や昔話なわけがない、このような考えから漢字の成り立ちや古事記の文章一つ一つにこだわり抜いた現代語訳。「遅」が歌では「治」になってて、ふつう読者は「まあ別に意味はないだろ」と考えがち、というか変わってることに気付きもしないが、著者はこういう所にも意味を見つける。ニニギの命の名前なども従来の説とは違う答えを用意する。独自性があるし、説得力もある。個人的に第三巻が最重要巻
一巻で解説された「知らす」という日本独自の形(としか言いようがない。天皇制という呼称は全くの間違い)が詳しく解説される。天孫降臨の際天照大神がニニギへは知らせ、オモイカネ神には政治を行いなさいと詔を下した。知らすというのは、中つ国を代表し、高天原・創世の神々と祭祀を通して繋がりなさいという意味だ。それは最高権威であって最高権力者ではない。では最高権力者はどうするかというと、政治はあなたが担当してくださいと、民から選ばれた代表を任命する。これには内閣総理大臣であった戦前も戦後も変化はなく、というか摂政・関白、将軍の頃から変化がなく、いきつくのはこのニニギへの詔、神話の時代から日本は天皇が知らし、政治は別のものが担当する、という国政だったのだ。もし天皇が他国の専制君主と変わらないなら、天照大神がこんな回りくどい詔など出すわけがない。政治も祭祀もニニギ一人が担当しなさいと言えばそれでよかったのだから。私たちのご先祖様たちは、その体制では国は長続きしないと見抜いていたのだろう。なぜなら政治を行うと必ず誰かから嫌われるから。そして権威が少しづつ傷ついていく。他国の君主はこれが理解できず、いつも君主の権威を損ない別の王朝に取って代わられた。天皇が国の隅々までお知りになるとは簡単に言うけど、これは並大抵のことではない。国民一人、石ころ一つ、草の一本すら見逃せない。そしてそれらは神々と繋がっており、神々が私たちにもたらしてくれたものなのだ。それについて天皇が国の全員を代表して神々に感謝する。そんなとてつもないことをしてる天皇を国民は慕う。こうして自然と国が統合されていく。天皇が国の事情をお知りになる、それは国民全員の幸せを祈ることに自然と繋がる。そしてこれが国体というものなんだと。もしこれが制度というのなら途方もない制度である。皇室を天皇制などと呼称する輩がいるが、こんなとてつもない国家統合の制度を狙って作り上げて軌道に乗せたのなら、逆にすごいわ。自然にできたんですよ、と謙遜する方がよっぽど驕ってない。そういうわけで、天孫降臨のニニギの段は個人的に古事記で最重要のカ所だと思ってる
アメノウズメ神がナマコを成敗する話とか、ふつう特に深読もしない話にも重要な意味を読み解く著者に脱帽。ていうかこのナマコの話って確かによく分からない。他の古事記の本でも特に解説されない。著者の解説でようやくしっくり来た。国家事業で編纂されたんだから意味がないわけがない。これは現実にあったとか無かったとか関係なく、それが日本と日本人にとって有益ならば教えるべきだ。神話なんて現実の話じゃないんだから教える価値なんかない、というのは誤り。海幸彦と山幸彦の関係もそう。それが現代の日本人にも有益な話となるなら学校で教えて差し支えない。海幸彦と山幸彦の物語が最近になって証明された「しっぺ返し」の法則を先取りしてたとか面白すぎる。海幸彦と山幸彦はたいていただの兄弟喧嘩ということで処理されるが、もっと深い教訓を引き出すことができる。神武天皇の東征は東征なんていう勇ましいものではなく、先進的な稲作技術を日本全国に広めて、日本人全員が豊かに食べていけるような国にしていきたい、という神武天皇の志から始まった。それまではこんなこと考えて実行する人物がいなかった。そしてそれを実現した。神武天皇自身が田植えのやり方を指導されたんだと思うし、やはり神武天皇は特筆されるべき人物であるなと思うし、こんな人物を学校で教えないとか異常事態としか思えない。もし他国に神武天皇みたいな君主がいたら毎日自慢してると思う。先進的な稲作技術の全国的普及が目的だったので、神武天皇一行が各地で歓迎されたのも理解できるし、数年逗留することも理解できる。牧村健志氏の「よみがえる神武天皇 日本書紀の暗号を読み解く」でも、産経新聞の「神武天皇はたしかに存在した」でもその説を採用している。そしてこの神武天皇の志と実践は今上陛下にまで受け継がれており、天皇陛下は自分の食料を自分で育てて、その食料を神々に捧げて感謝することで、モノ作り国家としての国民に模範を示している。世界のどこに自ら田植えを行う君主がいるのだろうか。ナガスネヒコがなぜ悪者で討伐される対象だったのか、本書を読めば分かるだろう。いくら寛容な国でも全てが許されるわけじゃない。盗賊団やテロ集団やその他の狂信的な組織など他人に迷惑をかけるような存在は許されない。寛容さを無制限に許すと寛容がなくなってしまう寛容のパラドックスを日本人は理解していた。(銅鐸については用途が不明だが前述の牧村氏は銅鐸をたたいて豊作を願う迷信が、神武天皇のもたらした先進的で合理的で自主独立的な稲作技術にとって代わり、銅鐸は滅んだと予想している)
Posted by ブクログ
原文→読み下し文→現代語訳
の順番で古事記を読んでいく
やっぱり原文が載ってるがありがたい
著者は、通常の訳者なら無視してしまう原文の何気ない表記でも尊重する
例えば
僕者国神、大山上津見神之子焉、僕名謂足上名椎、妻名謂手上名椎
大山津見神なのに上という文字が入ってるが、これは壱巻で既に解説されてるがアクセント記号である
音読するとしたら「おおやまあ~つみの子ぞ」のようになる
同じように「あしいなつち」「てえなつち」となる。これは弱弱しく泣いているというよりかなり胸を張って堂々と発声してる
また老という漢字も老人というそのままの意味に取らない。老は元々集団のリーダーという意味だ。このシーンは老人が泣いているのではなくなる
最後のシーンで足名椎の表記が足名鉄になってるのも見逃さない
八俣遠呂智も通常巨大な蛇の怪物とされているが、なら最初から八俣大蛇表記でいいじゃない、何で遠呂智という表記なのか
著者が、通常の訳者なら無視してしまう原文の何気ない表記でも尊重するのは、古事記とは太安万侶が何となく編纂したのではなく、国家を一つにまとめるという天皇の勅命で編纂が始まり、それも数十年かけてようやく完成した集大成だからだ
となると、大蛇を退治したとか白うさぎを助けたとかただ何となく話を盛り込んだのではないことになる
そこには、日本人が善しとする価値観、日本人が見てこれは潔い生き方だと納得すること、また特定の民族に限らず全ての人間に共通して最善と思われる国家運営の仕方(権力と権威の分離)を、神語りを通じて提示する
古事記というのはこういう書物なんじゃないかと著者はいう
子どもが楽しむための単なるおとぎ話ではない、日本国家のプロパガンダ書というのも的を外している
著者の説は独自であるが説得力もるように思える
Posted by ブクログ
P202〜P204
◇明察功過
聖徳太子の十七条憲法の第十一条
徳川吉宗の享保20年間、江戸の牢屋に入れられた囚人の数は0人。未然に防ぐことに一生懸命働いた人々の成果。
火事の消火に駆けつけるめぐみはたしかにヒーローだけれど、本当に望ましいのは、そもそも火事も被害も起きないこと。だからこそ、日頃から起こりうる懸念を見越し、人々に周知徹底してもらうことで、未然に災いを防いでいました。
日頃の私たちにも身に覚えがあるように、そうした細やかな気遣いを求める人や、その言動というものは、どうしても煩わしく思えてしまうため、うるさがられてしまうものです。そして、「それでもいい」と、それでも人々の不幸を未然に防ぐために誠実な人がいたからこそ、享保20年間の高い治安は守られました。
戦後のGHQによる神話否定が始まるその日まで、日本人は、ありとあらゆる時代において、和歌を愛しました。なぜなら、和歌こそは、一番に言いたいことを、言うべきことをあえて言わず、それを察する文化だからです。ですから和歌を読むことは「明察功過」を学ぶよき教訓となりました。だからこそわかは「あらゆる日本文化の原点」と言われているのです。
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
この内容が一番感動しました。
グアム島ラインや、縄文人が海を渡ってさまざまな歴史を残してきた証拠など、興味深いことは他にも尽きぬことなくたくさんあって、その中でもこの内容は特に胸を打たれました。
私のお気に入りの図書の中に、
本居宣長『もののあはれ』と『日本』の発見/先崎彰容
があります。あちらにおいては、政治的・道徳的・教養的な価値とは後付けで勝手についたものであり、無理強いして見出さなくてもよいと言われていました。歌いたいから歌う。書きたいから書く。詩も言葉も、本来ただそこにあるだけに過ぎないと。
一方、本居さん自身が研究していた物語のひとつ、源氏物語の作者・紫式部さんは、そのあるがままを認めたうえで、大切なことを教えてくれました。「絵空事(フィクション)でありますからこそ、己の体験から得る、喜びや悲しみ、それらから距離を置き、素直な気持ちで学ぶこともできるのではないでしょうか」___と。
全く両方ともその通りだと思います。
ゆえに、紫式部さんも本居宣長さんも、心を尽くして生涯続けた和歌には、大変に豊かな教養と、ただ感じるだけで良いという、とても穏やかで、そしてときには儚い想いを包み込んだ、生きるために大切なことが宿っていると信じております。
自分がこの世を去るとき、何を想い、何を歌うのか。まだ全くそれは見えませんが、少なくとも、生まれ、体験させてくれた全ての奇蹟に感謝して、そこから湧き出る想いを、于多-うた-にしようと思います。