【伝統が失われた未来と、伝統を活かした未来】
(原材料の高騰を受けて、)これは値上がりの問題ではない。選択肢がなくなる危機だ。
気候変動で秋田のハタハタ漁が壊滅的、原材料が取れない、木桶がつくれない、先代の装置を修理してくれる職人がいない、製品容器を作るところが廃業した。
多様な選択肢が存在する世界から、効率的・合理的なモノだけが残る世界を指向した僕たちの選択の結果ではないか。
しかし、選択肢が多いことが、変化する世の中にレジリエンスを付与する手段になりうるかもしれない。もし、お米がとれない状況になった時に、原料の半分が麦で作られている甲州味噌があるじゃんとなるかもしれない。
伝統とはあなたにとってどんな存在か?
著者は、伝統を失った未来よりも、伝統を活かした未来がいいぞ!と強く信じると言います。
「親から蔵を継いで、この街がずっと続くかわからないし、味噌つくるのがそんなに儲からるわけじゃないけど、でもこの仕事をやっていこうと決めている。そうやって自分が決めたのには、うまく言葉にできないけど理由があるんじゃないかな」と山梨の味噌蔵を継いだ友人の言葉を紹介する。
そう思う理由を紐解くために、この本を書いた。
【〇〇すべきのプラトンと、〇〇であってほしいのアリストテレス】
プラトンの理想:普遍的な理性による個人の知
アリストテレスの理想:現実な善行による集団の知
プラトンの伝統:人間の理性を曇らせる悪習。ベストをつかめ!
アリストテレスの伝統:多くの人が経験によって約束しあうことによってできた習慣の積み重ねが世界を善くする。ベターを更新していこう!
【大文字のDENTOUと小文字のdentou】
DENTOU・・・文字伝承、強者・多数、権威の固定化、秩序、排除差別。
例えば、法律・ルール、近代化の中の西洋的美の礼賛、科学的管理手法の工場。
dentou・・・つくることによる伝承、弱者・少数、価値の変容、多様性、再現性の低さ。
例えば、柳宗悦の民藝運動、印象派の誕生、初期茶道。
大文字のDENTOUの負の側面としては、国家総動員などナショナリズムに利用される。
【DENTOUとdentouの実例】
ジョージアワイン:
ロシアは科学的根拠のあるものしか認めないなか、クヴェリと呼ばれる素焼きの陶器で野生のブドウを熟すジョージアワインは全面的に禁止された。
しかし、ジョージアワインは地下にクヴェリを埋めたり、山の中に野生葡萄種をこっそり植えたりして、生き延びた。ロシアの支配が終わった後、ジョージアという国のアイデンティの拠り所として、ジョージアワインは息を吹き返す。
李氏朝鮮の磁器:
高麗時代の磁器は、中国の技術を高いレベルで取り入れ、美しい装飾的デザインが施されたモノであった。李氏朝鮮になった時に、装飾禁止、白で統一を求められた。作ったら死刑という厳しさであった。著者が朝鮮の博物館に行くと、あきらかに下手になった磁器が並んでいる。その制限の中で、どう美しさを表現するかを真剣に向き合った結果、柳が出会った朝鮮の陶磁器たちが誕生した。大文字の小文字化。
【伝統とは?民藝批判。】
ヘルダーとガダマー:
聖書の伝統とはどこにあるか?という問いにまったく違う角度で考えた二人。
ヘルダー・・・伝統はオリジナルから生まれる。原点聖書が伝統だ。
ガダマー・・・無理っしょ。時代が違うから、原点聖書を当時の同じ状況で読むのは無理。先入観がある。時代時代によって、受け継がれてきた事実に伝統がある。
岡本太郎の民藝批判
伝統は閉鎖的モラル、閉鎖的ギルドの中でむしろ因習的にとらえられてきた。民藝の大文字化。民藝が無銘の工人がつくる至上の芸術になり、有名な天才のつくる至上の芸術と主語が違うだけで文法的は一緒と切り込む。
国家と共同体の二項対立を乗り越える、「社会」の一員としての「個人」像が不足している。
しかし、伝統がひとりの個人としてこの社会に生きることからの逃避になってはいけない。僕たちに必要ななのは、すぐ隣のだれかを信じるための足掛かりとしての伝統だと著者は言う。
【鵜飼のような関係、伝統の担い手になろう】
大文字と小文字の二項対立を乗り越える方法として、対話でもなく、鵜飼の関係性である開かれた隣合いを提唱する。
日本伝統の特殊性に着目してアップデートすれば世界の人が驚く素晴らしい文化が生まれるという意見を目にする。しかし、特殊性に立脚する限り、それは権威の再生産にしかならない。
全ての人間の過去を伝統にすること。全ての人を伝統の担い手とすること。
LINNEの異素材麹SAKE
米ではなく、様々な素材の麹で酒を醸す。分岐前の古いタイプのコウジカビに着目し、蕎麦の実で日本酒を作る。
スイスでは食の流通が絶たれても自給できるたんぱく源として大豆栽培に力を入れている。その中で、スイスから日本の発酵文化を学ぶ機運が高まっている。
長良川の鵜飼
車の行き交う音も、蛍光灯の光もない静かな晩夏の川面。かがり火を眺めながら、ただただ蜜やかな自然のざわめきに耳を澄ませていた。
僕は水で、僕は火だ。
僕は鵜で、僕はアユだ。そしてすべては、川をながれていく。
鵜匠は、漁師であるよりも「鵜のお世話役」としての色合いが強い。関東の海沿いで捕獲された野生の鵜を、鵜匠は自分の家の庭に住まわせて餌をやり漁を教える。文字通り家族のように鵜と暮らす。
隣合う。
あなたも小文字の伝統の継承者になろう
買い支えること。小文字の伝統を体現するものを、つくり手から直接、あるいは発酵デパートメントのような志のあるお店で買って、伝承を盛り上げる。
つくること。
年に一度、手前味噌を作る。
パリでの講演。
「あなたの調査している発酵文化の中には、もうすぐ消えてしまうものも多いでしょう。それについてどう考えますか?」
「すくなくとも僕が生きている限りは、レシピを再現できるから大丈夫です」
そう。自分自身が伝統の一部であることに気づいた。
どう考えるかではなく、どうあるのか。理解ではなく、了解して引き受けること。
【最後に】
伝統のなくなった正解は、変化に弱い硬直した社会になってしまう。それ以前に多様性を失った社会はつまらないと思う。人が人のため、昨日よりも今日のため、効率性や合理性がなくとも、受け継いできたものを受け取り、受け渡そうとしている人の思いは素晴らしいし、僕もその担い手の一人になれるんだという思いを受け取った。