天外伺朗の一覧
「天外伺朗」の新着作品・人気作品や、最新のユーザーレビューをお届けします!
-
作者をフォローする
- フォローするとこの作者の新刊が配信された際に、お知らせします。
ユーザーレビュー
-
分離による痛みを統合するという、一見スピリチュアルな内容で疑って飲み始めたが、メンタルモデルを大きく4つに分別して、それぞれどうやって自分のメンタルが外圧に反応し、自らを守っているかを客観視して、知ることができる本。
著者である由佐氏と天外氏のメンタルモデルが「ひとりぼっちモデル」のため、ひとりぼっ
...続きを読むちモデルからの克服は2人を例にとるとわかる気がするのだが、他の「愛なし」「価値なし」「欠陥欠損」のモデルが統合した立場となる点は気になったが、私自身内面と向き合うひとつの考え方として、この本のノウハウを生活に活かしていこうと思う。
Posted by ブクログ
-
著者は、昨今の学校や会社では激しい競争状態が作られ、恐れと不安を刺激して「自己否定感」が強化されていると危惧する。さらにはこの恐れを掘り下げると死の恐怖に繋がっており、これらの「自己否定感」は「抑圧されたネガティヴな衝動」でもある。
これらの衝動による不快感が意識レベルに上がってくると、その存在理
...続きを読む由を自分の外側に捏造し、逃れようとするのが人間の習性とのこと。例えば、他者にそれを投影して、その他者を激しく責める行動を取ったりする。だから、人は自分の醜い部分を持っている他者を忌み嫌い、必要以上に否定しようとする。
では、この決して健全と言えない状況から、どう脱却するのか。著者は、強い戦士として突っ張るのではく、感情が揺れ動き、弱く、欠点だらけの、ありのままの自分の姿を晒すことの重要性を説く。別の言い方をすれば、「情動の蓋を開ける」ということ。
もし、取り返しがつかないほど評判が落ちるのではないか、後ろ指を刺されるのではないか、という強い恐怖心を持っているとするなら、そこから1歩踏み込み、その「恐れ」を抱いている対象事象そのものを体験してみると良い。往々にして、元々の予想に反して大したことにはならないということに気づく。
平気で自分を晒すことができるようになれば、「自己否定感」は小さくなっていく。同時に自身が所属する組織に「安心・安全な場」ができ、周りの人間も同じように鎧を脱ぎ始めるという好循環が生まれてくる。
まずは、自分のみっともなさを、勢いよく晒して見よう。
Posted by ブクログ
-
新年やっとクリアした1冊め、ホワイト企業の事例はどれも泣ける星5つです!
利益はあくまで結果であり、目的にしてはいけないんだと感じました。
------ここから気になったフレーズ
「会社が儲からなければ社員を幸せにすることもできない」
という場合、利益の追求による業績向上が「原因」で、社員の幸せ実
...続きを読む現はその「結果」ということになる。逆の因果関係は本当にありえないのか?
かつては、企業が社員を不幸にすることで競争に勝てる時代があった。しかし、それはもう限界。逆に、これからは働く人を幸せにできる企業しか生き残れないー
・幸せには長続きしないもの(地位財による金、モノ、社会的地位)と長続きするもの(非地位財による心、安全、健康)がある
・幸せの因子4つ(やってみよう、ありがとう、なんとかなる、ありのままに)
・ES向上は時代遅れ。社員のパフォーマンスは、従業員満足度との相関が高くない一方、プライベートも含めた「社員幸福度」との相関は高い。
・人的資源管理(HRM)では、確かに4つの資源のうちでヒトを最上位に置いてはいるが、他の資源と同じ管理対象の1つとしておかれている。しかし、人は資源(リソース)ではなく、存在そのものとして別格にすべきではないか。
・伝統的な戦略では顧客や市場の分析を起点とする。往々にして顧客至上主義が命題となり、外からの動機付けになる。一方innovationはin(中に)+nova(新しくする)であり、自らの内側、見方、考え方、あり方の刷新が含意される。
・利益は追求するものではなく、追求すべきは、自分たちのあり方、思いの実現に向けた掘り下げと、価値創造に向けた工夫の連続。利益はその結果に過ぎない。ホワイト企業では利を求めない、追わない経営が、結果として利を生み続けている。
・経営学がもたらした3つの病
1. 手法病(手法だけが目的化する)
2. 計画病(定量化が重視される、計画だけで実行されない)
3. 分離病(孤立や対立の文化がはびこる)
・日本は犯罪が少ない世界の中で最も進化した社会であるが、自己否定感が強いため、「社会はどんどん悪くなっている」「日本社会は遅れている」という脅迫観念に取りつかれている。ソニーのようにアメリカ流の合理主義を取り入れて凋落していく企業が続出。
・どうしたわけか日本の経営学者も経営者も欧米の経営学ばかりを追いかけている。もっと日本独自の経営を探求し、世界の企業経営をリードすることはできないだろうか。
Posted by ブクログ
-
参考になる。学術的な裏付けがあるわけではないし、にわかに信じがたい概念も出てくるが、本質はそこじゃない。
自分の深層心理を感じよう、それがどのようなものでもありのままを受け入れよう、だって幼少期までに作られたものだから少なくとも急には変わらない。
そうすると、自分をゆるすことができ、それが外の世界
...続きを読むにもゆるしをもたらす。あるがままに日々を過ごせるようになるとエネルギーが効率的に使えるようになって、その分本来の自分から湧き出てくるアクションを充実させることが出来る。それが生きがいと幸福実感に繋がる。
という話。
Posted by ブクログ
-
由佐さんは絶妙なさじ加減でスピってるのがよかった。
塾生5との最後まで食い違う会話にハラハラ。
Key
・4つのメンタルモデル
・タッチポイント
・生存適合OS
・源
いままで多くの人が「社会的な成功」の方法論を説いてきましたが、そのほとんどが「分離の人生」の教えでした。「分離」したまま社会的
...続きを読む成功を達成する方法論です。
本書では、その一歩先にある「統合した人生」への道をお伝えします。「怖れ」、「不安」、「戦い」、「努力」の人生から、「愛」、「調和」、「平安」、「幸福」な人生への変容です。
生存の何が快で不快か、ということは、思考で判別されてわかるんですよね。だけど、本当に、自分の奥の命が何を求めているのかという世界は、考えても、絶対にわからないです。
もっとシンプルだし、もっと大事にしたいことって、人間がごちゃごちゃ考えている世界より、もっとずっと深いところにあって。愛が欲しいとか、つながりが欲しいとか、もっと自分の人生を自分らしく生きたい、とか。そういう類のものなんですよ。
塾生1「高度成長の時代の人たちとか、そんな感じじゃないですか」
由佐「その世代が、それをやったということは、人間の意識の段階としては、次のスパイラルに登れる可能性があるということだから。だから、前の世代がやったことをずっと繰り返すって、絶対にないんですよね。必ず、世代ごとに進化しています。人間って。だって、宇宙はきっと刻々と、進化しているから。人間も、やっぱり、刻々と進化するわけですよ。なので、前の世代が終わらせてくれたことは、同じことをやる必要がなくて。そこから、次のフェーズに行けるのが、やっぱり、次の世代に生まれた面白さじゃないですかね。」
塾生9「針の穴を探すって、アクセスポイントという言葉を使っていたんですけど、どういう探し方をしているのかなってところを言語化していただけるのであれば、聞いておきたいなという…」
由佐「本人の感情が、どこで揺れるか、です」
(略)
塾生1「そこに揺るぎが出てきて、突っ込んでいくと、開いていく、みたいな」
由佐「そう。だから、揺れてるから、すごい。波動が動くので。そこにチャンスがあるんだけど。(略)」
本当の愛はどういうものかというと、自分の中にある分離を統合して、すべての私があるがままあるんです、というすべての自分を、いい悪いなく感じるところから始まります。本当に命そのもの、という器の中に、自分がいれるようになる。ここから、表現するんですよ、ただ。自分にあるどんな真実とも分離なく。この表現こそが全部、愛から生まれているから。この愛が表現された時に、愛が循環するという形になって。それは、人間の体験としては、もれなく、喜びなんですよ。だから、奉仕という世界がなくなるんですよね。(略)そこに、正しさも、やってあげるも、取引も、何もない。
塾生6「価値なしモデルと、欠陥欠損モデルは、何が違います?(略)」
由佐「人間って、どんな人もいろんな欠陥や欠損があるって思っていて、凸凹な存在じゃないですか。あるがままというのは、いろんないびつな形をしていて、その存在の凸凹であって完全だ、という感じなんですよ、欠陥欠損モデルの人たちのミッションは。価値なしモデルは、行動成果のパフォーマンスじゃなくて、命が存在する『在ること』の価値。欠陥欠損は、でこぼこで『あるがまま』の個性の完全性という感じ」
メンタルモデルは絶対に一人ひとつ。
由佐「皆、痛みはすべてもっているんですよ。持っているんだけど、体を使って、その世界を創造するという行動を起こすには、何かの担当分野があるらしいというのが、私の今の仮説で。」
人間は誰もが固有の肉体をもって事して分離して存在している以上、絶対に避けられない体験があります。それは「痛み」を感じるという体験です。痛みはどういう時に生じるかというと、「自分の内側でこの世界にあるはずだ、と思っていたものが外側の世界にはない」という欠乏・欠損の認識が起きる時です。この世界に生まれてきたあらゆる人間が絶対にあるはずだと思いたいもの、欲しいものは、「自分はありのままで愛される」、という無条件の愛に対する信頼と、絶対的につながっているという感覚から得られる安心感です。
→それによる回避行動の種類
・克服型
・逃避型
この適合OSを自覚できない間は、人生の中で自分の取っている全ての行動は、必ずそのどちらかになっています。つまり、どんなに正しく、素晴らしいと思う行動をしていても、実際にはこの適合OSが見えていない間は、痛みを回避するための回避行動しか本当には人生でしていない、ということなのです。
生存適合OSは完全に個人特有で、それぞれどんな固有の言葉をメンタルモデルとして持っているのか、そしてどんな回避行動を取っているのか、を細かいところまで見ていくと、一人一人必ず異なります。
痛みに触れないように作り出したメンタルモデルを形成しているその言葉は、その人が自分の生きる世界を規定し、固定化させた言霊であり、一人ひとりの生存適合OSを紐解く目的は、まるで呪いのような言霊を見つけ、解除することにあるとも言えます。
特に逃避型の血管欠損モデルの人たちは、大勢の中にいると、不安げな、自身がなさそうな印象を受けることがあります。このモデルは、自分の凹な状態もありのままで完全・完璧であり、その自分としてこの世界に安心していていいんだ、というありのままで存在することへの承認、存在そのものを認知されること、どこにいても自分はここにいていいんだ、という安心を獲得することをミッションとしています。
(略)
ここでは心から安心して自分のありのままで入られて、本音で何を話しても大丈夫だ、と思える場所があなたの人生にありますか?と問われたら、かなり心もとない感じがするのではないでしょうか。
(略)
どんな個性があったとしても、自分はこの世界でありのままでいて大丈夫だ、という安心感は、本当はすべての人が欲しいものだと思います。自分は他の人と比べると何かがたりない、補いようもない欠陥品だ、という痛みをもつ欠陥欠損モデルは、どんな個性があったとしても、私のまま、あなたのまま、ありのままで人は完全・完璧であり、それが人間として美しく、すべての人がただその人のままでここにいていいんだよ、というありのままの自分でただ入られる安心感から生まれる心理的な安心・安全の場をこの世界に作り出し、広げていくミッションを担っているのです。
一人の人間の意識は、人生で織り成される様々体験を通して段階的に進化していきます。個人の意識の発達段階を「ライフ・タペストリー(人生の織物)」と名付けています。自我の発達とともに忘却の彼方に追いやられてしまう、生まれつき持ってきた痛みの裏にある、本当に自分が望む世界を体現し、想像していきていくまでの人間の意識の進化を表したライフ・タペストリー。
「源」という概念は、大いなるもの、神、サムシンググレート、などいろンな表現で語られていますが、私が「源」の存在を初めて感じた体験は、ビジョン・クエストと呼ばれる「魂のビジョンにつながる」ために五日間自然の中で一人で過ごす、というネーティブアメリカンの儀式にアメリカで参加したときのことでした。
「どんな仕事をしているんですか?」という質問に対して、なかなかわかりやすく答えることができません。こんなことを仕事にしたいと思ったこともないし、こんな風になっている自分も五年前ですら想像できなかったと思います。
でも、世の中を変えたいからでも、誰かのためでもなく、自分の一番深いところにある自分を突き動かしている声とその衝動に従って、他の生命に自分の生命が貢献できるように「源」に使われて、その声に応えてやれることを全てやっている、と思える奇跡の連続のような毎日を生きています。
生命の「源」の意識につながって生きる生き方や在り方が、どんな人生を作り出すのか、どんな現実の体験になるのかを、この人生を使って実験し、望む人がそれを生きられるように分かち合いたい。
由佐さんの講座HPより
おまけにその痛みの裏は、この自分がここで、この世界で何をしたいのかっていうその人の自分の使命につながっているんですよ。これ(この講座の)後半でやります。
私生まれた時からずっとすごい分離なんで、とにかくいつも一人ぼっちっていう感じの人生なんですよね。自分の痛みは「いつも一人にされる」みたいな体験なんですけど。だからこそ、「すべてはひとつで命としてつながっている」っていうワンネスの世界にすごい焦がれるんです。それが自分の情熱なんです。だからこんな仕事をしてるわけです。
Posted by ブクログ
天外伺朗のレビューをもっと見る