多田富雄の作品一覧
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Posted by ブクログ
未来は多田先生の思っていた通りに変わった部分もあれば、同じことを繰り返している部分もある。
病院の待ち時間は、クレジットの支払い等が導入され、だいぶ短縮した。
一方で、リハビリやST (Speach Therapist) という職業はまだまだ手薄となっている。
台風による被害は、更に威力を増して残っているし、洪水での被害も発生したばかり。著者はマニュアルでは不十分で、一人ひとりが考えなければならないと説く。
生きているとは何なのか。何不自由なく、生命が脅かされることはなく生きているものの、傷付いて病んでいる自分たちの心。生きている実感が持てない、仕事という作ったものでしか存在の価値を示すことができないから、生きることがわからなくなっている面はあると思う。
タイのNGOで活動する青年の話が強く心に残った。回復する人を見て、自分も生命を回復させられることに感謝する。生きる実感を持つために、病であったり厳しい環境に置かれなければならないというのも妙な話だが、今の現実の社会がそうなのだ。
それらを少しでも自覚し、忘れていたことを思い出すこと。生きているものや人に向き合っていくこと、それでも活動できている今を楽しむこと。
私たちにもできることはそのくらいかなと思う。
Posted by ブクログ
メインは前半の3篇。デンヴァーの研究所に留学していた時に知己になった3人の女性――下宿の大家の老婦人、バーメイドの中年女性、中華レストランの日本人ウエイトレス――それぞれへのレクイエム。よもや自分がこういう形で人の心に残るとは思ってもいなかったかも。
後半には、免疫学者ニールス・イェルネ(1984年ノーベル賞受賞)についての一篇もある。聖者のような、ただの偏屈者のようなイェルネ。遠巻きに心酔する著者。これも静かなレクイエム。
興味深かったのは、著者が「玉」を取り去った話。前立腺がんの治療のためだったが、風通しがよくなって、そして嬉しいことに煩悩もなくなった。その夜見たのは「羽化登仙の夢」だったという。
単行本は2009年11月刊。著者はその半年後76歳で逝去。
Posted by ブクログ
尊敬する経営事務幹部職員さんから「社会科学の目と構え」を学ぶ上で、参考になる1冊があるとの紹介を受け購読した。本来、人に薦められた本を読むことはほとんどないが、今回の3冊は全て紹介書籍であり、自分でも珍しいと思っている。
国際的な免疫学者であり、能の創作や美術への造詣の深さ、文学や詩集にも広い知識をでも知られた著者。2021年に脳梗塞で倒れ、右半身麻痺、言語障害、嚥下障害に対してリハビリテーションの日々を綴る。常に自死念慮にとらわれながら、日々関わるセラピストや家族・知人との交流もあり、深い絶望の淵から這い上がる。リハビリを続け、真剣に「生きる」うち、病前の自分への回復ではなく、内なる「寡黙なる巨人」へ目覚めていく。病後の充実した人生の輝きを放つ見事な再生を、全身全霊で綴った壮絶な闘病記と日々の思索が感銘を受ける。特に、2006年に起きた小泉構造改革による疾患別リハビリ日数制限への憤りと改善運動に傾注した著者の人権意識は、受け継ぐべき倫理観であると確信する
私見
理学療法士である自分が、30年以上患者・利用者の声をナラティブに聞いてきたつもりではあったが、こうやって文章として読んだ時に、まだまだ患者・利用者の声を聞き切れていない自分が恥ずかしい。若くして片麻痺となった主婦。子育て・家事の中で、明るく振る舞われているが、気づけばうつむき加減になって麻痺した右手をみて涙されるシーンを幾度見てきたことだろうか?セラピストとして働く時間は極端に少なくなったが、セラピストの後輩のために、共に学ぶ月1回の「脳の勉強会」を再開する。2000年9月にスタートして20年以上、コロナ禍で2年間の休止期間を余儀なくされたが、2月から感染対策をしながらテキストを用いて、私の生涯の課題である片麻痺・神経疾患セラピーの学習の再開は、嬉しい限りである。共に学ぶ意思を持って10名以上の職員が忖度して参加してくれるのには、申し訳ない気もするのですが…
なお、本書にはセラピストへの不満も遠慮なく記載されているのだが、一部誤認、もしくは病院によるセラピーの質の問題提起がなされる。著者発症した2001年当時の嚥下リハビリテーションで言えば、1990年代より当時の聖三方原病院の藤島一郎先生が嚥下リハビリテーションを確立し、多くの著書を書き、嚥下リハビリテーションは全国的に随分普及していたと記憶している。1990年後半には言語療法士が国家資格として言語聴覚士となり、2002年の診療報酬改定では、PT・OTと同じ点数になった。しかし、1990年代後半のいわゆる「ノーパンしゃぶしゃぶ事件」等に代表される金融不祥事と省庁再編(厚生省と労働省が合体して、厚生労働省など)と共に、小泉構造改革による医療費抑制政策は極限となり、我々リハビリテーションの分野では疾患別リハビリテーション料の導入に伴う、疾患別リハビリ日数制限問題は、大きな社会問題となり、短期間で40万を超える署名と共に、異例の2007年リハビリ診療報酬改定となり、逓減制の導入などで迷走して、2008年に診療報酬改定で期限越えの医療的リハビリテーションは月13単位(1単位20分)が認められ、小児リハビリは18歳まで無制限などとなった。この経過を患者側として運動を牽引して頂いた多田先生には、感謝しかない。