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【第7回小林秀雄賞受賞作】国際的な免疫学者であり、能の創作や美術への造詣の深さでも知られた著者。01年に脳梗塞で倒れ、右半身麻痺や言語障害が残った。だが、強靭な精神で、深い絶望の淵から這い上がる。リハビリを続け、真剣に意識的に〈生きる〉うち、昔の自分の回復ではなく、内なる「新しい人」の目覚めを実感。充実した人生の輝きを放つ見事な再生を、全身全霊で綴った壮絶な闘病記と日々の思索。
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Posted by ブクログ
60代半ばにして脳梗塞に倒れた免疫学者は、右半身の自由と言葉を失う。倒れる瞬間のこと。動かなくなった体のこと。病室のベッドでのこと。リハビリ。科学者は自分の体でさえ、ここまで客観的に観察し言葉にできるのかと驚く。と、同時にこの国での障がい者の暮らしにくさを思う。闘病記でありエッセー。
尊敬する経営事務幹部職員さんから「社会科学の目と構え」を学ぶ上で、参考になる1冊があるとの紹介を受け購読した。本来、人に薦められた本を読むことはほとんどないが、今回の3冊は全て紹介書籍であり、自分でも珍しいと思っている。 国際的な免疫学者であり、能の創作や美術への造詣の深さ、文学や詩集にも広い知...続きを読む識をでも知られた著者。2021年に脳梗塞で倒れ、右半身麻痺、言語障害、嚥下障害に対してリハビリテーションの日々を綴る。常に自死念慮にとらわれながら、日々関わるセラピストや家族・知人との交流もあり、深い絶望の淵から這い上がる。リハビリを続け、真剣に「生きる」うち、病前の自分への回復ではなく、内なる「寡黙なる巨人」へ目覚めていく。病後の充実した人生の輝きを放つ見事な再生を、全身全霊で綴った壮絶な闘病記と日々の思索が感銘を受ける。特に、2006年に起きた小泉構造改革による疾患別リハビリ日数制限への憤りと改善運動に傾注した著者の人権意識は、受け継ぐべき倫理観であると確信する 私見 理学療法士である自分が、30年以上患者・利用者の声をナラティブに聞いてきたつもりではあったが、こうやって文章として読んだ時に、まだまだ患者・利用者の声を聞き切れていない自分が恥ずかしい。若くして片麻痺となった主婦。子育て・家事の中で、明るく振る舞われているが、気づけばうつむき加減になって麻痺した右手をみて涙されるシーンを幾度見てきたことだろうか?セラピストとして働く時間は極端に少なくなったが、セラピストの後輩のために、共に学ぶ月1回の「脳の勉強会」を再開する。2000年9月にスタートして20年以上、コロナ禍で2年間の休止期間を余儀なくされたが、2月から感染対策をしながらテキストを用いて、私の生涯の課題である片麻痺・神経疾患セラピーの学習の再開は、嬉しい限りである。共に学ぶ意思を持って10名以上の職員が忖度して参加してくれるのには、申し訳ない気もするのですが… なお、本書にはセラピストへの不満も遠慮なく記載されているのだが、一部誤認、もしくは病院によるセラピーの質の問題提起がなされる。著者発症した2001年当時の嚥下リハビリテーションで言えば、1990年代より当時の聖三方原病院の藤島一郎先生が嚥下リハビリテーションを確立し、多くの著書を書き、嚥下リハビリテーションは全国的に随分普及していたと記憶している。1990年後半には言語療法士が国家資格として言語聴覚士となり、2002年の診療報酬改定では、PT・OTと同じ点数になった。しかし、1990年代後半のいわゆる「ノーパンしゃぶしゃぶ事件」等に代表される金融不祥事と省庁再編(厚生省と労働省が合体して、厚生労働省など)と共に、小泉構造改革による医療費抑制政策は極限となり、我々リハビリテーションの分野では疾患別リハビリテーション料の導入に伴う、疾患別リハビリ日数制限問題は、大きな社会問題となり、短期間で40万を超える署名と共に、異例の2007年リハビリ診療報酬改定となり、逓減制の導入などで迷走して、2008年に診療報酬改定で期限越えの医療的リハビリテーションは月13単位(1単位20分)が認められ、小児リハビリは18歳まで無制限などとなった。この経過を患者側として運動を牽引して頂いた多田先生には、感謝しかない。
凄いものに 触れてしまった! お前は ちゃんと 生きているのか お前は それで いいのか お前は そんなこと 言えるのか むろん 多田富雄さんは そんなことは 一言もおっしゃらない 読んでいる方が 自ずと 自分の「これまで」と「いま」を 勝手に思い、勝手に考えさせられてしまう だけである 折に...続きを読む触れて 手に取ってしまう一冊が またできました
文句なしの名著。 半身不随、しゃべれないし、 ヨダレを垂らしながらも頭脳明晰な大学者が 豊かな言葉で、臨死体験や介護される側からの 視点で日々を語る。 再読したい。
死よりも過酷な運命があるとすれば、まさにこのことではないか。 著者は65歳で脳梗塞を患い、半身不随となった。身体の自由を奪われ、声を上げることもできず、食事や飲水さえ自力で飲み込むことができない。 もし同じことが自分の身に起きたら、果たして生き続けようとすることができるだろうか。だが著者は生きた。い...続きを読むや、むしろ病を得たことで真に「生きている」と感じるようになる。 つらいリハビリの中である日、麻痺した右足の親指がピクリと動いたとき、著者の目から涙がこぼれる。自分の中で新しい何かが生まれた。著者はその感動を「物言わぬ鈍重な巨人が目覚めた」と表現する。 9年間に渡る闘病生活で、著者はそれまで触ったことすらないパソコンと格闘しながらいくつもの本を書き、新作の能を発表した。生きるとは何か。われわれは本当に「生きて」いるか。 解説・養老孟司
これは凄い。開始10ページで、もうガツンとやられる。脳梗塞による麻痺。痰を除去する看護婦の上手い下手。このもどかしさや不安に触れる事自体、入院患者のリアルな関心事を反映しており、臨場感がある。臨場感があって、絶望感があって、無力感があって。それで、もう開始早々にガツンと来てしまう。嗚咽。感情失禁。ま...続きを読むるで海藻に囲われた海の底のような孤独。心や思考はそこに存在するのに、自分の身体が動かない。麻痺。自らが栄光を勝ち得た巨人。 病気になってはじめて、生きる感覚を味わうような。その事は感覚的にわかる。生きる感覚。考えさせられる一冊である。
圧倒されました。本文中に「私のように日の当たるところを歩いてきたものは、逆境には弱い。」との行がありますが、とんでもない!寡黙なる巨人は、鈍重な巨人かもしれませんが、不屈の巨人であり、明晰なる巨人であり、饒舌な巨人であり、そして戦う巨人でもありました。日の当たる道、とは免疫学という学問の道であり、能...続きを読むという芸の道であり、いかに知性いう太陽が人間の強さを育むのか、と驚愕しました。脳梗塞を始め、自分の体の機能が自分でコントロールできなくなるのが当たり前になるのが高齢化社会の我々です。その日が来た時に、著者のように自分の思うにならない身体の中に「新しい人の目覚め」を見出し、希望を託すことが出来るか?本書は、とんでもない勇気がわく人間礼賛の書です!
柳澤桂子さんとの往復書簡を読んでいた時、ちょうどテレビで多田さんがテレビに出られていた。 自作の能が舞台になったときの、多田さんの晴れやかなお顔や、この著書で小林秀雄賞を受賞されたときの姿を拝見した。 今は亡くなられ、しかし精一杯生きたその人生に、新たに敬意をもった。 読んでみて、”巨人”の意味す...続きを読むるところが理解できたが、そのときの目が開かれる思いは、簡単に、感動という言葉に置き換えるにはあまりにも軽く、多田さんの冷静で熱い決意に言葉がない。 多田さんが、懸命に尽くしてくれる奥さんに、ありがとうと言えることができない・・・という箇所に胸が詰まった。 脳梗塞など、突然倒れ半身不随になったりすることは、誰にでも起こりうること。自分がもしそうなってしまったら、その時自分は何を思うのだろう。
脳梗塞で半身不随になった学者の素晴らしいエッセイ集。 前半は、発作の直後から、死に近づいた瞬間のようす、その後の思うに任せない苦しいリハビリの様子が、読み続けるのが怖く、辛くなるほどの克明さで綴られる。 後半は、発病前の自分ではない「新しい人」として生まれ変わっての暮らしの様子を軽妙に。 どんな...続きを読むに時間をかけて書き上げたのだろうか。不自由さを全く感じさせない美しい文章が並ぶ。 あとがきに記された、リハビリ中の患者を置き去りにする保険診療改悪に対しての主張と怒りには、強い説得力があった。
著者の多田富雄は、野口英世記念医学賞などの内外多数の賞を受賞し、国際免疫学会連合会長も務めた世界的な免疫学者。 本書は、2001年に脳梗塞で倒れ、右半身不随になるとともに声を失ってからの約1年の闘病生活を自ら記した『寡黙なる巨人』に、その後6年間に綴ったエッセイを加えた作品集である。2008年の小林...続きを読む秀雄賞受賞作。 著者は、“その日”に起こったことを、「all the sudden」、「あの日を境にしてすべてが変わってしまった」、「カフカの『変身』は、一夜明けてみたら虫に変身してしまった男の話である。・・・私の場合もそうだった」、「あのおそろしい事件」・・・と言葉を替えて言い、「私の人生も、生きる目的も、喜びも、悲しみも、みんなその前とは違ってしまった」と記している。 著者の、免疫学者・医師であるが故の、臨死体験とも言える経験、半身不随による痛み、嚥下障害の苦しさ、言語障害の辛さ、リハビリの効果と限界などについての記録は、冷静かつ緻密である。しかし、“その日”を境に“変身”してしまった、ひとりの人間としての絶望感、孤独感は(きっと)他の患者と変わることなく、その感情を飾ることなく著すとともに、「リハビリを始めてから徐々に変わっていったのだ。もう一人の自分が生まれてきたのである。それは昔の自分が回復したのではない。前の自分ではない「新しい人」が生まれたのだ。・・・その「新しい人」は、初めのうちはまことに鈍重でぎこちなかったが、日増しに存在感を増し、「古い人」を凌駕してしまった」と、「新しい人」の目覚めを繰り返し描いている。 全く異なるシチュエーションながら、1998年の富士スピードウェイでの事故による死の淵からの生還を描いた太田哲也の『クラッシュ』が思い浮かぶが、いずれも著者の、折れそうになりながらも、絶望を乗り越えて新しい自分を見い出していく、強い意志には感服するばかりである。 自分が同じような状況になったとしたら、と考えずにはいられない。 (2011年1月了)
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