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ちくま評伝シリーズ
取り上げる人々●スティーブ・ジョブズ ●長谷川町子 ●アルベルト・アインシュタイン ●マーガレット・サッチャー ●藤子・F・不二雄 ●本田宗一郎 ●ネルソン・マンデラ ●レイチェル・カーソン ●黒澤明 ●ココ・シャネル ●ヘレン・ケラー ●ワンガリ・マータイ ●岡本太郎 ●市川房枝 ●安藤百福●オードリー・ヘップバーン ●陳建民 ●マリ・キュリー ●魯迅 ●フリーダ・カーロ ●やなせたかし ●インディラ・ガンディー ●小泉八雲 ●石井桃子 ●武満徹
人を知り、世界を知ろう
「立派な人」として紹介するのではなく、失敗や挫折、それをどう乗り超えてきたか等「等身大の人」として紹介する評伝シリーズです。
調律された音楽、つまり、学校で習う音楽や、コンサートで演奏される作品、ラジオから流れる歌、そういった耳に慣れるように整えられた音楽だけがすべてではないと武満は考えていました。われわれが生活するすべての空間には、さまざまな音があふれています。騒音や雑音もまた、ひとつの音です。 風の音も、鳥の声も、動物の鳴き声も、工場から出る機械の音も、あらゆる音が河 のようにこの世界を流れていると武満は感じていました。そして、それを意味づけることが作曲することだと言っています。
武満が影響され、また親交もあった、ジョン・ケージという作曲家がいます。ケージの代表作『4分33秒』は、現代音楽を象徴するような作品です。その作品では、 演奏そのものが行われません。つまり、ピアニストがステージに登場し、ピアノの前に座り、そしてピアノのふたを開けるだけで演奏は行わず、四分三十三秒後にピアノのふたを閉め退場します。その間の、会場の雑音や人のざわめきを音楽作品としたのです。
ある日、文楽の義太夫を耳にした武満は、その三味線の音に衝撃を受けたのです。 文楽とは江戸時代初期にさかのぼる歴史を持つ人形総居で、日本の伝統芸能のひとつです。義太夫とは文楽の芝居の中で太夫という歌い手によって、歌い語られる曲のばんそうことです。太夫の歌と語りを伴奏するのが三味線です。 その三味線の奏でる音の激しさに、武満は感動しました。それは武満にとって日本の楽器、つまり期楽器の発見でした。 偶々耳にした文楽の義太夫、殊に太構の鶴律の激しさは、西洋楽器とは別の音たまたま 楽世界を私に知らせたのだった。一丁の太棹三味線が現前する世界は、百もの異なった楽器が織り成す西洋オーケストラの響世界に較べてるものではなく、 むしろ笑したものに(私には)感じられた。(『武満徹、エッセイ選』)
尺八が理想とする音のひとつに、「竹やぶを吹き抜ける風の音そのものになること」があります。それは、自然の森羅万象とひとつになることです。そのために演奏者は練習を重ねていました。
琵琶と尺八
武満は作品の多くを、長野県御代曲町の直で作曲しています。浅間山の麓にあるふもと小さな落ち着いた町の、森の中にある山荘は、武満が作曲に集中するための大切な仕事場でした。 映画や舞台、ラジオ、テレビなど、東京でなければできない仕事もあり、多忙な武満にとって、御代田の森は、オーケストラ作品など大きな仕事に落ち着いて取り組める場所でした。『ノヴェンバー・ステップス』も、この山荘から生まれた作品です。 毎年、気候の良い五月から一〇月にかけて、武満は、時間の許すかぎり、御代田の森の中の山荘で過ごしました。その生活は規則正しいものでした。朝八時頃に起き、 食事を摂ると、九時頃には、寿可屋で使うような大きな湯のみ紫碗いっぱいに入れた日本茶を持って仕事部屋に入り、作曲を始めました。机には消しゴムと鉛筆が、いつもきれいに並べられていました。お昼を食べ、また部屋に戻ると、夕方の六、七時頃まで仕事に取り組みました。
作曲に疲れると、森の中を歩きました。木々を渡る風の音や、鳥の鳴き声など、 森から聴こえてくる音は、武満にとって自然が奏でる音楽であり、作曲に欠かせないイ ンスピレーションを与えてくれる大切なものでした。
武満には、作曲を始める前に必ず行う儀式のような習慣がひとつありました。それ は、一八世紀ドイツの作曲家、音楽の父とも呼ばれる・・バッハの『マタイ受難 曲』の一節をピアノで弾くことでした。そうすることで気持ちが落ち着き、作曲をするための心の準備が整ったのです。