風野真知雄作品一覧
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3.7黄巾の乱を横目に少年期を過ごした馬超――“無様な死に方だけはしたくない。圧倒的に強くなってやる”と、心に誓った彼は、父・馬騰の盟友である韓遂から刀を習う。そして半年で、泳ぐ魚を斬るほどの腕を身につけた馬超は、西暦194年、二百騎を統率して長安を攻め、大将の首を七つ取るという見事な初陣を飾るのであった。その後も厳しい修練を積み、西暦202年の「汾水の戦い」を経て、めきめきと頭角を表していった馬超は、西暦211年、曹操率いる二十万の大軍と激突する。世にいう「潼関の戦い」である。騎馬隊の先頭で、十万の大軍を指揮する馬超は、疾風の如く馬を走らせ、凄まじい活躍を見せる。そして、宿敵・曹操をあと一歩のところまで追い詰めるのだが……。屈強な肉体と際立つ腕っ節、あでやかな姿から「錦馬超」と称えられ、恐れられた豪将・馬超。戦場を駆け抜けるその勇猛果敢な姿を描ききった長編力作小説。
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5.0信長はどのように死んだのか?殺したのは誰なのか? 日本史上最大の“密室”の謎が、いま解き明かされる!? 「上さまをもっともお慕いしているのは、この光秀である――」天正10年(1582)6月1日。織田信長は茶会を催すため、わずか30人の警護を伴って京の本能寺に入ったが、 明智光秀はそれを心底憂えていた。そこに集まったのは信長を討たんとする「刺客」ばかり。そして、このまま信長が誰かに殺されるのをみすみす許すくらいならば、いっそわが手で、と挙兵を決意する。だが翌日、本能寺を取り囲んだ光秀は、信長がすでに殺害されたことを知る。居合わせたのは太政大臣の近衛前久や博多の島井宗室など、信長に恨みを抱く公家や豪商ばかり。いったい誰が? どのような方法で? 憤怒に包まれた光秀の、犯人捜しが始まった!
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