あらすじ
「簡単なことだ。あたしを殺せばよろしい」と騎士団長は言った。「彼」が犠牲を払い、「私」が試練を受ける。だが、姿を消した少女の行方は……。暗い地下迷路を進み、「顔のない男」に肖像画の約束を迫られる画家。はたして古い祠から開いた異世界の輪は閉じられるのか。「君はそれを信じたほうがいい」――静かに魂を揺さぶる村上春樹の物語が、いま希望と恩寵の扉を開く。
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Posted by ブクログ
手を繋いで保育園から自宅まで帰るラストシーンは村上春樹作品には珍しいのでは、と思う。だいたいが、大切な人の何かが損なわれてしまって、読んでいてモヤモヤするものが残るパターンが多いのではないかと…。
復縁⇒子育て(しかも愛情がたっぷり)のこの図式は歓迎。
Posted by ブクログ
面白かった。途中までは妻に振られた男のリアルな話だったのに、急に騎士団長が現れ少しづつ不思議な世界になっていく。リアルな世界はとことんリアルだからこそ、非現実的なイデアやメタファーといったものが不思議と浮かび上がり、またリアルに存在するかのように感じられた。
メタファーの世界はとてもワクワクした。
最終的にはユズとヨリを戻したようだが、大丈夫か?ユズは「あなたは変わった?」と聞いていたが、結局何が嫌で別れを切り出したのか曖昧だったし、主人公も別に変わろうともしていないようだった。同じことの繰り返しにならないかと不安になった笑
最後に東日本大震災の描写があった。付け加えたのだろうか。白いスバルフォレスターの男は二重メタファーみたいな、心の闇の部分だと推測した。その時にドンなアンナが言った「目に見えて触れるものを想像しろ」というような言葉は好きだった。私も何かネガティブになりそうに、二重メタファーに心を支配されそうになったら、目に見えて触れる何かを想像しようと思う。
Posted by ブクログ
雨田具彦の介護施設からの流れで、騎士団長殺しの絵の登場人物がオールスターキャストで出てくる。イデア、メタファー、時間、空間。
騎士団長は自分のことをイデアだと言い、顔ながは自分のことをメタファーだと言う。
顔ながはさらに、生身の人間がメタファー通路に入るのは危険だ。順路を間違えると、とんでもないところに行き着くことになる。奥の暗闇に潜み、とびっきりやくざで危険な生き物である、二重メタファーがあちこちに潜んでいる。と言う。
有と無の間には川が流れていて、顔のない男の船に乗らないと渡れない。
イデアを理解するというのは顔のない男の肖像画を描くようなものだと理解すればいいのか?それがイデアを理解すると言うことのメタファーなのか?
雨田具彦も何らかの物質化したイメージを見ていたと思う。亡くなる間際でずっと自分一人で抱えて来たものが何らかの形で晴らされてスッキリできたよう。よかった。
主人公が騎士団長を殺し、メタファー通路に入ったことと秋川まりえの救出とが今ひとつ結びつかない。騎士団長は秋川まりえを救出するためには自分を刺さなければならないというような意味のことを言っていたと思うのだが。開いた環を閉じることと秋川まりえを救出することとの関係は?
主人公がイデアやメタファーを経験し、二重のメタファーに飲み込まれる前に抜け出すためには、穴が塞がれていて中が暗闇になっていなければならなかったのか?そのために秋川まりえが免色の家に忍び込むんだとき、騎士団長が見つからないようにした(時間を稼いだ)のか?その間に免色さんは秋川まりえが穴に落ちた可能性を考え、穴を塞ぐと予想してのことだったのか?
鈴と出刃包丁が空間を移動したのは誰の手によるものか?ペンギンのお守りもそうかもしれない。
クローゼットの前にいた人は免色さんかもしれないけど違うかもしれない、というようなことだったが、結局何だったのか?
スバルフォレスターの男は結局何だったのか?主人公の何か汚い部分のようなものなのだろうけど、イマイチ腹落ちできる表現ができない。
ユズは妊娠をキッカケに、自分の人生は自分で決めて来たつもりだったけど、何かに決められているような気がすると言う。「神の見えざる手」的な考えか?
免色さんは自分の子供である(自分の遺伝子が入っている)可能性がある秋川まりえと暮らしたい(暮らすためにどうするか)と考え、主人公は常識的に自分の子供ではない(遺伝子が入っていない)子供と暮らすことを選ぶ。血のつながりとか遺伝子を残すことって何なのか?
怪しい宗教にのめり込んでいるらしい、まりえのお父さんを話に絡めてもらいたかった。
第一部を読み終わってから、第二部を読むまでに時間を置いてしまったせいか、そもそも理解力不足か、第一部で張られた伏線がたくさんあったと思うのだが、第二部を読み終わった今、まったく回収できないモヤモヤ感が強い。村上春樹の作品では大体いつもそうなのだが、いつも以上にその感覚が強い。
Posted by ブクログ
秋川まりえが行方不明になって、主人公は試練を受けた。
病院から家の穴についた。
免色に助けられ、秋川まりえも助かった。
その後ゆずとも復縁し、広尾のマンションに戻って子供を育てた。
なんかジブリみを感じたなあ。結局妻にフラれて別居していた8ヶ月間、というだけの話ではあるけど騎士団長殺しの絵を媒介にいろんなことが起こる、と言う感じだった。
たまに示唆的なことを言うのが好き。
面白かった。と思う。
Posted by ブクログ
絵を完成させたことで動き始めた物語なだけあって、完成しない絵の方も大きな意味を持っていることがよく分かった。たぶん「白いスバル・フォレスターの男」は主人公のよからぬ感情の象徴で、「秋川まりえの肖像」はまりえを手に入れたいと望む免色の怖さを表している。前者の未完成は主人公が真っ当な人生を歩むことに繋がり、後者の未完成によってまりえの安全が保たれた。「騎士団長殺し」は焼失することで役目を終えた。最後に主人公によって「白いスバル・フォレスターの男」が未来の「騎士団長殺し」のようになることを危惧しながらもその完成を最終的には望んでいることが示唆されるが、再婚することによって独りで無くなった(=他人と共同生活を送らなければならない運命になった)彼にとって自分のよからぬものを克服することが今後の目標となったという意味だと思われた。
絵の完成具合とストーリーラインがリンクしている構造はとてもおもしろい。ただ『世界の終り』や『ねじまき鳥』でも感じたが、「地下に降りていって何かと戦う」という段階になると物語が単調で退屈になる。中短編だと丁度いいが長編だと長く感じる。
Posted by ブクログ
あらない。
この話し方を英語を含めた多言語でどのように訳すのか気になった。
鈴の音から始まる肖像画家の自分を探す物語なのか?10代の少女が出てくる、なんだか達観した女性が出てくるいつもの感じ。
気に入ったフレーズはない。最後の方でイデアの世界に行く場面が雑な気がして。
Posted by ブクログ
肖像画家の「私」のもとに、イデアが形を変えた騎士団長が現れた。どうしたらいいか聞いたところ、午前中の電話に断るなと言われた。
雨田から電話が来た。認知症の父に会いに行くと言う。そろそろ危ないと言うから。「私」はついて行った。
ファミリーレストランに入ったら、スバルのフォレスターがあった!
有名な日本画家、雨田具彦(ともひこ)の施設に着いた。施設で具彦に話しかけていたら、息子の雨田に電話かかってきて外に出て行った。
騎士団長がいた。騎士団長を殺さなければならないと言う。それが第二段階。第一段階はまだ騎士団長殺しの絵を見つけたということである。
雨田具彦の彼女が拷問で死んだ。彼自身も拷問を受けた。そのため、何もいえなかった。心の傷を受けた。
「私」は逡巡の末、まりえを取り戻すために騎士団長を殺した。
顔なががでた!穴から引きずりだした。
メタファーだった!見たものを書く。「こみちさんといったかな?」背筋が凍った。それは「私」の亡くなった妹の名前。なんでーー!怖い!
顔長がでてきた穴に入った「私」。懐中電灯を持ってあるく。川の水を飲んだ。
男がいた。顔がなかった!背が高い。帽子をかぶり、コートをきていた。ペンギンのキーホルダーのかわりに橋渡ししてもある。
カンテラと絵の女性がいた!狭い横穴に入ることになった。「自分を信じるのです」無と有。なんなのー。目を逸らさない
穴を頑張って外に出た。
すべては相対的なものなのだ。
まりえも帰ってきた。2人で騎士団長殺しとスバルフォレスターの男の絵をしまった。
まりえは免色さんの家に三日間いたという。勝手になかに入った。
「私」の以前の妻はまだ離婚届を出していなかった。なぜー。誰の子供かわからないという。今のパートナーとは別れていた。相手は納得していなかったけれど。そりゃそうだろうよ。
「私」は以前の妻の元に戻った。誰の子供かわからないけれど、生まれた女の子がムロと名付けられ、育てることになる。保育園へ送っていく。
東日本大震災の様子が描かれた。津波がやってきた。なぜここでその場面が出てくるんだろう。スバルフォレスターの男をテレビで見かけたと言うことも書かれていた。
以前住んでいた家が焼き落ちてしまった。騎士団長殺しも焼かれたと言うことになる。
何が伝えたいことなのか。すごく難しい小説だった。最初に書かれていた顔のない男とペンギンのキーホルダーの約束はこのあと起きることなのか。描かれていなくてわからなかった。