あらすじ
小学生の時、軽井沢を訪れた金田一一は4人の“天才”少年達と仲間になる。ある夜、古びた洋館の地下室を仲間達と探検した一は、そこで奇妙な唸り声を聞いた……。そして6年後、一の埋もれていた記憶がよみがえる。一は、その事件の真相を突き止めるため、美雪とともに洋館「邪宗館」を訪れ、“旧友”たちと再会する。しかし、その美しい洋館はやがて恐ろしくも哀しい、惨劇の舞台へと姿を変えていくのだった……!
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Posted by ブクログ
ミステリー小説でありながらも、ノスタルジックな物語と誤解が生んだ悲劇性が心に響く青春小説のような作品。
邪宗館に住む4人の子どもたちは作中で一貫して互いを"仲間"と呼ぶ。
冒頭で金田一も感じたように、"仲間"という言葉にはどこか排他的な意味合いがある。ともに仕事をする能力が欠けていたら「仕事仲間」にはなりえないし、釣りに興味がないのであれば「釣り仲間」にはなりえない。純矢は平然と「"仲間"に加わる資格」という言葉を使い、瑠璃子は仲間でない美雪を面と向かって拒絶した。研太郎にしても美雪を「"仲間"の彼女」と言い、美雪は仲間でないことを示唆している。
一方で、"仲間"というのは、その内側にいる者にとっては、安心して身を置くことができる安全地帯であり、同じ痛みを分かち合える共感者である。自著が読まれることを「素っ裸を見られるみたい」と感じる比呂も仲間に読まれることは「お互いさま」と受け入れ、瑠璃子は邪宗館を「死にたいほどつらい」思いをした自分たちの「聖域」であると言い切る。安心して身を置くことができるのはそこに得体のしれない者がいないからであり、同じ痛みを分かち合えるのは当人たちにしか分かり合えない価値観と才能を身に着けているからである。ゆえに邪宗館の"仲間"は稀有であり、排他的であることでその純度と安寧を維持してきたのではないだろうか。
瑠璃子は、両親の死の真相を巡って比呂を誤解し、彼を殺害してしまう。両親の死の真相を黙殺されたという誤解は、"同じ価値観を共有していたと思っていた比呂が実は価値観を違えていた"という絶望を瑠璃子に与えたと考えられる。それは、瑠璃子が好きだと言った邪宗館での日々の否定であり、聖域の消滅である。あまつさえ瑠璃子は、六年前の夏が自身の人生の始まりだと思いたいと語っている。瑠璃子に殺意を抱かせたのは、怒りというアグレッシブな衝動と哀しみというパッシブな虚しさの混ざった感情だったように思える。
金田一はなぜ"仲間"たりえたのだろうか。金田一は祖父譲りの稀有な才能の持ち主であるが、排他的でもなければ「死にたいほどつらい」経験もしていない。しかし、金田一は、物事をありのままに見られる純粋さと、逆境を自身の力ではねのけ人生を切り拓いていく強さを持っている。稀有な才能と価値観をもつ邪宗館の"仲間たち"をありのままに受け入れられる金田一に排他性はもはや必要ない。そして、邪宗館の"仲間"になる資格とは、「死にたいほどつらい」経験を有することではなく、逆境を自身の力ではねのけ人生を切り拓けることなのかもしれない。瑠璃子は罪を犯したが、罪を償い新たな未来を切り拓く意志を持つ限り、"仲間"であり続けるに違いない。