あらすじ
突然の失明が巻き起こす未曾有の事態。「ミルク色の海」が感染し、善意と悪意の狭間で人間の価値が試される。ノーベル賞作家が「真に恐ろしい暴力的な状況」に挑み、世界を震撼させた傑作。
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「他者の視線によって人間は自己を形作る」
この小説を読みはじめたとき、一番に驚愕したのは、著しい改行と括弧の排除、登場人物全員の名前が明かされないことでした。
こうした特殊な手法は、読んでいるこちらを有無を言わさずミルク色の海の中に引き摺り込むようで気味が悪く、それでいて登場人物達の内面をこれでもかと描写することにより没入すればするほどにページを捲ることが苦痛に思えるような、他の小説では味わえない読書体験をさせてくれます。
とりわけ、印象深かったのは社会全体が失明してからの街を覆うリアルな悪臭と汚物に覆われた歩道を踏みしめる感触の描写です。
作中の文章を引用させていただくと「その道の権威によれば、罪人が耐えるべき最悪のものは、焼けた石炭ばさみや、煮えたぎるタールの大釜や、鋳造所と調理場にある種々の道具ではなく、鼻が曲がるほどの強烈な腐臭と、吐き気をもよおす有害な異臭だという」
失明社会は他者の視線がない分、皆が傍若無人に振る舞う様をこれでもかとたたきつけてきます。
序盤はただただ、登場人物達を襲う理不尽な苦難に対して苦痛を感じるばかりでしたが、視覚を失ったことで、それまで出会う等の無かった人々が衝突しつつも手に手を取り合い、助け合う姿を見て、少しずつ読み手の自分も救われていくようでした。普段は清潔な服に身を包み、自然の爽やかな風が当たり前のように吹くことが奇跡のような気持ちにさせられます。
「瓶を透かして明かりが光り、中身の宝物がきらめいた。医者の妻はそれをテーブルに置くと、夫婦の持っている最高級のクリスタルグラスを取りにいった」こんなにも美しい表現があるとは。瓶の中身はぜひ本書を読んで確かめて欲しいです。
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運転中の男が突然失明した。目の前に広がるのは漆黒の闇ではなくミルク色の白い闇。車から助け出した男、失明した男を診た医師、待合室の患者たち……失明は次々に伝染して……。ノーベル賞作家の傑作長編→
怖かった。「地球上のすべての人が目が見えなくなる」と、こんなことになるのか……と、ショックを受けた。まさに、文明の崩壊。
最初は隔離された病院内で、そして、街全体に広がる無秩序の世界。
目が見えないと人はこんなにも残酷になれるのか。動物に近づくのかと思ったが、そうじゃない。→
そんな世界でキーになる人物がいるわけで、その人がいるからこの話は進むんだけど。
ラストよ……いやもう、怖い。本当に怖い。
この話の四年後を描く「見えることの試み(原題)」が河出さんで翻訳されているみたいなんで、読んでみたい。あのあとあの人はどうなったのだろう。
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初作家。この作品の成功により、ノーベル文学賞を受賞。人間とは、個人と文明について、善悪とは・・・etc。あらゆる物事を全人類(ほぼ)失明という事象を用いて寓話的に淡々と、時に神の視点を挟みながら記された天から人類に齎された(——作者曰く、突然"全人類が失明したらどうなるのか"という…)書物ではなかろうか。作中一切キャラクタ名が出て来ず『医者の妻』『サングラスの娘』『黒い眼帯の老人』…等、眼が見えない世界では名前など不要ですものね。また台詞には「」が使用されておらず、最初は誰が言葉を発しているかわからず、大変読みづらい。しかし二つの事柄を合わせて考えてみると、読者をよりこの世界に取り込む(→読者すらこの物語の登場人物のひとりのように)のに大変効果的なことに気付かされた。結末はまた新たに生まれ変わった"新"人類の誕生(?)で幕を閉じた——。
(※続編もあるようだが、翻訳されておらず…残念だ。)
人によっていろいろ考察しながら読める、素晴らしき作品!全人類必読の書である。星五つ。
Posted by ブクログ
目が見えなくなる伝染病が急速に伝播しパンデミックになる世界。一人、なぜか病に罹らず目が見える女性が主人公。身の危険を感じ、「見える」ことを隠しながら家族や仲間の世話をするのだが、食べ物がない、トイレもいけない、情報も途絶え弱肉強食、世界が無法地帯と成り果てる中、彼女たちは苛烈な状態に追い込まれる。
2020年夏に読んだ。Covid19が世界に蔓延してパニック状態だった頃。現実と物語との境界が曖昧になるほどリアルな恐怖を覚えた一冊。傑作。
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とても面白かった。
最序盤からトップスピードで気が抜けない展開が続く。
登場人物がやや多く、会話に鉤括弧が付いておらず多数の会話が連続して入り乱れるため誰の発言なのか熟読する必要があったが、翻訳を担当した方はもっと大変だっただろうなぁと思った。
残酷なシーンも多いが読み応えがあった。
この作品が好きな方は、ハプニング、ブラインドネスといった映画をお勧めします!
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ある日突然、失明が伝染していく。視界が白の闇に包まれる。
失明も怖いけれど、全ての人が盲目になった世界で一人だけ目が見えているというのも壮絶です。
何も見えない世界で理性を保てるのは、その人自身の理性なのか、やっぱり「彼女には見えている」という“見られている”意識なのか……。
一人だけ失明しない人物である医師の妻は、支援と介護とのプレッシャーも、目の当たりにしている悲惨な世界のストレスも、自分の目もいつか見えなくなるかもしれないという恐怖もかなり強かっただろうと思います。ラストの不穏さも印象に残ります。
地の文と会話文の区別がつけられてない文章で、会話も何人もいるけど誰がどの発言をしているかも書いてないところもありはじめは戸惑いましたが、それでもぐいぐい読まされる力がありました。考えさせられて目が止まる一文もサラッと書いてあって、読む度に深まっていきそうな作品です。
映画「ブラインドネス」も観ました。原作を読み終わる前に観てしまったけれど随分とコンパクト。でも壮絶さはありました。最初に失明した男とその妻を伊勢谷友介さんと木村佳乃さんが演じられててびっくりでしたが不思議としっくりきます。
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わたしたちは目が見えなくなったんじゃない。わたしたちは目が見えないのよ。目が見える、目の見えない人びと。でも、見ていない。
***
暗い作品の得意な私でも読むのに少々骨が折れた作品だった。読んで、考えて、手が止まる。とても面白く、そして恐ろしい作品。現在のパンデミック下で、状況は違えど同じようなことが起こっている。得体の知れない脅威と背中合わせの生活。いつまで続くかわからない、まさに「闇」だ。
ある時突然視力を失った男。
男を助けたあと男の車を盗んだ車泥棒。最初に失明した男の妻。眼医者の診療所にいたサングラスの娘、斜視の少年、白内障で眼帯をつけた老人。次々と失明していく。失明した人々の視界にはどこまでも続く、ミルクをこぼしたような一面に広がる白い海。彼らは使われなくなった精神病院の病棟へ隔離され、外に出ることは許されない。満足な食糧も提供されない上に、饐えた匂いのする水しか出ない水道、生きる上で必要なものはほとんど揃っていなかった。
目の見えない人々は増え続けて、三百人ほどの人が病棟へ収容された。
人が人らしく生きていくことを忘れる者。人間的でないならせめて動物的にならないようにしようとする者。
当然のように起こる想定しうる最悪の出来事。
医者の妻だけが、最後まで失明しなかったのは何故なのか。
ある日突然人々が白い闇から脱出することができたのか。
わたしたちはずっと、盲目だったことだけは確かなようだ。
Posted by ブクログ
【ケア労働の重責】
突然、失明する病が感染爆発する――その中でたった一人、視力を失わない人がいたら……という設定が実に巧妙。しかも、視力を失わない人間が女性ということがストーリーに深みを持たせる。
感染抑制を最優先する政府は患者と濃厚接触者を廃病院に隔離するだけで中の環境が失明者に向いてないことも考えない。そのため、あっという間にトイレは故障、そもそも見えないためにトイレまで行けず廊下で排泄する人も続出する。約束されていた食料も配達が滞り、環境は悪化する一方……たった一人、視力を失わない「医者の妻」は夫である医者にだけその事実を伝え、失明した患者たちをさり気なく支援する。
彼女が抱える葛藤が実にリアルだ。「見える(=状況が分かる、知っている)」ということは常に責任を伴う。まして、相手が障害や病を抱えているとなおさらのことだ。現実の社会を見ても、介護や保育、支援の問題が生じた時にそれらについて素人である人が「家族だから」「その場にいるから」「できそうだから」という理由だけで重すぎる責任を負わされているのはよくある光景ではないだろうか? そして、それらのケア労働を負わされるのは常に女性なのも。
糞尿が溢れる劣悪な環境を文字通り「目の当たり」にしながら、医者の妻にできることは限りなく少ない。夫が失明するまで彼女はただの主婦で、ただ隔離される夫を案じて嘘を吐いて一緒に来ただけなのだから。それでも彼女はできることは無いか、正直に言うべきではないかと葛藤する。ケアできる(=せざるを得ない)立場に立たされた女性の心がとてもリアルに描かれている。「いっそ目が見えなくなったらどんなに良いだろう」とは全編で彼女が何度も呟く言葉だが、ケアを負わされた経験がある人にはこの「いっそケアされる側になりたい」「もう責任を負いきれない」という感覚は馴染みのあるものだろう。
一方で、ケアの放棄には凄まじい罪悪感が伴う。「できるのにしていない」「自分がやらなければ相手は困る」「やらないと人に迷惑をかける」……内面化された倫理と自分の健康を天秤にかけて、潰れるまで前者を選ばざるを得ない人は確実にいる。医者の妻もラストまで夫とその仲間たちを見捨てられず、たった一人で荒廃した世界を見続ける。
そして、ここまで読んでもきっとこう言う人がいるだろう。「嫌ならやらなきゃいい」「自分でケアすることを選んだくせに」「ケアしてくれなんて誰も言ってない」……そう言う人に一言。「何も見えない、見ようともしないクソッタレ!!」
【コロナ禍に重ねて】
パンデミックを題材にした小説なので、どうしてもコロナ禍に重ねてしまう。患者たちが隔離された廃病院の描写が本当に読んでいて辛い。トイレはすぐに故障し糞便まみれ、失明に慣れていない患者たちはトイレに行けず廊下で排泄、洗剤も着替えも無く、食糧すら満足に届かない。この劣悪な環境を作り出した責任は確実に政府にあるのだが、隔離施設を選定する会議がたった一ページにも満たない簡潔な語りで終わるのはゾッとずる。そこには、患者とその家族がこれから味わうことになる苦痛と不安への配慮が一切無い。代わって議論されるのは施設の広さ、市民の動揺、経済界からの反発……ここで既に既視感を感じる人もいるはずだ。新型コロナへの政府の対応と同じではないか、と。一たび気づいてしまえば、もうこの小説は他人事として読めない。そもそも、登場人物には固有名詞が無く「最初に失明した男」「目医者」「医者の妻」「サングラスの娘」等と呼ばれるため、誰でもあり誰でもない。つまり、あなたでもあり私でもある。
第五波の時に自宅療養者を取材した映像を見た。肺炎の進行により命が危ぶまれる状態になっても入院先が見つからず、遠方から駆け付けた患者の母に医師が「ECMOの順番が来れば何とかなるかも」と宣告するシーンだった。それだけも痛ましいのだが、それ以上に印象的だったのは部屋を埋め尽くしたゴミの山だった。「一体どうしてこの人はこんなことに……」と思ってすぐに気づいた。重度の肺炎を抱えて綺麗な部屋を保つなどほぼ不可能ということだ。食事はできても片付けをしてゴミ捨てに行く体力も気力も無い。着替えはできても洗濯はできない。結果、部屋にゴミと汚れ物が溢れかえり、看病してくれる人もいない……小説では廃病院への隔離だったが、何のことはない、患者各自の家での自宅療養で同じことが起きていたのだ。
もちろん、感染抑制は社会的課題であり最優先で取り組まねばならない。どんな政府にも限界はある。だが、その「最優先」「限界」の中身を決めるのは誰なのか、どう決めているのか、そしてそこに「私」や「あなた」は本当にいるのか……作中に何度も繰り返される「見えない」と「見える」……この意味を何度でも問い直さねば、人間の尊厳を否定する結果しかあり得ない。
この小説は1/3にEテレで放送された『100分deパンデミック論』で紹介されていた一冊だが、Twitterに「パンデミックに際して苦渋の決断を下す指導者の物語を読んでみたい」との感想が投稿されていた。私はどうしても「決断を下す指導者はいても、苦渋の決断を下す指導者はいないってもう証明されたと思いますがね」としか言えない。
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人びとの目がいきなり見えなくなった。ただひとりを除いて。ということで何が起こるかについての小説である。ポルトガルの作家とあるがアメリカの状況でもおかしくない。いまのコロナの状況での推薦本であった。
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だれしも死の次に怖いのは病気、次に盲目になることではないか。
次々と、人々が盲人になっていく話。
見えなくなった目に広がるのは、白の闇。
ヒッチコックの映画を彷彿とさせる、決まり悪い臨場感。
私も目が見えなくなるのでは?と、本から汚染物質を感じるくらいの迫力。
自分も周囲の者も全員盲目になったらなんて、これまで想像してみたことがない。
原始的になるのか?
否、ベクトルが違う。
無秩序とも違う。
獣みたいになる、というのも違う。
名前が意味を失う。形容詞が役にたたなくなる。言葉への信頼がなくなる。
面白いと思ったのは、ひとりだけ、なぜか盲目にならない「医者の妻」が、盲人たちよりも地獄を味わうということ。家中、町中に溢れる糞便と、糞便をそこいらに垂れる人々の姿を見てしまうのだから。
この人の意味はなんだろう。
優れたファンタジーはリアリティと相反しないものだ、と痛感する作品。
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ある男が交差点で車を待機させてる間、唐突に視界全体がのっぺりとした白に覆われるという形で失明したことをきっかけに、国中でこの失明が伝染した。
この荒唐無稽な設定の上で、全ての人が失明したら何が起きるのか、目が見えることを前提として作られた社会はどのような事態に陥るのか、を残酷なまでに克明に描き出した。さらにこれを通して、目が見えているように思われる私たちの日常の中における捉えがたい(見えない)現実をも鮮やかに表した
この小説の特徴はなんと言っても、登場人物の名前がついぞ判明することの無いまま物語が終わることと、鉤括弧を用いずに会話文と地の文が入り交じって記述されることであろう。それに加え段落分けが極端に少ないこともあって、とても読みづらそうだと初めは思われるだろう
しかしこの文体に慣れればすっと作中に入り込んで読むことができるようになるし、この物語にもこの文体が合っているように思われる
他人からの視線が無くなったことで現れる人間の本性、一方で他人の姿形に囚われないことで生じる人間の善性といったものがどちらも丁寧に表現されている
前者は中盤に非常におぞましく描かれ、人間なんて所詮は理性を失ったら野蛮な獣にすぎない、と思わせる一方、終盤では人間自らの努力によって友愛の情を獲得し垣根を越えた愛情を描くことで、人間も捨てたもんじゃないなと思わされる。作者の掌で転がされている感覚を味わうことができるだろう
あらゆる人が光を失っているという状況において、他人から見られないという点で人々は悪事を働きやすくなる(お天道様も目が見えていないらしい)が、他人の姿を見ることができないという点では姿形からもたらされる第一印象を排して相手の内面と接触できるため、フェイス・トゥ・フェイス以上の心を通わせたコミュニケーションが可能になりもするだろう
本作が、登場人物の名前が明らかにしないこと、鉤括弧を使わないことで発話者を判然とさせてないこと、を通して示唆される匿名性という要素に注目すると、現代のSNSにおける人々の振る舞いは、ユーザー全員が失明している状態と似ているように思われる
匿名性を逆手にとって相手に誹謗中傷するような事態も起こるが、その一方でマッチングアプリなどに見られるように、匿名がゆえ相手の容姿というコミュニケーションにおける大きなハードルを通り抜けて、相手の内面に直に接触することが可能になってもいる
名前や顔などの相手の情報を制限することによって生じるコミュニケーションもあるのだろう
そして、その逆もまた然り
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固有名詞が一切出てこない。
『 』で会話が書かれていない。
なのに個が判断できるし、どんどん読み進められる。
面白い作品に出会えた。
もちろん、訳者の多大な尽力にも感謝。
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目の前が真っ白になる感染症。具体的に作中で表現される世界は救いがない。その惨状を自分だけが見えていたら…?段落は多用せず、鉤括弧を使わない作風がそんなものは不要だと言われているようで、特に効果的。
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突然失明する感染者が慢性。隔離された病院では、まともな食事、排泄、清潔が保たれず、自尊心を失っていく。極限状態に追い詰められた時の暴力性や、崩壊していく日常は生々しく、恐怖がこびりつく作品だった。翻訳の言い回しは慣れない。
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最初の1ページから、これは面白いぞ!という予感。「」のない台詞も、違和感なく、というか、むしろ引っ掛かりがなく流れるように読めた。時々、あれ?これは誰が言っている?となる時もあったけれど。
眼の見えない人々の(時々滑稽にも見える)動作が、演劇や映画を見ているように思い浮かべられる。目が見える医者の妻を通して伝えられる、嗅覚や触覚の表現も、とてもリアリティを持っている。
レイプや殺人シーンの描写があまり具体的でなかったのはよかった。もし他のシーンと同じように描かれていたらちょっとトラウマになりそう。
絶望感漂うストーリーだけれど、なんだかんだで悪人は粛清され、最後は突然に人々の眼が見えるようになって話は終わる。
眼が見える、という土台の上にこの社会が成り立っていることはよくわかった。では、眼が見えない人の社会というのは、どのような可能性があり、どう構築され得るのか?結局そこまでは描かれなかったのは残念。しかし、それは読者が考えることなのかもしれない。
Posted by ブクログ
ある日突然、失明し視界がまるで「ミルク色の海」のように真っ白になる奇病が爆発的に流行する。運転中の男から車泥棒、患者から眼科医へと。
失明者を隔離したものの感染の連鎖はやまず、政府も対策の取れないまま社会機能は麻痺していく。
善意と悪意の狭間で試される、人間の価値とは。
ほとんどの人が視力を失う奇病にかかった中、ただ一人だけ目の見える眼科医の妻とその周辺人物を中心に、その生き様と秩序の崩壊を描くパンデミック、ディストピア小説です。
映画『ブラインドネス』の原作本。
目が見えなくなることも怖いけれど、周囲が全員目が見えない中、一人だけ視力を失わないというのもまた怖い。
作中の主人公のようなポジションにいる医者の妻は、ただ一人だけ視力を失わない事で、ただ一人その身に責任や秩序、汚穢、罪悪、葛藤などを背負う事になります。
社会インフラや秩序などが機能を失い、食事も届かず汚物に塗れ、そんな中でも冷静に対応を考え、食事を入手し分け与え、仲間を慰め、身を清めてやり、時には罪にその手を汚して。けれど、絶望的な状況に対して所詮たった一人の女性に出来る事はあまりにも小さすぎて、また自分もいつ視力を失うか分からない中、その悩みや苦しみがリアルに描かれています。
こんな状況で医者の妻や周囲の人間が正気を保てているだけでも奇跡的だと思いました。たまたま集まった仲間がみな善性や協調性が高く、冷静かつ論理的思考が出来ただけで、いつ破綻してもおかしくなかった。
もし現実にこんな病が流行ったら、そう思うと恐ろしくて仕方ない。あまりにも壮絶かつ恐ろしい話でした。
原題は日本語訳すると『見えることの試み』となるそうで、実際文体はなかなかに実験的。
作中には会話文を示すかぎかっこもなければ、段落も極端に少なくて、登場人物たちの固有名詞もない。ただ「医者」や「医者の妻」、「サングラスの娘」と呼ばれるのみで、「見えない事」によるパーソナリティの欠落・排除などを表現しているのかなぁと思っていたのですが、あとがきによると少なくとも記号がない事と段落が少ない事はJ.サラマーゴ の普段からの表現方法のようです。
***
秩序を失った人間の獣性を描く作品はこんなのも。
『蠅の王』ウィリアム・ゴールディング
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始まりはかなり面白くて、読むのが楽しかったのだが、途中から何故か苦痛になってきて、後半はまた、面白く読めた。
自分が失明してしまったら、それはもうものすごい悲しいことだと思うのだけれど、この物語のように、一人を除く全ての人が失明している世界に身を置かれたら、俺はどうなってしまうのかな。
会話にカギカッコがなく、段落もないから、かなり読みにくいのだが、なんだかそれはそれで一つの味のようで。
登場人物も、医者の妻とか黒いサングラスの女とか、固有名詞がついていない。こんなの読むのは初めてだったかもな。
最後まで読むと、見えているのに見えていない、という深遠なテーマが通じていたんだな、この小説は。
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この手の本や映画はその病に立ち向かう医者や科学者や政治家が主人公というのがほとんど。患者目線の内容は今までなかったのでとても新鮮だった。
このコロナ禍に読むとリアルさが増して人間の恐ろしさを感じた。
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1995年に発表されたこの作品、わりと最近復刊して話題になっていたらしい。映画「ブラインドネス」の原作。
「ある日突然白い霧がかかったように失明してしまう奇病」が伝染病として人々に蔓延していく物語。このコロナ禍だからこそ話題になり、だいぶ前の本だけど今の状況の本質を突いている。
登場人物には名前がない。「最初に失明した男」「医者の妻」「サングラスの娘」などという風で、会話にかぎ括弧がついていないので最初は読みにくさを感じるけれど、物語が進むにつれてその独特なつくりが臨場感となって迫ってくるものがある。
ほとんど全ての人が失明してしまった世界ではどんなことが起こるのか。人から見えていない、という意識は人々にどんなものをもたらすのか。
人々からは清潔感という概念が失われ、盗みでもなんでも平気で働くようになる。
そんな中ただひとりだけ失明しなかった登場人物がいて、その人物の目に映った世界が「見えないこと」の真理を突く。
「ただ見ていること」と「見ようとすること」は、同じように見えているという状態でも全く違う。人と人との関係性においてはその違いは如実にわかる。
目が見えなくなったからこそ見えることもたくさんあるという皮肉。
コロナ禍の最初の頃にも、人の醜さだとか真理について考えさせられたことがいろいろあったな…とある程度馴れてしまった今になって思い返したりした。
かつて誰も触れたことのない事象が起こった時、自分が自分を保つのに必要なのは「見ようとすること」なのかもしれないと改めて思った。噂だとかに惑わされず、自分の目で見る力を備えておくこと。
名作は時代を超える、と思わされる作品は時々ある。読み応えのある小説だった。
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ある男が突然失明した。暗闇に包まれたのではなく、視界が全て白くなる「白の闇」に覆われた。その症状は、感染症のごとく広まっていき、最初は数人を隔離しておくだけで済んだのが、徐々に多くの人が罹患することになる・・ただ一人を除いて。そんな中、人々は何を考えてどういう行動をするのか?政府はどういう対応を取るのか?といった一種のシミュレーションを描いた物語。
これ完全にウォーキングデッドでした。というか、ウォーキングデッドより酷いかも知れません。いわゆる、ポストアポカリプスモノというのか、自分がこの世界に放り込まれたら、速攻で死ねる自信あります。衛生が失われる描写や、モラルが失われる描写、少ない食料を巡って争いが起きたりといったこともありますが、終盤の残酷描写がやばいです。気になる方はぜひ読んでみてください。
Posted by ブクログ
コロナ禍ということもあり、感染病が蔓延する社会に於ける集団心理を主題化した作品(『ペスト』、『白い病』など)を幾つか読んだが、『白の闇』は特に描写が凄惨かつ圧倒的だった。ノーベル文学賞作家の文章力が光る作品。
「なにが正しくて、なにが誤りかを見きわめるのは、ただわたしたちが対人関係を理解する手段なの。自分自身とのかかわり合いではなく。」
「わたしたちの内側には名前のないなにかがあって、そのなにかがわたしたちなのよ。」
「絵や彫刻は目が見えないよ。それは違うわ。絵や彫刻はそれを見る人の眼で見ているの。ただ、いまはだれもが見えないだけ。」
上記の引用から推察されるように、唐突に失明した人々を覆っていた「白の闇」を私は「自己中心的な自閉性」と捉え、この小説の主題は現代社会に蔓延する個人主義へのアンチテーゼだと感じた。
Posted by ブクログ
唐突に目が見えなくなって、唐突にそれが終わるのは何故か。
医者の妻だけ見え続けたのは何故か。
教会の目隠しは何かの暗示なのか。
……ひとつも答えが無くて、全ては読者の解釈次第というところがもどかしい。
この時、私はどっち側の人間なのか。
私ならどうするのか。
眼医者がサングラスの娘を求めた時の妻の感情を、どうすれば理解できるのか。
この後世界は元に戻れるものなのか。
などなど、考えることが多い作品だった。
この秩序ある清潔な世界は脆いのだ。
Posted by ブクログ
改行も少なく文字びっしり、セリフに「」なし、
登場人物に名前なし、という出逢ったことのない本だった。
にもかかわらず、誰のセリフかちゃんと分かり、表情や仕草も想像でき、
まるで映画を見ているように流れるように読めたから不思議。
自分や仲間が生きるために他者を殺すか
他者を殺さないために自ら死を選ぶか。
何もかも変わってしまった世界で、
自分自身の内側を見て、
何が正解で自分は何をすべきか決めなければならない。
キリスト教の世界観も感じることができる本だった。
Posted by ブクログ
ここまで重い本を読んだのは初めてかもしれない。タイタニックの映画の後半みたいな感じが
丸ごと1冊分、という感じ。
「見えない」世界で1人だけ「見える」というのは
実際には誰かと一緒にいても孤独だろうなと思う。何かを分かち合うことって共感できるだけじゃなくて、安心感も得られるんだと気づいた。
本書の設定はまああり得ない(と信じたい)けど、パンデミックに陥ることは今後もあるだろうし、ここで描かれた残虐で醜い場面は起こりうるんじゃないかと思うと恐ろしい。。
2008年に映画化されているらしいけど、観る勇気は全くありません。
本書は登場人物に名前がなく、会話に「」がないので非常に読みづらい。目が見えないということは、誰が誰と判断しにくいからわざとそういう演出にしているのか?と思ったけれど、ポルトガル生まれのジョゼ・サラマーゴさん特有のスタイルだそうです。
文字数が多くて読みにくい時、私は自分の中に古舘伊知郎さんを召喚して早口で読んでもらう、という技を使います。一気に読めるので是非。
Posted by ブクログ
ポルトガルの作家、ジョゼ・サラマーゴが1995年に発表した小説。
人々を突然、謎の奇病が襲う。目が見えなくなる、正確には、視界が真っ白になる病気である。特段の予兆もなく、ある日、ある男の目が見えなくなる。検査しても異状は見つからず、原因もわからない。これはどうやら伝染性であるようで、男に関わった人々、そして彼らに関わった人々、と野火のように発症が広がっていく。最初の男を車で家まで送ってやった男。最初の男の妻。男を診察した眼科医師。眼科に来ていた娘。その娘が利用したホテルの客室係。・・・
突然の流行に慌てた当局は、患者を隔離することにする。患者にとどまらず、患者と接触したものも連行され、古い精神病院の棟にそれぞれ閉じ込められる。そこから出ようとするものは射殺すると警告され、食料は定期的に外部から持ち込まれるとされる。感染者が失明すると、渡り廊下を通じて患者棟に移される決まりである。
多くの人々が失明する中にあって、最初の男を診察した医師の妻だけはなぜか失明を免れていた。彼女は患者ではなく感染者として連行されるはずだったが、目が見えない風を装って、夫と同室に潜り込み、密かに身の回りの世話をすることになる。やがて、彼女は夫だけでなく、同室の人々もさりげなく助けてやることにする。
多くの人が「見えない」世界にあって、彼女だけが「見える」存在であり、この視点が一つのキーでもある。
文体がなかなか特徴的で、登場人物には固有名詞は与えられない。「医者の妻」、「サングラスの娘」、「斜視の少年」といった具合である。会話文や登場人物の思考も引用符では括られず、地の文の中に埋め込まれる。
時折、著者自身の箴言のような詩のような語りが混じる。
さて、閉じ込められた人々はどうなるか。
患者たちは突然の失明に慣れることもできず、自分が身を横たえるベッドを確保するだけで精一杯である。排泄しようにもトイレまでも手探りで行かねばならず、失敗するものも続出し、あるいはトイレまでたどり着いたとしても水も満足に流せない。
配布される食べ物も十分ではなく、わずかなものを公平に分配することも困難で、しかも盲目の人々にはそれを判断するすべもない。
やがて、この不自由な世界の中で、覇権を握ろうとするものが現れる。皆に分けねばならない食料を管理下に置き、それを盾に患者集団を支配しようとするのだ。ここからは酷い暴虐の始まりとなる。
原題は"Ensaio sobre a cegueira"。訳者あとがきによれば、「見えないことの試み」といった意だそうである。英語に直訳すると"Essay on blindness"であり、実際、ensaioには「試験」「試み」「リハーサル」のほか、「エッセイ」の意が含まれるようなので、「cegueira(盲目)に関する試論」のニュアンスが含まれるタイトルなのではないかと思う。
つまりこれは寓話あるいは比喩として読むべきもので、「盲目」はある種の象徴なのだろう。では「何」の象徴なのか、というところが個人的にはいまひとつ判然とせず、正直なところ、最後までしっくりこなかった。
本作は伝染性の疾患を扱っていることもあり、コロナ禍で再度注目を浴びた作品でもある。だが実際のところ、病気自体の設定がふわっとしていることもあり、感染症がどうこうというよりは、差別や支配・被支配、服従の話のようにも思う。あるいは非予見性がテーマなのか。
謎の奇病。伝染性。患者をとにかく閉じ込めろ。このあたりはなるほどありそうなことである。食料が滞る。パニックから争いが生じる。このあたりもありそうである。だがその後、暴力をもって支配しようとする集団に人々が虐げられるあたりで、いくら何でもそこまでのことがあるだろうかと疑問が生じる。しかも「見える」医師の妻がいて、どうにもならないのだろうか。実際、彼女はのちに反撃に転じるのだが、その前にもう少しできることがありそうな気がするのである。
極限状態で現れるのは暴力なのか。そうではないと言い切れないところが、本作の持つ、無視できない「ざらつき」につながっているのかもしれないが。
物語は隔離された病院の中だけは終わらない。
局面が変わり、病気が広がってしまった街に舞台は移る。
さまざまエピソードが語られる中で、一番印象的なのは教会の聖人像の目がすべて包帯で覆われているというもの。それをしたのは司祭だと医者の妻は考えるが、結局のところ誰なのかはわからない。
目の見えない人々の中で、目隠しをされた聖像。その光景に胸を突かれる。
物語は結末を迎える。ある種、ハッピーエンドといってもよいのかもしれないが、この後、世界はどうなったろう。
心許なさが残る。
地の文に会話文が挿入されるスタイルであるため、あるいはどのセリフが誰のセリフなのか、わかりにくい部分があるのではないか。そのあたりから来る誤訳・取り違えの可能性はところどころありそうにも思うが、さてどうだろうか。
邦題は一ひねりして「技あり」の良訳といってよいのではないか。
Posted by ブクログ
あまりにグロテスクでなかなか読み進まなかったが、それが人間の負の部分を表していたのだと読後に納得。それでもやはり自分にはグロテスク過ぎた。見えることが全てではない、見えないから見えるものもある。