あらすじ
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康ら「天下人」に、天皇はいかに渡り合ったのか。正親町天皇が発した日本史上初めての「キリシタン禁令」を無視した信長。秀吉の権威を天下に誇示することとなった後陽成天皇の聚楽第行幸。大明国征服の野望を抱いた秀吉の「皇居の北京移転計画」。家康の意向に従わざるを得なかった後陽成の譲位と後水尾天皇の即位。信長上洛から家康の死まで、激動の時代を天下人ではなく天皇を主人公として描き出す。
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Posted by ブクログ
普段あまり考えることが無い、信長・秀吉・家康(及び15代将軍・義昭そして秀忠も含め)などの天下人と正親・後陽成・後水尾各天皇の関係を詳細に解き明かしているこの本も興味津々だった。信長は右大臣を返上し、左大臣、太政大臣、関白、将軍のいずれも辞退。彼にとっては天皇の権威は利用するもので、自分がその上にあるという意識だったと頷ける気がする。ルイス・フロイスは天皇への謁見を信長に依頼した際に「自分が日本国王だ!」と応えられたと書いているそうである。そして、秀吉・家康も天皇を利用しただけで、内心軽んじていたとしか思えない。しかし、天皇はあくまでも天下人の力に頼るべく、いじらしいまでの従順ぶりである。
天正という年号は信長が望んだもので実質決めたようなものだった!信長は天皇を廃止すると考えても不思議でない考えの持ち主だが、天皇制に手を付けなかったのは奇跡のように感じた。正親町という名前には新鮮な感じを持っていたが、単に安直に「住まいが正親町通に面していたから」決められたとは苦笑いである。禁中並公家諸法度が実は重要な朝廷操縦であったとはこれも驚き。