あらすじ
バスチアンはあかがね色の本を読んでいた-ファンタージエン国は正体不明の〈虚無〉におかされ滅亡寸前。その国を救うには、人間界から子どもを連れてくるほかない。その子はあかがね色の本を読んでいる10歳の少年-ぼくのことだ! 叫んだとたんバスチアンは本の中にすいこまれ、この国の滅亡と再生を体験する。
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Posted by ブクログ
会社の同僚と、エンデの話になった。私にとってエンデは、小5の頃に出会って夢中になって読み漁った思い出のある作家であるけれど、大人になって『モモ』を読み返して以来、疎遠になっていた作家でもあった。同僚が『はてしない物語』を絶賛している話を聞きながら、子供の頃、自分もバスチアンのように物置で本を開きながら本の世界に入って冒険できたらどんなにいいだろうと憧れたことを思い出し、本棚から久しぶりに引っ張り出して25年ぶりに読んでみた。
上巻はとても楽しくワクワクしながら頁をめくっていたのだが、下巻になって、読み進めるのが苦しくなった。バスチアンの姿に、自分自身を重ねてしまったのだ。誰かに認められたい、人から羨ましいと思われたい、美しくなりたい、賢くなりたい……。子供の頃はそんなことも考えず純粋に冒険譚を楽しんでいたと思う。でも大人になって、どれだけありのままの自分をそのまま認めて愛することが難しいか、知ってしまった今では、バスチアンの苦しみがより身に染みてしまった。そしてバスチアンが旅の終わりを迎え、生命の水にたどり着き、現実世界に帰ってくるシーンでは気づいたら自分のことのように泣いてしまった。私自身、今の自分自身を、ありのままに見つめて、愛せているだろうか?
確実に小5の私はそんなことを思わず読んでいたと思うが、それでもあの頃もこの本を読んでエンデにハマったのは事実で、あの頃ファンタジーエンを夢中に冒険してた少女が大人になって、同じ物語を全く違った目線で楽しむいい経験ができたと思う。今読み返してよかった本だと思う。
蛇足だがたまたまこの前に読んだ本がワイルドの『ドリアングレイの肖像』だったが、まさかの同じような題材の本(自分自身の内面に目を向ける本)を立て続けに読むことになり、本と本がリンクする不思議も久しぶりに。というよりもどちらも自分のお気に入りの本のため、自分の好みなのかもしれないが。
Posted by ブクログ
ファンタージエンに行ったバスチーユの物語。危うさを感じながらバスチーユの物語を読み進める。バスチーユの考えや判断がだんだん良くない方に傾いている不穏さが満ちてくる。スターウォーズのアナキンがシスに堕ちてしまうところに似て、苦しい。どうしてこうなってしまったんだろうと思ってももう戻れないところに来ている。しかも多くのことを忘れてしまっている。どうやって人間の世界に戻れるのかわからない。わからないままにどこへ向かえばいいのか、何をなせばいいのか、投げてしまいたくなるような世界。バスチーユとともに旅を続けるアトレーユとフッフールが最後は助けてくれるが、やや呆気なさも。あの辛い辛い辛いトンネル部分が面白さになる。
Posted by ブクログ
さすが名作、バスチアンがいい思いばかりする場面も反転して辛い思いをする場面も、どちらも目を離せなかった。
訳者のあとがきに、(単行本として出す時は)装丁にもこだわっていたというエピソードがあったので、それも見てみたかったなぁと思う。文庫版は文庫版で、CMに入る直前のドラマのようにいい所で上巻が終わるのもよかった。
エピローグのコレアンダーさんとバスチアンのような、共通の読書の思い出を持つ友だちを作りたくなった。
Posted by ブクログ
面白かったー。途中から先を知りたすぎてかっ飛ばして読んでしまった。
幼馴染の女の子とか伏線かと思ったら違った。幼ごころの君が悪女なのかとかいろいろ予想しながら読んだけど、投げっぱなしで回収とかされなかったのは敢えてなのかな。
上巻のほうが完成度は高かったと思うけど、結末はやっぱり泣いちゃった。アトレーユがとてつもなくいいやつ過ぎて、バスチアンが気の毒。
Posted by ブクログ
『物語は新しくても大昔のことを語ることができるのです。過去は、物語と共に成立するのです。』
『望みって、どこから起こってくるんだろう?望みって、いったいなんなんだろう?』
ファンタージエン国で過ごす中で、
人のため、自分のため、望みを叶えながら、
自分を失っていくバスチアン。
シュラムッフェンのことば。
『おれたちゃ命令がほしいのさ!指図してもらいたいのさ。強制してもらいたいのさ。禁止してもらいたいのさ!おれたちゃ、なんか意味のある生き方をしたいのさ!』
自分で考えるより、指示されたこと、良いと言われることををきちんとやっていると思えること、あるいはしてはいけないと言われることをしていないことの方が、楽なのかもしれないな。自分の生き方を、『正しいかどうか』という外からの見方で測れるから。
自分で考え選んで生きていくことって、
自己責任が伴うからつらいことでもあるし、
だからこそ自由で、とても幸せなことでもあるんだなぁと気付かされる。
バスチアンが全て失ってから気づいた
心からの願い。
あるがままに愛されたい。
誰かを愛したい。
これが少年文庫か...。
多分、大人になってから読んだ方が深く読み取れるけれど、子供の時に読んでいたら、大人になっても心に残ってる一冊になっていたと思う。ちょっとくやしい。笑
Posted by ブクログ
好評と不評のレビューが極端なのを見て改めて感心。
ミヒャエル・エンデに生み出されし古典であり、駄作ではないのに、無条件でいいものともされない不思議。
読者と同じ土俵まで降りてきて、読者と本で取っ組み合いをし始める感じですよね。美しい世界のファンタジーのはずなのに、気軽には読み切らせてくれません。上下巻読み切るのに結局3日かかってしまいました。上巻は半日、下巻が2日半。
ファンタジー物で明確な悪役を作らず、勧善懲悪でなく話をまとめ上げた作品を他に知らず、ああ、これが空想の世界の現実、とノンフィクションを見る気持ちです。空想によって救われる生き物は空想によって苦しみ、欲しいと空想するものは毒であり、真に自分に必要なものは暗闇で土を掘り続ける苦行からしか見つけられない。そんな話がどうして面白いでしょう。でも真実なんだよなあ。
Posted by ブクログ
原作を読むのをキッカケに、久々に映画を観た。
それで初めて、映画の題材になったのは上巻のみで、下巻のほとんどは知らないストーリーだと分かった。
上巻と下巻はガラリと印象が変わる。上巻がアトレーユの物語なら下巻はバスチアンの物語だ。
バスチアンがアウリンによって万能の力を手にし、望むものは何でも叶えられる代わりに、人間世界に居た頃の記憶を一つずつ失っていく。
自分の力に溺れ、次第に傲慢で気性が荒くなっていく。対して、本当に大切なものには盲目になっていく様は、なにもファンタジーの世界だからではなく、私達現実世界にも言える事だと思う。
バスチアンの様な人間の多くがやがて辿り着く、「元帝王たちの都」の描写が恐ろしい。
対して、アイゥオーラおばさまの「変わる家」は実に楽しい所で、この場所だけで映像化してほしいとおもった。
上巻から思っていたことだけど、ミヒャエル・エンデさんの想像力、そしてそれを見事な日本語に訳した翻訳家の方々は本当に凄いと感じた。文章は魅力的で読みやすくユーモアに溢れ、退屈することなく最後まで読むことが出来た。
ラスト、全てを失った少年がそれでも忘れなかった存在。その存在を目にして起こした行動が壮大なシーンへと繋がる。感動!
Posted by ブクログ
モモが面白かったからはてしない物語を手に取った。
少年が物語の世界に入って望みを叶えていくところは少し飽きてしまった。
途中で、少年は望みは有限であることに気がつき、元の世界になんとか戻ることができたのだけど、「あるがままの自分で良い」という心根に変わっていた。
トータルでは面白かった。でもちょっと長かったかな…
Posted by ブクログ
下巻は冒険からクライマックスのような盛り上がり。「行け行けバスチアン」とわくわくしながら読み進めるのですが、すぐに解決めでたしめでたしとはなりません。
ああバスチアン、そっか…となりますが
アトレーユの奮闘のおかげもあり、バスチアン大成長。
ラストはちゃんと本返しに行けて私は安心した。それからまた胸アツな展開があって、最後にまだやってくれるんか!となりました。
Posted by ブクログ
なんと言うか思ってた物語とはちょっと違ったと言うのが正直なところ。
下巻はいよいよバスチアンが本の中のファンタージエンに入り込み女王と世界の危機を救う冒険が始まるのだと思っていた。
そのワクワクさは下巻冒頭の女王やライオンのグラオーグラマーンに出逢う辺りまでは世界に満ちていた…のだけど、そこから後はひたすらバスチアンが愚かになっていく過程を見せられていく事になってしまって苦しかった。
現代的な感覚で言うとちょっと道徳的と言うか、教訓話になってしまって物語としての楽しさは減じてしまった様に思う。
ストリー的には何かを失うことで成長すると言う王道の結論に落ち着くのだけど、もう少し主人公に魅力が欲しかったし、自分の力でなにかを成し遂げて欲しかった。
そう言う意味でファンタジー的爽快感が足らなかったのは残念。
あと途中に幾つも「これはまた別のお話」の言及があって、その物語も読んでみたいと思った。