あらすじ
10巻では「スイセイ留守番日記」が初登場します。『日々ごはん』(1)~(12)の続きは、『帰ってきた日々ごはん』として2015年発売。
<ある日の日記より>
そういえば昨夜、「自然」ということについて、寝る前に考えていた。私が思う自然というのは、土とか木々ももちろんそうだけど、動物、空、雨、晴れ、光、虹、風とか、気温の変化とか、空気とか。時間もそう。人間が作意を持って、脳味噌を使って作られた以外のものがぜんぶ自然、かな? 街、建物、駅、地下鉄、電車、車、アスファルトなどは逆のものだけど、実はそういうものの中にも混じって、いっしょくたにあるもの。人間が到底つかまえられないもの。身をまかせるしかない、考えても仕方のないようなもの。そういうののことを自然といって、私にとって、それはいちばんくらいに大事なことなのだ。
夕方になって、空が黄色くなったかと思ったら、ぽつりぽつりと降り出した。そのうち、屋根をたたく大降りに。せいせいとした気持ちになる。
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Posted by ブクログ
さいきんすこしペースが落ちてきました。
高山なおみさんのエッセイ。
そろそろとまろうかな。。と思えど、あとすこし、と思うと読んでしまいます。
本からの抜粋。
ヨガをやっていると、毎朝の気分や体調のことが、細かいところまで分かるような気がする。無理しなくても頑張ってやれる日とか、無理に頑張らなければできない日とか、それさえも億劫な日とか。今朝は、あんまり調子がいい方ではないみたい。
パソコンをやりながらふと空を見上げると、まんべんなく鱗雲が広がっている。こんな爽やかな秋の日が、暮れていくのがもったいない。そうやって、今日も一日終わってゆくことが、最近、儚いような胸苦しいような気分になる。それは、早起きするようになったことと関係があるかもしれない。たくさん寝ていたころは、夢ばかりみていたから、現実の割合が少なかった。起きている時でも夢を引きずっていたから、なんとなしに宙ぶらりんな感じだった。現実は、ちっとも永遠なんかじゃなくて、儚い。ヨガを始めたことも、早寝早起きになったことも、私の脳みそに何か化学反応を起こしているのだろう。そして私は、本をあまり読まなくもなっている。現実を味わうのが忙しいからか?
チアキって、あんまり喋らないんだけど、何か言う時には、すごく言葉を選んでいるんだなというのが分かる。低い声で、ボソボソ切れ切れに喋る。スイセイはそんなチアキをすぐ気に入ったらしく、ものすごい早いピッチで飲んで、どんどんご機嫌に酔っぱらっていった。
帰ってから、「なんか、捨て猫がうちに迷い込んできたみたいな一週間じゃったのう。はよう風呂に入れてやらんと、みたいな。チアキってすごい口べたじゃけど、情がいっぱい詰まったような娘じゃったのう」などと、しみじみつぶやいていた。
体を動かすのって、何かのスイッチを入れるような感じだな。川原さんは、何もやりたくない日が続いた時、ごはんも食べず、テレビも見ないで、どれくらい何もやらずに寝ていられるかという実験をやったことがあるらしい。「けっきょくね、体を動かさないと、どんどん具合が悪くなっていくことが分かった」と、この間言っていた。体って、動かしてやらないと、筋肉も内臓の機能も退化していくように出来ているっていうのを、実感で感じたそうだ。
フィッシュマンズ全書
「昔から静けさってのが自分の中にあって、日々感じる空気感みたいな感じの中に果てしない静けさってのがぜったいあるんだけど、そういうことをやりたい。だから、音はどんなにうるさくてもいいんだけど、その中に静かななにかが聞こえるっていうか、感じられるものですかね」
「歌詞はいつもサラサラッと書くことにしてる。サラッと書いてあんまり見直したりしない。自分がすごく馬鹿でダサくて無力な、社会のクズみたいな気分で、とっても謙虚な気分で書くことにしてる。そうやって誰にも見つからないような歌詞を書くのが好き。もうどうだっていいようなこと、紙くずみたいなもん。それを何年もやるのがいい。この曲(BABYBLUE)もそう、もうずーっとおなじ感じです。」
自然派志向みたいな風に私はよく思われているみたいだけど、私、パンクだし。そういう意味の自然が、「フィッシュマンズ」の音楽には混ざっていると思う。人間が到底つかまえられないもの。身をまかせるしかない、考えても仕方ないようなもの。
私の好きな人って、こういうことが共通だ。どんな理由があっても、いばったり、権力をふりかざしたり、大声で怒鳴ったりする人が世の中でいちばん苦手。
中には、大人でも平気なふりができない人がいる。器用そうになんでもすぐに覚え、いつも明るい顔をしている人のことよりも、じつはそっちの方が私は信頼できる。初対面の時、人のそういうところを見て、好きになったりしているような気がする。
ちよじとヤーノ。
ビールを飲みつつ、もう何しゃべったか忘れたくらいにとりとめなく、ぬるい風呂につかったような、あんかけな時間が過ぎてった。かれらとは、そういうイケイケじゃない、楽なあいだだ。
映画 ブエノスアイレス
やっぱりウォン・カーウァイはいいな。
私はウィンのどうしようもないところが、切なくて、情けなくて、セクシーでたまらなく好きなので、ラストがどうもピンとこないけど。アパートの共同のキッチンで、ふたりが抱き合って踊るシーンがとにかく好き。あそこだけ何度でも見たいくらい。ウィンがひとりで泣くところとか、タクシーの中でファイの肩に頭をのせるところも、美しく、儚く、哀しく、とても情けない。お金もないし、汚いアパートだし、ノミはいるし。だから、あの退廃の中に浮かんでいる、カスみたいな幸せにしがみついてドロドロに落ちぶれたまま、ロマンチックに終わってほしかった。
家守綺評
登場するのは、庭の植物や、花、森、犬、たぬき、河童、人魚、幽霊、山寺の和尚、隣の奥さんなどなど。生きている人も死んでいる人も、植物も動物も、みんな主人公と同じ空気の中に暮らしていて、言葉だけではないやりとりをしながら、ひょうひょうと当たり前のように生きている様子がいい。これこそ超現実!っていう感じ。