【感想・ネタバレ】仏教の思想 4 認識と超越<唯識>のレビュー

あらすじ

アサンガ(無着)やヴァスバンドゥ(世親)によって体系化の緒につき、日本仏教の出発点ともなった「唯識」。仏教思想のもっとも成熟した姿とされ、ヨーガとも深い関わりをもつ唯識思想の本質を浮き彫りにする。
※本作品は紙版の書籍から口絵または挿絵の一部が未収録となっています。あらかじめご了承ください。

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ネタバレ

前回の記事で紹介した『仏教の思想2 存在の分析〈アビダルマ〉』では上座部仏教(正確には説一切有部)の仏教哲学の頂点であるアビダルマについて解説されましたが、本作『仏教の思想4 認識と超越〈唯識〉』は大乗仏教思想の最高峰とされる唯識思想についてのおすすめの参考書です。

本書ではまず唯識とはそもそも何なのか、どのような流れから生まれてきたのかということを歴史的な側面から見ていきます。いきなり難解な思想の話から始まっても私たち読者からすると厳しすぎます。というわけで本書は入門書ということで、まずは唯識の難解な哲学よりもその成立過程を見ていき、その大まかな全体像を掴んでいくことから始まります。これは読んでいて非常に助かりました。

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2024年08月28日

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ネタバレ

中観思想とともに仏教思想の最高の理論的達成とされる「唯識」は、日本仏教の出発点であり、またヨーガの実践と深い関わりをもつが、その唯識思想の本質を浮き彫りにする。     -20101202

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2022年10月21日

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ネタバレ

奈良からコータンに戻る途中、いまガンダーラに来ています。
興福寺の北円堂で、弥勒(マイトレーヤ)と無著(アサンガ)、世親(ヴァスバンドゥ)の兄弟にお会いし、ぜひ行ってみるといいといわれました。
ここで、もう少し唯識を学ぶ予定です。

ガンダーラ行きのバスの中で、
バスガイドのおねえさんとみんなで歌を唄いました。

そこに行けば夢もかなうというよ
生きることの苦しみさえ消えるというよ
誰もみないきたがる遥かな世界
その国の名はガンダーラ・・・♪

◆学んだこと
○唯識っていつできたの?
発生の年代は特定されていない。

2~400年 弥勒? 『解深密経(げじんみつきょう)』
3~500年 無著(アサンガ)、世親(ヴァスバンドゥ)兄弟

○兄の無著(アサンガ)ってどんな人?
パラマールタ(真諦(しんだい)、499―569)が書いた伝記より。

兄の無著(アサンガ)は説一切有部で出家したが、空を理解できず自殺未遂。その後、阿羅漢の教えから理解したが、心から満足できず、神通力で天に昇り、弥勒菩薩から大乗の空を教えてもらい、空の教理を悟ることができた。

その後もしばし天に昇り、大乗の教理をたずね、地上に戻って人びとに教えられたところを伝えたが、人々はその教えを信じなかった。

それで、弥勒菩薩にお願いして、地上で「十七地経」の講義をしてもらった。夜に弥勒菩薩が説法、昼間に無著(アサンガ)が解説のパターンで4か月かかって完了。人々は大乗の教えを信じるようになった。

無著(アサンガ)はさらに、弥勒菩薩から「日光三昧」を教えられて修得し、従来理解することできなかった教義をことごとく理解し、忘れなくなった。
 (以上、P24-26 要約)

苦労人ですな~。
だから、「無住処涅槃」なんてすごいことを考えたんだ。
『摂大乗論』(しょうだいじょうろん、Mahayana-samgraha)。
「空の教理」の悟りは出発点にすぎないんだね。

「日光三昧」ってなに? 
日光のお菓子みたいな名前だけど、なんかすごそう?
華厳の「海印三昧」とどちらが強いの?
同じような気がするんですけど? 同じですか?

○弟の世親(ヴァスバンドゥ)ってどんな人?
初め部派仏教の説一切有部を学び、有部一の学者として高名をはせた。ところが、兄の無着から大乗仏教を勧められ、下らない教義を聞いていたと自らの耳をそいで、瑜伽行唯識学派に入ったといわれている。その後、唯識思想を学び体系化することに努めた。 (Wikipedia 世親)

説一切有部の教義を体系化した『倶舎論』、唯識の基本的論書『唯識二十論』、『唯識三十頌』などを著した。 (同上)

学僧ですな~。
兄が著した『摂大乗論』に弟が記した注釈を一部見た(岡野守也「唯識のすすめ―仏教の深層心理学入門」)。新しい価値を付け加えるというよりも、後世に誤解なく伝えるために、丁寧に言葉を補足しているようなおもむき。まるで、大先生の原稿をわかりやすく整える優秀な編集者のよう。

○中国へ伝来したのは?
玄奘三蔵が国禁を犯してインドに留学して教えを受けた(629-645年)。帰朝後、『唯識三十頌』に対する護法の註釈を中心に据えて、他の学者たちの見解の紹介と批判をまじえて『成唯識論(じょうゆいしきろん)』翻訳した。

この書を中心にして、玄奘の弟子の慈恩大師基(もしくは窺基=きき)によって法相宗(ほっそうしゅう)が立てられ、中国において極めて詳細な唯識の研究が始まった。 (以上、Wikipedia 唯識)

西遊記の三蔵法師のモデル。
玄奘三蔵が留学する前の西暦500年ぐらいに、唯識はすでにインドから中国に入っていて、インドと同じように無相唯識と有相唯識の論争があったようだ。玄奘三蔵は有相唯識派から学んでいたため、帰国後、中国では有相唯識派が正統な唯識説とされたという。

○日本へはどう伝来したの?
653年 道昭が入唐留学して玄奘に師事し、帰国後法興寺でこれを広めた。
658年 入唐した智通・智達等も法相宗を広めた。これらは同系統に属し、平城右京に元興寺が創建されると法相宗も移り、元興寺伝、南伝といわれた。
703年 智鳳、智雄らが入唐した。
717年 入唐した義淵の弟子玄昉(げんぼう)も、ともに濮陽の智周に師事して法相を修め、帰国後これを広めた。なかでも玄昉は興福寺にあって当宗を興隆し、興福寺法相宗の基をきずき、興福寺伝または北伝といわれる。 (以上、Wikipedia 法相宗)

○成立時の華厳との関係は?
華厳経がコータンで編纂されたのは西暦400年前後とされているので、どちらが早いかは不明。ただ、華厳成立以前から流布し、華厳の経典となった『十地経』にある「三界は心のみのものである」という一句は、弟の世親(ヴァスバンドゥ)が唯識の典拠として取り上げている。

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2011年07月23日

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読み終えると、何となく唯識がわかった気になるのが、この本のすごいところです(笑)

実際に良書で、佛大のテキストに指定されています。

唯識3年、倶舍8年と言われるように、アビダルマに比べて、とっつき易いのは確かだと思いますが、理屈では理解できないのが、唯識をむずかしくする理由だと思います。

しかしアーラヤ識を、何らかの脳機能の変性と考えず、輪廻思想への迎合と考えるのは私だけだろうか?

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2013年07月05日

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ネタバレ

4巻目は唯識。実はこれもよくわからない(笑)。

すべては空であるとして輪廻も否定した中観と比べると、私のような
頭でっかちの理屈人間には後退のようにも思える唯識だが、それは
瑜伽行の実践のバックボーンとしての性格が強く表れているという
ことなのだろう。実際に人間の体や心と対峙して作り上げた唯識を
本当に理解するには、頭でわかろうとするだけでなく、実際に行を
修めなければならない、ということかもしれない。

次の5巻からは中国篇。段々となじみのある仏教に近づいていくの
だろうか。

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2013年01月05日

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