あらすじ
「ひとり」を生きる、胸に迫る言葉。
戦後を代表する女流詩人・石垣りん。彼女は眼前にある「家と社会の問題」に鋭く切り込み、現代人の孤独と真っ正面から向き合った詩を書いた。その表現は苛烈にして、海のような慈愛に包まれ、読者の心を根底から揺さぶる。すべての詩に、背景や言葉の意味がよくわかる鑑賞解説付き。
永遠の詩シリーズは、今日的に意義のある詩人をとりあげ、代表作を厳選しました。わかりやすい解説で、詩があなたにもっと近くなります。
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Posted by ブクログ
初期の詩は、少しこわいくらいの精神力の強さが感じられました。
少女の頃から一家の生活を支えて、家族を次々に亡くしたという環境もあったことだと思われます。
初期といっても、初めての詩集『私の前にあるお鍋とお釜と燃える火と』を出されたのは39歳という遅咲きの詩人だったそうです。
晩年の詩は肩の力が少し抜けたようなかんじで、しみじみと心に染み込んでくる味わい深いものが多かったように思います。
「崖」
戦争の終わり
サイパン島の崖の上から
次々に身を投げた女たち。
美徳やら義理やら体裁やら
何やら。
火だの男だのに追いつめられて。
とばなければならないからとびこんだ。
ゆき場のないゆき場所。
(崖はいつも女をまっさかさまにする)
それがねえ
まだ一人も海にとどかないのだ。
十五年もたつというのに
どうしたんだろう。
あの、
女。
<解説より>
石垣りんにしか書きえなかった反戦詩の傑作。
茨木のり子は、「戦後詩のなかで一番衝撃を受けた行は?と問われたら、まっさきに石垣りんの詩『崖』の最終連をあげずにはいられない」と書いている。
戦後になって公開された、アメリカ軍が撮影したサイパン島陥落の映像には、追い詰められた日本人女性が、次々に崖上から身を投げる姿が映し出されていた。もんぺ姿の若い女性が崖の上かに現れ、それから意を決してとびこむ様子が、鮮明なカラー映像に残されていた。どうして忘れられようか。かつて軍国少女であった石垣にとって、戦争は十五年経っても二十年経っても、終わっていなかったのだ。
「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」「白いものが」
「その夜」「表札」「幻の花」「村」「かなしみ」「おやすみなさい」もよかったです。
石垣りん(いしがき・りん)
1920年(大正9)~2004年(平成16)。
東京の赤坂に生まれ、高等小学校卒業後、14歳で銀行勤めを始め、働きながら、家と社会の問題に鋭く斬り込む詩を生んだ。
現代人の孤独と真っ正面から向き合う言葉の数々は、深く、つよく、温かく、読者の心を揺さぶる。