あらすじ
生きるための言葉に満ちた希望の詩。
弱ったこころを勇気づけ、希望に導いてくれた詩人、茨木のり子。そこにはいつも生きるための言葉があった。亡き夫への想い溢れる最後の詩集『歳月』も収録。詩人・高橋順子による鑑賞解説付き。
永遠の詩シリーズは、今日的に意義のある詩人をとりあげ、代表作を厳選しました。わかりやすい解説で、詩があなたにもっと近くなります。
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厳しく叱咤してくれたり、やわらかに愛するひとへ呼びかけたり。活動期間の作品を浅く広く読めたので、もっと茨木のり子の詩の世界に飛び込んでいきたい。
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茨城のり子さんの詩と出逢ったのは中学生のとき。20年近く経ってはじめて詩集を手にとった。
心の奥底で眠っている何かを呼び覚ますような、奮いたたせるような明朗さと真っ直ぐさが眩しい。
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『自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ』
もうタイトルを見た瞬間、読まなくちゃと思った。
茨木のり子さんの作品は二つだけ知っていた。
『わたしが一番きれいだったとき』と『女の子のマーチ』「女を見くびるなよ」という感じの勇ましさと戦争は絶対NOと突きつける激しさに惹かれた。
予想通り、激しい喝を入れられた。
自分を甘やかす隙間など微塵も与えぬ迫力だった。
「はい、すみません」と謝るしかなかった。
『夢』『恋歌』『(存在)』と亡くなった夫を偲ぶ詩にも慄然としながら惹かれた。
愛と死
命のあはれを感じる。
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もっと早く 茨木のり子 を知るべきでした。何歳でこれを読むべき、と押し付けがましいのは論外だけど、10代で読んでいれば、今読んだ時に自分を必要以上に責めずに済んだはず。若い時に茨木のり子をスルーした人は、若松英輔 さんの特別授業と共に読むことをおすすめします。
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人生で最初に好きだと思って、今も一番好きな詩人はこの人。本当にありがたい。2006年に急逝されたとのことで、同じときに生きていたことに驚きと感謝。
これからも読み続けたい。読み続けなければならない気がする。
自分の感受性くらい
はもちろん、今回響いたものはこちら。
「ギラリと光るダイヤのような日」
世界に別れを告げる日に
ひとは一生をふりかえって
じぶんが本当に生きた日が
あまりにすくなかったことに驚くだろう
「怒るときと許すとき」
女がひとり 頬杖をついて
慣れない煙草をぷかぷかふかし
油断すればぽたぽた垂れる涙を
水道栓のようにきっちり締め
男を許すべきか怒るべきかについて
思いをめぐらせている
「汲む」
あらゆる仕事 すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている
「一人は賑やか」
恋人よ
まだどこにいるのかもわからない 君
一人でいるとき 一番賑やかなヤツであってくれ
「時代遅れ」
そんなに情報集めてどうするの
そんなに急いで何するの
頭はからっぽのまま
「歳月」
たった一日っきりの 稲妻のような真実を
抱きしめて生き抜いている人もいますもの
---
こうやって書き写してみると、ひらがなと漢字の絶妙なバランスにも気づく。こういうところ、まねしていきたい。
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茨木のり子さんの詩集は、以前にも何冊か読んでいますが、この詩集の高橋順子さんの解説によると、意味を取り違えて読んでいたものがありました。この「永遠の詩」シリーズは解説が1作ごとにあり、とてもわかりやすく、選詩も、選りすぐりのものばかりで、評価されるべきシリーズだと思います。
「落ちこぼれ」
落ちこぼれ
和菓子の名につけたいようなやさしさ
落ちこぼれ
いまは自嘲や出来そこない謂
落ちこぼれないための
ばかばかしくも切ない修業
落ちこぼれにこそ
魅力も風合いも薫るのに
落ちこぼれの実
いっぱい包容できるのが豊かな大地
それならお前が落ちこぼれろ
はい 女としてはとっくに落ちこぼれ
落ちこぼれずに旨げに成って
むざむざ食われてなるものか
落ちこぼれ
結果でなく
落ちこぼれ
華々しい意志であれ
<解説より>
この国では、目立たないように身を処していないと、後ろ指を指されて生きにくいことになる。それゆえ、出足ががにぶい人、遠回りしている人には「落ちこぼれ」という美しくも、ありがたくないレッテルが貼られる。いまこの国の大地は、落ちこぼれの葉っぱを収容すべき弾力を失っているように、筆者には見える。この詩を書いたころの茨木は、みなさん、意志的に落ちこぼれようではりませんか、と檄をとばしていたのだが…。
さて、『作家のおやつ』(平凡社コロナブックス所収・2009年)によると、茨木が好きだった和菓子は名古屋の養老軒の白と黒の外郎。山形県鶴岡の栃餅だったそうだ。『寸志』所収。
「ぎらりと光るダイヤのような日」「わたしが一番きれいだったとき」「小さな娘が思ったこと」「一人は賑やか」「兄弟」「食卓に珈琲の匂い流れ」「恋唄」「(存在)」「歳月」もよかったです。
茨木のり子(いばらぎのりこ)
1926年(大正15)~2006年(平成18)。
敗戦後、結婚前後から詩を書き始め、川﨑洋とともに詩の同人誌「櫂」を創刊。
ヒューマニズムと批判精神溢れる詩で多くの読者の心を鼓舞した。
戦後を代表する女性詩人にして、エッセイスト、童話作家でもあった。
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心に、ぐっと迫ってくる詩ですね。
詩は、あまり…ほとんど読みませんが…
こういう詩があるんだな~と、
ひとつひとつ、詩の背景の解説もあるので、
より、わかりやすく、初心者に良いです。
掲載している詩集名ものっているので、
それぞれを借りたくなりました。
著者の年齢的な、時代背景などでも、詩の内容が変わってくるのが面白いです。
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内定が出たら買うと決めていた一冊第二弾。
「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」
一生枕元に置いて幾晩でも共にしたい。
『落ちこぼれ』に収録されていない「ある一行」が収められているのもうれしい。
茨木のり子集『言の葉』全三巻がとてもほしいです。
Posted by ブクログ
鑑賞解説がついており、詩集が初めてでもとても読みやすい本です。
「自分の感受性くらい」や「汲む」、第二次世界大戦時の青春を唄った有名な詩「わたしが一番きれいだったとき」、亡夫を想う「歳月」なども集録されており、生きるための言葉のひとつひとつに強い意志を感じます。
一度読み始めると素直に詩の世界に引き込こまれてしまいます。
言葉を丁寧に味わうという感覚と、言葉のもつ強さを感じた本です。
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「自分の感受性くらい」を読むと、背筋がピンとなる。
うまくいかないことを他人のせいにしてしまうような
気持ちが弱っている時に。
たまには誰かにピシャッと叱ってほしい。そんな時に。
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bookCafeで、自分の軸や感性を作ったおすすめの本として店主さんがお勧めしてくれた本。一人は賑やか、ダイヤのような日、自分の感受性くらい自分で守れ、が特に好きだった。
美しい表現が沢山あって、日本語を理解できる人間で良かったと思えた。
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茨木のり子さんの詩集ですね。
永遠の詩シリーズです。
このシリーズはほんとうに、詩との出会いを形づくるきっかけを結びつけてくれますね。
茨木さんの詩は、初めて味わいましたが、私の心に深くすんなり、ほんとうにすんなり受け入れました。
詩集を読むのはかなりの想像力と理解力、感性を駆使しますが、茨木さんの詩は、飾りがなくそれでいて、真相を的確に捕らえられていて、情愛と励ましに溢れています。
みずうみ
《だいたいお母さんてものはさ
しいん
としたところがなくちゃいけないんだ》
名台詞を聴くものかな!
ふりかえると
お下げとお河童と
二つのランドセルがゆれてゆく
落葉の道
お母さんだけとはかぎらない
人間は誰でも心の底に
しいんと静かな湖をもつべきなのだ
田沢湖のように深く青い湖を
かくし持っているひとは
話すとわかる 二言 三言で
それこそ しいんと落ちついて
容易に増えも減りもしない自分の湖
さらさらと他人の降りてはゆけない魔の湖
教養や学歴とはなんの関係もないらしい
人間の魅力とは
たぶんその湖のあたりから
発する霧だ
早くもそのことに
気がついたらしい
小さな
二人の
娘たち
この詩集は、茨木のり子さんの全詩より三十六編を選び出されています。
選者の高橋順子さんの言葉
「言葉は平易であるが、最初から不思議なくらい洗練されていた。時々俗語や文語が混じり、それがじつに所を得て、いきいきと親しみやすい表情を浮かべているのが、茨木詩を読む楽しみの一つでもある。修飾をはらい、畳みかけるように強い言葉の中に、たおやかな言葉を見出すこともある。」
心に響く「言の葉」の詩集ですね。
Posted by ブクログ
お気に入りの書店の本店にて。
うずたかく積まれた数多の書籍の中の一冊。
旅先だから、出逢えた『茨木のり子』なのかも。
『嘘がつけない人だった。
詩においても、生活においても
ーーーーーー谷川俊太郎(詩人)』
そんな茨木のり子さんに、" 清々しいまでの潔さ " を感じ、カッコいい〜と痺れています。
やはり、『自分の感受性くらい』は、最高だし、ファンの多い『わたしが一番きれいだったとき』も、ほんとうに素敵。
だけど、わたしは、変わらず『汲む』が痺れるほど好き。 それは、初心に帰れるから。 自分で自分を包み込むような感覚を覚えるから。
そして、今回は、『知命』に、共感。
今のわたしの想いそのものだった。
もう一つ。 『時代おくれ』。
『何が起ころうと生き残れるのはあなたたち
まっとうとも思わずに
まっとうに生きているひとびとよ』
このラストは、心に沁みた。
それまでの
『そんなに急いで何をするの
頭はからっぽのまま』や、
『便利なものはたいてい不快な副作用をともなう』
から、シッキムやブータンの子らへと思いは流れ、ラストの文章へ。 ガツンとやられた。
やはり、茨木のり子は素敵でした。
Posted by ブクログ
名詩「利根川の海」にはじまり有名な「わたしが一番きれいだったとき」から最後の詩集「歳月」まで、厳選された詩が編まれた本書。
戦争を生き抜いた茨木のり子さんの凛として美しい死の数々。
初めて読んだ一冊が「歳月」であったためか、やはり個人的には晩年の詩がすごく好きです。「夢」「恋歌」「急がなくては」「(存在)」「歳月」など。
厳選されたものなのでどの詩も本当に素晴らしいのですが、
「答」は本書の中で一番好きで、私自身、ふと一番幸せだった時といえば、と振り返った時がありそれを再体験したような感覚でした。子を持つ母なら、どんな人生を送っていたとしても共感できるのではないでしょうか。
ほかに「兄弟」「食卓に珈琲の匂い流れ」や「時代おくれ」、「倚りかからず」「さゆ」など、非常に心打たれました。
Posted by ブクログ
作者は戦争を生きた人だ。戦時中は女学生で愛国心を胸に生きていきた。
現代、少なくとも日本は戦時中ではない。そして多様化を推し進めようとしている。そのような中でも多数と同じであることを求められることは多い。「普通は」や「みんなは」といった言葉、同一であることを求めること。自分の感性を持ち続けることは難しいと思う。そんな現代人に「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」と檄を飛ばしてくれていると感じた。自分だけが持ち得る感性を大切にしていきたいと思った。
Posted by ブクログ
残念ながらと言うべきか、小学生の頃の自分にとって、詩とは「言葉が少なくて読むのが楽なもの」以上のものではありませんでした。
大人になった今、何故だか詩というものに心をくすぐられながらも、「何がそんなに良いのか?」と問われれば、明確な答えは見つかっていません。
ただ茨木さんの言葉をまとまった形で読むと、「無理に頭で解ろうとしなくていいんだ」ということを教えられるような気がします。
論理的に解き明かそうなんて大それた事をやろうとしなくても、「あぁその感じわかるなぁ」と自分の中に自然と共振する部分を発見するのも、詩の楽しみ方かもしれません。
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「自分の感受性くらい」で頼りない自分に喝をいれてもらい、「幾千年」で桜蘭の少女の嘆きに耳を傾け、「倚りかからず」でしゃきんと背筋をのばす。
「夢」で愛する人との重みを感じて、それをいつか失う日が来ることにおびえる。(存在)で透明な気と気の2人を感じ安心する。
そんな風に読みました。
Posted by ブクログ
「詩」には2種類あって(私としては)、言葉の羅列で意味は分からないんだけれども何となく雰囲気を楽しむというものと、分かりやすい言葉でダイレクトに伝わってくるもの。この詩集は後者。表紙の詩に魅かれて読んでみましたが、他の編もとても良く、静かに満ちていくような読後感。いつかまた再読したい。
Posted by ブクログ
「自分の感受性くらい」が収録されているので読んでみましたが、解説が付いているにもかかわらず自分にはすこし難しい1冊でした。とても深く、詩と言うものはなんとすごいんだろうと初めてしに触れて驚きました。
Posted by ブクログ
読み応えのある詩。厳しくも優しい言葉に魅力を感じました。悩み苦しむのは人の性。誰が読んでも共感を感じるんじゃないかなと思います。茨木のり子の詩に勇気付けられながら自分も強く生きていきたいなぁと思いました。
Posted by ブクログ
手元に戻ってきて再読。何度読み返した事だろう。一人ぼっちを腑に感じた時は誰に会ったって寂しさや絶望は埋まらない。この本を眺め、抱いて眠るのです。孤独にきく薬は人の温もりじゃなく、甘えるなよと背中をぴしゃっと叩いてくれる言葉。でもね、なにより彼女が亡き夫に詠うのが好き。メロディーつけたくなるくらいピンク色。寄りかからずの独立した女性が、愛を謳えばただの可憐な乙女だよ。
Posted by ブクログ
なんだか色々うまくいかないし、
体調もいまいち。。。
という頃に手にとった本。
表題にもなっている
「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」
が、ガツンと効いた。
それから、
「一人は賑やか」
「汲む」
でハッとさせられ、
「急がなくては」
で泣いた。
厳しい言葉を綴っていても、
その裏にたしかに人への愛情が感じられるから、
むしろ温かい。
Posted by ブクログ
テレビで紹介されていなかったら、おそらく読んでいなかっただろう。表題作の『自分の感受性くらい』は喝を入れられているような感じが特に良かったが、『わたしが一番きれいだったとき』も良かった。
Posted by ブクログ
茨木さんの詩集2冊目。
前回の詩集と若干ダブっている。
好きな詩は2作品。
『知命』:
「知命」とは「五十にして天命を知る」(論語)から五十歳の称らしい。
小包の紐のほどき方やこんがらかった糸の束をなんとかしてよ、と人から言われ鋏で切ったら、と言っても了解しないので、もそもそと手伝う。
「ある日/卒然と悟られる/もしかしたら/たぶんそう/沢山のやさしい手が添えられたのだ/一人で処理してきたと思っている/わたくしの幾つかの結節点にも/今日までそれと気づかせぬほどのさりげなさで」
これまで何事も一人でしてきた、とおごっていてはいけない。
周りの誰かのやさしい手がさりげなく差し伸べられたに違いないのだから。
五十歳を目前に控えた私にはドキッとする詩だった。
『倚りかからず』:
楽して誰かに、他の何かに安易に頼っていてはいけない。
つい神頼みしたくはなるけれどね。
「じぶんの耳目/じぶんの二本足のみで立っていて/なに不都合のことやある/倚りかかるとすれば/それは/椅子の背もたれだけ」
気の抜けたご時勢に物差しで背中を叩く音が聞こえてくるような詩、とは解説の方も巧い。
私も頼るのなら椅子の背もたれくらいにしておきたい、けれどなかなかね…。
Posted by ブクログ
太い詩だ。全面的に訴える様な太い主張の通る詩だ。 感受性ぐらい自分でまもれ、ばかもの。 きっとその通りだ。 皆、感受性さえも守れないのだ。