あらすじ
そういえば、あの本のこと、なんにも知らずに生きてきた。
一度は読みたいと思いながらも手に取らなかったり、途中で挫折してしまったりした古今東西の「名著」を25分間×4回=100分で読み解きます。各界の第一線で活躍する講師がわかりやすく解説。年譜や図版、脚注なども掲載し、奥深くて深遠な「名著の世界」をひもときます。
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■終末期患者約200人と面談した著者が、その心理をまとめた『死ぬ瞬間』(原題“On Death and Dying”)。
人は死に直面すると「否認と孤立」「怒り」「取引」「抑うつ」「受容」の5段階を経るという。現代人が忌避する「死」について、この記録が示唆するものとは。
■講師:島薗進
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Posted by ブクログ
人が死を自覚し、その瞬間を迎えるまでの心の持ち様がどのように変化していくのかの理解とそれに対して身近な人がどう接していけば良いのかを考えるには非常に参考になった。
確かに、自分の経験でも昔優しかった母が変化していったことが理解できなかったが、その当時にこの本に出会えたらもう少し違う対応ができたのではないかと思えた。
過去の話なので、今更どうしょうもないが、この本で学んだことを自分のその時にむかって考えながら生活したいと思う。
Posted by ブクログ
100分で名著は分かりやすく、作者の生い立ちと著書の要約をしてくれるのでとても良い。
「キューブラー・ロスモデル」とは、人は初めに自分の死を疑い(否認)、なぜ自分だけが死ななければならないかと怒り(怒り)、なんとか死なないように取引をしようと(取引)するのだが、何もできなくなり(抑うつ)、そして、死を受け入れる(受容)…というものだ。このモデルを発表した『死ぬ瞬間』(1969年)は世界的なベストセラーになり、様々な国の教科書に掲載された。
あらためて、西洋にとって宗教が人々に与える影響の大きさを感じた。
著者は、終末医療の医師で、癌など、深刻な病に伏してしまった患者に対して、心のケアを試みるが、患者自身がなかなか心を開いてくれない。
しかし、キリスト教を信仰している人たちは、癌などの終末期を迎えた患者さんでも、天から与えられた運命と捉え、穏やかに病を受け止めるそう。そこまで達観できない信徒も、牧師さんに相談したり話を聞いて、支えられることで少しずつ穏やかになっていくそう。宗教には死の先がある。だから恐れる必要はないのだそう。
緩和ケアをしていくうちに、キューブラーの関心は、「死の受容」から「死後の世界」や「死とは何か」に移ってゆく。死から生還した人、死から蘇生した人の症例を集めていき、彼ら彼女らが体験したことをプロセスとして発表していいき、著作としては、人生は廻る、輪のように。になる。読んでみたい。
日本の場合、八百屋の神的なふわっとした信仰心しかないので、牧師に相談するとか,そういった分かりやすい相談先はない気がしていて、日本的に見た場合、何が心のよりどころになるのか、気になりました。
メモ
キューブラー・ロスの5段階モデルは、死に直面した人が受け入れるまでの心理的プロセスを、否認、怒り、取引、抑うつ、受容の5つに分類したもの。
5段階の詳しい内容
否認:現実を認めず「間違いだ」と思う。
怒り:「なぜ自分が」と周囲に不満をぶつける。
取引:神などにすがり「良い子にするから」と願う。
抑うつ:どうにもならない絶望感や悲しみに沈む。受容:避けられない現実を静かに受け入れる。
終末期の患者さんには、どんな励ましの言葉も無意味でむしろ、苦痛になることすらある。それでもそばにいて何も話さなくても一緒にいることそのものが、患者にとってのこころの安定に繋がる。無理に何かを話す必要はない。寄り添うだけでいい。
Posted by ブクログ
健康で新しい年を迎えることが出来たが、温かい部屋で年1回の「食っちゃ寝」生活をしている。外の天気が悪いので、運動もできない。そんな正月になることはあらかじめ分かっていたので、「当たり前」の日常に感謝しようと手に取った一冊。最近読んだ『ライオンのおやつ』『最後のオレンジ』『いのちの停車場』などを思い浮かべながら読んだ。
死に向き合う苦悩や受け容れ方について考察する「死生学」という分野は、宗教とは一線を画した学問である。死という最後の瞬間ではなく、病気の告知を受けてから長い過程があり、フェーズごとに心理的な経過が考察されている。
数多くの終末期患者にインタビューを行った超力作なのだが、患者に対して直接「死」について尋ねることは、当時はタブーとも言える行動と見做され、著者を取り巻く世間の目は厳しかったようだ。近代医療の発展と相反して、日常生活における宗教色が薄くなった20世紀後半、終末期患者が味わった孤独と苦悩に着目したのだろう。
著者が若い頃にナチスの収容所跡で「蝶」の絵を発見し、自らの運命を知った人が最後まで希望を持っていたことに気づいたエピソードや、“旅立ち”を「サナギから蝶へ羽ばたく」という表現したエピソードは、感動を超えて恐ろしさがあり、鳥肌が立った。
昨年、「デスフェス」というイベントに参加していた友人がいた。私は全然興味を持てなかったが、少し気持ちが変わった。いつか来る「その時」のために、死についてざっくばらんに仲間と語ることは貴重な機会である。まずはキューブラー・ロスの自伝から読んでみたいと思う。