あらすじ
聖書の記述には、現代の我々からすると荒唐無稽に思えるエピソードが少なくない。いったいどの程度まで史実を反映しているのだろうか。文献史料の研究にはおのずと限界があり、虚実を見極めるには、遺跡の発掘調査に基づくアプローチが欠かせない。旧約聖書の記述内容と考古学的知見を照らし合わせることにより、古代イスラエルの真の姿を浮かび上がらせる。本書は現地調査に従事する研究者の、大いなる謎への挑戦である。
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『歴史学者と読む高校世界史』の第01章が面白かったため、長谷川修一の過去作として手に取った。旧約聖書の記述の全てを原理主義的に信じることは(信徒でないこともあり)元からしていなかったが、では実際にはどこまでなら史学的・考古学的に一次史料から確かめられるのか、という点について良い概説を提供してくれた。ダビデあたりの伝承が境界例であり、分裂王国時代以降に少しずつ考古史料が増えてゆく過程について学ぶことができた。読んでいて興味深かったのは、聖書考古学におけるシュメール文明とアッカド語の重要性の高さ。古代ヘブライ語や古代ギリシャ語以外にも、アッカド語が読めるかどうかが、古代オリエント史におけるイスラエルの民の歴史を追跡するうえで重要であることが、史料活用の中で伝わってきた(同じ著者のちくまプリマー新書『謎解き 聖書物語』でもそうした史料活用のようすを確認することができる)。
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世界史で聖書の存在を知ったとき,あるいは実際に聖書を読んだとき,「どこまでか史実なのか?」という疑問を抱くと思う。全てが史実なわけではない,かといって全てが空想でもない。
本書は,考古学の視点から聖書と史実の関係について概説したものとなっている,学問としての線引きについて知っておくと良いだろう。族長時代から新約時代,とはあるが,実際メインに扱っているのはアブラハムからダビデまでで,旧約聖書のモーセ5書と歴史書が該当する。
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西洋美術を入口に聖書に興味を持って何冊か読んでみいる中で、学問的な色合いの本を探しているときに本書に出会った。
本書は考古学、歴史学の見地から旧約聖書の記述を検討していて、その史実性を跡付けようとしている。
決して宗教の虚偽や欺瞞を暴露しようと意図しているわけではなく、あくまで学問的に何が実在しているといえるか、と批判的で冷静な学問的立場を維持している。
神によるこの世の創生からではなく、アブラハムから始まる族長時代からが検討対象で、聖書の中であまりメジャーではない(?)ソロモン後からバビロン捕囚までの時期の歴史に割と多くのページを割いているのは、史料と発掘物に語らせる姿勢の表れかもしれない。
そのため、族長時代や出エジプト記が歴史的に実在していたかどうかは、明確に判断されていない。黒白はっきりしてほしい人には不満が残るかもしれないが、私は著者の真摯さが感じられて好感が持てた。
聖書のストーリーの説明はあまりないので、ある程度旧約聖書の知識があった方が楽しめるだろう。
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帯の宣伝文句のような「本書は現地調査に従事する研究者の、大いなる謎への挑戦である」といった派手さやワクワク感はないが、読んでいて楽しい本だった。
考えてみると、自分も含めて多くの日本人の聖書の知識はお粗末と言わざるをえない。本書にもあるが、高校の教科書にはモーゼは実在の人物として登場し、出エジプト記も史実のように書かれている。史実だと思っていたことについて、フィクションの可能性が高いと指摘されるのは知識の修正という意味で有意義と思う。
「聖書考古学」とは、「聖書の歴史記述の深い理解に達するため、特に聖書の舞台となった古代パレスチナを中心とした考古学」という。そして、本書では、「信仰の対象としての聖書からは距離を置き、聖書を『人間が何らかの意図を持って書き、また編集したもの』として批判的に扱」っている。
例えば、イスラエル人には「大イスラエル主義」という政治的主張がある。これは「カナンの地全体がイスラエル民族に神から与えられたものである」という旧約聖書の信仰につながっている。一方、考古学的発見から、平野部にいたカナン人の一部が山地に住むようになり、彼らが次第に独自のアイデンティティを形成して後にイスラエル人として出現したという有力な説もある。しかし、出エジプト記がまったくのフィクションだと断言できないという聖書考古学の限界も、この本から読み取れる。
歴史本のブームの中で、自分の中にある史実を見直すきっかけとなってくれる本ということで良書と思う。お勧め。
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旧約のアブラハム以降のダイジェストと、そこでの出来事が遺跡や他の文献に
どうリンクしているかを解説する。
長い歴史を通じて多くの人に読まれてきた聖書の記述、
そのどこからどこまでが史実なのか、やはり興味が尽きないところ。
他の民族が滅ぶなかで、ユダヤ人のみが同一性を保ち得たとのことだが、
おそらく旧約の存在がユダヤ人を常につくり出してきたのだろう。
ユダヤの民族が生み出した約束の書、旧約。
それがいつの間にか信仰を通じてユダヤを作り出す書物へと変化したことが想像された。
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啓蒙思想の考えから、聖書を様式史として研究するアプローチに対して、聖書考古学では、考古学の発掘などのアプローチによって聖書の史実を検証しようとしている。この分野の本は、訳本ばかりだったので、日本人による新書で発刊されてよかったと思う。
本書の内容は、1.2章で、一般的な聖書の解説、考古学の手法の基本的な説明と、オリエントの地独特の考古学についてまとめている。3~6章で、アブラハム、カナン征服、王国からバビロン捕囚、キリスト教へ(死海文書まで)をまとめている。7章では、今後の考古学、今後の聖書学についてまとめている。
3~7章は、聖書のあらすじの説明や聖書からの引用が多いとは思ったが、入門書の特性上仕方がないと思う。しかし、自分のように慣れていても、地図、時代(歴史などの年表)は、別紙の方がわかりやすいと思った。歴史と場所が複雑さが、旧約時代を理解する難しいところだと思うので。
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聖書には、事実とかけ離れた(事実とは思われない)記述がかなりある。そういった虚構を
崩す姿勢は、過去を明らかにする好奇心でもあるし、また、神の真意に近づく信仰でもある。「聖書学」というのは、こうした目的から始まった学問だ。その研究の手段として、主に考古学と史料批判がある。
現在の聖書考古学は、聖書のなかの歴史的事実を明らかにすることが、主な目的となっている。信仰は別件だ。
考古学は「モノ」を取り扱う。それによって、客観的な事実が明らかになるのだ。しかし、「モノ」は何も語らない。「モノ」が語らない部分、言い換えれば「ヒト」が語る部分は、史料で明らかにするのである。
考古学の調査で、聖書の脚色が次々と明らかになっている。特に、出エジプトが今のところ根拠を持たないものであることには、驚いた。
久々に、聖書を紐解いてみよう。
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古事記も引き合いに出し、旧約聖書を成立させた動機は、仮説だが、説得力がある。
その後は、地域限定の古代史そのもの。年代特定方法も含めて、考古学的。
逆説的になるが、現代まで連なるユダヤの民を見るに付け、「正典を持つ」威力を感じた著作であった。
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本書は、旧約聖書の物語は考古学的に証明できるのかという観点から考察する書です。考古学であるから、発掘結果ベースということにはなるのだけど、旧約聖書の記述には少なからず時代錯誤が含まれているという点にはまさに目からうろこ。細かい点を記憶するつもりもなく読んだのですが、ざらっとユダヤ教の誕生の歴史もおさらいできるのも良い点です。
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結構内容は面白かったが、私自身は作者に大学で習った人間なので、まだ大丈夫だったが慣れない人には難しいと思った。イスラエルなどのオリエント関係を勉強したい人には良いかもしれない。
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聖書の考古学であるが、旧約聖書の初めの部分が、紀元前2000年ごろと旧約聖書で、書かれている部分が、ほとんど、確かかどうかわからないとか書かれているが、書かれている人物が120歳、160歳まで生きたとか書かれていると本当かどうか、明らかと思うが、でも、当時のことが書かれた碑文がないので、確かではないとか書かれていた。かなり、慎重な書き方と思った。慎重すぎるかもしれない。また、出エジプト記が、事実かどうかまだ、確認されていないとは、はじめた知った。アッシリアの文書にも記載がなかったと、それから、考古学の遺跡の発掘の仕方が書かれていたが、その部分は、退屈であった。でも、アッシリアの文書、碑文などで、確認された部分は、面白かった。ユダヤ教徒キリスト教の関連などが面白かったし、どのようにキリスト教ができてきたかわかり、面白かった。
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聖書の記述はどこまでが真実なのか、誰が纏めたのか、を考古学の手法で検証すると同時に「イスラエル人」はどこから来たのかという謎についても言及している。また、聖書の記述の考察だけでなく考古学における発掘作業や遺物の同定の難しさ、聖書を歴史の史料として扱うことの難しさについても取り上げている。文書史料の検証は記述されているものが発掘されるか、同時代の別の地域の史料に共通記述が見られるかといった点で検証する。これは聖書においても同じであるが、信仰という要素が絡んでくるため少々複雑なことになっている。すなわち聖書に書かれていることは全て正しいとしてしまうという事である。こういったことをしないよう「批判的」に扱うよう注意を払わなければならないことが指摘されている。
記述の癖から特定の人物による編集が行われた可能性の指摘、何らかの事実を基にして警鐘を鳴らすための創作、信仰の正当性や信仰を続けることの意義、なぜ「今」そのようになっているのかの説明、こういったことを発掘の結果や他の史料から導き出している。全体を当してみると、何らかの事件が起きたのは間違いなさそうな印象を受ける。その上でやはり宗教として成立させるための「操作」も行われているだろうことは想像に難くない。「聖地」を発掘すれば多くのことが分かるのだろうが「聖地」であるが故にそれもできない。宗教の難しさがこのようなところにもあるのだと改めて認識した。
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本書を読むにあたっては、ある程度、聖書に関する知識がないと戸惑うかもしれない。
聖書に書かれていることが100%正しいと盲信している人は別として、遺物や遺構といった”物的証拠”からわかることは、「そういうことがあったかもしれないし、なかったかもしれない」ということだ。
信仰は信仰として、学問的見地から判明した事実は受け入れる度量が求められるだろう。
それにしても、紀元前の大昔からその時の為政者の都合がいいように歴史が捏造されていたのには、笑った。
Posted by ブクログ
旧約聖書に書かれているエピソードは歴史的な事実なのか?
文献による考古学研究には限界があり、発掘調査によってその史実を確認する。
学術的とは批判的であること。※否定的とは異なる
「聖書は無謬である」とか「神からの言葉である」という先入観を取り払って読む、ということである。(P61)
もともと旧約聖書の内容をほとんど知らなかったが、聖書自体に興味を持ついいきっかけになった。
旧約聖書を読んでからまた読み直したい。
◆旧約聖書の構成
・創世記(原初史)
→天地創造、アダムとイブ、ノアの方舟、
・族長時代(父祖たちの時代)
→アブラハム、イサク、ヤコブ
・土地取得時代
→出エジプト
・イスラエル王国時代
→巨人ゴリアト対ダビデ、ソロモン、南北朝時代
Posted by ブクログ
20130605~0626
著者がいう、旧約聖書は日本の「古事記」「日本書紀」と似ている、というのには納得。
ユダヤ教徒の歴史と王国時代の正当性を裏付けるための“時代錯誤”や出エジプト、モーゼの十戒などの記述があるのだということか?
とても興味深く読めたけど、旧約聖書時代の地名と現在の中近東・イランあたりまでの地名と国境線がリンクしないです(^^ゞ
白地図に両方の地名と現在の国境線が書かれていたら便利だろうなと思いました。
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遺跡から得られる資料の解読に膨大な時間とある程度の基礎知識は不可欠と予測できるが、それにしても気の遠くなるような時間を遡っての研究だ.聖書の記述は全てが歴史的に確証できるものではないことは理解していたが、この分野でこのようなしっかりした考察がなされていることに驚嘆した.
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・パレスチナにおいて土器にヘブライ語アルファベットが刻まれるのは紀元前9世紀くらいから。
・捕囚にしたバビロニア人がもはや存在しない一方でユダヤ民族が存在するのが不思議。
・考古学の限界:①なにかが出てこなかったとしても、それがなかったことの証明にはならない。②証拠が出てきてもその解釈が幾通りもある。
・「カルデア」は紀元前2千年紀の文献には登場しない。創世記の「カルデアのウル」という表現は後代からみている。
・らくだについて:C・グリグソンによる最新のラクダに関する研究がある。
・ペリシテ人がパレスチナに登場するのは族長時代の数百年後であるから、この点でも時代錯誤。
・ベテルの遺跡からは、族長時代において厚さ3・5メートルもある城壁が発見されている。ベテルは2012年から慶応の杉本教授による発掘が始まっている。
・ラムセス2世の建てた「ペル・ラメセス」と聖書の「ラメセス」が同じだという説があるが、この町は長らく「タニス」と同定されていた。しかし近年の研究により、テル・エル・ダヴァとカンティールという遺跡がぺる・ラメセスであった可能性が高いことが分かった。そこはアバリスという名前で呼ばれ、ヒクソスの王朝の都であった。
・ネボ山からはカナンを一望できない。
・Associates for Bilblical researchという、聖書擁護派の学者団体がある。
・ハツォルはイスラエル最大のテル型遺跡である。
・ペリシテ人の王の名「アキシュ」はエーゲ海地方の起源であるとみてよい。
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旧約聖書に記述されている内容が史実を反映しているのかという疑問に、考古学の立場からこたえをさがし求める学問的研究の成果を、幅広い読者に向けてわかりやすく解説している本です。
本書ではまず、考古学における発掘調査の方法についての初歩的な知識のていねいな解説が置かれています。また、調査によってなにがわかり、なにがわからないのかということをはっきりと指摘したうえで、これまでの研究を通して旧約聖書の記述内容と史実との関連を見いだそうとする試みには、どの程度の妥当性が認められるのかということが具体的に説明されています。
信者にとっては信仰の対象である旧約聖書の内容をめぐって、学問的な観点から冷静に精査していく研究の一端に触れることができる内容で、興味深く読みました。
Posted by ブクログ
聖書はそれが史実であるかはともかく、その時代に書かれ人々に共感された事実に価値と面白さがある。
私の日頃の思いもまさにこれである。
この観点を踏まえて考古学と照らし合わせるのが本書のやり方で、聖書を暴くことは意図されていない。
発掘資料から推察されるイスラエル近辺の歴史と聖書の記述に相違があれば、ではなぜそれが書かれたのか、人々の心を打ったのかを追究する。
ただいくら考えても世界中に論者がおり、決定的な発見がない限り真相は闇の中である。
というわけで、これを読んでも何も答えは出ないのだが、単純に紀元前の歴史を追うのが面白かったし、照らし合わせで嵌る深みからは浪漫が溢れかえる。
聖書に出てくる人物や出来事が、エジプトやアッシリアの碑文に出てくるか。
いや全然出てこない。
出エジプトはさすがにしたのだと思っていた。
それさえ怪しいとなると、旧約聖書フリーザ編的なあの盛り上がりは一体誰の意図で書かれたのか。
エジプトが悔しくて歴史を闇に葬ったのか。
モーセたちの夢物語なのか。
そして真実でなかったとしてもユダヤ人の心に共通の祖への思いが宿り続け、
20世紀に建国に至ったという壮大すぎるこの事実。
何があったんだよ、いやむしろ何もなかったのかよ。何を過越祭してるの。
列王記なんて真面目に読んだことがなかったが、もしかしてめちゃめちゃ面白いのかもしれない。
持ち歩ける分厚さなら良かったのに。本棚ででっぷり座り続ける聖書よ。
興味や価値観が合うと思ったら、母校が同じだった。
文章のところどころに見える、ロジカル風で思いが勝っちゃっているところも何かありがちでわかる笑。
私は院卒ではないが時々出会う先輩の本を読むと、学んだ時期は違っても刷り込まれる大学ナイズはあるとしみじみする。
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旧約聖書に書かれた物語はフィクションなのか史実なのか。
本書は考古学を用いてその謎に挑んでいます。
でも、紀元前の世界史にあまり興味が無い人にはちょっと読むのが厳しい本だと思います。
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旧約聖書のとあるエピソードはラクダが家畜化された年代と合わない「時代錯誤」であることから後世の創作であることがわかる、といった時代考証が面白かった。
出エジプトも旧約聖書の記述から一応の年代を特定することができるが、時代考証上、事実と異なるだろうと。というか出エジプトがいつ頃の話かってわかってないんだ。
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宗教・信仰という、ある意味最も強固なバイアスから決して逃れられない領域での展開を宿命付けられた「聖書考古学」。宗教的・学問的に"中立である"ということが、これほど困難な分野もないだろう。さらに、イスラエル・パレスチナという複雑な政治情勢の特性上、遺跡の発掘が制約を受ける状況下では、聖書の記述の真偽それ自体を議論することは不可能なばかりか不毛でもある。
本書はそれよりも、聖書に描かれた伝承が「なぜそこに記されなければならなかったのか」に焦点を据え、主にローマ統治時代以前のユダヤ人の歴史を、「聖書」と「遺跡」を縦横の糸として解説してゆく。少々駆け足が過ぎる気もするが、我々日本人とは比較にならないほど複雑なユダヤ人の歴史に思いを至らせるには十分。
年表がついていなかったので、イスラエル大使館のHPからプリントアウトして参照しながら読んだ。
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聖書─それも主に旧約聖書において、その中に書かれた歴史と
それが書かれた時代について、考古学という観点から何がわかり
何がわかっていないかを丁寧に解説してくれている。
もっとも、日本の天皇陵がいっこうに発掘調査されないことでも
わかるように、宗教がらみだと(しかも中東では社会情勢という
難敵も存在する!)掘りたくても掘れない場所が多すぎ、わかって
いることはほんの一握りの事実なのだな、と実感する本でもあった。
わかりやすく丁寧に書かれてはいるが、聖書に関して多少は知識が
ないと、読んでいても面白くないと思われ。
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聖書の歴史的正当性はともかく、聖書がユダヤ人のアイデンティティの維持に貢献し、今日までユダヤ人を民族としてまとめてきたという事実は興味深い。
かといって現在のユダヤ正教徒が聖書を根拠にパレスチナ人を迫害していい訳ではない。中東に和平が訪れることを祈る他ない。
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新聞に書評があったので、購入。
ユダヤ教やキリスト教についての本を僅かばかり齧ったが、ある本は一神教はモーゼの発明とあり、別の本はモーゼの実在性に疑問を呈していた。
よく判らない聖書について、何か教えてもらえればと思い読み始める。
考古学の立場で、はっきりした証拠がない限り断定は避けている。出エジプトはエジプト側に資料がないそうである。文献記録のほとんど残されない時代かもしれないが、これも仮説の域を出ないと書かれる。
この後のカナンの征服期では山地に住んでいたユダヤ人と平野部に住んでいたカナン人は民族的にも言語的にもかなり近い民族であったらしいと記される。ユダヤ人が自らをユダヤ人と自己規定していく中で古代イスラエルが生まれたとの見解が現在主流とのこと。
つまり、本書ではそこまで断定していないが、アブラハムも出エジプトもモーゼも恐らく虚構。唯一神との契約もカナン人との衝突のなかで自己規定することから生まれたものらしい。そうした虚構がどうして、どうのように生まれたかは考古学の範疇でない。が、こうした考古学の成果と聖書の文献分析に隔たりがあるのではと、過去の読書体験から疑問を感じてしまったのだ。
発掘された多くの街が戦争で破壊された跡を留めているとされる。多くの民族が滅び、また混血し、当時の種族は今存在しない。現在のユダヤ人も当時のユダヤ人とは民族的にはまったく別の民族と云っていいのではないか。しかし、自分をユダヤ人、イスラエルの民と規定する人々が現代に存在し、困ったことに世界紛争の種となっている。
読後はユダヤ教の発生過程に大いに疑問が残っている。
さて、何か良い本ないかな。
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キリスト・ユダヤ・イスラム教に精通とまでは言わないまでも、もう少し知識があればもっと楽しめた本ではないかな。
内容のほとんどが事実の断言ではなく可能性への言及に終始、そこにもしかすると物足りなさを覚える人もいるかもしれないが、著者の学者としての良心の表れかと思う(もしかすると政治・宗教が絡む題材だけにきな臭いものもあるかもしれないが、わざわざ冒頭で断りを入れているし)。
何せ卑弥呼の時代よりずっと昔の話、当たり前と言えば当たり前の話だが。
しかしユダヤという民族の生命力は凄い、改めて感じる次第。
Posted by ブクログ
聖書で書かれていることを遺跡の発掘で検証するという聖書考古学の解説書。旧約聖書の記述がすべて史実とは考えていなかったが、モーゼの存在も出エジプトの事実も全く証拠が無いとの指摘には驚いた。数々のエピソードで、旧約聖書の記述を考古学的に証明することの困難性は良く理解できた。未発掘の遺跡が多数残っているが中東の政治情勢がその調査を困難にしているらしい。発掘調査が進めば、ユダヤ人、ユダヤ教が周辺諸部族に対して相対化され、パレスチナ問題解決に役立つのではと妄想した。