【感想・ネタバレ】聖書考古学 遺跡が語る史実のレビュー

あらすじ

聖書の記述には、現代の我々からすると荒唐無稽に思えるエピソードが少なくない。いったいどの程度まで史実を反映しているのだろうか。文献史料の研究にはおのずと限界があり、虚実を見極めるには、遺跡の発掘調査に基づくアプローチが欠かせない。旧約聖書の記述内容と考古学的知見を照らし合わせることにより、古代イスラエルの真の姿を浮かび上がらせる。本書は現地調査に従事する研究者の、大いなる謎への挑戦である。

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Posted by ブクログ

ネタバレ

聖書の大まかな内容と考古学的な観点から見た真実(と推定されるもの)を分かりやすくまとめてあるため読みやすかった。

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2020年04月26日

Posted by ブクログ

ネタバレ

"アッシリアの碑文には「ビート何某」という単語で王国を指す言い回しがよく使われている。「ビート」というのはアッシリアの言葉で「家」を指す言葉の変化形であるから、言い換えれば「何某家」という意味になる。この「何某」の部分にはその家を興したと考えられている人物の名前が入るのである。「何某王朝」と同義であると言ってもよいだろう。" p.153


さて。まずは、この手の書物に物申したい。文章で説明したがりすぎ。年表なり一覧なり、理解しやすい形式の視覚表現はできんものかと。

閑話休題。
明き盲とはよく言ったもので、たしか『B.C.1177 古代グローバル文明の崩壊』を読んだ時に、聖書というものがある程度現実の歴史を語るものらしいいうことに気付かされた。カトリックの幼稚園に通っていたので物心付く前から親しんではいたが、聖書に書かれていることは、伝説、説話の類という認識だったので、言われてみればそうかもしれないと思ったのが、本書を読むきっかけともなった。
逆説的にいえば、学校の授業で"歴史"として教えられてきたことが聖書由来であったかもしれないとか、考えたこともなかった。なにか事実であるという裏付けによって学問として成立していると考えていた。

本書に見た二大トピック。
ひとつは、ダビデとソロモン。本書は聖書に対して舞台となった地域の周辺地域の史料と対照する方法を採っている。聖書に書かれている人物、出来事に対して、周辺地域の文明が残した記録と照らし合わせる。その方法でダビデとソロモンという名前を調べたとき、ダビデについてはダビデ家あるいはダビデ王朝といえる記述が見受けられたが、個人の名前としては見つかっていないこと。ソロモンについてはなにひとつ見つかっていないことが挙げられている。
もうひとつは一神教の形成。ユダヤ教の神はなにかというと民に罰を与える。こんな神をよくもまあ信仰するものだというのが常なる感想だが、これがキモだという。当時はヤハウェも多神教の一柱であったという。民族的苦難に出会ったとき、その原因が対立する神に敗北したということになっていたならば、宗派は廃れたであろうという見方があるらしい。アンモンの神ミルコムや、モアブの神ケモシュのように、他の神に敗北したのではなく、神は健在で、民に罰を下しているのだという解釈が信仰を生きながらえさせ、ひいては一神教を形成したという。

本書の立場は、聖書記述に重きを置きすぎた過去の反省に立脚しているので、聖書記述をあてにしないよう配慮している。考古学は発見した証拠を解釈するものなので、解釈した人物の恣意が入りすぎることがあり、そのために学問として信頼を失う危険性がある。慎重に解釈したとしても確かな証拠たりえるとは言えないため、文字資料の場合は特に文学的研究になりがちであるともいう。研究に成果が求められる以上、仕方のないことではあるが、これもまた危険である。人文は権威化すると覆すのに多大なコストがかかる。科学的手法は助けにならないか? 放射性炭素年代測定法はわりと幅のある結果が出るので、これもまた当てにしすぎることはできない。なんとも難しい。
聖書考古学というものを知ってみたら、どちらかというと否定的なものであったというのはスパイスが効きすぎてる。それも含めて面白い。

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2025年12月04日

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