あらすじ
空高く舞い上がる龍に呑み込まれた九鬼虹人たち五人は、砂漠の真ん中で目覚める。高度に発達し、シュメール文明との類似点が多い謎の星では、牡牛一族と龍一族による神の戦いが繰り広げられていた。九鬼は龍に招かれたのか、神話を塗り替えられるのか。空想が歴史を再構築する高橋ワンダーランドの真骨頂。
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浮世絵研究家としても知られる、高橋克彦氏の著作。
氏はたびたび、荒唐無稽とすら思える超古代文明やそれにまつわる神やUFOなどの考察を書かれているが、オカルトブーム真っ只中で刊行された本作がそういった側面を期待されていなかったと言われれば嘘になるだろう。
確かに、偽書論争を巻き起こした「東日流外三郡誌」など、眉唾とも思える書物をもとに論拠を組み立て、ストーリーを形作っている部分もあるため、すべてを信じることはできない。
しかし、実際に読み進めていくと、もしかしたら…と思わされる箇所にぶつかることになる。
もしこれがばらばらに組み立てられた論拠であれば、その箇所のみ切り捨ててしまえばいい。
だが、巧妙に論拠につながりを持たせているため、それもできずにいつの間にか丸め込まれてしまい、作品に引き込まれていく。
ぜひご一読いただき、それが嘘でないことを確かめてもらいたい。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
祥伝社版でいう新・竜の柩の前半にあたる。
悪役で登場したハズの鹿角が突如ツンデレキャラとして覚醒!
…だけじゃなくて、展開・推理のすごさ、勢いは当然衰えず、素直にハラハラドキドキできる逸品
中2のときに単行本で読んでから、数十回読み返しているけど未だに飽きない
act9は色んな意味ですごい
Posted by ブクログ
『神の星編』ということで、新書版では『新・竜の柩』として発行されていた
部分にあたります。
アララト山に眠る龍=ロケットで、見知らぬ星へと運ばれた九鬼虹人たち。
言葉も生活様式も不明な場所で、慎重に少しずつ核心へと迫るこの巻は
じれったくもあり、また面白くもあり。
2巻まででいろいろと推理してきた仮説の検証編、というのが正しいのかもしれません。
いやもうなんかね、イシュタルが可愛いんだホント(笑)。
【収録内容】
プロローグ(第二部)
炎の星
龍の王
新世界
招かれし者
Posted by ブクログ
第2部。
2部からは,著者が聖書や神話,遺跡から導き出したある仮説に沿って,過去にタイムスリップし,その謎を解いて行く話となる。フィクションであるが,それを,さも本当にあった話のように,様々な角度から分析し,裏づけをとっている。私はあまりフィクションを好まないが,これは単なるフィクションではなく,変な言い方だが,史実に基づいたフィクションとも言える。第3巻では,ノアの箱舟に乗って旅立った虹人達が,過去にタイムスリップし,神達に出会い,過去に起こったことを,再確認する旅である。人と言うものは,常に地方の文化は中央より低いし,過去が現在よりも高度な文明を持っていたとは考えもしない。それを,ありうるとし,また,神話を神話で終わらせず,神が天から降って来たと神話で言うなら,素直にそれを受け取り,分析していくことも大切だということを教えてくれる。
4巻では,古代の日本に虹人達は降り立つ。そして,虹人達は,本当に未来の日本が,古代の日本より幸せなのかということを考えるのである。後半においては,虹人達は,イザナミやスサノオといった人物と出会い,驚愕しつつも,自分の人生を賭けて,運命に立ち向かっていくのである。
1巻から4巻まで,ざーーと読み進めたが,6巻まで読み終えたら,もう一度最初から読み返さないと,竜の一族が誰と誰で,牡牛の一族が誰でということがこんがらがったままだ。
Posted by ブクログ
物語は薄味で、オカルト要素を語るための添え物に過ぎない印象がある。
この手のにありがちな主人公が特殊な生い立ちだとか、前世からの宿命の戦士だとか、そういった設定は今のところ登場していない。
ただひたすらに歴史ロマンオカルト味を楽しむのみ。
著者はマジで考古学者に腹を立てているようだが、学術というものとまっとうに取り組んだ経験はあるのだろうか。主張を認めてもらうためには権威ある機関への論文提出は不可欠で、それはどのような制作過程を経るものなのか、経験したことはあるのだろうか。
ドラクエ2を論文のテーマとして提出する人物もいたようだが、どのような場所に提出して、どのような成果が得られたのか不明である。経歴を語って場を暖める役には立つようだが、それ以上については見識の乏しさから見極めることはできなかった。
まあ、古代の地球人は神と見紛う力を持つ宇宙人によって支配ないし愛玩されていたというのなら、粘土板に刻まれた文字や図像よりも見間違えようもない証拠は必要だよね、たぶん。
著者の思い込みが書き殴られた歴史小説、作法を知らぬ初心者がそれを信じても読み手の責任だとして恥じない文芸の世界からは見えないことなのかもしれない。想像も妄想も自由だが、学術ではそれを力強く保証する必要がある。