チェーホフのレビュー一覧
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ネタバレ「中二階のある家」のリーダと画家の会話が面白い。貧しい労働者の支援に働いているリーダに対して、そんなことではなんの解決もできないと画家。人間の価値は精神活動をすることなのだから、労働に縛られる時間を大きく減らさなければだめで、要求事項や経費を増やすのは逆効果だと。
今の時代でも同じことと感じた。生活を質素にすればたくさん働かなくて済むと思うので。
「かわいい女」…タイトルに惹かれて読んでみた。なるほど、かわいい女というのは人に合わせる人で、合わせることが自分の自然なんだな。逆を考えるとかわいくない女は、自意識がしっかりしていて人の幸せと自分の幸せは別物と思うタイプだろうな。私は確実に後者(笑)。
「犬を連れた奥さん」…全集に入っているので名作なのかなと思いきや良さがわからず。今と違って当時は自分の意思で結婚相手も選べず、周りと合わせる振る舞いが大事だが、それが個人の幸せとは違うことに気づいた、ということかな。 -
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「かわいい女」、「犬を連れた奥さん」の題名は知っていたが、チェーホフだから、てっきり戯曲かと思ってた。
短編なので、基本主人公中心の物語なのが演劇と違う処。
「かわいい女」、「犬を連れた奥さん」は現代の日本でも成り立つような話。
その他の短編から立ち上がってくるのは、不労所得を得ている地主や工場主、虐げられている自覚もない貧困層、理想を口にするが、地に足のついてない高等遊民。
やや長めの作品「谷間」。谷間の小さな村を牛耳る業突く張りな商人とその家に嫁いだ三人の女性の物語。如何にも有りそうで、救いようのない話なんだが、昔のロシアの大地にじんわりと包まれていくような感触。
チェーホフが何のためにこの短編を書いたか判らないけれど。暫く、頭の中で燻っていることになりそうだ。 -
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四幕の戯曲で、さほど厚くない本だが、少しずつ読み進める。一人一人の台詞は短いし、次々登場するので、最初は「えっと、コイツ誰だっけ?」登場人物のページを何度も見直す。
様々の恋が織りなす人生模様とカバーの裏にあるが、誰もが自分勝手だと思う。
一番違和感を感じたのは、アルカージナかな。息子を愛しているというけれど、無理解だし、女優なので衣装にお金がかかると、息子にはろくに服を買い与えない。
登場人物の誰にも感情移入が出来ないけれど、不思議な感触がある。
そして終幕。正直、息を飲んだ。
生の舞台を観たくなった。
「私はカモメ」って女性宇宙飛行士、テレシコワの科白と思っていたけど、元ネタがあったんだ。 -
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アントン・パーヴロヴィチ・チェーホフの短編7編を収録。
どの作品もロシア革命少し前に執筆されたものだけあって、貧しく虐げられた農民・使用人の描写と働かなくてよい階級への批判、将来は誰もが少しだけ働き、皆で豊かな生活を送れる社会がやってくるという理想願望の主張といった思想がところどころ散りばめられ、当時の風潮がみて取れる。
自分としては、『中二階のある家』のリーダや『谷間』のアクシーニヤなど、主張の激しい美人が活躍する短編が面白かった。(笑)また、『イオーヌイチ』や『いいなづけ』のように結婚へのあこがれが一転、独り立ちへと心情の変化を描く短編も皮肉に富んでいて物語としては楽しめた。特に『イオーヌイチ』の主人公が墓場へ呼びつけられるシーンなどはぞくぞくするような面白さとともに男への深い同情を禁じ得ない。(笑)『往診中の出来事』は工場主の娘の心の病とそこで働く労働者の両者の抑圧を題材にしており、当時としてはまさにタイムリーで先鋭的な思想的物語だったと思われるところが興味深い。表題作の『犬を連れた奥さん』は旅行先で出会った婦人との不倫ものだが、それにのぼせ上っていく主人公の心情が面白かった。もうひとつの表題作『かわいい女』は度重なる良人の不運という運命に翻弄されながらも、感化されやすいが朗らかな性格の主人公オーレンカの愛すべき半生を描いた作品で、起承転結が明確な、なかなか印象深い物語となっている。
全体としてところどころ挿入される社会思想性にも興味深いが、それも含めてほどよくスパイスにしながら確固たる人物像を作り上げているところが面白かった。また、ときおり登場する永遠の生もしくは死への深みへの思いは、チェーホフ自身の信心を文学的な表現に高めたものとして大いなる魅せ場のひとつになっている。短編としての物語展開性にも優れ、短編であることを縦横に活かした作品群になっている。 -
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読んだつもりになっていたけど、読んでいなかった、というタイプの本です。
この手のブンガクについて、ある年齢以降、
「どれだけ、翻訳が難解にしていて、モトモトの魅力を削いでいるか」
ということに気づいてしまって。
気づいたら恐らく意識過敏になってしまって。
で、その反動で、光文社の古典新訳はイイナア、とかなり盲信してしまっています。ほとんど感覚なんで。別に比較した訳でもないんですけどね。
という訳で光文社の新訳で衝動買い。
チェーホフについては、井上ひさしさんが描いたチェーホフの評伝芝居を観たことがあるのと、あとは・・・映画「黒い瞳」が素敵だったなあ、というくらいです。
「桜の園」は、吉田秋生さんの漫画は読んだし、それを映画化した中原俊監督の「桜の園」は観たけれど。
読み始めは、いつもながらロシア人の名前に頭がついていけなくなりました(笑)。それに戯曲という読みづらさも。
なんだけど、三幕四幕くらいでは、引き込まれました。
やっぱり面白いですね。
お話は。もう面倒なんで、人名は出さずに書きますが。
背景に、農奴制などから農奴解放、そして日露戦争に向かっていく、つまり徐々に徐々に封建的旧制度から近代に変革していくロシア、というのがありますね。
要は、色んな価値観とかが変わっていく時代。
貴族らしき「奥様」がいます。離婚したのか、独身です。
で、この人に娘がいたり兄がいたり、出入りの色んな商人とかいます。
で、とにかくこの奥様が、思い出のある家土地を、借金の抵当で失う。
というお話なんですね。
ほぼ、それだけです。
うしないそうだ、なんとかしなきゃ、という第1幕から始まり。
ほぼ何もしないまま、ああ、失っちゃった、という第4幕で終わり。
その間、何が起こるかっていうと。ふたりの娘が恋愛したり。
出入りの商品とか管理人とか家庭教師が身の上の愚痴を述べたり。
ドタバタ喜劇(ボードヴィル)風の挿話があったり。
それだけ。
チェーホフさんはこれを喜劇、だとしてるんですね。
でも力があるのは三幕、四幕。奥様が故郷を、自分の家を、思い出を失っていく感情。
それを励ます娘。
共に悲しむ兄。
桜の園を買い取った、商人。時代の転換。
というある種の悲劇風の感情の盛り上げにいちばんグっと来ますね。
なんですけど、それがグっと来るのは、前後のくだらないドタバタがあるからなんでしょうね。
其の辺の人間臭い、でもどうでもいいような、ある種、川島雄三風のギャグというか、笑い。それがあるから、感傷的な芝居が急に来た時に、落差で泣けるんですね。「男はつらいよ」ですね。
うーん チェーホフさん、すごいですね。
チェーホフの作品を全く知らない人に向けてお節介に書きますと。
基本、喜劇なんですね。この人。
おバカなこと、ハチャメチャ。軽い喜劇。それで楽しませたいんですね。
ブンガクでもって芥川賞だったり実存が現代にカントして思想が抽象的に表象して内面を抉ったりは、しないんです。
具体的で、娯楽的です。
確かにトルストイ、ドストエフスキーの後の時代、という感じはします。
そのふたりにない、含羞、都市性がある。ウディ・アレン的というか。
そんな感じで面白かったです。
「プロポーズ」「熊」は、一幕物の完全な軽喜劇。
プロポーズしに来た男。相手の女。結婚すれば共有財産になるのに、領地の境界線とか巡って大喧嘩になってしまう・・・。
悲しみにくれる未亡人。そこに借金の回収に来た男。
ささいなことからこれまた大喧嘩になって決闘騒ぎ。
ところがふたりは喧嘩しながら、お互いに恋に落ちていく。
この辺の描写、無論舞台演劇としてですが、セリフ、多分翻訳も、うまい。面白かったです。
19世紀のロシア人が、19世紀のロシア人が面白がる為に描いた風俗的な戯曲が、21世紀の日本人が翻訳で読んで、くすりとでも笑えるって、スゴイことだと思います。
で、「桜の園」は、病気でもう死にそうな時に書いてるんですね。
遺作なんです。
そう知るとまた、色々興味深い。
「三人姉妹」くらいはまた読みたいですね。 -
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ネタバレ「ワーニャ伯父さん」といい「三人姉妹」といい、登場人物すべての背中が重い・・・
「ワーニャ伯父さん」ではソーニャ、ワーニャにスポットがあたり最後のコメントが強烈に記憶に残るが、ワーニャが憎んだセレブリャコフもソーニャが失恋したアーストロフも否、全ての登場人物が幸福になっていない。
「三人姉妹」も同じ。希望が絶望に変わってゆく。
しかも、最後の台詞に強引なる希望のようなコメントではなく、「それでも生きていかなくてはならない。」「私たちの人生、まだ終わりじゃないの、生きていきましょう」と残りの人生片方の翼がもぎとられもう決して飛べないのに「そのまま」生きていこうとするのだ。ロシアだから「バーン!!」とやってしまえば・・・
だが、悔いの無い人生だけではなく思いっきり悔いの残る人生、全く思い通りにならず失敗ばかりし、人に嘲笑され、尊敬されず道端で倒れ誰も助けてくれず死んだとしても「あれもそれも人生だ」と言ってくれているような気もする。 -
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ロシアのチェーホフの短編集
なんてことのない話を心理の移り変わりで見せる
実は「犬を連れた奥さん」を読んでみたくて買ったわけなのだけど
上流階級の婦人の退屈な日々が主人公と会い…
よくわからん
犬を 連れた 奥さん
犬が主要人物の女性印象のアイコンでしかなく、小道具にすらなっておらず、主人公には子供がありながら浮気相手に会いたい一心で高級ホテルに部屋を取り
だめだ、僕にはわからん
オーケストラの劇場にて音楽がどうでもよくなるシーンは読めたのだけれど
昼ドラがよくわからない僕には合いませんでした
まあ、キッズ・ウォーみたいのなら見れますけど
他も可もなく不可もなく
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読書会の課題本として光文社古典新訳文庫版を読みました。
チェーホフの戯曲は、「行動の不在」の中にこそ人間の本質的な停滞を描き出すという点で、非常に厳密な構造を持っています。特に、この二作のラストシーンにある長台詞は、絶望的な現実に対する、切実な希望の構造を象徴しており、深く考えさせられます。
本書の内容とは別に、読書会という場においては、私自身が「戯曲の読解」に対する認識を改めて問われる時間となりました。
参加者間の解釈の方向性に大きな隔たりがあり、特に重要なラストの台詞については、作品の論理構造を無視した感傷的な読みに傾倒している方が目立ちました。
ラストの「対話」を「独白」と誤認し、戯曲の劇的な行為である対話を、登場人物の個人的な感情の吐露(独白)と捉える解釈が主流で、作品の構造的な厳密性が損なわれているように感じました。
絶望の中での「未来への信仰」が語られる場面では、その切実さとは裏腹に、現代的な皮肉や断罪として受け取る意見も見られ、作品が持つ宗教的・普遍的な主題に対する敬意の欠如に、少々心苦しさを覚えました。
チェーホフの戯曲は、「何が起こったか」ではなく「なぜ起こらなかったか」という論理を追求することで、真の面白さが開けるものです。
この作品は、感傷的な追体験を求める読者と、構造的な探求を求める読者の間で、知的な溝が顕在化しやすいテキストだと感じました。良質な翻訳で、ぜひ「構造の厳密さ」を読み解くという挑戦をしていただきたい一冊です。 -
Posted by ブクログ
アガサ・クリスティの小説の中に出てきたので参考のために「三人姉妹」を読んだのだが、後に読んだ「ワーニャ伯父さん」の方がわかりやすくてインパクトのある話だった。
100年以上前に書かれた小説だが古さを感じない。
小説のなかで100年後の人々のために頑張る、というようなことが書かれているが、今ロシアは戦争しているし。。
チェーホフはなんどか読もうとして挫折しているけど、
年をとって未来が少なくなっていく悲しみのなかで読むと身に染みるのかも。
身近な恋愛にはまると人間関係がたいそう面倒なことになるけど、押し活などで上手に楽しんでいるのが生活の知恵だなあ。
戯曲はほとんど読んだことがないのだが、会話の応酬なのでリアルで生き生きしている。
「ワーニャ伯父さん」は村上春樹の小説を原作にした映画『ドライブ・マイ・カー』で取り上げられていたので、もう一度映画見たらより理解が深まるかな。