佐藤俊樹のレビュー一覧
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技術が社会を変える、という説に多くの人は疑問を感じない。けれど、技術革新と社会の変化は実際には疑似相関にすぎないのだ、と筆者は言う。ではなぜ人は技術決定論に飛びつくのか、ひいては「(なぜ)社会は情報化の夢を見る(のか?)」という疑問に答えてくれるのが、本書。
面白かったのは、ここ五十年の情報化社会論の有り様を自動車産業にたとえているところ。「新しい情報技術が社会を変えてくれる」という論が形を変えて何度も語られてきた様は、たしかにモデルチェンジを繰り返す自動車のようだ。それ自体商品となってしまっている情報化社会論に対して、「もう、やめようよ」というのが筆者がこの本で一番伝えたいことらしい。
ただ -
Posted by ブクログ
8冊目です。
ついこのまえまで格差社会という言葉がメディアなどでよく取り上げられていました(今もそうかもしれませんが・・)。
それと同時に使われたのが「勝ち組と負け組」という言葉でした。負け組というのは一日数百円で暮らしている人たちなど社会的に負けと思われている人であり勝ち組とは一日で何百万もの金を稼ぐ「ヒルズ族」の方々などを指す言葉としてその年の流行語となるほど世間を賑わせました。
でこのときにいわゆる勝ち組という方々がよく言っていたのが「自己責任」という言葉でした。つまり、「負け組になり下がったのは本人の努力の
問題であって努力しなかった人が悪いのだ。だから自己責任の結果起こった問題なの -
Posted by ブクログ
日本は本当に総中流社会? 日本は本当に機会均等社会? そのような常識とされている疑問に対して、統計データの分析を通じて、真っ向から反論する意欲作。最近流行の「下流社会」よりも、この本の方が、より実証的で説得力を伴う。これまでの人生で漠然と感じていた『階級の再生産』というものが、空恐ろしいほどにこの書では証明されている。これこそ現代日本の現実であり、目を背けたい現実でもある。各々のデータの分析は良く分からないまま読み飛ばし、分かるとことだけ読んでいても楽しめる学術書だろう。自分が偉大なる権力者であれば、発禁にしたくなるくらい痛いところを突いている一冊である。
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Posted by ブクログ
私は佐藤俊樹という名前を知っている。サブカルチャーも語れる社会学者である。たぶん、いちばん話題になった著書は「社会は情報化の夢を見る」ではないかと思うが、90年代〜2000年代にかけて、名前を見かけることは多かった。
しかし、本書の佐藤俊樹が、あの佐藤俊樹とは思っていなかった。読むまで同名の植物学者か誰かだと勘違いしていた。
私が知らなかっただけで、20年前にも桜に関する著書を出しているそうなのだが、どうにもあの佐藤俊樹と桜が結び付かなかったのである。
牽強付会にはなるが、本書における「桜」も、個人もしくは社会におけるイメージと、史実的もしくは生態学的な事実のずれに大きく焦点があてられる。 -
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<目次>
第1章 「さくら」と「桜」
第2章 花たちのクロスロード
第3章 東アジアの花の環
第4章 「桜の春」再訪
第5章 桜の時間と人の時間
終章 旅の終わり
<内容>
「桜」について、キレイだと思うし、満開を待ち望むし、有名なところへの行ってみたいと思うが、「桜は日本の魂だ」みたいには思わない。でも文学界や市部の人たちはそう思っているらしい。著者はそれを正したくて(優しく言うと誤解を解きたくて)、この本を書いたようだ。つまり、桜は東アジアに多く見られる花だ。ただ日本以外では花のみを観賞することは少ない。花と「実=サクランボ」の両方を愛でていたようだ(もともと植物は、種や根 -
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ブルデューの論じた文化資産による階層の再生産を、戦後日本の社会調査に基づいて実証的に論じています。
日本社会は戦後になって、メリトクラシーが全面的に行き渡ることになりましたが、実績主義の中に入り込んでいる機会の不平等が目に見えなくなってしまったことを、著者は説得的に示しています。
結果の平等原理に基づく社会では、一人ひとりの持つどのような背景がどの程度有利・不利に働くのかということは、後になってからでないと分からないと著者は言い、それゆえ結果の平等がどの程度実現されているかをつねにチェックし、その不公正を事後的に補償できる仕組みをあらかじめ用意しておかなければならないと、著者は提言していま -
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ネタバレ日本は「努力すればなんとかなる」と「努力しても仕方ない」の二重底から成り立つ。かつては個人の責任か集団の責任か問われなかったが、それが崩壊した。
評価は「実績」に依るべきだとする人は年収と相関するが、それは主にホワイトカラー雇用上層(年功序列下)である。また、実績主義は父の学歴とも因果関係にある。これは近年加速している。
親と子の職業が違う(管理職が平になってる)のは年功序列を考えると当然。W雇上は、流入が多いから少し変動しているにすぎない。事実、40歳時点でのW雇上の父を見ると、同職となる傾向がさらに強まっていることがわかる。これは戦後の経済成長で高まった開放性が、その自体の閉鎖性により -
Posted by ブクログ
ネタバレ[ 内容 ]
実績主義や自由競争の市場社会への転換が声高に叫ばれている。
だがその「実績」は本当に本人の力によるものか。
筆者は社会調査の解析から、専門職や企業の管理職につく知識エリートたちの階層相続が戦前以上に強まっていることを指摘。
この「階級社会」化こそが企業や学校の現場から責任感を失わせ、無力感を生んだ現在の閉塞のゆえんとする。
一億総中流の果てに日本が至った「階級社会」の実態を明かし、真の機会平等への途を示す。
[ 目次 ]
序章 『お嬢さま』を探せ!
第1章 平等のなかの疑惑―実績VS努力
第2章 知識エリートは再生産される―階層社会の実態
第3章 選抜社会の空洞化―粘土の足の巨