あらすじ
桜の花が愛でられてきたのはこの国だけでない。なのになぜ、桜は日本語圏で特別な存在なのか? 広く東アジアの時空を行き来しながら、その深き謎に迫る。桜の百科事典のようにも読める一冊。
日本語で「さくら」と呼ばれてきた花をとりあげ、それらがどう見られてきたか、どう語られてきたかに注目、桜と人々との関わりを探り、「日本の桜」の謎を解き明かす!
1万年以上の時間をたどり、東アジア全域の空間をめぐる知的冒険の旅。
品種名の由来、生態系での位置、詩歌での詠われ方、桃や梅などとの関わり……信頼性の高い知識を集めた「桜の百科事典」としても読むことができる。
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Posted by ブクログ
桜を丹念に見つめた上で、それでも残る日本の情緒。
同じく鑑賞されてきたからこそ、意味づけの違いが際立つ。
・中国でも実も花も愛好
・サ+クラ説
稲作伝来(3,000年前)と桜伝来(1万年前)の違い
・さくらとまくら説
咲くもの/(着物を就寝時)巻くもの
・農耕社会:花→実→花→実→
・遊牧社会:花…花…花…花…
1年ごと、来年の夏草の出来を知る
・遊牧民要素の強い唐代から「花だけ」文化
・すでに実も花も愛好する文化に根差した考え
→庭園での牡丹
・元々、日本は桜が繁殖しやすい地形、気候
寒暖差があり湿潤、崩れやすい地形(定期的に空き地ができる)
→山々に自生
→2018年にも那智勝浦(熊野古道)で新種発見
・農耕、外から眺める桜、開拓により徐々に身近に
・中国からの「花だけ」の文化の流入
・春は「死」の季節:飢えと疫病(江戸時代まで2~4月の死亡率が高い)
・花鎮めの文化:花が散ると疫病が広がるために必要
Posted by ブクログ
私は佐藤俊樹という名前を知っている。サブカルチャーも語れる社会学者である。たぶん、いちばん話題になった著書は「社会は情報化の夢を見る」ではないかと思うが、90年代〜2000年代にかけて、名前を見かけることは多かった。
しかし、本書の佐藤俊樹が、あの佐藤俊樹とは思っていなかった。読むまで同名の植物学者か誰かだと勘違いしていた。
私が知らなかっただけで、20年前にも桜に関する著書を出しているそうなのだが、どうにもあの佐藤俊樹と桜が結び付かなかったのである。
牽強付会にはなるが、本書における「桜」も、個人もしくは社会におけるイメージと、史実的もしくは生態学的な事実のずれに大きく焦点があてられる。
特におもしろかったのはユスラウメを巡る認識である。
これは、もともとは日本の桜と中国の桜はちがう、中国の桜はユスラウメである、という説があり、それは戦前に否定された。しかし、なぜか戦後になってユスラウメ説は復活する。それも俗説レベルではなく、学会レベルでの復活である。
戦前に否定されたとおり、中国の桜も桜であり、中国の桜=ユスラウメ説はまちがいなのだが、なぜこのようなまぬけな話になったのか。著者はそれを敗戦と結びつけるのだが、納得いくといえばいくし、強引といえば強引ではある。
とりあえず、著者の桜への愛情はよくよく伝わる一冊ではある。
Posted by ブクログ
<目次>
第1章 「さくら」と「桜」
第2章 花たちのクロスロード
第3章 東アジアの花の環
第4章 「桜の春」再訪
第5章 桜の時間と人の時間
終章 旅の終わり
<内容>
「桜」について、キレイだと思うし、満開を待ち望むし、有名なところへの行ってみたいと思うが、「桜は日本の魂だ」みたいには思わない。でも文学界や市部の人たちはそう思っているらしい。著者はそれを正したくて(優しく言うと誤解を解きたくて)、この本を書いたようだ。つまり、桜は東アジアに多く見られる花だ。ただ日本以外では花のみを観賞することは少ない。花と「実=サクランボ」の両方を愛でていたようだ(もともと植物は、種や根や葉などを食するために育てた)。日本では比較的食べるものが多かったため、桜の花としての観賞が強まったらしい。
詳細な検証をしていくので、ちょっと食傷したけど、まあわかった。著者も「日本=桜」のむやみやたらな強調を避けてほしいらしい。そこの証明が意識されているようだ。