あらすじ
実績主義や自由競争の市場社会への転換が声高に叫ばれている。だがその「実績」は本当に本人の力によるものか。著者は社会調査の解析から専門職や管理職につく知識エリートの階層相続が戦前以上に強まっていることを指摘。この「階級社会」化こそが企業や学校の現場から責任感を失わせ無力感を生んだ現在の閉塞のゆえんとする。一億総中流の果てに日本が至った新たな階級社会の実態を明かし真の機会平等への途を示す。
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「それが「大正世代」「戦中派」「昭和ヒトケタ」と順調に下がっているのが、最後の「団塊の世代」で七.九と反転上昇しており、「大正世代」とほぼ同じ水準で、いわば戦前に戻っている。「団塊の世代」では、父親がW雇上だった人は、そうでない人とくらべて、本人四十歳職では約八倍、W雇上になりやすい。」(p.59)学園紛争は、社会の開放化を反転させる反革命であった。
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子供の学歴と親の収入の相関関係が話題になるのは昨日今日に始まった話ではなく、少なくとも私が高校生の頃からありました。しかし、親の学歴、親の収入、親の職歴、子供の学歴、子供の収入、子供の職歴がどれほど関係するものか、そして団塊の世代からその階層が固定化されたことなどを社会統計から読み取れるとは思いませんでした。著者は新進気鋭の社会学者であり、初めての新書執筆のようで気負いが感じられましたが、研究テーマは非常に興味深いので、2005年のSSM調査の分析も期待しています。
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エリート(という言葉に反発を覚えるかもしれないとは著者自身が言っているが、つまりはホワイトカラー雇用上層)への洞察が鋭いと感じた。
私たちにとっては苦笑いせざるをえない部分があるのではないか。
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「努力すればナントカなる」社会から「努力してもしかたがない」社会へ、そして「努力をする気になれない」社会へ─―。
2000年に出た本だけれど、今読んでもおもしろい。というか、最近の日本は「総中流」なんてのは嘘っぱちというのは自明のことなのだろうから当たり前と言えば当たり前なのだが。
やっぱり、親がどういう職業(階級)にいるかは重要事項でしょう。
ところで、著者がカリスマ美容師について触れている部分が地が出てる感じでやたらおもしろい。私はこういうことを言う人間が割と好きである。
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■佐藤俊樹/不平等社会日本/中公新書1537/2000年/660円
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さよなら総中流。「とんでもない事件や事故がこれから起こりつづけるだろう
」です。「努力をする気になれない」社会へ、現代の日本は、かなり急激な転
換を!。第4章「総中流」の落日ー自壊するシステム。キモはここです。
1.日本社会システム全体への疑問 2.IT革命について考えていきつつ私
は読書すると申し上げおります。そんな本がコレ。帯には、「崩壊する平等神
話」!。私は「団塊の世代は葉民になりつつある」論の人間ですが、これを読
んでまたまた納得。この本のキモのキモは、P128です。
■山田法則■本は途中から読め■です。(娯楽本は除く)
この本のキモ部分にショックを受けて、その前後を読みましょう。本の出だし
で、つまづかないように。さてP128です。
■「「団塊の世代」以降でも、この状態が続く限り「昭和ヒトケタ」が社会を
担っていた時代では、想像できなかったとんでもない事件や事故がこれから起
こりつづけるだろう」■
1995年以降、阪神大震災以降は特にひどいですね。と私は思います。
(想像できなかったとんでもない事件や事故がおこるのは)
■「責任感を持てないエリートと将来に希望を持てない現場の組合せでは、そ
うならない方がおかしい。会社が面白くないと言って離職する若い世代がふえ
るのも無理はない。何よりも彼ら彼女ら自身がこの空虚にとりつかれているの
だから。」■P128
■「「努力すればなんとかなる社会」から「努力しても仕方がない」社会へそして
「努力をする気になれない」社会へ、現代の日本は、そういう転換をそれもかな
り急激な形で経験しつつある」■P128
■「基礎的平等化による開放性に依存した産業社会や選抜システムが、W雇上
(ホワイトカラー雇用上層の略です)の階級化によって根底から大きく揺さぶら
れている」■P128
著者は佐藤俊樹東京大学助教授。専攻は比較社会学、日本社会論。この本は、1
995年の「社会回想と社会移動全国調査」(略称SSM調査)からの佐藤教授
の論です。この調査に対する他の方の論文は多くあり、佐藤教授とは結論が異な
るとのことです。でも私はこの先生の意見に賛成!です。新聞・雑誌の書評でも
異見ありの書評が多いです。が、サラリーマンの眼から見れば大当たりです。
この本は、P128のキモを見れば、読みたくなるでしょう。衝撃本です。
「親世代の豊かさが、教育と資産の2つの回路を通じて本人世代の豊かさに追加
される」(P75)
「80年代前半までの戦後の階層社会は、「それなりに努力すればなんとかなる
」社会になっていった」(P87)ここが2つめのキモ。
「W雇上(ホワイトカラー雇用上層)の家庭に生れたという既得権に「実績」を
つみ、そうすることで、その実績自体もまた既得権化してしまうのだ」「戦後の
日本では選抜競争が平等な競争であると信じられてきた。その中で「団塊の世代
」のように生まれによる有利不利が発生。しかし、今述べたような、既得権が実
績」化、「実績」が既得権化するメカニズムが働く」(P109あたり)
「日本のW雇上2世の中には自らの力に寄らないという事実すら全く気付かない
人もいる。」「平等社会の神話につながった時すべての人が自分と同じように生
活していると思いこんでいれば、みんな同じ条件で競争していると考えても不思
議ではない。けれども、それはW雇上の世界だしか知ろうとしないことであり、
もっと幼稚な自己中心的態度である」p110手厳しいが、当っているでしょう。
さらに同じくP120あたり。「1936年〜55年生まれの団塊の世代が、まさに日
本の選抜システムの転換点になっている。」
「団塊の世代におきたW雇上の階級化は生れによる格差は縮まらない」考えを持
てば、社会も企業も腐っていくだけだ、という結論に達する」。だが、事実です。
本を抱いて自殺しそうになりますね。では、どうすればいいのか。救いはあるのか。
P140以降の4つの課題点を見て下さい。ヒント。「カリスマ美容師」もその
一例です。ここでは書きません。本屋にてご覧下さい。
知識エリート(この本で言えばホワイトカラー雇用上層)の階級化(生れによる
有利不利)が、団塊の世代の成長とともに進んでおり、1985年前後には、戦前の
日本より以上に階級社会となった。問題点は、その知識エリートがその認識もな
く、責任感もない。」
IT情報リテラシーに関する部分は第5章の2から、P156です。
「IT論上の情報リテラシーにおいても、知識エリートは既得権を持っている。
努力すればなんとかなる社会でなくなった日本では、産業の空洞化、無力感
、閉塞感に被われたれた社会となる」
IT革命に関する部分は、P159のあたりです。「父主職という目に見えない
資産の力は、伝統的な学校型の知識だけでなく、情報リテラシーという新しい形
態の知識にも及んでいる」
「1995年時点のパソコンワープロは、先進的機器であり、それらの所有が示
すのは、むしろ高度な知識・能力とされるものへのアクセスの良さである」
「日本の知識エリートは、西欧語の読み書き能力を核とした「教養」を標識にし
てきた。(中略)近代日本の「教養」は単なる文化や階層的標識ではなく、実利
的なものであった。そのメリットが薄らいだ今、情報リテラシーという新たな知
識形態が浮上しつつある」(P160)
第4章「総中流」の落日ー自壊するシステム。P106.ここから読み進みまし
ょう。
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最近平等、平等ってたしかによく聞くけど、平等って結局何なのか、どこをめざしているのか、よくわからなかった。そもそも貴族的な社会の不平等を解消するために学歴社会ができたわけで…なのにいまはそれが不平等だという。解決策はあまり納得いきませんでしたが、頭に入ってくる感じがとても心地よかったです。
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戦後社会をつくりあげてきた人々は死ぬほど頑張ってきたのに現在の自分はなぜぬくぬくと生活していられるのか。そんなことも考えたことがないから僕は大学に入ってもヘボなのだと思いました。
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総中流が崩壊しつつある。
原因は経済成長が終わり階級の再生産、自営の数が少なくなっているからだ。これによりエリートの責任の空無化、一般層の一層の閉塞感が生じている。これを解決するには受験、新卒一斉就職をやめ、選抜機会の多様化を目指すべきだ。これにより、階級の固定化がなくなり、ホワイトカラーに責任感が復活する。単純な教育改革では何も変わらない。
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今まで肌感覚で感じていたことがデータで詳しく説明されてる。そして、第四章は非常に耳の痛い話です。親から与えられたものをかんちがいして自分の実績だと思っていると。
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8冊目です。
ついこのまえまで格差社会という言葉がメディアなどでよく取り上げられていました(今もそうかもしれませんが・・)。
それと同時に使われたのが「勝ち組と負け組」という言葉でした。負け組というのは一日数百円で暮らしている人たちなど社会的に負けと思われている人であり勝ち組とは一日で何百万もの金を稼ぐ「ヒルズ族」の方々などを指す言葉としてその年の流行語となるほど世間を賑わせました。
でこのときにいわゆる勝ち組という方々がよく言っていたのが「自己責任」という言葉でした。つまり、「負け組になり下がったのは本人の努力の
問題であって努力しなかった人が悪いのだ。だから自己責任の結果起こった問題なのだ」と。
ですがなぜこの自己責任という言葉で片付けられるのでしょうか。それはすべての人たちがすべて平等な状況で生まれてきているということが前提になっているからです。この点を詳しく説明しましょう。現在の資本主義社会では市場、競争がすべてです。とするならばもし負け組の人たちが競争で負けたということなら確かに自己責任ということで正しいでしょう、なぜならただ単に負け組の人たちが競争に負けただけだからです。たとえば100m走で考えるとわかりやすいでしょう。この場合みんながヨーイドンで一斉スタートして1,2・・位という順位がつきます。このとき誰も最下位の人を可哀想だからこの人を一位にしようとは誰もいいません。それはかけっこが最初にゴールした人から順位をつけるというルールだからです。このルールを
市場とすれば負け組の人たちはただ単に競争に負けただけであってその限りでは自己責任です。その点では完全に勝ち組人たちの言うことは正しいです。が果たして本当に勝ち組の人たちは正しいのでしょうか。もしこの競争が最初から勝負の決まっているレースならば同じことが言えるでしょうか、
つまりもし100m走で人によってゴール近くにいる人やスタート地点から遥か後方にいる人が同時にスタートするようなレースが公平なレースだ
といえるでしょうか。もしそうならこの自己責任という反論は当てはまりません。なぜなら公平なルールという前提が覆されるからです。
ではもし現代で各々の公平、不公平となる基準は何なのでしょうか。それが「階層」というものです。
普段意識することのない階層という概念ですが平たく言えば職業、文化的側面によって決まるグループ分けのことです。これが実は世代間で
連続しやすい(たとえば親が医者なら子供も医者になりやすいとか)ということを示したのが本書「不平等社会日本」です。上の例のように
階層というのはいわば遺伝するようなもので実は生まれた環境によって強く規定されるというのを示したのが本書の面白いところです。
この基となった統計データがSSM調査というものなのですがこのデータの分析の仕方が大変勉強になりむしろこういった統計データの
分析法について多くのページ数が割かれていて統計のべんきょうにもなります。たとえばかつてのSSM調査によれば確かに中流といわれる
人たちが増えているように見えるのですがある年代だけ取り出してみると実はそうでもなくむしろ階層間格差が広がっているように
みえるなどデータの見方を変えるだけで結果ががらりと変わるのは面白いところです。このほかにもいろいろと社会学の勉強になるようなことが
数多く含まれていてそちらの勉強にもなり興味深い内容となっています。
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日本は本当に総中流社会? 日本は本当に機会均等社会? そのような常識とされている疑問に対して、統計データの分析を通じて、真っ向から反論する意欲作。最近流行の「下流社会」よりも、この本の方が、より実証的で説得力を伴う。これまでの人生で漠然と感じていた『階級の再生産』というものが、空恐ろしいほどにこの書では証明されている。これこそ現代日本の現実であり、目を背けたい現実でもある。各々のデータの分析は良く分からないまま読み飛ばし、分かるとことだけ読んでいても楽しめる学術書だろう。自分が偉大なる権力者であれば、発禁にしたくなるくらい痛いところを突いている一冊である。
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ブルデューの論じた文化資産による階層の再生産を、戦後日本の社会調査に基づいて実証的に論じています。
日本社会は戦後になって、メリトクラシーが全面的に行き渡ることになりましたが、実績主義の中に入り込んでいる機会の不平等が目に見えなくなってしまったことを、著者は説得的に示しています。
結果の平等原理に基づく社会では、一人ひとりの持つどのような背景がどの程度有利・不利に働くのかということは、後になってからでないと分からないと著者は言い、それゆえ結果の平等がどの程度実現されているかをつねにチェックし、その不公正を事後的に補償できる仕組みをあらかじめ用意しておかなければならないと、著者は提言しています。
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日本は「努力すればなんとかなる」と「努力しても仕方ない」の二重底から成り立つ。かつては個人の責任か集団の責任か問われなかったが、それが崩壊した。
評価は「実績」に依るべきだとする人は年収と相関するが、それは主にホワイトカラー雇用上層(年功序列下)である。また、実績主義は父の学歴とも因果関係にある。これは近年加速している。
親と子の職業が違う(管理職が平になってる)のは年功序列を考えると当然。W雇上は、流入が多いから少し変動しているにすぎない。事実、40歳時点でのW雇上の父を見ると、同職となる傾向がさらに強まっていることがわかる。これは戦後の経済成長で高まった開放性が、その自体の閉鎖性により覆われたということである。
階級再生産は「なって当然」の世界であるために、階級における責任感(やりたいこと)を失わせる。しかも、形式上平等のため、なおさら。
敗者の再加熱の仕組みは「選抜機会の多元化」と「選抜自体の意味の空虚化」がある。日本では形式上平等なため、後者。この結果、エリートの責任感をも失わせる。
唯一、B雇上→W雇上ルートの存在が、挑戦の機会を開いてきたが、近頃このルートも閉鎖されてきている
現在の選抜社会の行き詰まりを打破するためには、1.ブルーカラー専門職とホワイトカラー専門職の融合、2.専門職キャリアの再編、3.選抜機会の多元化、4.世代を超えた不公平の緩和がある。
機会の平等は、階級再生産を考慮すると達成しにくいし、この社会に実力の代理指標しかない以上確認しにくい上、事後的にしかわからず、対策が打ちにくい。例えば、学歴を打破する情報リテラシーにも(父の職業に伴う)格差が存在するし、それは後からしかわからない。その中で機会の平等原理を確保するためには、不平等の監視と、事後的な不平等の保障が必要になる。
学歴に変わる指標として、市場はまだマシなのではないかと考えている。
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データの分析の解説が難しくてよく分からなかった。
いまのお嬢様は、親の学歴・職種が資産となっているが自覚が無く自らのステイタスを実績と勘違いしている。
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平等とは何か、実績での平等か、努力をみるのか、あるいは最も必要な人に最も与えられるのが平等なのかという問題提起に最初に興味を持ち。真の実績主義と言っても難しくて、機会の平等は事後的にしかわからないというのも興味深い。データ分析は、納得できるところもあれば、そこまで言える?ってところもあった。
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統計やグラフやそういうのが何度も出てきて自分にはそんなに不向き、
でも興味のあるテーマなので読みました。
不平等をどう解消しようとかいうよりは、
結局生まれも才能っていう持論を支える材料を一つ手に入れられたみたいなのが大きいかな。
Posted by ブクログ
[ 内容 ]
実績主義や自由競争の市場社会への転換が声高に叫ばれている。
だがその「実績」は本当に本人の力によるものか。
筆者は社会調査の解析から、専門職や企業の管理職につく知識エリートたちの階層相続が戦前以上に強まっていることを指摘。
この「階級社会」化こそが企業や学校の現場から責任感を失わせ、無力感を生んだ現在の閉塞のゆえんとする。
一億総中流の果てに日本が至った「階級社会」の実態を明かし、真の機会平等への途を示す。
[ 目次 ]
序章 『お嬢さま』を探せ!
第1章 平等のなかの疑惑―実績VS努力
第2章 知識エリートは再生産される―階層社会の実態
第3章 選抜社会の空洞化―粘土の足の巨人
第4章 「総中流」の落日―自壊するシステム
第5章 機会の平等社会への途―効率と公平
終章 やや長いあとがき
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