西垣通のレビュー一覧
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書名には「流行り」に合わせて「集合知」と冠してあるのだが、内容のほとんどはクオリア論やオートポイエイシス論に立つ「情報とは」についての解説である。著者はエンジニア出身ではあるが、Webテクノロジーそのものの専門家ではなく、社会学など人文系との境界領域を専門とする。したがて本書の内容もテクノギーク向けの読み物とはいえない。だが、理数が嫌いな人からみても、数学・科学臭さがあり、ジャーゴンもある程度知っていないと読みにくいので、新書としては中途半端なところかもしれない。どちらかと言えばWeb2.0やSNSを安易に民主主義の変革に結び付けるような軽薄な風潮については、はっきりと反対の立場を表明してある
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タイトルは「情報学の基礎」の意味ではなく「基礎情報の学」。”情報”の統一的な基礎付けをしようという意欲的な著作。だから、油断して読みだすととたんに迷子になること請け合い。
情報といえば、シャノン=ウィーバーの情報理論なのだけど、あれは情報の定量化による通信可能性に関する理論であって、情報の持つ意味内容にはいっさい手をつけていない(だからこそ情報を定量的に取り扱うことができた)。でも、情報とは何かという根本的な問いを立てたのなら、それが含有する意味内容、そしてそれが与える影響にまで踏み込無必要がある。
というわけで、西垣の基礎情報学になるわけだけど、ここで西垣は情報を「それによって生物がパタ -
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今、自分が漠然と感じていたことを、きれいに問題として整理してくれた。
最初のあたりこそ、ところどころ「おいおい、それは論証不足じゃないかね?」と突っ込みたくなる部分が何カ所かあったが、後半はぐいぐいと立証していく。つまり、あたらしいかたちでのコンピューター(めメディア?)と人間の関係。右脳=感情を支える技術、副題の「生きるための情報学」の模索。
・数値比較できない「私」をのばしていくのが、本来の教育ではないのか。
・身体が感情の原器。
・ノイマンとウィーナーの晩年。
◎身体をつかって生きるという行為そのものが、世界の創出につながるのである。
・生命情報、社会情報、機械情報。
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昨今のAIブームを哲学的に考察していそうだと思い購入。
著者は哲学の専門家ではなく、基礎情報学を専門とし、民間企業もアカデミックも経験している筋金入りの理系であるところも興味をそそられた。
著者が情報系の専門家といっても、いわゆるIT用語はほとんど用いず、また哲学用語も最低限に抑えて書かれているため、専門知識がなくても読み進められるところも好感が持てる。
深層学習(ディープラーニング)、ChatGPT、生成AI等のいわゆる第3次AIブームにより、人類社会の未来に対する楽観論と悲観論が様々なメディアを通して交錯しているが、著者も昨今のAIに対するヒートアップした論調に警鐘を鳴らすべく、持論を -
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「客観的な世界の様子を記述する知識命題は存在しない。所詮は誰かが行った解釈」
科学的という手法に惑わされてはいけない。
集合知が「生命の知」であると言うならば、一人一人の主観を結晶化させたものを集めていくことが、「種への貢献」に繋がるということだ。
その意味で言えば、当事者研究にこそ、生命の知の純度を高めていける可能性があるということだ。
「対話」は、そのための手段。
*科学的手法、統計などをつかって「すでにある」と想定した普遍をあぶり出そうとするのが近代科学の考え方。
そうではなく、「対話」によって普遍的なものを二者以上で創出していこうとする視点がプロパゲーション。そちらのほうが、暗 -
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西垣さんの本は1988年出版の「AI――人工知能のコンセプト」を最初に読み、それから数冊ではありますが、読んできています。
そのこともあって、シンギュラリティ否定論や、人間はAIに置き換えられるという見解の否定については想定どおりでした。
DXについて、日本の文化的伝統の根源に遡って考えるというのがテーマになっており、「新実在論」などの興味深い見解の紹介もありましたが、正直にいいますとやや議論に付いていけない部分もありました。
「意味とは本来、『主体である誰かにとっての価値』であり、誰かが生きることと切り離せない。たとえば下戸である筆者にとって、ワインの良し悪しなど『意味がない』のである」( -
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ビッグデータ、人工知能両方の初心者の立場として本書を手に取りました。副題が「可能性と罠を見極める」ということで、本書はまさにその両方について書かれているのは理解できました。ビッグデータと人工知能はセットで考えるべきであること、また両者が掛け算されることでディープラーニングというテクニックが可能となって、ここから汎用人工知能や人知を超える?人工知能の可能性が議論されている、といったことが書かれていました。そして著者の一貫した主張は、「人工知能は人間を超えない」です。私自身はこの主張は説得力があったと思います。確かに特定分野では人間の能力を超えて何かができるとは思いますが、それをもってして人間を超
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私が初めて筆者西垣通氏の名前を知ったのは、2004年朝日新聞に掲載された「情報伝達という神話」というコラムだった。西垣氏は、東京大学名誉教授であり、また日立でコンピュータソフトの研究開発に関わってこられたバリバリの”専門家”であるが、そのコラムは専門的なうんちくではなく、意外な内容だった。情報が伝わるとはどういうことか、そもそも情報って、本当に伝わるものなのかという反論から展開されていた。「人工知能は責任をとれるのか」と題された本書のタイトルと西垣氏の名前を見て、即買い。特に第6章監視選別社会が印象に残った。AIによって便利な社会になることは言わずもがなであるが、それにより我々が選別される社会
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公共哲学(功利主義、自由主義、共同体主義)の考え方をもとにして、どのように評価基準をさだめれば、民主的な意思決定ができるのか?について考察した本。
まず、専門知識の分野の細分化がすすんだ社会では、個々の専門家は限られた分野に精通するのみで、社会の中で総合的に判断する様な(たとえば再生医療、教育制度、など)問題の意思決定を担うことは難しい。そこで、インターネットを介して一般の人々の集合知を利用できないかと考察がすすみます。
筆者の提案としては、意思決定しようとする集団の規模に応じて3つの考え方をそれぞれ参考に(小規模集団では功利主義、大きい集団では特に自由主義を気にする。実際の選択肢をえらぶ -
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タイトルの意味するところを、非常に的確に答えてくれている。責任がとれるとれないというより、ロボットと生物の認知の違いを明らかにし、人工知能と生物との境界線はどこにあるのかというところに、論の主眼があると思う。
1)〈ロボットの設計者には、ロボットにどういう入力をあたえればどういう出力が現れるか、つまりロボットがいかに行動するか、基本的にはわかっている。たとえ細部で不明確なところがあるにせよ、まったく予想外の出力が出現することは原則として無い。もしそうなれば、ロボットは壊れており、廃品ということになる。〉
2)〈出力(行為)を予測できる以上、機械には原理的にいかなる自律性も自由意志もなく、責