タイトルの意味するところを、非常に的確に答えてくれている。責任がとれるとれないというより、ロボットと生物の認知の違いを明らかにし、人工知能と生物との境界線はどこにあるのかというところに、論の主眼があると思う。
1)〈ロボットの設計者には、ロボットにどういう入力をあたえればどういう出力が現れるか、つ
...続きを読むまりロボットがいかに行動するか、基本的にはわかっている。たとえ細部で不明確なところがあるにせよ、まったく予想外の出力が出現することは原則として無い。もしそうなれば、ロボットは壊れており、廃品ということになる。〉
2)〈出力(行為)を予測できる以上、機械には原理的にいかなる自律性も自由意志もなく、責任を問うことなどできない。〉
非常に説得的である。以下生物との対比で、さらにわかりやすい。
3)〈生物は、意識するかしないかは別として、自分が所与の環境条件のもとでいかなる行為を実行するかの内部ルールをもっている。内部ルールそのものを自分でつくりあげるのだ。〉→だから生物は原理的に「予測不可能」
4)〈生物は環境との相互作用のなかで、自ら周囲を観察し、内部的に世界を構築しつつ、行動を続けていく。誤りが生じたら自らの観察の仕方を反省して、世界のイメージを修正しつつ生きていくわけだ。〉
5)〈つまり生物は「情報をうけとって客観的世界を認知している」のではなく「(生存をつづけられるように)情報を解釈して主観的世界を構成している」のである。〉
6)〈コンピュータのような機械は外部から情報をそっくり入力できる開放系だが、人間をふくめ生物は外部から情報を直接入力できず、主観的な意味解釈を経由せざるをえない閉鎖系なのである。〉