西垣通のレビュー一覧
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「ビッグデータと人工知能」
しばらく前から社会にあふれるデータをビッグデータと言って話題にはなっていた。そこに来て、囲碁でコンピューターが人間に勝ったと言うことで人工知能が急に脚光を浴びるようになってきた。
その上、2045年にシンギュラリティが起こるという予測を楽観論、悲観論を合わせてマスコミが煽っているので、ますます注目されて来ている分野である。
しかし本書は技術的に冷静に分析していて、特にシンギュラリティ仮説は欧米のキリスト教的な価値観によるところが大きいと指摘して、欧米人は人工知能は神が与えたものとして信じ込むかも知れないと言う。
一方著者は知能とは生命が生きていくために発達させてきたものであり、コンピューターによる人工知能はどこまで行っても計算と考え、知能ではないとし、計算結果を神のお告げのように信じ込むことの危険性を指摘している。
議論が進むにつれて次第に哲学的、宗教的になってしまい、技術論を越えてしまう。
コンピューターがいくら進化しても意識を持つことはないかも知れないが、人間側が意識を持っていると感じることはあり得るので、結局は人間の問題なのだろう。
コンピューターが進歩して意識を持ってもいいような気もするが、その意識は人間には認識できないかも知れない。
また、人間も有機物からできた計算機だと考えられなくもないわけで、やっぱりかなり哲学的な話になる。
いずれにしても現在の技術の延長線上では人間の知性に匹敵するコンピュータを作るには膨大な開発費とそれを動かすための莫大な電力が必要になり、開発した結果がとても天才とは言えない普通の人間の知能だったら、ただの笑い話になってしまう。 -
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ネタバレあとがきの日付が「2012年11月」となっているので、3年と5ヶ月前になる。
この間にITがいかに進歩したかを感じる。
なんといっても今月、AlphaGoがリ・セドル九段を破った事実は、ディープラーニングがITの世界にパラダイム・シフトをもたらした。
本書は、このディープラーニングという閉鎖システムがIT上で実用的になることを前提にしていない。
著者は従来の開放システム(=与えられたプログラムで処理するだけのもの)だけですべてが処理される世界になることを望んでもいないし、予想もしていない。
ディープラーニングによるパターン認識と学習は、主観知の相互作用による合意形成と根本的なところは同じものではないかと思う。
また、タイプIIIと呼んでいるものは、今、IoTと騒がれているもの。
IoTとディープラーニングを活用し各自の主観知から合意を作る世界、すなわち著者が望み予測するものに近い将来が実現に向けて歩み始めたのではないかと思う。 -
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情報-その本質は生命による「意味作用」であり、意味を表す記号同士の論理的関係や、メディアによる伝達作用はむしろ派生物にすぎない。言葉の意味はいかにして私の心から他者の心へ伝えられるか。意味内容が他者間をまるごとそっくり移動するなどほんとうに可能なのか。社会的コミュニケーションはいったいなぜ可能なのか。著者はHACS-階層的自律コミュニケーションシステム-に基づいて、「情報」そのものを根底から問い直すことから出発する。生命が、閉鎖的かつ自律的な「システム」であるとしてとらえ、その上で生命の「意味作用」を「情報」であると再認識した上で、生命/心/社会をめぐる情報現象を、統一的なシステム・モデルによって論じようとする。
――2009/12/04 -
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基礎情報学の入門書、「生命と機械をつなぐ知」を先に読んでいたので、内容的にはすでに大体のところは把握済みだった。入門書と同様の内容が丁寧に書かれている。最後はインターネットシステムについての可能性について述べられて終わる。この本は2004年出版のものだから、入門書の方が基礎情報学としても先に進んでいるわけだ。
基礎情報学とは、オートポイエーシスという生物学の考え方を情報学に応用したものという認識だったが、この本を読んでみると、むしろルーマン社会学を情報学向けに考察しなおしている感じが強い。
内容としては、観察者のところで混乱した。具体的には「社会観察者はその機能に直接関連して専門的に活動している者ではない」というところだ。あれ?社会システムでコミュニケーションを行ってる心的システムは観察者だとばっかり思っていたのに…。でも、よくよく読んでみると、どうやら観察者≠社会観察者のようだ。観察者=コミュニケーションの参加者の心的システム、社会観察者=ジャーナリストの心的システムということで、ひとまず理解しておく。
次は、続 基礎情報学を読んで、基礎情報学がどのように発展していくかみていくことにする。 -
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クオリア,暗黙知,APS,HACS,ネオサイバネティクス,SEHS,分人,アサキモデル...色々な学説が出てきて、思ったよりヘビーな新書だったが筆者の要点としては、
①多様な価値観が混在する人間集団において閉鎖性・不透明性が保たれれば、メンバー同士の二人称対話(信用のキャッシング行為)にもとづき、社会は安定性と動的適応性へ向かう(→盲目的にオープン/フラット化した社会への反対)
②人間(生命体/心)はリアルタイムで閉鎖的な自律システムであり、機械は静的な時間で開放的な他律システムと、異なる性質ゆえに、ITエージェントはAI(Artificial Intelligence)からIA(Intelligence Amplifier)へ転換し、人間の対話協調を補助するものになるべきである(→自己言及のパラドックスに陥る汎用的人工知能への警告)
人間がどれだけ身体機能を機械に依存しても、人のクオリア(心)や対話能力はそれに代替できないから、ドラえもんとかタチコマみたいなのはやっぱりSFの世界ってことかぁ。。 -
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正直、今の私には少し専門知識が不足していて咀嚼しきれない表現が多かった。通常、新書を読むペースより2倍の時間をかけ、目次を写してメモをとりながら2度読む方法をとった。
西垣通氏の著書は以前に何度か読んでいて社会学的な視点で興味のある眼差しを持っている方だという印象を持っていた。本書も、第一章で今沸き立っている一般意思2.0に安易に乗っかることへの警鐘を鳴らしている。この本を読む一年程前に読んだ『一般意志2.0』東浩紀氏著を読んだ時は、集合知の活用による新しい社会システムを待望したものだ。第三章・第四章と難しく感じたが、第六章は総まとめ的にわかり易く本書を振り返ってくれている。 -
Posted by ブクログ
「グローバルでフラットなIT社会」を目指すというような最近の画一的な風潮に,「個人的な知」からの切り口で批判的に論じた一冊.めちゃくちゃ面白い.
全体的に少し感情的な表現に感じるところもあったけど,何より,「本当にコミュニケーション活性化とか,情報共有とか,徹底的に推し進めていいのかな?」という疑問を持ちながら推進していた自分にとっては刺激的でためになった.
集合知の他の本でも記載があったが,あまり緊密すぎる関係性は,多様性を損ない効率が低下する.というような話があったが,
ここでは「開放系と閉鎖系」の集団モデルの安定性の比較の例で紹介されていた.
どちらにしろ,単純に数値のサマリーを行うように人の活動を取り扱おうとするとダメにしてしまう,というリスクを考えなくてはいけないようだ.
西垣先生の本も数冊読んでたら,ようやく「客観的で科学的な物事の解析」とは少し視点の違う「主観的で閉鎖的な人の意識を起点にした世界認識の組立」のような感覚が掴めてきたかも..?
おもしろかったー. -
Posted by ブクログ
ネタバレ集合知とは何か、というタイトル通りの本です。
生命体の集合知では、クオリアという感覚質によって外界の情報を無意識にインプットされ、個体の記憶を基にして情報が再編される閉鎖的自律システム(オートポイエティック・システム)。時間や場所や心理状態が変われば、同じものを見ても感じ方が変わるのは当たり前。そしてその感じ方はその人個人のものなので閉鎖的である。
閉鎖的ならばどうやって他人とコミュニケートできるのか?完全なコミュニケートは不可能(個人の痛みを他人が完全に理解するのは無理!)だが、意識に上ったものは会話等によって意志疎通ができる。
人間個体を理解することで集合知を深く探求することはできる。
また、生命体の本質は閉鎖的自律システムなので、所謂『人間みたいなコンピュータ』は作れない。コンピュータは入力したデータに基づいて出力する(しかも出力情報はいつ引き出しても同じである)から開放型他律システムだからである。
さてネット集合知は専門知を超えることができるのか?その答えはまだ出ていない……。
読み応えがあり、難しいけれど、面白いです。
情報学の視点から人間を考えるとなるほどかようになるのかと感心しました。集合知というと、ネットワークや哲学がその学問領域になるかと思いましたが……、機械情報学からの出発が、生命システムに行き着く、そして再び機械情報学に戻るのは何だか不思議ですね。
インターネットが当たり前の時代において、人間に求められるのは、情報を加工する能力でしょう。知識自体はウェブ上にあるので、それらをうまく組み合わせて知恵を生み出す。
言ってみれば、レゴブロックがたくさんあっても、それを組み立てて遊ばないと意味がないのと同じです。お城を作ったり船を作ったり、組み立て方のパターンは無限にある中で、どういう組み合わせが適当か、考えなくてはなりません。
しかし、注意しなければならないのは、知恵が肝心だからといって、知識(レゴブロック)を疎かにしてはならないということです。知識がなければ閃きもない、よって『知識はネット上にあるからわざわざ記憶する必要がない』となってしまうと、知恵を生み出す素地が育たず、よい結果は得られないでしょう。要は下積みが大事ということです。
平野啓一郎さんの小説が気になりました。分人という概念は、ユングのペルソナと同じだと思いますが、確かに現代人は複数の人格を持ちすぎだと感じます。それらが一貫性をもったものならば、著者の言うように問題はないのかも知れませんが、うまく制御できないときは爆発しそうで恐いです。『いい人を演じるのも疲れた…』なんてのはよくある話で、そこは喜怒哀楽ある人間だから、あまりストレスを溜め込むことなく円滑に人間関係を進めたいものです。
僕の評価はA+にします。 -
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ネタバレ人間の心を機械で作る試みはまだ発展途上で、失敗の原因は言語的自己ばかりを求め、身体的自己を蔑ろにしているからである。
心のはオートポイエティック・システム(自己創造)である。
インターネット(殊バーチャルリアリティ)の問題は、人間の知覚(嗅覚や触覚や味覚)を使っていないことである。主に言語脳しか使わないため、所謂ネトゲ廃人は虚無感や虚脱感等の精神疾患になりやすい。
精神よりも肉体に重きを置きましょう、という主張は、甲野善紀さん、池谷裕二さんと同じです。頭で考えるより、先に身体を使って行動せよ。これには賛成します。でも日本には余裕がない。だから失敗は許されない。許されないならどこで経験を積むのか。それが今の日本の課題だと思います。失敗をカバーできるように全体でサポートしなければならないのですが、まだまだ環境が整っていません。
喜怒哀楽といった感情ではスムーズな社会運営はできない、だから言語を用いて理性で問題を解決しようとしたのが歴史です。そして再び感情や身体に注目していこうとする最近の流れを見ると、へーゲルの弁証法を思い出します。
Aというテーゼ(言語を用いないで感情や身体を使って生活していた頃。イメージとしては原始時代)から、Bというアンチテーゼ(感情に流されて行動するのは野蛮だ。言葉を用いて理性的に問題を解決しようとする風潮。イメージとしては中世以降か?)へ、そして現在はジンテーゼC(言語中心では心が荒むだけだ。感情や身体にも気を配らなければ)に落ち着いています。弁証法的に見ると、当たり前の流れですね。
やっぱりリアルの世界が充実しないと、人間は腐っていくように思います。いくらバーチャルが良くても、ベースとなるリアルの世界で自己肯定感が無いと、生きる価値が見出だされずに荒廃していきます。
「成功率なんてものはただの目安だ。あとは勇気で補えばいい!」
アニメ「勇者王ガオガイガー」より
この名言が好きです。
本当にその通りなんです。政治も経済も、本当は失敗しちゃいけないのにもかかわらず、失敗しています。一流企業でも不祥事を起こします。
だから完璧じゃなくて良いのです。とりあえず当たってみて、ダメな時はあまり真剣に悩まず、常にポジティブに考えて行動することが大切です。
今の若年層のニートも、著者らしく言えば『言語的自己』ばかり使っているのです。かくいう僕も頭でっかちで(笑)、『僕に足りないのは経験だ!』とは分かっているのですが、新しく就職活動をする勇気がない(ただ今絶賛ニートです笑!)、新しく友達をつくる勇気がない等、ほとほと困り果てています。
ですが、このままでは廃人行きは目に見えています。
感覚の大切さは分かっていますが、それを理解してくれないのが社会です。
「根拠のある自信は、根拠が崩れると自信が無くなるが、根拠のない自信は、崩れることはない!」
こういった、感覚に頼るというのも必要ではないでしょうか。
知的好奇心を満たすものとしては面白いですが、実際問題として、『じゃあネットとリアルのあいだに挟まれている私はどうすればいいの?』という疑問には答えてくれません。そういった処方箋を求めている方にはオススメできません。僕の評価はA-にします。 -
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1948年 ウィーナー「サイバネティックス-動物と機械における制御と通信」
ウィーナー「人間機械論」
サイバネティックスとは、本来、生命体が生き続ける為に、いかに電子機械を活用すればよいか、という実践知に他ならない。
生物の主観世界を考慮した革新的なサイバネティックス1970年代から現れた「二次サイバネティックス(サイバネテックスのサイバネテックス);観察行為を観察する」。(ウィーナーは「一次サイバネテックス」)
二次サイバネテックスの創始者は、ハインツ・フォン・フェルスター。
生命体(人間)は、「作動するシステム」(自分で自分を創り出す)ので、「自律的なシステム」、「オートポイエティック;(自己創出的)な存在)。
機械は、他の存在(人間)によって制作され、また他の存在(いわゆる出力)を創り出すので、「アロポイエティック・システム」。 -
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「情報」「知識社会」「知」「パラドックス」「自己言及」「クオリア」「心身問題」「オートポイエーシス」「自己組織化」「時間」「生命体」「生物」「秩序」「分人」「平野啓一郎」「ベルクソン」「モナド」等々最近、気になっていた言葉が次々に現れて驚いた。
内田樹さんが、「人は何を知りたいかわからないままに知ろうとする。」と言われていたように記憶しているが、まさにそうなのではなかろうかとこの本を読みながら思った。「そうか!私が知りたかったのはそういうことだったのか!」という思いがしたからである。
先日読んだ『リーダーシップとニューサイエンス』で情報の本質が気になりだし、それと同時に水野先生から情報学の入門書である本書を授けられた。まるで、自分自身でも気づいていない私の好奇心が見抜かれているかのようである。前者は情緒に訴える書物で本書は理性的なものだが、傾けられている情熱や純粋さは前者を凌いでいるように思う。200ページ余りの短い本であるが内容は濃い。
知について、こうこうこういうものである。というような説明はないが、
「…大切なのは手際よく所与の知識命題を集めてくることではなく、自分が生きる上で本当に大切な知を、主体的に選択して築き上げていくことのはずである。」(p49)
というような思いに貫かれていて、とても頼りになる。
また、著者は言う。
「心とは徹底的に「閉じた存在」なのである。自分の痛みのようなクオリアは他人には決してわかってもらえないことが、その証拠といえる。」(p82)
自分の思いが伝わらない、相手の気持ちがわからないと涙したことのある人にとって、いっそのこと「心とは徹底的に「閉じた存在」なのである。」という地点にまで降りて、そこから再び世界を構成したり、コミュニケーションについて考えたりするアプローチは心強い。ある意味、希望の光ともなるかもしれない。
さらに、人と人との関係、組織との関係、社会との関係も情報学の観点から分析整理されていて新たな視点を与えてもらった。いつか、自分の言葉でまとめられるようになりたい。書物にせよ演劇にせよ簡単にわかることはそんなにはありがたくない。なんだかよくわからないけど、ざわめく心が落ち着いたり、新たな希望が感じられるものがありがたい。
さて、これはまったくのピント外れかも知れないが…生命体が閉鎖系であるがゆえにその作動原理が再帰的、自己循環的、自己創出的であることと、ニーチェさんの「永遠回帰」は関連があるのじゃなかろうかと気になり、ニーチェさんやジル・ドゥルーズさんの本を読みたくなってきた。
Mahalo